第150話 処女信仰者
繰り返す波のように響く人の声が聞こえ、俺はゆっくりと目を開ける。視界も頭もまるで薄靄がかかっているかのようにぼんやりしている。
あれ……俺は何をしていたんだっけ……。
頭を暖かく柔らかい何かが包んでいる。なんだか騒がしい人の声が遠くから聞こえるけど、この幸せな感触からは離れたくない。俺は頭を柔らかく包み込む何かに手を這わせる。
「心配したのに……元気そうね、アル?」
急速に靄が晴れていく。すぐ目の前に現れたのは、陶器の瓶を俺の口に当てて微笑むアスカだった。
「ん……アスカ? あれ……ここは……」
「冒険者ギルドの修練所だよ。ギルドマスターとの訓練できっつそうなのもらっちゃって、ちょっとだけ意識を失ってたの」
「そうか……」
「どこか痛いところある? 怪我はもう直したけど、気分が悪かったりしない?」
「……大丈夫……かな」
「ん。下級万能薬を使ったから、倦怠も混乱も治ったみたいだね」
そう言ってアスカが微笑む。あれ? 顔は笑ってるけど目が笑ってない?
「それでぇー。アル君は何をやってるのかなー?」
「え……? 何って……」
言われてふと気が付いた。アスカは俺の頭を膝の上にのせて、両手で包むように抱えてくれていた。
「目が覚めたんなら……その手の動きを止めたらどうかなー?」
ん…ああ、なるほど。俺が手を這わせていたのは、アスカの手と……尻だったのか。
「これをやめるなんてとんでもない!」
「場所を考えてよ……」
アスカが立ち上がり、俺は振り落とされて後頭部を床に打ち付ける。ああ、幸せな感触が行ってしまった。
「いっつ。えっと、俺はどれくらい気を失ってたんだ?」
「もうっ……。ほんの1,2分くらいだよ」
言われてみればヘンリーさんと受付の女、野次馬達もまだ修練所にいてこっちを見ている。なるほど。衆人環視の中で、俺は無意識にアスカの小ぶりな双丘をまさぐっていたようだ。アスカの真っ赤な顔も頷ける。
俺が目を覚ましたのに気付いたのかヘンリーさんと受付の女が近寄って来た。俺は後頭部に手を当てて柔らかな感触の余韻を楽しみつつ立ち上がる。
「アルフレッド……貴様、娘に手を出しておきながら、女連れでギルドに現れた上にいちゃついてみせるとは、見上げた根性だなぁ? 訓練を続行するか? あぁん?」
いったいなんだってんだ、この人は。第一印象と打って変わってチンピラみたいだな。こんな人がギルドマスターだなんて……って、娘?
「へ? 娘に……? どういうことかなぁアル?」
アスカがにっこりと微笑む。先ほどと同じく目は笑ってない。いや……凍りつくように冷たいな。これはこれでアリだけど。
「いや……心当たりが……無いんだけど……」
王都に来てから早々に酷い評価と嫌なウワサが流れてるんだ。それにほとんど一緒にいるんだから、俺がやましい事をしてないことくらいわかるだろ。
「まさかあたしが引きこもってる間に……!? 天然の草食系だっと思ってたのに!」
誰が天然だ。だいたい別行動してたのも一日とちょっとぐらいだし、闘技場とエースの試し乗りしてたって言っただろうが。他所の女の子に手を出すどころか、声をかけるヒマすら無かったよ。
「ほおう……。娘に言い寄っておきながら他所の女にも手を出すとは……もう許せん! スーザン! 白虎闘手甲を持ってこい! 二度と使い物にならんように握りつぶしてくれる!」
「はいっ!」
スーザンと呼ばれた受付の女が慌てて走り去る。おいおい……白銀の手甲よりも本気の武装? さっきでさえ、いいようにやられたのに!
しかも握りつぶすって何をだ!? 二度と使い物にならないくらいってイヤな予感しかしないんですけど。
「ちょっ……ちょっと待ってくださいよ! 娘って何のことですか? 本当に心当たりが無いんですけど!」
「このっ……この期に及んで言い訳を! 貴様がセシリーに言い寄ったのはわかっているんだ!」
……セシリー?
「セシリーってもしかしてオークヴィルの商人ギルドの?」
「そうだっ! ようやく白状したか! 娘に言い寄る不埒者は許してはおけん! 男なら覚悟を決めろっ!」
ああ…セシリーさんの父親は王都で活躍している冒険者って聞いてたけど、まさかのギルドマスターだったのか。チェスターを出る時にセシリーさんから預かった手紙は、冒険者ギルド本部に立ち寄った時に届けておいたんだけど……それが手元に届いたのかな?
それにしても、手紙に一体何を書いたんだセシリーさん……。 娘ってのがセシリーさんなら、心当たりが無いことも無い……か?
「へー。セシリーのパパなんだぁ。それなら怒るのもわかるわ。変なとこおっきくして鼻血たらして興奮しちゃってたからねぇ」
「なんだとっ! どういう事だ!!」
「ちょっ……アスカ!」
「ふーんだ。あたしは根に持つ女なんですー」
その後、いきり立つヘンリーさんを宥めるのに小一時間を要した。否応無しに訓練を再開すると言い出して爪が鋭く光る手甲を身に着けて剛腕を振るうものだから、さすがに魔法を解禁して相手取った。
【風装】で速さを上げて逃げ回りながら【火球】やら【爆炎】をばらまいたから、修練所がボロボロになってたけど知ったことじゃない。握り潰されちゃたまんないからな。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「はっはっは! それならそうと最初から言えばいいじゃないか」
「聞く耳を持たずに襲い掛かって来たのはアンタでしょうが!」
「はっはっは! 処女信仰者だの小児性愛だのと言われとるお前が悪い。タチの悪い奴が娘に付きまとってると知っては黙っておられんだろう?」
「だから、誤解ですって……」
セシリーさんの手紙には、俺達が枯渇していた回復薬を納品したこと、火喰い狼を討伐したこと、アスカと仲良くなったこと、料理と生活魔法を教えるのに自宅に招いたことなどが書いてあったらしい。
教わった生活魔法については、詳しくは書かれていなかったようで助かった。アスカも恥ずかしかったのか、詳細の暴露はしなかった。ほんと余計なこと言わないでくれよ、アスカ。握りつぶされちゃかなわん。
「ふむ、一角獣と遭遇するには生娘を囮にすればいいのか。ずいぶんと特殊な方法だな」
「確かに変な方法ですけど、事実ですよ。疑うんなら、その時に捕まえた一角獣をギルド前の馬立てに繋いでますから見て来てください」
「ああ、お前が一角獣を飼い慣らしているのは知っている。疑っているわけじゃないが…本当にその情報を公開してもいいのか?」
「ああ。構わないですよ。魔物使いギルドにもタダで教えましたから」
「そうか。しかし、お前のパーティメンバー募集はそういう理由があったからなのか。それなら……スーザン。アルフレッドに何か言う事があるんじゃないか?」
ヘンリーさんが顔をしかめて後ろに立っていた受付の女ことスーザンに声をかけた。スーザンは苦虫を噛み潰した様な表情で俺に頭を下げた。
「……アルフレッドさん、申し訳ありませんでした」
さっきまでの態度についての謝罪かと思ったら、よくよく聞けば俺が冒険者ギルドで毛虫のように嫌われていることについての謝罪だった。
ヘンリーさん曰く、決闘士ファンだったスーザンは、元から俺に対して良い印象を持っていなかった。そこに俺とアスカが『処女募集』をしに来たのだ。
その夜、スーザンは決闘士ファン仲間がよく出入りする酒場で、酔いに任せて『泥仕合のアルフレッドは処女信仰者で小児性愛者だ』などと話してしまい、その噂は瞬く間に広がってしまった。
さらに彼女は、俺が一角獣を従魔にして乗りまわしているという情報を耳にする。調査してみると一角獣の螺旋角を手に入れたのに、冒険者ギルドには寄越さずにスタントン商会に売却したのだという。
マーカス王子の呪詛解除のために、冒険者ギルドは組織を上げて一角獣の討伐と螺旋角の入手に取り組んでいた。しかも、この王家からの依頼は、子爵令嬢でもあるスーザンが担当だったのだ。
依頼達成の折りには、もしかしたら美少年と名高いマーカス王子と……。そんな奇跡はまず起こらないだろうが、きっと王家の覚えもめでたくなる。斜陽貴族だった彼女の実家のためにもなんとしても依頼を達成したい、そう思った彼女は担当していた冒険者達を焚きつけて依頼を受けさせていた。
そんな中で、泥仕合の処女信仰者こと俺があっさりと手柄を攫って行ったのだ。腹に据えかねたスーザンは、受付で対応する冒険者や決闘士ファン達に噂を吹聴してまわった。
冒険者ギルドの顔とも言える彼女が発信した噂はまたたく間に冒険者ギルドに広まった。アスカ風に言うと完全アウェーの冒険者ギルドの出来上がりだ。
もちろんヘンリーさんの耳にも入り、公正な立場であるべきギルド職員が冒険者の悪い噂を広めるなど言語道断とスーザンを叱りつけようとしたのだそうだ。だが、そこにセシリーさんの手紙が届いてしまった。
娘の処女を狙う不埒者を許しておけぬ……という流れで、今日の決闘? に至ったということらしい。
なるほど。どうも悪い噂が広がるのが早すぎると思ってたんだ……。こいつが原因だったのか。
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感想欄がリニューアルされたんですね。
全ての部分で感想が書けるようになって、どの部分の感想かもわかるようになったようです。
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作者が喜びますw




