第135話 クレア・アリンガム
「俺と……婚約?」
「ど、ど、どういうことよ、それ?」
クレアの突然の発言に俺は呆気にとられた。アスカも落ち着きを失くして、俺とクレアをかわるがわる見つめている。
「アル兄さまがウェイクリング家に長子として戻られるなら、わたくしの婚約相手もギルバード様からアル兄さまに戻ることになりますもの」
クレアがまた俺の婚約者に? そういう事に……なるのか?
「アリンガム家の長女は代々ウェイクリング家の長子に嫁いでおります。わたくしも幼い頃からそう言い聞かされ、アル兄さまに相応しい妻となれるよう努めてまいりました。おかげさまで【商人】としてもアリンガム商会の幹部の一席を担うまでになれました。アル兄さまを公私両面にわたってお支えすることが出来ると自負しております」
確かにアリンガム家の長女は歴代のウェイクリング家長子に第二夫人として迎えられている。父上の第二夫人である俺の義理の母も、クレアの叔母にあたる。
第一夫人は家格が伯爵家以上の令嬢を迎えることとなるため、アリンガム家出身の夫人の子息が後継者となることは無いが、それでも両家の結びつきは古くそして深い。
「おじ様もおば様も、アル兄さまがウェイクリング家に戻られることを期待されております。それに、お父様もわたくしがアル兄さまに嫁ぐことを望んでおりますわ。もちろん、わたくしもです」
父上やバイロン卿もそう考えているのか。確かに父上からは長子として戻って来いと言われはしたが……。
「だけど……俺はウェイクリング家に戻るつもりは無いんだ」
それはチェスターを旅立つ時にはっきりと父上にも母様にも伝えている。アスカをニホンに送り届けるまではチェスターに戻ることは無い、そしてウェイクリング家に戻ることも無いと。
「……アスカさんを魔法都市エウレカに送り届けた後は、チェスターに戻って来られるのでしょう? それならウェイクリング家に戻られても……」
アスカをニホンに送り届けた後……か。それは旅の終わり、アスカとの別れ。その先の事なんて……
「旅は何年かかるかもわからない。チェスターに戻れるかどうかもわからないんだ」
世界中を旅して、転移陣をまわる。それだけでも何年がかりになるかわからない。そのうえ再び魔人族と闘うことになる可能性だってある。生きて帰る事が出来るかどうかもわからない。
もちろん、アスカを護り抜くと誓ったからには簡単に死ぬつもりなんて毛頭ない。だが相手はあの魔人族だ。アスカを護るために身命を賭す必要があるような事も起こりうる。
例えアスカを無事に日本に送り届けることが出来たとしても、その後のことなんて今はとても想像できないんだ。
「……アストゥリア帝国は遠方ではありますが、2年もあればウェイクリング領には戻って来れますわ。おじ様もおば様もあれほどアル兄さまのお帰りを待っていらっしゃるのに……わたくしだって!」
アストゥリア帝国か……。確かに目的地の一つではあるけど……。
ここで何も話さないのはいくらなんでも不誠実かもしれない。全てを話すわけにはいかないけれど……。
「すまない、クレア。話していなかったけど、アストゥリア帝国だけが旅の目的地じゃないんだ。長い、長い旅になる。だから、俺はウェイクリング家の後継者にはなれない。妻をめとり、子を作り、民のために領地を、ウェイクリング家を守る……それは俺には出来ないんだ」
【森番】を与えられた時に、運命の分かれ道は通り過ぎた。俺とウェイクリング家の間にあるのは、過去の記憶と家族との情だけ……。未来は、俺の運命を拓いてくれたアスカとともにある。
「大丈夫さ。ウェイクリング家にはギルバードがいる。あいつは優秀な騎士だ。ウェイクリング家にとってもアリンガム家にとっても、良い領主になってくれるさ」
そう言うとクレアはひゅうっと小さく息をのみ、肩を細かく振るわせた。
「………クレア?」
ぎこちない笑顔を顔に張り付けて、クレアは俺の顔を見た。
「わたくしはアリンガム家の長女として……定められた婚姻だったとしても……アル兄さまとなら……!」
クレアの瞳からすうっと涙が一筋すうっと流れた。クレアは慌てて零れ落ちた涙を手で拭う。
「っ……ごめんなさいっ……!」
クレアは身をひるがえして、目元を手でおさえながら居間から出て行った。ドアの脇に直立不動で立っていたジオドリックさんも、深いため息をついてから俺たちに一礼してから居間を出て行く。
残された俺とアスカ、ユーゴーの間には重たい沈黙が横たわった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「アスカ、朝から元気ないな。大丈夫か?」
「…………大丈夫」
翌朝、俺とアスカは一角獣の背にまたがり闘技場に向かっていた。決闘が終わった後に王都郊外で試し乗りをするために、今日は乗馬してきたのだ。
クレアが用意してくれたワイルドバイソンの革製馬具は、中古品ではあるが丁寧に使い込まれた逸品だった。二人乗り用の鞍の座面にはぎっしりと綿が詰められていて座り心地も悪くない。
「……それなら、いいけど、さ」
「…………」
かっぽかっぽと足音を響かせ、俺たちを背に乗せて王都を歩く一角獣。通り過ぎる人たちは軍馬よりも一回りは大きい一角獣に物珍し気に目をやって、額の真ん中に突き出ている折れた角の根元に気付いてぎょっとした顔をする。
馬型の魔獣を飼いならす魔獣使いは珍しくも無いが、さすがに一角獣に乗る魔獣使いはそういないだろう。俺は魔獣使いでもなんでもないのだけど。
「速歩」
王都を出た後、俺は一角獣を速歩で進ませる。驚いたことに、人語を解するこの馬は足や手綱でサインを出さなくても口で命令すればそれに従って進んでくれる。
特に指示を出さなくても道に沿って歩んでくれるし、すれ違う馬車や人もしっかりと避けて進んでくれる。思ったよりもはるかに従順で、賢い馬だ。もちろん隷属の魔道具の効果なんだろうけど。
一角獣のおかげで、いつもより早く俺たちは闘技場にたどり着いた。俺はアスカに鞍を掴ませてから、先に一角獣から下りる。アスカが体の大きい一角獣から下りるのを手伝おうと手を差し出すが、アスカは俺の手を掴まずにひょいっと飛び降りた。
「……じゃあ……頑張って、ね」
「あ、ああ……」
アスカは振り返りもせずに観客席に向かって去って行く。俺は闘技場前にいた馬丁に一角獣を任せ、決闘の受付に向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(【爪撃】!)
俺は対戦相手が構えた盾を【喧嘩屋】のスキルで殴りつける。ギャリンッと金属同士をぶつけ合った時の様な鋭い音が響き、鉄製の盾にうっすらと三本の爪痕が残る。
【爪撃】は【喧嘩屋】の攻撃スキルで、腕や足に魔力を込めることで殴打に斬撃の特性を付加することが出来るスキルだ。スキルを当てる事で熟練度を稼ぐことが出来るのだが、相手が剣士か槍術士のような重装備の者でないと傷つけすぎてしまうので、気軽にスキルレベル上げが出来ずにいた。今日の相手は剣士系の加護を持つ者だったので、これ幸いにとスキルを連発していたのだが……
「【魔力撃】!!」
「ぐうっ!!」
【騎士】のスキルと共に振るわれた剣を躱しきれず、俺は右前腕に浅い傷を負う。滅多にダメージを負わない俺が流血したために、観客席から歓声が上がった。
「いいぞぉっ!!」
「エレンッ! やっちまえ!!」
「そこだー! 行けーっ!!」
相変わらず観客の罵声に思わず顔をしかめつつ、俺は喧嘩屋のスキル【気合】と【威圧】を発動する。
【気合】は自己治癒力を強化するスキルだ。少々の傷なら、回復薬を使わずとも数分も経てば治癒することが出来る。スキルレベルが低いうちは効果時間も短く回復量も心もとないが、このスキルはもうすぐ修得といったところまで来ている。腕に負った傷ぐらいなら放っておいても治癒できるだろう。
【威圧】は自分より低レベルの敵に、一時的に敵の動きを硬直させ、さらに状態異常『恐怖』を植え付けるスキルだ。恐怖状態に陥った敵はステータス全般が低下し、スキルの効果や成功率が低下する……らしい。闘技場の決闘士達はおしなべて俺よりもレベルが高いためにほぼ効果は無い。発動すれば熟練度が稼げるらしいので、効果のほどはわからないが使い続けているだけだ。
「【盾撃】!!」
「ぐぁっ!」
【爪撃】での殴打のタイミングを完全に読まれてしまた。【鉄壁】で受け止められ、【盾撃】で弾き飛ばされる。追撃の斬撃はなんとか躱すことは出来たが、危なく重症を負うところだった。
「はぁっはぁっ……クソッ!」
速度も力も劣る相手だというのに上手くペースをつかめない。俺は自分への苛立ちを抑えきれないままに、せめて今日の目標としていた【爪撃】の熟練度稼ぎだけでも達成しようとスキルを連発した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
持ち込んだ下級魔力回復薬を使い果たし、魔力も半分を切ったところで俺は【爆炎】をつるべ打ちし、衝撃で対戦相手の意識を刈り取った。出来れば【爪撃】で倒しきって少しでも熟練度を稼ぐべきだったが、今日の俺の集中力では思わぬ反撃を受けてしまいかねないと判断したのだ。
観客には俺が受傷したことでさえ、相手をおちょくるための演技に見えたのかもしれない。いつもよりも一層酷い罵声を浴びつつ俺は闘技場の舞台を後にした。
「……おつかれさま」
「ああ」
早朝と同じく浮かない顔をしたアスカが俺を出迎える。いつもなら決闘ベッティングでいくら稼いだとか、俺のオッズがどうだったとか、観客のブーイングがムカつくとか、元気に騒いでいるのだが今日は言葉少なだ。
俺と同様に未だ昨日の出来事から気分を変えられていないみたいだ。まあ、それも……当然の話かな……。
俺たちは闘技場を出て、馬丁に一角獣を連れてくるように頼む。しばらくその場で待っていると、執事服に身を包んだ初老の男性が一角獣を連れてきた。
「お待たせしました」
一角獣の口取りをしながら現れたのは、ジオドリックさんだった。
ご覧いただきありがとうございます。




