第108話 水都
それから7日後。赤茶けた大地と大小さまざまな岩しか無い街道を延々と歩いた先に、キラキラと輝く水面と生い茂る木々が見えてきた。
「この世界……マップ広すぎぃ……」
「……ようやく着いたな」
「ええ、あれが荒野の水都、ヴァリアハートですわ」
荒野に突然現れた、対岸が霞んで見えるぐらいの広大な湖と豊かな緑。湖の周りには低層の石造りの家屋が軒を連ねる街並みが見える。
「ジブラルタ王国と王都との交易中継都市であり、数多の命を育む恵みのオアシス……か。美しい所だな」
「クレアちゃんの事が無ければ観光したいところなんだけどねー」
「アーヴィン・エクルストン侯爵の本拠地だからな……」
広大な領地を誇るエクルストン侯爵領のちょうど中心にあるのが、この水都ヴァリアハートだ。侯爵領のほとんどの人がこの都市で暮らしているらしい。
領地のほとんどが荒野のため、この都市以外は点在する小規模なオアシスにしか人が住める場所が無い。そのため侯爵領は広大な領地のわりに人口は少ないそうだ。
豊かな水源と緑に恵まれたウェイクリング領に比べると過酷な環境と言えるが、エクルストン侯爵領は荒野にいくつかある鉱山や塩鉱で採掘される鉱石や岩塩を輸出し、東西の交易の中継地点として栄えてきた。
人口が少ないこともあり軍事力では劣るが、その財力は王家や公爵家にも勝るとも言われていたらしい。ここ十数年前までは……。
「アリンガム商会がヴァリアハートを経由しないルートで東西の交易を行うようになり、多くの商会がそれに追随したため、エクルストン侯爵領を通過する商人が激減したのです」
「ああ。カスケード山に入る前に言ってた南のルートってやつですか?」
チェスターの魔人族騒ぎのせいで出発が遅れたとのことで、俺達は行程の短縮ができるカスケードルートを通ってきた。ルート変更を言い出したのはサラディンさんだったっけな。たしか、元々は南の安全なルートを通る予定だったとか言っていた。
「ええ。南のパックウッド山を越えるルートはアリンガム商会の出資で整備されたのです。それまでエクルストン侯爵が独占していた東西交易の利益が得られるわけですから、パックウッドルートで通過する子爵領、伯爵領の領主達からは大歓迎されたそうです」
「なるほどね」
安全なルートであれば小規模な商会でも東西交易が可能になる。商人が動けば冒険者や傭兵達も護衛のために一緒に動く。人の行き来が盛んになれば、経由する領地は商人達が落としていく金で潤うことになる。
「アリンガム商会の提案により、商人ギルドを介した取引での免税をした事も決め手になりました。利に聡い商人達は多少遠回りしてでもパックスウッドルートを利用するようになったのです」
領主達が歓迎するのも当然だろう。往来する商人達を奪われたエクルストン侯爵以外は。
「それを妬んだエクルストン侯爵とマッカラン商会がクレアを狙ったってことか。でも……」
確かに王家への親書と貢ぎ物を携えたクレアを捕らえれば、ウェイクリング家とアリンガム商会は王家の信頼を失墜させる事は出来るだろう。
「変わってしまった流通ルートを取り戻す事は出来ないでしょう。ただの浅はかな逆恨みとしか思えませんな」
だよねぇ……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
水都ヴァリアハートに入った俺たちは、まず商人ギルドに向かった。隊商が水辺にキャンプを張る許可を得ることと、今夜の宿を探すためだ。
ヴァリアハートの街並みはとてもシンプルな作りをしている。湖の水辺と並行して大通りがあり、大通りの水辺側には立派な建物が間隔に余裕を持って建っていた。対して、荒野側には小ぶりの建物がひしめくように立ち並んでいる。
そのさらに外側には、より小さな家屋が密集している。水辺に近ければ近いほど身分が高く、荒野側に行けば行くほど身分が低いという事なのだろう。
「薬草の素材はどんなのがありますー?」
「この辺りの素材ですと珪化木に紫水晶などでしょうか。あとは……湖水草、湖蓮花。薬草、乾燥魔茸などの基本素材も取り扱いがありますよ」
「じゃあ全部99個ずつください!」
「きゅうじゅっ!? か、かしこまりました。少々お待ちください」
クレアとマルコ隊長が商人ギルド長と話している間に、アスカは受付に頼んで薬の素材を買い漁っていた。相変わらずの爆買いっぷりだ。
「聞いた事も無い素材ばっかりだけど、何が作れるんだ?」
「んー紫水晶と薬草と魔茸で魔力回復薬、珪化木に湖蓮花と……薬草と魔茸で万能薬が作れるみたいね」
「ば、万能薬!?」
おいおいおい! 万能薬って毒でも病気でもなんでも治せるっていう、あの万能薬か!?
「うん。て言っても下級万能薬だけどね。毒とか麻痺とか昏睡とかのちょっとした状態異常なら治せるけど、呪詛とかアンデッド化とかは治せないの。いまいち使えない回復薬よね」
「そ、そうか……。呪詛もアンデッドも治せないなら、大したことは無いな……って、そんなわけないだろ!!」
万能薬って言ったら高級治療薬じゃないか! 小瓶一つで大銀貨1本は下らないぞ!?
「んー、じゃあ何本か作ってみよっか。はい、ぽちっとなー」
そう言ってアスカは魔法袋(偽)からいつもの陶器の小瓶を10本ほど取り出した。瓶が同じなので、ぱっと見は下級回復薬にしか見えないのだが……。
「薬草の質がイマイチだからあんまり作れなかったなー。あ、お姉さん! これ引き取ってもらえますか?」
「あら、薬の買取ですか? 中身は何でしょうか?」
「万能薬でーす」
「ば、ば、万能薬!?万能薬って言ったら万病に……」
ここからは俺のリアクションと同じだから割愛。受付の女性は慌てて鑑定士を呼びだし、査定をしてくれた。小瓶の中身は確かに万能薬だったそうだ。
万能薬を作れる薬師はそういないらしく一瓶あたり銀貨5枚で引き取ってくれた。10本でなんと大銀貨5枚。森番の時の給与で2年半分、クレアの護衛だって25日分だ。護衛を始めてから今までの依頼料をこの一瞬で稼がれてしまった。
なんかアスカがいれば、俺が冒険者として稼ぐ必要なんて全く無いんじゃないのだろうか……。なんか……むなしい……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「アル兄さま、宿の手配が終わりましたわ」
「我々もキャンプの許可が無事にもらえました」
「あ、お疲れ様です」
そんなこんなで少しだけ落ち込んでいたらクレアとマルコ隊長が戻って来た。
「それと……少々、面倒な事態になってしまいました」
「面倒な事態?」
眉をひそめるマルコ隊長。いったいどうしたんだ?
「アーヴィン・エクルストン侯爵から夕食会の招待を受けました」
「侯爵から!? 確かにそれはちょっと面倒……ですね。」
まさか敵の親玉から直接呼び出しをくらうとは……。領兵の詰所にでも顔を出して、奴隷商の王都への連行を一方的に告げて逃げてしまおうと思っていたのに。かと言って侯爵ほどの貴族の誘いを断るわけにはいかない。
「しょうがない……宿に立ち寄ってから、侯爵の館に行こうか」
荒野の砂ぼこりで薄汚れた装備のまま行くわけにもいかないから、俺たちは手配できたという宿屋に向かう。着替えて一休みしたら……侯爵とのお食事会だ。
さて……鬼が出るか、蛇が出るか……。
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