第106話 黒幕
ジオドリックさんと俺が寝泊まりしているテントに向かう。テントの前に焚かれた篝火の周りにマルコ隊長とサラディン団長、ジオドリックさんに奴隷商アントンが座っていた。
「アルフレッド殿、こちらへどうぞ」
ジオドリックさんが乾いた地面に敷いた魔物の革を指し示す。
「お待たせしました。」
マルコ隊長とサラディン団長に会釈をすると、二人は神妙な面持ちで頷いた。
「尋問が終わったのですか?」
「ええ。お嬢様を狙った不届き者の正体がわかりました」
俺は魔物の革に腰を下ろし、ジオドリックさんに目線で続きを促す。
「黒幕は……アーヴィン・エクルストン侯爵と思われます」
「やはり……そうですか」
盗賊達が『頭が侯爵の騎士になる』と言っていたので予想はついていたが、出来れば当たって欲しくなかった。今まさにエクルストン侯爵領の中心地であるヴァリアハートに向かっているところなのだから。
「しかし、なぜエクルストン侯爵はクレア様を狙ったのでしょうか? 当然、クレア様がギルバード様の婚約者だと知った上での事なのですよね?」
「まさかウェイクリング伯爵と事を構えるつもりなのか……?」
マルコ隊長とサラディン団長は不可解な面持ちでそう言った。確かにそうだ。
ウェイクリング伯爵家は、セントルイス王国の国境を守護する辺境の雄だ。爵位は伯爵とは言え、広大で豊かな領地と有事の際に隣国の防波堤となるための軍事力を有している。王国内での発言力や影響力も小さくは無い。
それにエクルストン侯爵との関係も悪くはなかった。領地が隣り合うと何かといざこざが起こってしまいがちだが、境にウルグラン山脈を挟んでいるため衝突することもほとんど無かったはずだ。
「残念ながら奴隷商はエクルストン侯爵がクレアお嬢様の身柄を狙った理由を知らないようです。侯爵の使いを名乗る者からクレアお嬢様を攫うようにと指示されただけだそうで……」
「なるほど……。だから『黒幕と思われる』なんですね」
要するにこの奴隷商は侯爵か、侯爵の使いを騙る者に利用されていただけということだろう。哀れな奴だ。だからと言って、人攫いをしていたような悪人に同情の余地は無いが。
「ジオドリックさんは、なぜクレアが狙われたのだと思います?」
「エクルストン侯爵とマッカラン商会が、ウェイクリング家とアリンガム商会の失脚を狙った……といったところでしょうか」
「マッカラン商会?」
「ええ。エクルストン侯爵領の有力商会です。歴史の古い商会ですが、ここ十年ほどはアリンガム商会の台頭で、斜陽の一途を辿っていると聞いております」
ふむ……。商売敵への嫌がらせのためにクレアを攫おうとしたということか? だけどクレアを攫ったところでウェイクリング伯爵家とアリンガム商会にそれほどの影響があるものかな……?
「今回、お嬢様はアイザック・ウェイクリング伯爵とバイロン・アリンガム准男爵の名代として、セントルイス王陛下に親書と献上品をお渡しすることとなっております。もしクレアお嬢様とそれらの献上品が奪われることになれば、ウェイクリング伯爵家とアリンガム商会はセントルイス王家の信頼を失う事となってしまったでしょう」
「そうか……それが目的か……」
「恐らくはチェスターからカスケード山に至るまで付きまとっていた尾行者達は、侯爵の使いを名乗る者の一味でしょうな」
そうか。尾行者は盗賊の仲間かと思っていたが、侯爵の手の者だと考えた方がしっくりくる。あの盗賊達はあまりにも間抜けだった。カスケードルートを通る者を場当たり的に襲うことぐらいしか奴らには出来ないだろう。
わざわざウェイクリング領の村や町に住み込んでまで情報収集をするような頭脳を持っていたとは思えない。侯爵の間者と考える方が妥当だ。
「だとしたら侯爵領都のヴァリアハートに行くのは危険ですね……」
「ええ、ですが……奴隷商の扱いについて、ヴァリアハートで領主の判断を仰ぐようにとリムロックの騎士団に言われております。エクルストン侯爵領を通過する以上は、その命令を無視するわけにも参りません」
「そうですね……」
クレアを狙った奴隷商の扱いを、その黒幕である侯爵にお伺いを立てるのか……。どう考えてもロクなことにならないな。
「当然ですが、奴隷商を引き渡すようにと、言われるでしょうな。」
マルコさんが眉間にしわを寄せてそう言った。
「どうするんです? ジオドリックさん」
「奴隷商はクレアお嬢様をかどわかさんとした悪党です。例え侯爵であっても身柄の引き渡しには応じられません。王都に連行し、公正な裁きを受けさせるべきでしょう。ですが……」
ジオドリックさんはいったん言葉を区切り俺を見る。
「奴隷商を捕らえたのはアルフレッド殿です。アルフレッド殿のご判断にお任せいたします」
盗賊達が貯め込んだ財宝や、ヤツらが犯罪奴隷になった際の分配金は全て俺が所有権を持つことになった。奴隷商やユーゴーの生殺与奪についても俺の考え次第ということか。
「エクルストン侯爵領を無事に通過するのが最優先、ですよね。奴隷商についてはジオドリックさんの言う通り、王都に連行すると主張しましょう。後は、侯爵の出方しだい……ですかね」
准男爵の娘であるクレアを誘拐しようとした奴隷商を王都に連行すると言えば、おそらく主張は通るだろう。ウェイクリング伯爵領でもエクルストン侯爵領でも無いカスケード山中での誘拐事件で、被害者は他領の貴族なのだ。侯爵としても無理やりに引渡しを要求するのは外聞が悪い。
だけど、侯爵と奴隷商に繋がりがあるのが事実であれば、侯爵があの手この手を使って連行を妨害する可能性がある。最もあり得るのは奴隷商とユーゴーの暗殺だろうか。
奴隷商は殺されてしまっても構いはしないが、ユーゴーには感情移入をしてしまっているから出来る事なら助けたい。
「では、予定通りヴァリアハートに向かいましょう」
「侯爵からのちょっかいがあるかもしれんな。気を付けるとしよう」
「ご迷惑をおかけします」
ジオドリックさんがマルコ隊長とサラディン団長に頭を下げる。盗賊が隊商を襲ったのはクレアの身柄確保が目的だったわけだ。
隊商や支える籠手にしてみればアリンガム商会に巻き込まれて攫われたわけだもんな。もしかしたら今後も迷惑をかけてしまうかもしれない。
「お気になさらず。このような事態は十分に考えられましたからな。アイザック伯爵閣下とバイロン卿には十分な礼金を頂いておりますし」
「ああ。それに盗賊共の根城のあるカスケードルートを選んだのは我々だ。仲間を助けてもらっておきながら、迷惑などとは思わんよ。」
俺とアスカは護衛依頼を受けた立場だからしょうがないけど、1日銀貨2枚じゃちょっと安かったかもしれない。まあクレアを助けるためなら、無償だってやるけどさ。
「そういえば、ジオドリックさん。ソレのことは何かわかりましたか?」
俺は奴隷商の腕を指差す。解読不能の細かい紋様がびっしりと書き込まれた怪しく黒光りする腕輪を着けられた奴隷商は、俺の命令に一切逆らうことが出来ない奴隷になっている。
「ええ。奴隷商が持っていた腕輪と首輪、そしてあの狼人族の娘が着けられていたという腕輪も……侯爵の使いから購入した物だそうです」
なるほど、これもエクルストン侯爵か……。なんだか嫌な予感しかしないな。




