第99話 カスケード
「ドン・タッチ・ミー!!」
「んん?? なんだと?」
「触んなって言ってんのよハゲ!!」
「なっ! ハゲとらんわ!!」
「性格がハゲてんのよ! だーかーらー触んなハゲー! はーなーせー!!」
「このっ! 暴れるな小娘! 大人しくしろ!!」
「いったっ! なにすんのよ、このハゲ! 女子に暴力振るうなんてサイテー!! おまわりさーーん!! コイツですぅー!!」
「や、やかましい!! 貴様は自分の立場がわかっとらんのか! 貴様はこれから散々弄ばれた挙句に娼館に売られるんだぞ!?」
「きしょーい!! ハーゲーがーうーつーるー!!!」
「ハ、ハゲは伝染らん!! そもそも私はハゲとらん!!」
そこは天然の洞窟を抜けた先。盗賊のアジトの裏口にあったのは水のカーテンだった。洞窟の中を流れていた地下の川は、ここに繋がっていたのだろう。
滝壺のまわりの不安定な岩場を進んで水のカーテンをくぐると、そこには美しく雄大な光景が広がっていた。身の丈ほどの小さな滝がいくつも連なった連段の滝だ。
「き、貴様は!!」
「あ、アル!!」
「焦って助けに来たってのに、なんだか余裕そうだな……」
盗賊の巣窟に潜り込み、策を弄し、強敵を沈め、洞窟を全速力で駆け抜けてようやくアスカを見つけたと言うのに、繰り広げられたのはこの茶番だ。なんというか……全身から力が抜けてしまう。
「アル、大丈夫? 怪我はない?」
「いや……それ俺が言うセリフなんだけど。なんでそんなにピンピンしてんだよ……」
「えへへっ。アルが助けに来てくれるって信じてたからね!」
アスカが満面の笑顔を浮かべて胸を張る。とてもさっきまで盗賊どもに拉致されていた人物とは思えない。
「ええい! 私を無視して何を話している! なぜ貴様がここにいるのだ! ユーゴーはいったい何をやっている!?」
奴隷商がアスカの喉元にダガーを突き立てて喚く。さっきまでの余裕のある態度はもうどこにもない。もうコイツを守る盗賊も奴隷もいないのだ。高慢な仮面が剥がれ、その顔は困惑と焦燥に歪んでいる。
「ああ、ユーゴーなら俺が倒した。洞窟でのびてるよ」
「な、なんだと!? そんなわけがあるか! アイツは、『怒れる女狼』とまで言われた凄腕の傭兵だぞ!? 貴様なんぞが相手になるわけがない!!」
目を白黒させて怒鳴る奴隷商。『怒れる女狼』ね、言い得て妙だな。あの狂戦士と化したユーゴーにはぴったりの二つ名かもしれない。
「そう言われてもな……ああ、これが証拠だ」
俺は背負っていた両手剣を奴隷商に掲げて見せる。昏倒させたユーゴーを武装解除して奪った武器だ。
いつ目が覚めるかわからないから放置するわけにもいかず、かといって奴隷商の命令でむりやりに戦わされていたユーゴーを殺す気にもなれず、とりあえず武装解除だけしてきたのだ。
ずっしりとした両手剣は俺には重すぎて使いこなせそうにないが、それなりに価値がありそうだったのでとりあえず持ってきた。我ながら手癖が悪くなったものである。
「そ、そんな、バカな……」
奴隷商が、まるで化け物でも見るような怯えた目で俺を見る。身体がブルブルと震え、今にもアスカの喉元に向けているダガーを取り落としそうだ。
奴隷商が混乱している今がチャンスだ。一瞬で詰め寄ってダガーを取り上げる。そう思い踏み出そうとした、その瞬間……
「スキありっ!!」
「うぐおっ!!!」
「うわっ……いったっ」
アスカのスラリとした脚が奴隷商の股間にめり込む。男性の誰しもが共感するであろう悪夢の一撃に俺は思わず呻き声を上げた。股を両手で抑えて崩れ落ち、ピクピクと身体を震わせて悶絶する奴隷商。
「アルー!!!」
両手を後ろ手に縛られたまま飛び込んで来るアスカを、俺は慌てて受け止める。
「待ってたよ、アル!」
「ああ。遅くなってすまない。大丈夫か、アスカ?」
アスカの手を縛る縄を短刀で切り落としながら尋ねる。見たところ怪我は無さそうだし、服の乱れも無い。アスカの様子を見る限り最悪の事態は免れたと思うが……。
「アイツに何度もぶたれたけど、ぜんぜん大丈夫だよー! ラピスラズリのピアスのおかげだね! ひっぱたかれても、たいして痛く無かったもん」
ラピスラズリのピアスは紡績の町エスタガーダで手に入れた、【付与師】が魔力を込めたという天然石のアミュレットだ。防御力を高めるとは聞いていたけど、ちゃんと効果を発揮したようだ。
「そっか。とにかく無事で良かった、アスカ」
「うん!」
アスカが自由になった両腕で俺の首にすがりつく。俺もアスカの背中にそっと手を回す。
滝壺から舞い上がる水しぶきが朝日を乱反射し、連段の滝をキラキラと輝かせる。連段を駆け下りる清らかな渓水、澄んだ青空から降り注ぐ洗いたての朝の光、そして荘厳さ感じさせる連なった瀑布の前で、美しく艶やかな黒髪をなびかせるアスカをきつく抱きしめた。
やっとアスカを助け出せた……。まさに感動の幕切れってやつだな。
壮大な自然と美しい少女。股を抑えて呻く無様な男さえ目に入らなければ、完璧なんだけどなぁ。
俺はアスカに気づかれないように、小さくため息をついた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ほら、キリキリ歩け」
「そうだー! とっとと歩けー!」
アイテムボックスから取り出したロープで奴隷商を後ろ手に縛り、盗賊どものアジトに向かって洞窟を戻っていた。
犬の散歩のように奴隷商を引き連れ、洞窟を流れる川に沿って歩いて行くと、岩肌の地面に倒れ伏す女性の姿が見えてくる。いまだ昏倒しているユーゴーだ。
「この役立たずの獣が! くそっ! なんで私がこんな目に……ぐぁっ!」
俺は悪態をつく奴隷商の足を払って這いつくばらせて漆黒の短刀を突き付ける。
「ひっ! や、やめてくれ……頼む、助けてくれ。か、金ならある! 一生遊んで暮らせるほどの金をやるから! 上物の女だっていくらでも用意してやる! だ、だから……!」
あーやかましい。耳障りで聞いていられない。
「黙れ」
「ひいっ!」
俺は刃先を奴隷商の首にそっと押し当てた。刃を伝った緋い雫がぽたりぽたりと地面に落ちる。
「このまま刃を滑らせればお前の命はここで終わりだ。わかるな? 静かにしろ」
とたんに沈黙する奴隷商。
「俺の質問に『はい』か『いいえ』だけで答えろ。余計な言葉はしゃべるな。いいな?」
「は、はい……」
「よし、質問だ。その獣人族の女、ユーゴーは戦奴だと言ったな?」
「はい……」
「ユーゴーは元々、奴隷ではない。そうだな?」
「はい……」
「彼女を奴隷たらしめているのは、お前がユーゴーにつけた『隷属の腕輪』だ。そうだな?」
「はい……」
「よし。ユーゴーから『隷属の腕輪』を外せ」
奴隷商はガタガタと震えながら、絞り出すように呟く。
「…………【解呪】」
ユーゴーの腕に着けられた腕輪が明滅し、ごとりと音を立てて岩肌の地面に転がった。




