第97話 獣戦士
紅の騎士剣も無く、火喰いの円盾も無い。騎士として戦うには装備が不十分だ。ならば盗賊のアジトに忍び込んだ暗殺者として戦えばいい。
俺は肩の力を抜き両腕をぶらぶらと振って、固くこわばっていた身体を解きほぐす。思っていた以上に頭に血が上っていたらしい。
「念のため聞いておくけど、通してくれたりはしないかな? できれば無駄な戦いはしたくない」
獣人族の女、ユーゴーに問いかける。奴隷商は俺を痛めつけろと言っていたが、ユーゴーの意に沿わない命令だったのは間違いない。そうでなければ、あれほどの悲痛と屈辱を瞳に浮かばせたりはしないだろう。
だが、ユーゴーはゆっくりと首を左右に振る。それはそうだ。奴隷が主の命令に逆らえるわけはないのだ。例えそれが、非道で違法な命令だったとしても。
「さっきの子は俺の大事な人なんだ。連れ去られるわけにはいかない。例え君を殺してでも押し通る」
ユーゴーはゆっくりと縦に首を振り、剣を両手に持ち直し、肩に担ぐようにして構える。一瞬でも気を抜くと、即座に振り下ろされた剣で真っ二つにされそうだ。
「ウェイクリング領オークヴィルの冒険者、アルフレッドだ」
俺は漆黒の短刀を正面に突き出して重心を低く構えた。前後左右どちらにも飛び出せるよう、紅の騎士剣の時よりも前傾姿勢をとる。
「…………」
長年受けた騎士教育の影響か、自然に名乗ってしまったがユーゴーからの回答は無い。いや……答えられないのだろう。
「話すことを禁じられている?」
僅かに頷くユーゴー。やりとりをしながらも俺たちは互いへの注意を怠らない。段々と周囲の空気が張り詰めていく。
「そうか……。ユーゴー、でよかったよな?」
俺を昏い瞳で見つめながらコクンと頷くユーゴー。俺は彼女に向けた漆黒の短刀の切っ先をゆらゆらと動かしながらリズムを取る。
「どっちが殺されても文句は無しだ……行くぞ!」
左、右、左、右……とゆらゆらと動く漆黒の短刀に込められていた殺気を、ふっと消失させる。
「くっ!!」
俺は【潜入】で気配を消し、身を低く沈めたままで飛び込んで漆黒の短刀を突き上げる。意表を突かれたユーゴーは咄嗟に背後に回避する。
俺は【潜入】を解き、殺意をこめて火喰いの投げナイフを投擲する。回避行動をとった直後のユーゴーは、飛来するナイフを避けきれず、剣で叩き落とす。
狙い通りだ。
短剣を弾くために剣を泳がせてしまったユーゴーに再び【潜入】を発動して詰め寄り、横薙ぎに漆黒の短剣を振るう。正確に首筋を狙ったが、ギリギリのところで避けられる。
しかし完全に避けきることは叶わなかったようで、彼女の右顎から頬についた一筋の傷から鮮血がどくどくと流れ出た。手傷を負わせたが、まだ決定打には程遠い。
「【剛・魔力撃】!」
俺は真正面から追撃を仕掛け、全開の魔力をこめて漆黒の短刀を振り下ろす。ユーゴーは当然のように両手剣で受け止めようとするが、今度は勢いを殺せずに体勢を崩す。重ね掛けした【烈功】と必殺の決意で魔力をこめた【魔力撃】の威力は軽くはない。
「ぐうっ!」
こらえきれないと判断したのか後方に飛びのいたユーゴーに、間髪を入れずに火喰いの投げナイフを投擲する。【潜入】で殺気を隠して投げつけられたナイフに反応が遅れるユーゴー。
「ああぁぁっ!!!」
太ももに深々と突き刺さった火喰いの投げナイフが炎が噴き出す。ユーゴーはのたうち回り、ナイフを引き抜いた。深々と刺さっていたが傷口が焼け爛れたため出血はしていない。
だが、この足では素早い動きは出来ないし、踏ん張りも効かないだろう。普通の勝負なら、決着はついたと言える。
しかし、ユーゴーは俺と戦うことを命じられた奴隷だ。勝負がついたからといって諦めて引き下がることは無いだろう。決着をつけるには完全に意識を刈り取るか、命を絶つかのどちらかしか方法は無い。
「せめて苦しまないように……」
なるべくなら殺したくはない。ユーゴーはあの奴隷商に命令されているだけなのだから。
だけど、俺の前に立ち塞がるのなら仕方がない。例え彼女が意志に沿わず戦わされているだけなのだとしても排除する。アスカを辱めると奴隷商に宣言されているのだ。一刻も早く追いかけなくてはならない。
殺したくないなら、意識を刈り取れればいい。言うのは簡単だが、ユーゴーほどの腕前を持つ者を殺さずに無力化するなんて殺すよりも難しいだろう。
アスカを連れ去った盗賊たちは、何の躊躇も無く殺す事が出来た。アイツらは他人の命を奪い、財産を奪う。生かしておいても、被害者が増えるだけだ。
だがユーゴーはそうじゃない。意思に沿わず戦わされている彼女を屠るのは、良心が痛むが……致し方ない。
【烈功】を再度発動し、俺は漆黒の短刀に魔力をこめる。
俺はじっとユーゴーの目を見る。美しいゴールデンイエローの瞳が俺を見つめる。そしてふっと微笑んだ。
覚悟を決めたか……俺はそう勘違いしてしまった。
奴隷商が言っていたことを忘れていたのだ。彼女が凄腕の獣戦士である事を。傭兵団の隊長を務めるほどの歴戦の傭兵であることを。
「ガアアァァッッッッ!!!」
ユーゴーの雄叫びが響き渡り、膨れ上がった殺気が洞窟を埋め尽くす。
昏い洞窟の中、怪しく輝く金色の瞳が俺を見つめていた。