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側室達の末路  作者: 綾瀬紗葵
22/25

エカチェリーナ・ボドロヴァ 2

本日2話目更新です。

女性として大切なものを欠損する描写があります。

お読みの際はご注意下さいませ。



「え?」


 一瞬の浮遊感。

 

「きゃああああ!」


 背中を仰け反らせたので足が滑って、椅子を蹴り飛ばしてしまったようだ。

 保たれていた絶妙な均衡が崩れ、エカチェリーナの身体は机の上へと投げ出される。


「いた、痛い……なんという、こと! きゃあああ!」


 更には小さな机もエカチェリーナの体重を支えきれずに、音を立てて壊れてしまった。

 二度も激しく背中を打ってしまったエカチェリーナは、大きな目を幾度も見開きながら衝撃に耐える。

 どこか痛めてしまったのか、息が苦しかった。


「……あら! まぁ! なんということでしょう! これでは意味がないではありませんか!」


 わざわざして取り外したはずの木の棒は、エカチェリーナが握り締めながら落下したせいで、真ん中でぽっきりと折れてしまっていた。


「私の華奢な身体で壊れるなんて、どんなに古い物なんですのっ! 牢屋の備品とて定期的に交換すべきですわ! 職務怠慢にも程があるのです!」


 憤慨するエカチェリーナを相手にする者は一人もいない。

 どこまでも怒りが空回る慣れない感覚に、エカチェリーナは額に皺を寄せた。


「……この棒が使えないとなると、他の棒はどうかしら?」


 誰も居ない以上、一人で考えるしかない。

 本人の自覚はなかったが、エカチェリーナは自分で呟いた疑問に、自分で答え始める。

 

「他の棒も長くはないわ。あぁ、でもこの机の脚は良い感じかもしれませんわね!」


 またしても名案が浮かんだ。

 やはり私は至高の天才だと自画自賛したエカチェリーナは、自分が着ているドレスの裾を引き破く。

 ドレスとも言えない粗末な布を引き裂くのに躊躇いはなかった。

 新しい衣類が今後一切入手できないだなんて、エカチェリーナにはおとぎ話並みに有り得ない悲劇なのだ。


 引き裂いた布を使って何本かの棒を繋ぎ合わせていく。

 結びが甘く布が破れて、一からやり直す作業を繰り返し、ドレスもどきがエカチェリーナの尻が丸出しになる長さになった時点で、ようやっと穀物が盛られた器に届くだろう棒が完成する。


「さすがは私! これで、あの美味しく炊いた米が食べられますわ!」


 檻の隙間から両手を限界まで突き出したエカチェリーナは、痙攣する腕を叱咤しながら棒を器の場所まで移動させる。

 棒の先端が器に触れた。


「なんてこと!」


 引き寄せるはずが押してしまい、器が遠ざかってしまった。

 檻に頬肉が食い込むほど腕を伸ばしても届かない場所へ。


「いい加減にして下さいませ! 私は! 炊いたお米が食べたいんですの! 美味しい最高の状態で! 食べたいんですの!」


 エカチェリーナは痙攣する腕で棒を振り回した。

 振り回した勢いで棒の一部が取れてしまい、勢いよく器に向かって飛んでいく。


「え?」


 飛んでいった棒が器に突き刺さっていた二本の棒に絡まって、そのまま器ごと棒が倒れた。

 今度はエカチェリーナの方に向かって。


「まぁ!」


 机の上から落ちた器は、がしゃんと音を立てて一部が割れた状態のまま、ごろごろごろっと床の上を転がって、檻にぶつかって止まった。

 器は大きく、檻の隙間から引き寄せることはできない。

 エカチェリーナは手を伸ばすと、がっしりと炊いた米を握り締めた。


「んんっ! 素晴らしいわ! この温かさなら、美味しいままで食べられるはずよ」


 地方に行けばそういった食べ方が正しいマナーの場合もある。

 ヴォルトゥニュ帝国の特に貴族層では下品とされる、素手掴みの食べ方で、エカチェリーナは、待望の米を口にした。


「……美味しい……最高に美味しいですわ! これがお米の! 本来の美味しさなのですのね!」


 ヴォルトゥニュ帝国では持ち込んだ行商人自ら、一番美味しい食べ方でございます! と豪語して饗したのは、煮込んだ米だった。

 珍しい物ではあったが、期待するほどには美味しくなかったので、行商人は処分した。

 もし、今食べている米が出てきたのであれば、生かしたどころか、専属料理人として使ってやっても良かったのだが。


「物を知らぬというのは、寂しいものですわね。あぁ……美味しいわ!」


 己の手が米でべたつくのも厭わずに、エカチェリーナは手を伸ばして黙々と米を食べ続ける。

 それは炊いた米を食べる文化に生きる者、全員が絶句するほどの量だった。

 床にへばりついてしまった米の一粒までもを拾い集めて食べ尽くしたエカチェリーナは、ようやっと満足してぽっこりと膨れたお腹を摩る。


「うふふふ。私が空腹を覚えるなんてありえませんものね?」


 けぷりと米の匂いのするげっぷをしながら、エカチェリーナは水瓶の底に残っていた僅かな水を、器に掬い上げて全て飲み干した。


「ふぅ。満腹になったことですし。一休みするとしましょうか」


 畳まれた寝具を広げもせずに、枕を頭にあてたエカチェリーナは、カビの臭いが残る枕に眉根を寄せながらも、すぐさま眠りについてしまった。



 どれぐらい寝たかは解らない。

 不意に人の声がした気がして目を覚ます。


「セラフィマ様ですの? それともヴァルヴァラ様?」


 同じ場所に飛ばされているはずの二人の名前を呼ぶも返事がない。


「セラフィマさまー! ヴァルヴァラさまー!」


 エカチェリーナの出せる限界の大声で名前を呼んだ。


「ごほっ! ごほっ! お二人では、ないですの?」


 喉にびりっとした痛みが走り、噎せ返ってしまった。

 返事がないところから考えて、人ではないのか、もしかしたら空耳だったのかもしれない。


「こんなに長い時間人が側に居ないのは、初めてですわ」


 常に周囲に人が居る生活を営んできたエカチェリーナは、他者に比べて孤独に弱い。

 忍び寄る不安に耐えきれなかったエカチェリーナは、己の乳房を揉み上げる。

 不安を覚えると自慰に耽る性癖を持っているエカチェリーナは、見守る者が誰1人いない状況に不満を感じつつも、早速弱い箇所である乳首を捻り上げようとした。


「……え?」


 信じられない感触に、エカチェリーナは大急ぎで服を脱いだ。

 ごわごわした服の上から触れたので、エカチェリーナの杞憂が過ぎたものであったと、確認せずにはいられなかったのだ。


「きゃあああああああああ!」


 エカチェリーナは大きく目を見開いて、長く尾を引く悲鳴を上げる。


「な! な! な! の、呪い! これが、呪いですのっ!」


 男であれば誰しも、一部の女ですらむしゃぶりつきたくなる、自慢の乳房の中央。

 初々しくも鮮やかに小さな乳首が、なくなっていた。

 乳首があった場所は、初めから何もなかったようになだらかな曲線を描いているのだ。


「返して! 私の可憐な乳首を返して頂戴! 酷いわ! 酷いわ! 呪ったのは女なのでしょう? 私の美しい乳首に嫉妬したのでしょう! 返しなさいよ! 返せぇえええ!」


 絶叫は檻の中で響くだけだ。


「酷い! ひっ! 酷い! ひっ! ひどいわぁ……」


 激しくしゃくり上げても慰める者は誰1人として存在しない。

 延々と嘆いていたエカチェリーナは、ふと、失われたのは乳首だけなのだろうかという、底なしの不安に襲われた。


 エカチェリーナはいても立っても居られずに、下着を大急ぎで足から抜き取った。

 大胆に大股を開くと、誰もが喜んで自慢の剣を突き立てる魅惑の坩堝を覗き込んだ。


「うそよ! うそよ! うそうそうそうそうそ! わたくしは、しんじないわ! これはげんかく! げんかくなのよぉおおお!」


 入れた瞬間に果てると言われる禁断の花園。

 エカチェリーナが誰にも負けぬと自信を持って答える、女性器が、跡形もなく消え失せていた。


 自分の見たものが信じられなかったエカチェリーナは、必死に性器があった場所に指を突き立てる。

 そうして、本来あったものを明確に感じることで効果がなくなる幻覚もあったからだ。


 しかし、手入れができなくなって鋭さを増した爪が、あの生温かくも心地良い肉に包まれることはなく、ただ人形のようにつるりとした下腹部を傷付けて、血塗れにするだけだった。 

 

 己の身体から自慢の部位が永遠になくなってしまったのだと、理解したエカチェリーナは、甲高い悲鳴をあげながら意識を手放した。




あるべきもの。

しかも自分が誇りに思っているものが何時の間にか失われている恐怖と、自覚しているのにどうにもできないまま失われていく恐怖。

どちらが怖いでしょう。

どちらも怖いと思います。


明日も2話更新予定となっています。

引き続きお読み頂けると嬉しいです。

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