ヴァルヴァラ・アファナシエフスキー 3
本日1話目更新。
冒頭から火傷に関連する残酷な描写が多めにありますので、お読みの際には、くれぐれもご注意下さい。
猟奇的描写の匙加減は、しみじみ難しいです。
猟奇描写で規制された方の作品とか、参考までに読めるといいんですけどね。
酷い怪我なら今までだって数えきれぬほど負ってきた。
火傷だって当然ある。
戦闘狂の自覚があるヴァルヴァラは、他の元側室達に比べて、痛みに強いと自負していた。
だが、駄目だ。
これは耐えられない。
「あづぃ! あづいぃいい!」
喉から絞り出される絶叫は、意識するより前に放たれている。
頭から顔や首の被害が甚大だが、鎧の隙間から滑り込んだ熱湯は全身を焼け爛れさせていった。
自慢一つだった高く形の整った鼻は、見る影もなく溶けてしまっている。
いる、のに。
機能は十分に果たしていた。
肉が焼け焦げる臭いが、頭の中に染みつく激しさでヴァルヴァラを犯した。
「ゼラビマァ! よぐも! よぐもぉおおおおお!」
何故セラフィマがこんな真似をしたのかは解らない。
井戸から出たヴァルヴァラは、呪われた村で生き抜くために必要不可欠な人材だったはずなのだ。
まさか、ヴァルヴァラの優秀すぎる能力に嫉妬したのだろうか?
嫉妬して、力ずくで己の言うことを聞かせようとして、暴挙に及んだのだろうか?
肉の脂がべっとりと張り付いてよくは見えない視界の中、ヴァルヴァラは反射的に己の身体から鎧を剥いでいく。
狭い中で手順などすっ飛ばして脱ぎやすいように脱いでいるので、がしゃんがしゃんと井戸の壁に鎧が当たる音がうるさい。
とにかく我武者羅に脱ぎ捨てているので、手や足を何度も壁にぶつけている。
不思議と痛みは感じなかった。
ヴァルヴァラの思考を支配しているのは、熱い! ただそれだけだった。
どれほど手早く脱いでも熱湯が流れる速さには到底敵わない。
魔法でも使えれば別だったが、この世界では発動しないのだ。
ぎりぎりと歯を噛み締めながら、全ての鎧を脱ぎ捨てた。
鎧の中が全て血と肉で塗れていたのを認識して噛もうとした唇も、既に存在していなかった。
今、自分は、どれほど悍ましい化け物に見えるのだろう。
これ以上顔の肉が溶け落ちないように、上を向く。
ちょうどセラフィマが井戸の中を覗き込んでいるところだった。
本来魔法でも使わねば、この距離で表情は読み取れないはずだ。
しかし、ヴァルヴァラはセラフィマの瞳に映る恐怖と嫌悪を見た。
想像通り、化け物を見る眼差しだった。
自分でやっておいて可笑しなことに、憐憫や申し訳なさも僅かに載せていたのが、ヴァルヴァラの憎悪を煽る。
睨み付けてやれば、セラフィマは情けない悲鳴を上げながら井戸の側から離れたようだった。
「ぜらう゛ぃま、めぇ!」
発声も上手く出来ない。
喉の中にも熱湯が流れ込んで焼けて爛れてしまったのだろう。
咳を繰り返せば、血痰が幾つも井戸の底へ落ちた。
「どうじで、ぐれようが!」
今までヴァルヴァラがしてきた、どんな残虐な行為をも上回る鬼畜非道な目に併せて、殺してやりたい。
「ぐぞう!」
ヴァルヴァラは今ならば怒りの力で壁を登れるかもしれないと考えて、壁にへばりついた。
「いづううううう!」
しかし壁に押しつけた部分は、よくくっついたものの、引き剥がす時に激痛が走ってしまった。
「ががががが!」
あまりの激痛に全身が雷で打たれたように痙攣する。
「な、なんで、われが、ごごまで、ひどいめにぃい」
全ての熱さが、痛みに変わった。
ヴァルヴァラは壁にへばりつけてしまった全身を一息に引き離す。
何とか成功したが、ヴァルヴァラの意識は凄絶な痛みに呆気なく飛んでしまった。
意識が飛ぶ寸前、壁にヴァルヴァラの人型が鮮やかに残っていたので、思わず声を上げて笑った。
『ヴァルヴァラ殿! 薬を持ってきたのじゃ! 火傷に効く塗り薬のようじゃから、試して欲しいのぅ』
遠くでセラフィマの声が聞こえたような気がした。
意識が僅かに覚醒する。
また何かをしでかすつもりかもしれない。
防衛を完璧にしなければ……と、力を入れようとして、全身の皮を引き剥がされるような重苦に苛まれて、上手く力が入れられなかった。
まるで、そんなヴァルヴァラの状態を見透かしたように、がしゃんと何かが割れる音が聞こえる。
「!! ふざけるなぁ! ゼラビマァ!! ぜら、びまぁあ!! ぎざまっ! そごまで、われがにぐいのがあああっつ!!!」
焼け爛れた皮膚の上、無数の鋭い何かが降り注ぐ。
落ちた数の分だけ、針で執拗に刺され続ける痛みに襲われた。
「くそうっ! なにがが、やけどに、きく、くすりだ! こんな、いだい、ぐずりが、あるものがあっ!」
涙腺がぶち切れたかのように涙が溢れ出た。
瞼がなくなり、剥き出しになった眼球が涙で洗われて、少しだけ視界がはっきりしてくる。
「ん? んんんん? おぉ!」
痛みは相変わらずに酷い。
ヴァルヴァラだからこそ耐えられるが、常人では速効で気狂いへと堕ちるだろう。
未だに信じ切れる要素は欠片もないが、セラフィマの言葉にも真実は隠れていたらしい。
火傷が治癒魔法を使ったかのように回復されていた。
欠損した部位は復活できていない。
目視してみると、剥き出しになった皮膚の上へ新しい皮膚が重なったかのようだ。
一番酷かった顔を指腹で恐る恐るなぞっても、肉片や体液がついてこなかった。
「声も……うむ。楽に出せるようにはなったな。しかし、この引き攣るような痛みと、針で刺される痛みは、どうにかならぬものか!」
ヴァルヴァラは色の違う皮膚を指の腹で強く押した。
「いぎぅううう!」
頭の中に激痛の星が無数に散る。
猛烈な痛みを代償にして、古い皮膚と新しい皮膚の間から、小さな欠片が出てきた。
先程セラフィマがばらまいた物だ。
「これ、は? 陶器の欠片か? 火傷の薬が入っていた容器? セラフィマはただ容器を我に渡そうとして、手が滑って容器が砕けただけ、なのか? ……はっ! 故意でないのなら、あそこまで細やかに砕け散ることもあるまい。しかも、火傷がかろうじて治っただけで、激痛はそのままではないか! くそう! 井戸から脱出できたら、惨殺してやるからな!」
欠片を押し出せばその部分だけ痛みがなくなるのに気が付いたヴァルヴァラは、目の届く範囲、手の届く範囲だけでも痛みの原因を取り除こうと、自ら激痛を招く治療を気が遠くなるほどの回数繰り返した。
『ヴァルヴァラ様! 食事と飲み物を降ろしますぞ! 気をつけて受け取って下され! 妾にはよく解りませぬが、ヴァルヴァラ様の身体に良い食べ物と飲み物のようなので、きちんと召し上がって欲しいのじゃ!』
破片取りを延々と続けて、終わらない激痛に朦朧としていたヴァルヴァラが顔を上げれば、籠が一つ降りてくるところだった。
ゆらゆらと揺れる籠を呆然と眺める。
『黒い塊は見た目は悪いが、ちゃんと食べられる物じゃからな!』
セラフィマが、何かを叫んでいる。
何を叫んだ?
また、ヴァルヴァラを貶める罵声か?
『黒い塊は見た目は悪いが、ちゃんと食べられる物じゃからな!』
頭にようやっと届いた言葉を反芻する。
食べ物!
食べ物だと!
無意識に立ち上がったヴァルヴァラは、積み上げられた鎧の上に置かれるところだった籠を奪い取った。
縄が勢いよく落ちてきて、一番痛みが酷い後頭部に音を立てて打ち付けられる。
どこまでも鬼畜な女だ! と睨み付けてから、籠の中を覗き込む。
籠には大きな黒い塊と、栓のついた携帯用の水入れが入っていた。
見た目は悪いが、ちゃんと穀物と海藻の香りがするのを匂いで確認したヴァルヴァラは大きく口をかけて、塊に齧り付いた。
喉がびりびりするほどの塩気に、せっかく口にした食べ物を吐き出してしまう。
『水分を! 水分を取るのじゃ! 細長い容器の栓を抜けば、薬茶が入っているはずじゃ!』
水入れの中身は薬茶なのか!
セラフィマにしては驚きの気遣いに一抹の不安を覚えながらも、素早く栓を抜いて中身を飲む。
吸い口が小さくて飲みにくいが、久しぶりの水分を全身で耽溺した。
薬茶は本当なのかと疑りたくなるほどに飲みやすく、美味しい。
何より冷たさが心地良かった。
火傷の熱が一気に引いていくような気がして、ヴァルヴァラは瞳を潤ませる。
気が付けば、一滴の中身もなくなってしまった水入れを、貪るように啜り上げていた。
『ヴァルヴァラ様! 容器を井戸の外へ投げるのじゃ! 追加の飲み物を淹れて、再び持ってこようぞ! た、ただ! 用意するのは妾ではないから、すぐには持ってこれぬやもしれぬ! それはご理解くだされっ!』
セラフィマの言葉を無意識に避けているのか、なかなか内容が頭に入ってこない。
ただ、気の利いた飲み物や食べ物がセラフィマの手によって用意されたのではない点は、妙に納得できた。
女らしいとされることが何一つできないセラフィマが、料理なんぞするはずもないのだ。
ならば食べる物は警戒せずに食べて良いだろうと考えつつ、ヴァルヴァラはきちんと栓をし直した水入れを高く放り投げた。
一度で井戸の向こうへ落とせるのはヴァルヴァラならではだろう。
「さっさと新しい薬茶を持ってこい!」
この程度に毒づくくらいは許される。
どうせセラフィマは、ヴァルヴァラより美味しい物を、ずっと恵まれた環境で堪能しているに違いないのだから。
本日はもう1話更新します。
やっとこさ投稿できそうな「エカチェリーナ・ボドロヴァ 1」です。
引き続き、そちらも読んで頂けたら嬉しいです。