セラフィマ・ゲネラロフ 12
今日も割り込み投稿です。
セラフィマ編は全14話となりました。
長かった……。
*警告を無視してはならない。
……これは?
『ひっ!』
気が付けばテーブルの上に広げられた手記を人形が指差している。
先程の人形とは衣装が違った。
一体何体いるのだろう。
大きさは同じなので恐怖よりも驚きが強い。
人形は愛らしく小首を傾げた。
小さな指先がとんとんと叩くのは、
*警告を無視してはならない。
の箇所だった。
やはり人形が現れるのには、警告の意味があるのだ。
『理解したぞ! できうるならば、妾に解りやすく教えて下さるとありがたいのじゃが』
人形の首がぐるりと一回転する。
『無視はせぬ! ただ警告の意味を誤って受け取っては困るので、解りやすいものにして頂きたいのじゃ!』
固唾を吞んで人形を見守れば、人形の唇が裂けたように耳まで吊り上がった。
『妾は死にたくない! どうかお願いできぬかのぅ!』
驚きに椅子から転がり落ちた勢いで床に頭を伏せたまま、重ねて請うた。
しかし返答らしい返答はなく、顔を上げれば人形の姿は消えている。
『人形による譲歩はなし。妾が常に正しく解釈せねばならんと、そういうことなのじゃな……』
間違ってもその努力は認めて欲しい。
即死亡は勘弁して貰えると信じておく。
*封印の間に足を踏み入れてはならない。
……踏み入れたら恐ろしいのは理解できた。
だが、警告の人形が現れるようになったのは封印が解けたからではないだろうか。
これを考えると、あくまでも注意すべき事であって、やってはいけない事だけではないのかとも思う。
*○○○○から出るには、手順を踏まねばならない。
読めない箇所がある。
これはさっぱり意味がわからない。
ただ、頭にだけは止めておこう。
*○○○を解放してはならない。
これも読めない箇所があった。
確信ではないが、封印の間の化け物を指しているのではないかと思う。
封印の間自体を解放してはならないが上記の項目で、化け物を解放してはならないというのが、この項目を表しているのではないだろうか。
別項目を設けなければならないほど、あの化け物は禍々しかった。
呪いの化身のようだった。
実体化した呪いほど手に負えないものはない。
セラフィマに呪術士として望むとおりの力があったとしても勝てる気がしないのだ。
『化け物の名前でも解ればのぅ……』
再封印は叶わない。
だが、封印の間に止めておくぐらいならできそうな気もした。
動きさえ封じてしまえば、少なくともセラフィマの精神は安定する。
化け物より怖いモノは、今の所ないのだから。
『ぶっ!』
何の気なしに啜った薬茶が喉にへばりつく。
生き物のように口の中で蠢いていた。
『げっ! げぇえっ!』
口の中に指を突っ込んで、一生懸命へばりついている何かをこそげ落とそうと試みる。
『な、なんなんじゃああ!』
然程苦労はせずに、口の中で蠢いていた得体の知れない物は凄まじい勢いで飛び出していって見えなくなった。
小さな黒い塊のようだった。
見た目は足首に絡んだ黒い糸が塊になった感じだ。
『げっ!』
まだ喉の絡みが取れないので、口の中に指を入れる。
長い、長い黒髪が出てきた。
『わ! 妾が悪かった! 二度と、ばけ……あの方に失礼な物言いも、考えも、浅はかな術の発動もせぬ! だから、許してたもれっ!』
涙目で口の中から髪の毛を引っ張り出すセラフィマのすぐ側で、人形が3体並んで首を振っていたのだ。
警告以前の話なのだろう。
村で生き残る為には、人として最低限の礼儀は持っていなくてはならない。
化け物……彼女を、傷付ける行動を取るのも、貶めるのも、絶対に犯してはいけない禁忌なのだ。
頷き合った人形が3体とも目の前で消え失せる。
セラフィマは恐怖から解放された勢いのまま、大声を上げて泣いた。
口から出た髪の毛は、何時の間にか消えていた。
『しゅ、手記の続きを、よ、読もうかのぅ……』
しゃくり上げながらもセラフィマは、手記を広げようとする。
あの方の説明もあるかもしれない。
だが手記は禁書のように閉じたままだった。
どれほどの力を込めても開かない、破れもしない。
『そ、そんな! これ以上は読めぬと言うことなのか!』
あの方に失礼を働こうとした制裁なのだろうか。
器の中に新しい茶が入っていたので、一口啜る。
『美味しくない、じゃと?』
茶は健康に良さそうではあるが、美味しくはなかった。
飲めなくはないが、どちらかといえば不味い。
『そんな……』
制裁は想定以上だった。
衝撃を受けたセラフィマは、よろよろと立ち上がり、ヴァルヴァラの元へ向かう。
ご機嫌取りのために、水が追加されていた容器を握り締めるのを忘れない。
絶望的な恐怖から逃れるには、誰かに話を聞いて貰いたかったのだ。
例えその反応が、より深いセラフィマへの憎悪だったとしても。
『制裁は、ヴァルヴァラ様に対しても発動するのじゃろうか? だとしたら、この、容器の中身は……』
ヴァルヴァラの身体を害する可能性が出てきた。
しかし説明したところで、今のヴァルヴァラに話が通じるかどうかも解らない。
一人で考える方が現状を打破できなくとも維持できるに違いないと考え直したセラフィマは、ヴァルヴァラの元へ行くのを諦めて寝室へと向かう。
『今日は……休むとしようかのぅ。一晩眠れば、もしかしたらあの方の勘気が少しでも収まるかもしれぬ……あぁ、その前に祭壇の間で謝罪をしておいた方がいいじゃろうか』
封印の間には恐ろしくて、とてもではないが1人で足を踏み入れられない。
セラフィマは静かに祭壇の間に通じる引き戸を開ける。
幾度か通り過ぎた時には怪異もなく、変化もなかった。
ただ、心地良い香りがふわりと漂っていて、鼻をひくつかせるくらいだ。
『ああ、そんな……嘘じゃ……』
供物は何一つなくなっていた。
照明具の火も消えている。
祭具が置かれていた奥の祭壇の扉は閉じられており、灰の詰まった箱から立ち上っている煙からは、あの、思わず身を委ねたくなる高貴な香りは感じられなかった。
何より真っ白かった花々が、全て枯れ果てていた。
花瓶の中に水はたっぷりあるというのに、水分を一瞬で抜かれたかのように干からびていたのだ。
『ど、どうしたらいいのじゃ! 何をすれば許されるのじゃ!』
祭壇を見詰めて叫ぶと、空中に人形が現れた。
警告に現れる人形より一回り大きい人形だった。
表情も、あの方に近い。
『お許し下され! 慈悲を!』
くだされ! と言いかけた喉が凍った。
慈悲を与える対価として、声が奪われたのだと理解した。
と、同時に。
許されたのだと精神の安寧も得て、セラフィマは微笑みを浮かべたまま意識を失った。
カビ臭さが鼻をついて、目を開く。
開いたはずなのに視界が暗い。
夜なのだろうか。
(……え?)
周囲を見回す。
真っ暗だ。
喉に手をあてて、言葉を紡ぐ。
(どういうことじゃ? まさか!)
掌は喉の振動を感知できなかった。
発声ができないのは慈悲の対価だと認識できたのだが、視覚まで奪われた原因は何なのだろうか。
起き抜けの水分が欲しくて部屋中を這いずって探す。
寝具の中で眠っていたので、場所は寝室だと解った。
慎重にテーブルの上に置かれた水差しを掴んで器に注ぐ。
水差しを傾けすぎたのか、水が手の甲に溢れる。
慌てて水差しを置いて、中身を啜った。
生臭く、生温い。
そう。
ヴォルトゥニュ帝国で牢に入れられた時に飲んでいたのと同じ味だった。
(残っているのは、味覚と嗅覚と触覚じゃろうか……食事が不味いなら、味覚を奪われた方が良かったのぅ)
現実逃避と解っていながらもセラフィマは大きく首を振る。
自分はまだ大丈夫だ、平静を保って生きていけると、言い聞かせながら立ち上がり壁伝いに衣装部屋に足を踏み入れた。
手探りで箱を探すと、湿っぽい衣類が指先に触れる。
生乾きで、生臭い。
それでも、穴が空いたり、大きさが違ったりということはないのだ。
そう。
絶望するには、まだ早い。
セラフィマは唇を噛み締めながら衣装を身につける。
ごわごわちくちくと肌が不快感を訴えたが、気にしないように努めた。
下着の感触がむしろ快適に思えてしまう状況には失笑しかできない。
今までが恵まれすぎていたのだ。
呪われた村ならば、むしろこれぐらいが普通なのだろう。
ヴァルヴァラの状況を考えれば、セラフィマは自由に動ける分だけ恵まれている。
視覚が奪われた以上、不自由度は増すが、ヴァルヴァラよりも許されている……そう、許されているはずだ。
セラフィマ編の本文が仕上がったので、ヴァルヴァラ編の続きとエカチェリーナの冒頭を書き出したかったのですが、挫折。
しかしエカチェリーナはエロ特化の人なんですが、玩具と戯れたりすると規定に抵触しそうなので、どうしたらいいのか迷います。