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いろんなことを心の中に泳がせる

 ふぅん、ふぅんと強風のようなため息をついて、朝から師範は落ち着きがなかった。

 そんな師範が、荷物をまとめ、

「葵衣、今日は私は外出するからね」

 と言い残してそそくさと外出してしまった。

「はい……」


 祭りの次の日、女姿の涼と一緒に、私は着付けの稽古を師範の家で再開していた。

 その肝心の師範が外出してしまうとは、計算外の出来事だった。


 なんだか今日の師範は少し変みたい。

 そう思っていると姉弟子が事情を教えてくれた。

「今日、この屋敷に葵衣にお客がくるみたいなんだよ。それで師範は大の男嫌いだから、ネッ――」

 と女姿の涼と私に目配せして言った。


 そんな私のもとに、さらに予想外の来訪があった。

「無事か、葵衣よ」

「家元――!」

 おそらく前に会ったのは一年前かそれくらい。

 物凄く久しぶりに、雨木が国家着付け師に就く前の時代、神威の国に栄光をもたらしていたという、元家元と私は対面した。

 私が祭りの途中に姿を消したことを知って、かなり心配していたらしく、わざわざ足を運んでくれたのだ。

 家元は年老いて実力が落ち込んでしまったため、今現在は隠居しているような状態だ。

 そんな家元を嫌がって出て行ってしまった師範……。

 私は白露流がちょっと心配になった。

「大丈夫です、怪我もなにもしてません」

「ふむ。葵衣……あのような事態が起きた以上、お前に奥義の伝承を早めるほかあるまい」

「え……」

「奥義ですか」

 静かな瞳の中に情熱の焚き木を燃やして、女姿の涼が訊いた。

「時期尚早なのは分かっておる。しかし、葵衣自身が己の身を守るためにも――」

 そう言いかけた家元が涼の方を向き、

「え、誰?」

 と訊いた。

「ほ、ほほ、葵衣さんの妹弟子になりました。涼子で……」

「――お前、涼か!」

 家元には気付かれてしまったようだ。

 涼が肩をすくめながら頷いた。

 多分、女名がダイレクト過ぎたよ、涼。

 「……似合ってる。……ゴホン、そうではなくて話を戻そう」

 家元が話の風向きを元に戻した。


「葵衣。お前は未熟だ。だが、奥義とは特別難しいものではない。今教えたところで、お前のこれからを阻むこともあるまい」

 家元が銀の口髭をさすりながら言った。

 己の身を守るための、奥義――。

「は、はい」

 かつて雨木も受け継いだといわれる、究極奥義を伝授してくれると、まだまだ未熟な私に言ってくれているのだ。

 ――あぁ、そうだ私は白露流の元家元と対峙しているんだ。

 そんな自覚が今更になって私を緊張させた。


「それでは、奥義の骨子である、一番重要な”心”を教えよう」

 涼もこの場にいていいのかと思い、家元に目配せすると、構わん、と頷かれる。

「心、ですか」

「そうだ、さっきも言ったように奥義は複雑で難解な技のことではない。心の眼で真理を得ようとすれば、それが奥義となる」

「おっしゃってる意味が――」

「分からぬか?」

 家元は喉を鳴らして笑った。

「お前の中に、すでに奥義はある」

「本当ですか!?」

「それでは心を授けよう。――右の反対は左だ」

「えっ」


 私は家元がボケをぶっこんたのだと思った。

 究極の奥義なんてものはない、もしくは奥義を忘れちゃった(てへぺろ)。

 それか本当の奥義は、自分で開発してね? 

 と、婉曲的にそう言われているのだと思った。

「上の反対は?」

「下です」

「よろしい」


 そして家元が満足気な顔で立ち去った後、

「い、家元って面白い人だったんだね」

 涼はぎこちない笑みで言った。


 家元は、私が祭りで攫われそうになったことに今でも恐怖を抱いているだろうと、気を使って笑わせようとしてくれたのだろうか。


 それとも、単に私を馬鹿にしているんだろうか……。

 よく、分からない……。


 私は家元の助言が効いたのかどうかは分からないが、師範から課せられた課題を何日かかけどうにか達成した。

 つまり、実家から師範の家に稽古通いをする従来の形へと戻ることになったのだ。

 ただし、腕が落ちていると判断した場合はすぐに泊りがけの修業をしてもらいますからね、と師範には念を押された。


「心を忘れないように」

「はい!」


 私はたくさんの、見えないお土産を持って、かりそめの妹弟子――白塗りの涼と帰路に就いた。


「ねえ、葵衣。俺に隠してることあるでしょ」

 帰路の途中、涼がそう切り出した。

「隠してること。えーなんだろう……」

 私は髪を何回もかきあげてしまう。

 これでは焦っていることがバレバレだと思うのに、私はその手を止める方法が分からなかった。

 涼と目があって、私のまぶたは瞬きの回数を増やしてしまう。

 駄目だな、やっぱり私後ろめたいと思っているんだ。

 ルークのこと。


 でも、きっとうまく説明なんてできやしない。

 昔あったこと、祭の日にあったこと、それがどう繋がっているのかなんて、絶対に上手く伝えきれる自信がない。

「昔も、言ってくれなかったことあったよね」

「そう、だった?」

「走って転んじゃった」

 涼はなるべく尖らないような言い方をしているが、いつもより少し語気が荒かった。

 その通りだ。

 あの日のことも言わなかった。

 私はきっと、涼に、いや、白露流の人にルークとのことが伝わってしまったら、もう二度と会えなくなることが容易に想像できるから、言いたくなかった。


 私はルークと友達になりたかった。

 たとえ、涼にもそんなことは打ち明けられない。


「また今日も、ダメだったか」

「あの日は本当に何もなく……」

「いいから」

 涼に言葉を遮られた。

「話したくないなら、俺は訊かないよ」

「うん……」

 私は心の中で涼に謝って、再び歩き始めた。



「それじゃ、またね」

「おやすみ」

「うん、おやすみ」

 私と涼はお互いの家の前で別れ、それぞれの家に帰った。

 

 玄関を開け、下駄をそろえて家に入ると、母が駆け寄ってきた。

「お母さん、ただいま」

「ちょっと、葵衣。あんたにお客さん来てるよ」

「え、誰?」

 私はまったく思い当たる節がなく、疑問符を浮かべながら首を傾げた。

「なんか、王宮の兵士さん? とりあえず、広間に通してるから」

 母は少し心配そうな顔で、障子を開け私を広間に連れて行った。

「それじゃ、ごゆっくり……」

 母がその言葉と同時に、広間の障子を閉め、私は部屋の中に入った。


「あ」

「よお」

 ちゃぶ台の前に胡坐をかいて、大河が座っていた。

「どうして、私の家に?」

「あまり良い用件じゃないことは確かだな。とりあえず座ってくれ」

 大河がちゃぶ台を挟んだ向かい側に座るように示した。

 私は自分の家なのに落ち着かないような気がして、そろそろと座った。

「それで、だ」

「はい……」

「祭の日、何であいつがお前を攫おうとしたのか」

 大河が台の上で前のめりになって私に問いかける。

「知ってるか?」

「いえ、知りません」

「そうか」

 大河は少し考えたのちに言った。

「質問を変えるが、あいつはお前の……何だ」

「何でもありません」

 私はふいと大河から目を逸らす。

「――愛なんてものを、お前は何でもないやつと語るのか」

 大河が眉根を寄せて訊いた。

 私はハッとする。

「! 聞いてたんですか……」

「全部は聞いてねえ。ただ、あいつとお前は初対面じゃないってことが分かる程度の会話だけだ。お前が敵国のスパイかとも思ったが……」


 私は胸がバクバクした。

 スパイ?

 まさか私は敵国と情報を交換している諜報員だと疑われているのだろうか。


「それはまずないな、と思った」

「何でですか? 無実を証明する証拠なんて、私にはありません。私、本当はあの人のこと知ってるんです」

「やはりな」

 大河が腑に落ちたような表情を見せた。

「私、分かりやすいですか?」

「分かりやすい。分かりやす過ぎて、騙されてるのはこっちの方なのに、俺が悪いことしてるみたいな、妙な気分になる……」

「スパイだって疑われてませんか?」

「疑わねえよ」大河は言い切る。「お前の頭脳の限界は見えてる」

 私はむっとして言い返す。

「そんなこと、ないですもん」


「――あの時、口説かれてたのか?」

 大河が前触れもなくそんなことを訊いた。

「えっ、いや、違います!」

「ふーん……。災難だったのはむしろ、あいつの方か」

 大河が遠い目をしてぼそりと呟いた。

「あの、取り調べは終わったのでしょうか……」

 私はためらいがちにそう訊いた。

「取り調べ?」

「これは、取り調べでしょう? 私が怪しいと王国に睨まれて、それで大河さんが派遣されてきたんじゃ……」

 私の話を聞き終えると、大河は吹きだすように笑った。

「違う、これは俺が独断で聞きに来たんだ。どうせ、お前が国の情報を売ってるなんてあり得ねえだろうし。ただ……少し気になっただけだ」

 じゃましたな、と言って大河は立ち上がった。

「――どういう関係かって、ちゃんと答えなくてもいいんですか……」

 私は大河を引き留めるように訊いていた。

「もう、いい。なんとなく分かった」

 そう言って大河は障子を開けて廊下に出た。


「まぁ、まぁお構いもできませんで」

 廊下をうろうろしていたらしい母親がわざとらしそうに声色を作って言った。

「いえ、こちらこそ、急に押しかけて申し訳ありませんでした。それじゃ」

 そう言って大河は、てきぱきと私の家を後にした。


「ちょっと、ねえあんた。大丈夫なの?」

 母が心配そうに私の顔を覗き込んだ。

「だ、大丈夫」

「まさか、急に兵士さんが家に来るなんてねえ、国家着付け師になるとこういうことがあるんだね……で、何を話したの?」

「何でもないから」

 私は適当に茶を濁した。


 母に全てを上手く説明することは、絶対にできないだろうから。

 これでいい。


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