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悪魔を召喚したはずが……

作者: 未知空


 1



「フハハハハッ! やったぞ! ついに悪魔を召喚した!」


 視界は煙で覆われている。

 しかし、その煙の下には、先ほどまで妖しく輝いていた魔法陣が描かれている。そしてなにより、今目の前より感じる超常の存在の気配が、私に悪魔を召喚したのだという実感を与える。これで、今まで私を見下していた奴らを見返すことが出来る! この私を、こんな辺境の片田舎にまで追放したことを後悔させてやる!


「フハハハハハハ!」

「メェ~~」

「ハハハ、は?」


 可笑しな鳴き声を聞き、我に返り、周囲を見渡す。視界を遮っていた煙も徐々に無くなり、すでにいつもの工房の様相を呈している。壁際の本棚に納められた魔導書、研究用の机に、その上に置かれた大量の羊皮紙、塔を築いている触媒を入れた小箱の数々、そして部屋の中央に描かれた渾身の魔法陣。この部屋に違いがあるとすれば、部屋全体に被っている埃と――


「メェ~~~」


 ――魔法陣の上に我が物顔でいる山羊だけだ。


 2



「クソクソクソッ! いったいどうなっているんだッ!」


 工房から居間へと繋がる螺旋階段を上りながらも、頭を埋め尽くすのはあの山羊のことばかりだ。私の魔法陣は最高のはずだ。間違いなんてあるはずがない。私は悪魔を召喚するはずだった。それなのに、あんな山羊だなんて!

 今も後ろを振り返れば、憎き山羊が私の後を付いてきている。私を見上げる瞳は、まるで私のことを見下しているようだ。その瞳を見ていると、今ここで殺してしまいたくなる。だが、ここで殺してしまえば今までの苦労が無駄になる。それに、召喚物をすぐに殺したとなったら、どれだけの罵詈雑言が待っているか、考えただけでも腹が立つ。召喚物をすぐに殺すなど、魔術師として実力の無さを証明するようなものだ。これ以上、あいつらに私のことをバカにする理由を与えるなど、私のプライドが許さない。


「メェ~~」

「黙れッ! 黙れ黙れ黙れッ! お前が悪魔であれば、私はこんなにも悩まなくて済んだのだ。悪魔でない、お前が悪いんだッ!」

「バァァァッ!」

「ヒィッ!」


 なんだというんだ! 山羊がこんなに狂暴だなんて、聞いていないぞ! 山羊は今も威嚇するように、喉を不気味に鳴らしている。私は前を向き、速度を少し速め、階段を駆け足で駆け上っていく。階段を照らす蝋燭の火が、私が通り過ぎるたびに消えていく。しかし、山羊の足音がカツン、カツン、と私の背後から聞こえてくる。足音が遠くなることさえない。一定の大きさで、一定の間隔で聞こえてくる。いったいなんなのだ! あの山羊は!

 少し進めば居間に繋がる扉が見えてきた。私はすぐさま扉を開け居間へ入った。開ける時に響く木製の扉の軋む音が、今はありがたかった。まさか、いつも鬱陶しいと思っていた音で落ち着く日が来るとは、思いもしなかったが。


「メェ~~」

「ヒィッ! な、なんだ! お前も入ってきていたのかッ!」

「メェ~」


 クソッ! あのまま工房に閉じ込めておけば良かった。いや、だめだそんなの。こんなのが工房に居座っていたら、研究などままならなくなる。私はなんとしても、悪魔を召喚しなくてはならないのだ! むしろこのまま、外へ追い出してしまおう。忌まわしいこの山羊は、工房に繋がる扉の前で立ち尽くしたままだ。どうやって、外に追い出そうか。扉から家の玄関までは、私が大金をつぎ込んで揃えた調度品が飾られている。ソファーやテーブル、安楽椅子に柱時計、エトセトラエトセトラエトセトラ。そのどれもが高級品だ。山羊に暴れられ、傷でもつこうものなら、たまったものではない。そのためにも、この山羊を暴れさせずに玄関まで連れていく必要がある。

 クソッ! なぜ私がこんなことに気を使わなければならないのだ。こんなことになるくらいなら、工房で殺しておけば良かった。ここまで連れてきてしまったせいで、殺せなくなってしまった。こんな畜生の血で、私の自慢の家具の数々を台無しになど出来ないッ!


「バァッ! バァァァァッ!」

「ヒッ! う、うるさいぞ、この畜生めが! お前など、さっさと外に行ってしまえッ!」

「バァァァァァァッ!」

「ヒィィィ! 早く外へ行け! 消えろッ!」

「バァァッ!」


 今日は厄日だ! 召喚してしまったのが、こんなに狂暴な山羊だなんて! 悪魔を召喚し、奴らを見返すはずだったというのに! 山羊は私の言葉に従っているのか、玄関の方へ向かって歩き出している。最悪なことに、私の絨毯をその足で切り裂きながらだ! いったい、どれだけ鋭い蹄をしているというのか。考えたくもない!


「お、おい! 何をしているッ!」


 山羊はその捻じれ伸びた角で、壁のあちこちに傷をつけながら歩いている。山羊の歩いた後ろは、床にも、壁にも、幾筋もの切り傷が生まれている。ふざけるな! いったい、どれだけの金が掛かっていると思っているんだ! 私はすぐにでも駆けだそうとしたが、その途端何かに引っ掛かり転んでしまった。

 何なんだいったい! 倒れたまま足元を見ても何もない。こんな時に限って、何だというんだ! 私が体の底から湧き上がる怒りに身を震わせていると、玄関の方角からバギッ、という音が聞こえてきた。私が恐る恐る体を起こし、玄関と私の間にあるソファから顔を出すと、そこには無惨にも半ばからへし折られた豪華な扉が転がっていた。


「き、貴様ァァァァァッ!」


 今度こそ私は、怒りのままに玄関へと駆け出した。玄関に着くころには、怒りからかすでに息が上がっていた。口からは白い息がもれていた。家の外へ出て、周囲を見渡せば、あの忌々しい山羊はすぐに見つかった。見渡す限りの森の奥に、その白い体毛が見えていたのだ。

 あの山羊! 今すぐにでも殺そうと、走り出しそうになったが、わずかに残った理性がそれを押しとどめる。冬に入ろうというこの時期に、森に入るなど自殺行為だ。ここは、あの山羊が魔獣に八つ裂きにされることで留飲を下げるしかない。

 いざ、これ以上あの山羊を終えないことを自覚した途端、全身を襲ったのはいいえも知れない虚無感だ。私が集めた調度品が、たった一匹の山羊のせいでめちゃくちゃになったのだ! これ以上の不幸があるだろうか! いや、ない!


「ふざけるな、あの忌々しい畜生めがッ!」


 叫んでも虚しさが広がるだけであった。しかし、叫ばずにはいられない。声でも出していなければ、それこそ怒りから森の中へ入ってしまいそうだった。少しの間玄関の前に立っていたが、私は家の中へと入っていった。はたから見れば、さながら幽鬼のようであっただろう。それほどまでに、私の足取りはおぼつかなかった。

 家の中へ入れば、いやでも壊された調度品が目に入る。その傷を目にするたびに、さらなる虚無感が私を襲う。怒りさえ湧き上がらない。ただただ、この身を打ち据えるような虚無感に晒されながら、家の中を進んで行く。私は一直線に二階にある寝室を目指した。もう、起きている気力さえ無かった。

 二階へ行く階段の途中、今まで通りの壁や床、調度品に芸術品を見ると、本当にほんの少しであったが気力も戻ってきた。そうして無事な家具を眺めながら寝室に入れば、私は倒れるようにベットへ倒れこみ、気絶するように眠りについた。


3



「メェ~~」


 あの不愉快な鳴き声が窓の外から聞こえてくる。あのクソ山羊はまだ生きているようだ。

 最悪な目覚めだ。窓の外には雲一つない青空と、どこまでも続く森林が見えている。それだというのに、私の心はまったく晴れやかなものにならない。いつもなら、この景色を見て最高の一日が始まるというのに。

 クソッ! あの鳴き声を聞くと、否が応でも思い出す。切り裂かれた床に壁、へし折られた扉。そのどれもが、大金を掛けた私のお気に入りの品々である。一階へ行くのが憂鬱だ。二階だけで過ごしていたい。しかし、それでも行かなければならない。魔術師にとって、体調管理は必要不可欠だ。この辺境の地では、朝食など自分で作らなければならない。

 クソックソッ! 私を結社から追放した奴らには必ず報復をしてやる!


「メェ~~~~」


 あぁ、忌々しいッ! 昨日のうちに殺しておけば良かった!

 私はこの不快な鳴き声を耳にしながら、ベッドから降り、居間を目指した。扉を開け、すぐ右にある階段を降りながらも、私の心はまた憂鬱になってきた。昨日は心を安らげた調度品の数々も、これから見る現実へのショックを増すばかりである。

 覚悟を決め、居間へと続く扉を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。いや、信じたい光景とも言うべきものがだ。傷一つ、それこそほんの小さな傷さえ一つもない壁、絨毯。居間を少し進み玄関の大扉を見れば、今までの状態でそこにあった。


「ハハ、いったいどうなっているんだ。確かに昨日はめちゃくちゃに……。フ、フハハッ、フハハハハハッ、そうだ、そういうことだ。昨日のアレは夢に違いない。この私が、召喚した山羊の一匹や二匹、手なずけられないわけがない!」

「バァァァッ」


 フハハハハハッ。あぁ、気分がいい。先ほどまでの陰鬱とした感情が晴れ渡るようだ! 外から、なにやら山羊が吠えているが、それさえも今は清々しく感じる。家の中を見渡せば、自慢の家具たちが視界を満たす。それも、傷一つなく、新品のような輝きで! あぁ、なんて良い朝なんだ! 

 そうとなれば、いつものように朝食を作らなくてわ。私は喜々とした気分で、居間の奥にあるキッチンヘと向かった。大理石で作らせた自慢の調理場、名匠の仕立てた調理道具の数々、いつ見ても素晴らしい。やはり、最高級の物に囲まれた生活は最高だ。実に、私に合った生活だ。私はそれらを眺めながら、キッチンの奥へ行き、大型の冷蔵庫を開けた。


「は? いや、なぜこんなにも材料がないんだ。いくら研究で籠っていたとはいえ、こんなに少ないはずがない」

「メェ~~」


 いったいなぜ、食料が減っているんだ。爽やかな気分に水をさされたようだ。山羊の鳴き声もいまや鬱陶しい。私の生活は、私の思い通りに行くはずなのだ。仕方がない、我慢ならないが今はあり合わせで我慢しよう。ここから近くの街までは、時間がかかる。森を通らなくてはならないし、魔獣への対策もしなくてはならない。買い出しは明日にまとめて行うことにしよう。

 そう、頭の中で算段を立てた私は、パンに冷蔵庫から取り出したハムやレタスなどを挟み、サンドイッチを作っていく。本来なら、野菜を多く入れるのだが、なぜか野菜が重点的に無くなっていた。そのせいで肉の多いサンドイッチになってしまった。

 サンドイッチを皿に乗せ、居間まで持っていく。ソファに腰かけ、今日の予定を頭の中に浮かべながら、サンドイッチを食べる。いつも通りの朝の行動だ。私の生活はこうでなくては。


「メェ~~」


 外から、何度目かになる山羊の鳴き声が響いてきた。今にして思えば、あの山羊もよく森から帰ってこれたものだ。この時期の森は魔獣たちが繁殖期に入り、私でも危険だというのに。まぁ、繁殖期ゆえもあって、魔獣と出会う確率も低くなるが。魔獣の餌になっておけば良かったものを。

 そうした取り留めのないことを考えていたら、サンドイッチも食べ終わっていた。私は使い終わった皿をシンクに持っていき、皿を洗い終わったら、ソファに戻った。


「今日こそは悪魔を召喚して見せる。魔法陣が正しいことは昨日証明されたのだ。今日は成功する」


 昨日はあの山羊のせいで、そこまで思考が回らなかったが、今の私なら完璧だ。もう一度調整をして精度を高める。そうすれば、私に悪魔の召喚が出来ないはずがない。

 ククッ、これで奴らに復讐できる! 私を結社から追放した、あの無能どもに裁きを下せるのだ! 今から待ち遠しくてたまらない。本来なら、悪魔の召喚は夜に行うものだが、別に私なら今からでも問題ないだろう。奴らの許しを請う姿を思い浮かべると、夜までなどとても待てない!


「メェ~~~」


 その山羊の鳴き声とともに、視界の端の大扉が突如として開きだした。そちらに目を向ければ、山羊が家の中に侵入してこようとしていた。あの山羊! またしても、私の家具をめちゃくちゃにする気か!


「貴様ッ! さっさと出ていけ! この家に入って来るなッ!」


 私がソファから立ち上がり声を荒らげても、この忌々しい山羊はまるで意に介さないとばかりに、家の中に侵入してきた。すぐにでも、山羊を追い出そうとしたが、可笑しなことに気が付いた。山羊が歩いても、どこにも傷がついていないのだ。壁にも、絨毯にも、どこにも。

 いや、いや、違う。そうだ、昨日のことは夢なのだ。こんな山羊に私の自慢の品々が傷つけられるはずがないのだ。この山羊が家の中にいようと、なんら気にすることもない。そう思い、私は深くソファに腰かけた。ふざけた夢を見たせいで、少し精神が不安定だ。これから悪魔を召喚するのだ、落ち着かなくては。


「メェ~~~~」


 私がソファに座っている間もこの山羊は移動していたらしい。鳴き声のする方を向いてみると、工房へと繋がる扉の前に立ち尽くしていた。大扉を開けることが出来た山羊も、私謹製の扉は開けられないらしい。フハハハッ! いい気味だ!

 そうだ、良いことを思いついたぞ! あの山羊を悪魔への生贄にするのだ! そうすれば、あの山羊を召喚してしまったことへの都合のいい理由になる。それに、あの山羊の始末もできて一石二鳥だ! やはり、私は天才だ!

 そうと決まれば、扉の前でバカのように立ち尽くしている、あの愚かな山羊を私の工房に導いてやろうではないか。フハハッ! 笑いが止まらないとはこのことだ。口元が上がるのを抑えられない。

 私は山羊に近づき、工房への扉を開いてやった。これからどうなるかも知らずに、この山羊は工房への階段を降って行く。


「メェ~~~」

「そうだ、そうだ。ゆっくり進めよ。悪魔に捧げるお前が傷ついたら、ことだからなぁ」


 フハハハハハッ! こうも胸が高鳴る感情を味わえるのなら、この山羊を召喚してよかったかもしれない。この山羊も私のために死ねるのだから幸せだろう。あぁ。愉快だ。工房までの階段が、もう少しで終わってしまうのが惜しいくらいだ。

 階段を降り切れば、少しだけ埃の被ったいつもの工房が待っていた。私は山羊を魔法陣の中央へと移動させ、悪魔を召喚するために魔法陣の外へ出た。あぁ、やっと悪魔を召喚できる。この時をどれほど待ちわびたことか。あぁ、未来へ思いを馳せるだけで、気分が高揚する!

 私は手を掲げ、悪魔を召喚するための詠唱を口にした。


「さぁ、グリモワールに名を連ねる者よ、五十四の配下を持ち、地獄の将軍にして大将である、プート・サタナキアよ、我が呼び声に答えろ!」


 私の詠唱に呼応して、魔法陣は深紅に輝き、被っていた塵は宙へと舞った。魔法陣から発せられる光が空気中の塵に反射し、幻想的な光景を浮かべていた。今や、私の視界は紅く煌めく無数の星が埋め尽くしていた。


「汝を招来せん!」


 光は最高潮に達し、私の視界を紅が満たした。

 しばらくして光がおさまると、今度は煙が視界を埋めつくしていた。私は今度こそ、悪魔を召喚したことを実感した。あの山羊とは比べものにならないほどの膨大な神秘の奔流。私はその実感から、口を歪ませる。もちろん、それは喜びからだ。私は成功した! 私は天才だ! これで、私の復讐は幕を上げるのだ!

 充満していた煙も少しづつ落ち着き、魔法陣の上も見通せるようになってきた。


 

 魔法陣の上に召喚されていたのは――――



「メェ~~~~~~」



 ――――山羊だった……




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