弐
「ウチらの世界のことは、こんなとこっすかね。とにかく武器はエヌジーみたいっす。そのせいでウチとカイロっちは、いっつもぼっちだったっす」
ラムは顔を隠すように丼を上げて、最後の一口をかきこんだ。
聞いた話だけならば俺のいた世界より、ずっと上等だ。争いなんてしない方がいいに決まっている。それなのに、今は争いの渦中の住人の一人になってしまった。
出来ることなら、もっと他の形で平和な時に来たかった。
それなら、嫁似のカイロに美人のラムと楽しい思い出が作れたはずだ。
現実の容赦のなさが身に沁みて、やりきれなくなる。
「助かったよ。あとは、元の世界に帰る方法とか知らないか?」
「それはマザーに聞くといいっすよ」
帰る方法を知るには、もう一度シュガーに会わなければならないようだ。
二日後に来るという、欠陥消去者の軍団から、なんとしてでも生き残らなければならない。
そのことを、二人は知っているのだろうか。
「へへ、プリン。ひっさし振りに会えたね」
ご満悦のカイロが、食後のデザートに話しかけていた。
「一口、欲しいっす」
「絶対ヤダ。あんた、一口で全部食べるもん」
この能天気なやりとりからは、迫り来る死を恐れている感じは皆無だ。
「燈っち、カイロっちが意地悪するっす」
ラムが胸を寄せて、上目遣いに俺にすり寄ってきた。
「ねぇ、お願い」
口調を変えたラムと深すぎる胸の谷間に、ごくりと喉が鳴ってしまう。
色仕掛けの目的は、俺のプレミアムガチャ券に付いてきたプリンに違いない。
「あ、い、いいよ」
ぱあっと花が咲くように笑顔を広げ、ラムはプリンの乗った皿を掲げた。
「童貞をたらしこんで、プリンをゲットっす。ウチは悪い女っすー」
「きもっ……」
ベッドでカイロがぼそりと呟いた。
多少は堪えるカイロの罵倒だが、ラムのギャップには相応の価値があり、プラマイゼロには持っていけた。
「プリンはもういいから、二日後がなんの日か知らない……よな?」
プリンを頬張る二人が、打ち合わせがあったかのように揃って首を横に振った。
やはり、知らなかった。なぜシュガーは伝えなかったのだろうか。
「なんかあるっすか、明日は外せない用事あるっすけど」
「明日をなんとかしなきゃ、明後日こないし」
カイロがプリンを平らげ、名残惜しそうにスプーンを咥えた。
「なんの話だ、明日もなんかあるのか?」
「マザーから聞いてないの? 欠陥消去者の軍団が来るんだって」
「……。二日後って聞いたんだけど……」
「カレンダー見るっすよ。ウチら一日半くらい寝てたっす」
壁にあるカレンダーには、三日の日に赤い花丸があった。
「俺が来たのは……。何日だった?」
「一日っす。プリン足りなかったっす」
ラムは事も無げにプリンの容器を下げに立った。カイロは刀に語りかける作業に戻っている。
「怖くないのか、明日なんだって。死ぬかもしれないんだぞ」
「だから?」
カイロは詰まらなさそうに、冷めた声をしていた。メガネのレンズに光が反射し、表情は伺えなかった。
この二人は、怖くはないのだろうか。
俺は怖くて堪らない。逃げる場所がないから、逃げずに耐えられているだけだ。
「なんかあるだろ。泣いたりとか大事な話をするとか、なんかさ……」
泣き言を喚く自分が情けなかった。だけど言わずにはいられなかった。平然としている二人が羨ましかったのではない。ただ、同じでいて欲しかっただけだ。弱い俺と。
「私は知ってる。泣いて頭擦り付けて頼んでも、誰も助けてくれない」
カイロは刀を消して、膝を抱え込んだ。元から小さな体が、更に小さく頼りなく見えた。
「ウチらだって怖いっすよ。マザーと燈っちを信じてるから我慢してるだけっす」
俺の肩に置かれたラムの手は震えていた。
これで、よく分かった。俺が臆病者だということが。それを認められて、ようやく俺は腹を括れた。
「臆病なのは治らないし謝らない。絶対になんとかする。みんなで生き残る」
「うっす。やったるっすよ」
「死んでたまるか」
カイロとラムが俺の側に集まり、額を合わせてメガネがぶつかり笑いながら誓いを立てた。
恐怖を克服は出来てなんかいない。だけど、立ち向かう勇気だけは手に入れられた。あとは全力を尽くすのみだ。
「作戦でも練るか。なんかある人?」
「ちょっと待って」
カイロが洗面所から、大きな袋を引きずってきた。
「洗面所にお菓子と封筒あった。マザーから」
「美味しそうっすね」
袋の中には、飴やチョコレートがぎっしりと詰まっている。
きっと、シュガーからの補給物資だ。
封筒には二枚の便箋が入っていた。開けてみると、二通りの作戦と数字が記されていた。
「作戦の一、ここに籠城し消耗戦を耐え抜く。おすすめはしません、かなりの確率で死にます……。じゃ書くなよ」
「マザーらしいっす」
俺の独断で作戦の一を却下して、便箋を丸めて捨てた。
「作戦の二、奇襲をかけて命令が伝達される端末を破壊する。敵の拠点の座標を書いておきました。これは、本当におすすめです。尚、両作戦ともに、小管理者がいた場合、相当な確率で死にます。祈って下さい……。だって」
どちらにしても、チィママと遭遇すれば即、死に繋がるようだ。
「ん、なんだって」
「燈っちに任せるっす」
俺が作戦を読み上げている間、カイロとラムはチョコレートを食べるのが忙しかったようだ。
死ぬパターンのやつに入り、冷や汗が吹き出した。
「今、食うなって。俺たちの生命線だぞ」
「美味しい。チョコレート久しぶり」
「最後の晩餐ってやつっす」
がたがた騒ぐのを無視して、お菓子の袋を縛って俺が管理することにした。
「今から準備して、敵の拠点に行く。それで、この座標の場所って近いのか?」
「窓に打ち込めば早いっすね」
便箋を持ってラムが窓を開いた。
風が吹き抜け、外の風景に被ってモニターのように青いコンソール画面が展開された。
ラムがタッチ式のモニターに、たどたどしく座標を打ち込んだ。
「五分で行けるっす」
「そんな近いのか?」
「違うっすよ。この基地が移動してくれるっす。この基地は塞転って言って、動いてくれるっす。ウチが家ガチャで引いたっす。自己修復もあってメチャレアっすよ」
ラムが胸を張った。一昨日に蹂躙された壁の弾痕が消えている。カイロが付けた亀裂も塞がりかけていた。
「すげえな、この基地。んじゃ、さっさと準備するぞ、リュックとかないか? お菓子を入れとく用にさ。俺が管理するから一つでいいんだけど」
「持ってない」
やたらとカイロの応えが早かった。
これはなにかあると踏み、代わりにラムに振った。
「カイロっち、クマさんのリュックあるっすよね」
「やだ。汚したくないもん」
「貸してくれないか、袋を抱えてじゃ戦えないからさ」
カイロはベッドの下を守るように座り込み、そこにあると自ら明かしている。
頑なにリュックを死守するカイロと交渉して、飴を渡して宥めすかして、なんとか借りることになった。
「汚すなよ、私のクマさん」
しぶしぶとカイロがベッドの下から、灰色の熊の顔を模したリュックを引っ張り出した。
肩にかける部分がなければ、ぬいぐるみに見えるそれを、カイロは大切そうに撫でた。