壱
テーブルに突っ伏して寝ていた俺の目を覚ましたのは、カイロの上げる大声だった。
「な、なんで裸。つか、なにこれ、取れない」
カイロが裸のままで大騒ぎしながら、目元にある今までは無かったものを取ろうとして暴れていた。
有り難いことに、シュガーはカイロの服を着せていなかった。きっと、俺のために。
「おはっすよ。ううー、いっぱい寝たっす」
ラムがベッドの上で、猫みたいに前傾して伸びをした。大きな胸が押し付けられる毛布に嫉妬が芽生え、そこの隙間に挟まりたいという願望が鎌首をもたげてくる。
「おっ、カイロっち、似合ってるっすね」
伸びを終えてベッドから出たラムが、暴れているカイロの格好よりも他のものを褒めた。
「ふざけないで、取れないのこれ。ラムは気になんないのかよ頭のやつ」
ラムは頭の上に手をやって、乗っている物の形を確かめた。
「これメガネっすか? マジで取れないっすね。ま、いっす」
カイロは未だに裸でメガネと格闘しているのに対して、ラムは平然と受け入れてしまった。
「燈がなんかしたんでしょ、説明して」
正面から睨むカイロに、俺は息を飲んだ。
黒縁のメガネを装備したカイロは、記憶にある嫁の顔と完全に一致していた。
おまけに、今は服を着ていない。感慨に浸るという名目で、五分でいいから一人になりたくなる。
「黙ってないで、なんとか言えよ」
「あのさ、せっかくだから一人にさせて貰えないかな?」
どう解釈したのか、カイロはベッドに走り毛布の中に逃げ込んだ。
「ふ、ふ、ふざけないで。せっかくってなんだよ。わ、わ、私をオカズにしたら、ぶった斬ってやるから」
耳まで真っ赤にして、毛布の隙間から怒鳴り散らした。
カイロのあまりの愛らしさに、鼻血が出そうになる。俺の隣にいる人は、すでに鼻血を垂らしていた。
「ヤベーっす。恥じらうカイロっち最強っす。ウチは周りに人がいても平気っすから、五分だけ時間が欲しいっす」
鼻血を溢しながらラムが服を脱ぎ始めた。
「お前ら……伝魂回路刀」
脱ぐのに夢中なラムは気付いていないのか、カイロの怒りが刀という形で殺意へと変わっている。
俺が身の危険を感じたと同時に、頭を後ろから掴まれ伏せさせられた。
カイロが怒りのままに手にした緑に光る刀を振った。すん、と空気を裂く音がした。続いて金属が擦れる甲高い音が耳に届いた。
後ろを振り返り、俺とラムは青ざめた。
背後の鉄製の壁には、ざっくりと切れ目が入っていた。
「ウソだろ、殺す気かよ」
「ガチじゃないっすか。ヤバかったっす」
俺たちの文句は届かず、カイロは自分の手にある刀を凝視していた。
「すごい。これが、私の力……。そっか、こうやって使うものだったんだ」
これまでカイロは、手の延長として甲に張り付つけるように伝魂回路刀を使用していた。
それが今は手から分離させ、束を作り握り締めている。
「あ、危ないから慎重に扱ってな。シュガーが言ってたけど、カイロは侍士の魂を宿してるって」
「サムライ……。うん、なんだろ、よく分かる。えいっ」
掛け声一閃、カイロは唐竹割に刀を振った。
隣にいるラムが俺の肩を押した。俺のいた場所を風が通り過ぎ、またも罪のない壁が切り裂かれた。
「だから危ないって言ってるだろ。ラムありがとな、さっきのも」
「……。あっ、いいっすよ」
ラムは目を擦っていて応えが遅れた。
「どうした、なんか考えごとか」
「変な感じっす。カイロっちの剣の範囲が分かって、思った通りに動けたっす。ウチけっこう鈍い方なんすけど」
二人の様子から、俺とシュガーとで施した改造が成功したように見えてほっとした。
「ラムはな、銃士の魂を宿してるらしいよ。試し撃ちは外でしてな」
「いいっすね、カッケーっす。バキュンっすよ」
ラムは試し撃ちとして、指で銃の形を模して撃つ真似をし、指の銃口から出ている設定の硝煙を澄ました顔で吹き消した。
「でさ、説明しなきゃいけないことが幾つかあるんだ。真面目に聞いてな」
「なんすか? カイロっち、大事なお話みたいっすよ」
カイロはベッドの上で刀を見詰め、ぶつぶつと独り言を呟いていた。
「聞いてるから、勝手に話して」
刀から目を離さず、カイロは独り言を続行した。
「言いにくいんだけど……。二人とも、メガネあるよな。それさ、もう取れないから」
「なんだそれ」
カイロが真っ先に怒鳴った。この反応をされると思ってはいた。シュガーからも説明する時は、くれぐれも気を付けろと念を押されていた。
それはそうだ、これから先メガネが取れなくなるなんて、普通なら怒って当然だ。
「えとな、メガネの弦と調節孔が連動してるんだ。なんていうか簡単に言うとだな、能力の強化と、戦術を変えるための代償みたいなもんかな」
二人に施した改造とは、調節孔を耳の裏に移動させ一旦外し、メガネの弦に開けた穴の上から、改めて調節孔を締めるという無茶なものだ。
この世界の者は調節孔に干渉出来ないという規定は、俺の力とマイナスドライバーで改変した。
それにより、カイロとラムだけが、メガネの角度を変えることで、調節孔に干渉することを可能とさせた。
「メガネのお陰で、強くなれたってことっすよね? じゃいいっす。これからヨロシクっすよ」
ラムは頭の上に乗っかるメガネに、親しみを込めてとんとん、とタップをした。
「はぁ……メガネさん、よろしく……」
暴れるかと身構えたが、俺の説明にカイロは納得してくれたようでメガネを受け入れてくれた。
「メガネの他に無かったの?」
「それはシュガーに言ってくれよ。ガチャでメガネを引いたんだ」
「なんでマザーに回させたのさ。ガチャ運ないのに。クマさんの耳とかが良かった」
「マザーらしいっす。いっつもガチャにイライラしてるっすから」
俺が寝る前もシュガーはガチャを回していた。その時も被ったとか愚痴っていた。
「シュガーといえば、どこ行ったんだ? 聞きたいことが、まだあったんだけど」
「マザーの置き手紙があった。知りたいことは、私たちに聞けって。お互いに生き残れたら、また会いましょうって書いてる」
カイロが便箋をひらひらと揺らした。
生き残れたらという言葉に、忘れていたかった事案がちらついた。
「燈っち、お話は終わりっすよね。じゃ、さっきの続きに戻るっすね」
ラムがいそいそと服を脱ぎだした。
「は、裸だったの忘れてたー」
頭から湯気を出して刀を振り回し、ベッドの下の隙間に逃げ込んだ。
「あはは、カイロっち可愛いっす。半分は冗談っすよ」
「もう半分は……」
ベッドの下から、紺色の膝丈のシンプルなワンピースを着たカイロが這い出してきた。
「相変わらず器用っすね。どうやって着替えしてるんすか」
「なに、カイロはいつもベッドの下で着替えてるのか?」
「教えてやるもんか、バーカ」
ぷいっ、とふて腐れ、枕の下からカードを取り出した。
「やった。今日のログインボーナスはプレミアムだ。今日は火曜日だから、えとえと、プリン」
不機嫌だったはずなのに、枕の下から出てきた虹色に光るカードには笑顔が映っている。カイロはキッチンに駆けて行った。
「お昼の時間っすね。ご飯食べながら燈っちに教えてあげるっすよ、こっちの世界のこと。うし、ガチャするっす。お肉が食べたいっすね」
「おう、頼むな。俺はなんだろ、ビスケットじゃなきゃなんでもいいや」
テーブルの下の箱からお昼ガチャのカードを取り、ラムとキッチンに向かった。
先にガチャを回したカイロがビスケットを持って、うんざりした顔でベッドへ戻って行った。
気の毒でなにも言えず、見なかったことにした。
ラムがレンジにガチャ券を入れ、まだかまだかと蓋が開くのを待った。
「いぇいっす。牛丼っす。生卵は食べないからカイロっち用っすね」
ラムは上機嫌でレンジから丼を取り出した。
紅しょうがに飾り付けられた牛丼は、美味しそうな匂いと湯気をくゆらせている。
俺も牛丼がいいな、と回したガチャの結果は焼そばだった。上に乗っている紅しょうがという共通点がもどかしい。
「シェアするっす。焼そば食べたいっす」
「いいよ、半分こにしよう」
テーブルに行き、牛丼と焼そばを分けてから手を合わせた。
お昼を摂りながら、ラムがこの世界のことを教えてくれた。
この世界の名は、人と人との絆が繋がる世界という願いの元に、『オンライン』といった。
創造主と呼ばれる世界を構築した者は、人が争うことを徹底的に嫌った。
それを取り除くために作られたものが、ガチャシステム。
ここに暮らす人は、一日の始まりにログインボーナスが支給され、三度の食事が保証されていた。
これにより食糧を巡っての争いを無くし、貧富の差を無くすために、通貨は存在しなかった。
生活に必要最低限の物は、生まれた時に引くことになる初回ガチャの家の中に全て備え付けられており、消耗品の類いは自動で補充がされる。
その他に欲しい物や嗜好品などは、稀にログインボーナスに付属する専用のガチャ券を使うか、労働による対価としてのガチャ券を稼ぐしかなかった。
そして、創造主が最も嫌ったのは、他者を傷付ける武器だった。武器があれば人は使いたくなり、悪しき考えに支配され、大きな争いの火種となってしまう。
如何な理由があろうと武器と見なされる物は、オンラインには存在することを赦されなかった。