肆
基地の中を半分に隔てているガムテープの左側、ラムの領域にある二つのクローゼット。シュガーは、そのクローゼットの左側を指差した。
「これが装飾ガチャの端末です。ガチャ券を貸して下さい」
「シュガーが回すのか」
てっきり俺がガチャを回すものと思っていたが、回すのはシュガーのようだ。
少しだけ残念な気持ちでガチャ券を渡した。
俺の態度を見て、シュガーは言い訳をするようにガチャ券を持った手を振った。
「ち、違いますよ。女の子が回さないと女性用にならないのです。貴方が回すと男性用になってしまうのです。決して、ガチャをやりたい訳ではありません。いいですか、私はガチャをやりたい訳ではありません」
「なんで二回も言うんだ?」
「いえ、その、大事なことなので」
このやりとりは、先ほどラムともしている。
理由はもちろんあるが、それとは別にガチャを回したいと言っているようにしか聞こえなかった。
「まあいいや、どうぞ」
苦笑いしながら先を促した。
「こ、こほん。装飾ガチャいきます」
取り繕うように咳払いを一つして、クローゼットの中にガチャ券を入れて両開きの扉を閉めた。
「な、なにが出るでしょうね。ウサミミカチューシャとかだったら、私が貰ってもいいですか?」
シュガーは目を輝かせ、小さな拳を縦にぶんぶん振って興奮している。
よっぽどガチャが好きなようで、子供みたいに思えて微笑ましくなる。
そんなシュガーを見ながら待っていると、がちゃりとクローゼットの扉が開いた。
中から出てきたのは、地味なフレームデザインに厚目のレンズが収まっている黒縁のメガネだった。
そのメガネを見た瞬間、俺は雷に打たれたような衝撃を受け、頭にある映像が浮かんだ。
「はぁ、ハズレです。ぜんっぜん可愛くないです」
興味がなさそうなシュガーから、俺はメガネを引ったくった。
「これだ。足りなかったのはメガネだったんだ。そうそう、こんな地味なやつ」
こっちの世界に来てから、ずっと引っ掛かっていた。嫁とカイロの違和感に。
「どうしました、メガネがお好きなのですか?」
「ああ、うん。実はさ、俺の嫁とカイロがそっくりなんだ。なんか違うと思ってたんだけど、俺の嫁はメガネをかけてたんだ。これを見て思い出した」
「嫁ということは……ご結婚なされてたのですか?」
驚いて口に手を当て、目を白黒させた。
「結婚はしてないと思うけど、記憶が飛んでて覚えてない。覚えているのは、嫁の顔だけなんだ」
「記憶が……。こちらで調査できることはしておきますね。丁度いいので、カイロはメガネにしましょう。次はラムのを回しますね」
シュガーは僅かに過った迷いを消し、またわくわくしながらクローゼットの中にガチャ券を入れた。
「次はなんでしょうね。ウサミミカチューシャだったら、私が貰いますからね」
「どんだけウサミミが欲しいんだよ」
俺のことなど露知らずで、シュガーは開いたクローゼットを覗き込んだ。
「最悪です。デザインは違いますけど、被りました」
悔しそうな顔のシュガーが手にしているのは、細身のシルバーフレームに暗い色のレンズが嵌め込まれたメガネだった。
「ウサミミ引くまで回しましょう」
「あの、時間がないって言ってなかった?」
露骨な舌打ちが聞こえ、シュガーはため息を吐いた。
「仕方ないですね。では、どちらから改造いたしますか?」
「じゃあ、ラムで」
どうせ何を聞いても話が進まない気がして、俺は無作為にラムを選んだ。
「燈さまは、好きなものは後に取っておくタイプなのですね」
俺が言い返そうとする前に、シュガーはみなまで言うなと制し、寝ているラムを馴れた手付きで生まれたままの姿にしテーブルの上に寝かせた。
脱がせている途中、大きな胸がぽよんと揺れたりして目のやり場に困らせられた。
「ラムは相変わらず腹が立つくらい、良いスタイルしてますね」
羨ましそうに文句を溢した。それもそのはずで、ラムの滑らかな肌は甘いチョコレートのような色をして、出ている所は半端じゃなく腰はほっそりとしている。
きっと、男ならすれ違ったら必ず振り向き、女なら嫉妬にムカつきを覚えるくらいスタイル抜群だった。
気を抜くとラムに見とれてしまいそうになる俺に、シュガーは悪い顔をした。
「ひひひ、役得ですね。さて、始めましょうか。聖剣を」
「あ、ああ。マイナスドライバーだろ」
頭を振ってラムから目を切って、ジーンズの後ろポケットからマイナスドライバーを取り出した。
「この世に二つとない聖剣。これさえあれば、世界を救えます」
シュガーは神々しいものを崇めるように、マイナスドライバーを見詰めた。
「そんな大袈裟な。その辺のホームセンターにいくらでも売ってるけど」
「いいえ。この世界には、聖剣は一つとして存在しません。まずは、聖剣を首の調節孔に当て回して下さい」
人差し指をマイナスドライバーに見立て、首筋に持っていく。
ラムの首へ視線を向ける俺に、シュガーは指差す方向を変えた。
「貴方の調節孔へです」
「俺にそんなの……」
確かめようと首に手をやり、触れた溝に俺は固まった。
「な、なんで、俺は……」
視界がぐるぐる廻りだし、吐き気が登ってくる。
「落ち着いて下さい。こちらの世界に来たということは、こちらの規定に従わなければなりません」
喉の奥に登ってきた酸っぱいものを飲み下して、俺はなんとか現実を受け入れようと努めた。
「大丈夫です。聖剣を調節孔へ。ゆっくりと回して下さい」
シュガーは真っ直ぐに俺を見据えた。
震える左手で位置を確かめ、首にある調節孔にマイナスドライバーを突き立てた。
ここまでは特に異常はなかった。皮膚に尖った物を押し付けられる感覚しかない。
深く息を吸ってシュガーを信じ、時計回りにを捻った。
「っつ……」
全身が火を吹いたように熱くなった。視界が広がり鮮明になった。指先から爪先まで余さず、血液とは別のなにかが循環しているのを感じられる。
体の奥底から力がみなぎってくる。拳を握り締め抑えようとしても、あらぬ考えが湧き煮え滾った。
なんでもいい、この力を試してみたい。
誰でもいい、壊して……。
ぱんっ、と音が先に耳に届いた。
破壊の衝動をぶつける相手を探そうしていた俺に、シュガーが気付けのビンタをくれたようだ。
「怖い顔してました。もう、男前が台無しですよ」
シュガーは腰に手を置いて、おどけてみせた。
「ごめん、変なこと考えてた。助かったよ」
「普通だと思いますよ。人間は力を持つと、どうしても使いたくなりますから」
想定の内だと頷き、シュガーは俺を責めなかった。
お陰で俺に与えられた力は、静かに留まって暴れるのを止めていた。
「ラムをご覧下さい」
ラムの体の内側から、三つの黒い箱が見てとれた。心臓の場所にあるのは掌大で、左手首と左の太ももの内側のは消しゴム程の大きさだった。目を擦ってもう一度。黒い箱の箇所だけが透けて見えていた。
「どうですか、黒い箱が見えませんか。今の燈さまなら体を透過して見られるはずです」
「あ、ある。これなんだ?」
目を凝らすと、黒い箱から神経のようなものが絡まり伸び、それぞれの調節孔へと繋がっている。
「触絶許回路。この世界に生きる者は、必ずこれを一つ宿しています。魂と言えば分かりやすいでしょうか」
「一つ? 三つ見えるけど。どれが、その触絶許回路なんだ?」
「全部です。カイロも同様に三つ宿しています。これは、通常ではあり得ません。ごく稀に二つ宿して生まれる者はいましたけど」
シュガーは、ちょいちょいと指先を動かした。
その指先を追うと、シュガーはドレスの胸元をはだけさせていた。そこから覗く白い胸元の心臓の位置と、左手首に触絶許回路が見えた。
「私を含め5人の小管理者、通称チィママはみな、二つ持っています。それに見合う力と権限を持つために。そんなに見ないで下さい」
「わ、わるい」
シュガーは恥ずかしそうに、はだけたドレスの胸元を直した。
「五人のチィママを総括する、一人の大管理者、通称オオママ。私たちはオオママを王として、この世界を管理してきました。ですが、オオママは狂ってしまいました。それが全ての始まりです」
悲しそうなシュガーは、ラムの頬に手を置いて微笑んだ。
「ある時からオオママは、完璧な世界を目指すようになりました。一つの欠陥すら赦さないとチィママたちに伝えました。他のチィママたちは、それに従い欠陥を消去するのに躍起になりました。でも、一人だけ異を唱えたチィママがいたのです」
「そのチィママが、シュガーか。もしかして、欠陥ってカイロとラムのことか?」
「この二人だけではありません。少しでも自分の意に沿わないものは、欠陥として消去するようになったのです。それを実行するための手足として、欠陥消去者を作り出したのです」
「さっきの奴か。人間には見えなかったけど、あれはなんだ?」
「あれに意思はありません。ただ命令を実行するだけの人形です。禁止されていたのに……。話を戻します。さらに欠陥の消去が激しさを増していきました。そして、オオママが美的感覚に合わないと言って、街を一つ消しました。それを期に、私は反乱を起こしました」
凄惨な光景が甦ったのか、シュガーは涙を浮かべていた。
俺はかける言葉がなくて、聴いていることしか出来なかった。