陸
とんとん、とドアがノックされた。作戦の始まりの合図だ。
カイロが素早くベッドから体を起こした。この基地を訪ねてくるのは、シュガーか敵かの二択だから当然の反応だ。
「敵か。ラムどこ行った?」
ここまでセーフだ。ラムならトイレと誤魔化すと、カイロは疑いもせずドアの前に立ち刀を正眼に構えた。
「ボクだよー。カイロー、開けておくれよー」
くぐもったアニメの主人公みたいな声がして、またドアがノックされる。よく聞けばラムだと分かりそうで、雲行きが怪しくなってきた。
「ボクって誰だ?」
「ボクを忘れたのかい。悲しいな、開けるよ」
ドアがゆっくりと開かれ、クマの顔になっているフードを深く被った着ぐるみ姿のラムが入ってきた。カイロの手から、するり、と刀が落ちた。
「く、クマさん……」
口を半開きにして、メガネの奥の瞳がぐるぐる回っている。
「会いたかったよー、カイロー」
ラムは成りきっているようだけど、ここでアウトだ。不自然な胸の二つのでかすぎる膨らみが、正体を隠す気がまるでないからだ。
「クマさん、あの時はごめんね。置いて来ちゃって。一一グス……」
まさかのセーフに、俺はツッコミかけていた言葉を飲み込んだ。
「ボクは気にしてないのさ、こうしてまた会えたからね」
ぎゅうっ、と着ぐるみの腕がカイロを抱き締める。胸の谷間にカイロを押し付け、再開の喜びを表現している。俺から見えるラムの顔は、これからどうイタズラをしてやろうか、という欲情に満ちていた。
バレるから、と手を振ってもラムは気付いてくれない。おそらくアウトまでは、秒読みの段階だ。
「クマさん、だいす……は?」
気持ちを伝えようと胸の谷間から上を向き、カイロが石となって固まった。
「わ、私も、だ、大好きよカイロ」
ラムは自らフードを捲り上げ、キスをしようと口をタコみたいに伸ばして迫った。
「ラムじゃないかー!!」
激怒してラムを蹴り飛ばした。
「なぜかバレたっすー」
ラムはぶっ倒れ、降参とばかりに万歳をした。
「バレたんじゃなくて、バラしただろ」
あと少しでいけたかも知れないのに、ここで完全にアウトになってしまった。
「うー、クマさん。うぅー」
騙されたカイロは、怒りを晴らすのではなく、ちらちらと着ぐるみを盗み見ては、あさっての方向へ視線をさ迷わせていた。
「カイロっち。クマさん欲しかったら、燈っちにお願いするっすよ」
カイロは何度も迷いながら、俺の前にちょこんと正座をした。愛らしくて鼻血が出そうだ。
「あ、あれ欲しい」
上目遣いに震えながら、ラムを指差した。
「ウチはカイロっちのものっすよー」
照れまくるラムを蹴りに行ってから、また俺の前に座った。
「中身あげるから。クマさん……ちょうだい」
プライドに責められながら、クマの着ぐるみを欲していた。中身の人が可哀想には思ったけど、俺に断る理由なんかない。
「もち、大切にしてな」
にまぁ、と嬉しそうに唇を開いてラムに襲いかかった。
「脱げ、今脱げ、すぐ脱げ、早く脱げ。私のクマさんだ」
「いやーん。燈っちが見てるっすー、燃えるっすよー」
「燃えんのかよ」
どたばたと着ぐるみを剥ぎ取ろうと、くんずほぐれずの取っ組み合いになる。
「カイロっちも脱ぐっす」
負けじと、組伏せられたラムがカイロのワンピースの裾を取った。
「喋んな偽物」
「はい」
首に刀の腹を突き付け、低い声で黙らせた。
すっかりまな板の上の鯛となったラムから、カイロはクマの着ぐるみを剥ぎ取った。
「私のクマさん。ずっと一緒」
寝転がったまま着ぐるみを抱き締め、ころころと転がりベッドの下に入って行った。
「バッチっす」
ラムが親指を立てた。かなりアウトな場面は合ったけども、なんとか作戦は成功を収めたようだ。作戦の成功報酬はというと。
「がおー、クマさんだぞー」
ベッドの下から、カイロが着ぐるみを着て出てきた。俺のサイズではかなり大きく、ぶかぶかで袖も余りまくっている。それでもいいのか、カイロは両手を上げて嬉しそうにクマの真似をしている。
「クマ好きなんだな」
「クマさんは、一人ぼっちの私にハチミツをくれたんだ。本当に強い奴は優しい、クマさんが最強」
よく分からないカイロの過去だが、クマには並々ならぬ恩があるようだ。がおーがおー言っているカイロを見ながら、ラムは散らばった衣服を拾い俺に耳打ちをした。
「そん時の中の人は、ウチっす。内緒っすよ」
そう言って、ラムは懐かしそうに笑った。
いつか詳しく教えてなと返して、カイロの気が済むまでクマの成りきりショーに付き合った。
その日の夕食は、全員が同じメニューになった。ガチャ運を使い切ったようで、ラムもビスケットだったから。
それでも、こっちに来てから一番に美味しくて楽しい夕食になった。
みんな、笑っていたから。