肆
拳が当たり、敵の頭が百八十度、回転した。
生まれて初めて本気で殴った。肩まで抜けるような衝撃に痺れた。
闘える。それも、相手と圧倒的な差をつけて。俺が動けば、その分だけ敵の数が減っていく。カイロとラムに負けてなんかいない。
殴れば敵の首が一周し、蹴れば腹に穴が空いた。
街の人の避難は済んだのか、広場には俺たちと欠陥消去者しかいなかった。
遠くから助けを求める声がした。散った敵がいたようだ。
入り口は敵の巣になっている。突破しなければ助けにいけはしない。
ペース配分なんてくそ食らえで、ひたすらに敵を壊してやった。
広場に残る最後の敵にカイロが引導を渡した。これで、ここを抜けられる。悲鳴は止むことを知らず続いていた。
向かおうとして、無茶をしすぎたツケを払うことになり足が縺れて目眩した。
ラムは座り込み、カイロも刀を杖にして身を屈めている。補給もなしに、三人で二百は殺ったのだからツケもそれなりだ。
補給をしようにも、ガチャの端末である電子レンジは破壊されていた。
「いくよ」
カイロの叱咤に重い体に鞭を打って、広場を抜けて奥の通りへ走った。
悲鳴に近付くに連れて、家や道の壊れ方が酷くなってゆく。
俺たちはあと、どれだけ闘えるのか。最悪は、逃げることも考えなければならない。
一際、大きな悲鳴を合図に、木造の家の半分が倒壊した。
巻き上がる土煙に、俺たちは足に急ブレーキをかけた。
崩れた家屋の側で、女の人が声を張り上げていた。
「誰か助けて。子供が家の下敷きに」
カイロが急き立てられるように駆け出そうとし、敵の気配に二の脚を踏んだ。
土煙に紛れて姿を現した敵は、他の奴に比べて三倍は大きかった。明らかに雑魚ではなく、上位互換の中ボスといった風格をしている。
作戦を、と言うのが遅かった。
「関係あるか」
カイロが刀を右八双に構え、地を蹴った。疲れが速度を奪っている。
下斜めから薙いだ刀が敵の首に触れ、風鈴さながらの綺麗な音を響かせた。
「夜摩刀……ごめん……」
膝を付いたカイロの横に、半ばから折れた刀身が突き立った。
速度も力も足りなく、刀の強度も保てなくなっていたようだ。体力さえあれば、今頃は敵の首が地面に落ちた筈だ。
なにより、刀を折られたのはカイロにとっては、命の危険すらある。
打ち合わせなしで、ラムが乱射による弾幕を張ってくれた。俺は体勢を低くして飛び込み、カイロを抱えて敵から距離を取った。
「看板……っす」
かちっかちっ、と弾切れを知らせる空しい音が、ラムの両手の銃から聞こえていた。
これでラムも闘えない。残るは俺だけだ。
逃げた方が懸命だ。街の人には悪いけど、まだ死ねない。
敵が動いた。俺はカイロを抱え、ラムの腕を掴んだ。あとは、一目散をキメてやればいい。
だが、俺の目論見はカイロにご破算に持っていかれた。
「燈、信じてる」
ああ、もうこれだ。んなこと言われたら、格好付けたくなるに決まっている。
もういい、逃げるのは無しだ。俺に残されてるのは、勝ってカイロに誉めてもらう未来だけだ。
湯だった頭を冷やし、マイナスドライバーで首の調節孔を更に右へ回す。視界が冴え渡り、敵の体の表面が薄く透けた。右膝の裏に、触絶許回路に繋がる調節孔を探り当てた。
マイナスドライバーをきつく握り、タックルの要領で敵の足にしがみついた。
背中に、でかい鈍器でぶっ叩かれたような衝撃が爆ぜた。
良かった、この痛みは昨日、経験したばかりだ。だから、気を失わないでいられる。
咳と二擊目がくる前に、膝の裏にマイナスドライバーをぶっ刺して左に回してやった。口から空気を吐き出し、黒い塵の集積となり消えた。
立っているのがやっとだった。それでも、カイロが心配で足を引き摺り側に行った。
遠巻きに人が集まって来ていた。女が倒れた木柱を退かそうと助けを求めて叫んだ。
「助けて。私の子供が」
女は必死に訴えるが、助けようとする者はいなかった。こいつらは、なんなのだろうか。敵はいないというのに。
「おい、助けてやれよ。急げって」
誰もが、俺の声に体をびくつかせた。そして、口々に無理だとか、助けようがない、と囀り出した。
「ざけんなよ! ハンマーでも鋸でもなんでもいいから持ってこい、手遅れになるぞ」
「なんだそれ……」
「どうせ助からない……」
みな互いに押し付け合い、白々しい無関心な答えが返ってきた。
俺は忘れていた、オンラインには工具も武器と見なされ存在しないことを。
この世界の融通の利かなさに呆れる。この期に及んで、助け合うことも出来ないこいつらにもだ。
「俺がやる、食い物持ってこい」
「見苦しい、止めろ!」
カイロは掠れた声で怒鳴り、立ち上がった。
「自分のことは、自分でしろ」
「なに言ってんだよ。助けようとしてんだぞ」
「そうだよ、燈が勝手に助けたいだけ。自分の都合だ」
カイロが瓦礫の山に行き、折れた刀で重なった木片を斬った。左右に瓦礫が別れ、女が子供を引っ張り出して泣き出した。
倒れかけたカイロを、駆け寄ったラムが支えた。
「一人で歩ける。帰ろ」
背を向けカイロは歩き出した。俺はムカつきを抑えて、ラムは頷いて横に並んだ。
「化け物……」
誰かが呟いた。俺は我慢がならず振り返ろうとして、ラムに腕を掴まれ爪が食い込んだ。
「お、お団子、美味しかったね」
「そうっすね。燈っちは、なに食べたっすか?」
無理に明るく振る舞う二人の顔を、とてもじゃないけど見られなかった。
きっと、こんな差別を受けるのは初めてじゃない筈だ。それでも強く真っ直ぐでいられる二人を、心の底から尊敬できた。
だから、俺も強くなれるように努力をしてみた。
「あんこの団子……美味かった……」
それだけ言うのが、今の俺には精一杯だった。
背中に冷たい視線を浴びせられ、街の入り口にある基地までの距離が遠く感じた。