メソポタミアなどはこれから500年も経てば相当人口は増えるらしい
さて、アルノン川の川岸がいざというときの避難先に使えるということを確かめた俺達はエリコへ戻ってきた。
100年後のエリコの住人がどのくらいの数になり、そのうちどの程度が生き残れるかはわからないが、船で避難できる場所が4箇所あれば殆どはなんとかなると思う。
そしてエリコへ戻ったあと色々調べた結果に俺は驚いた。
エリコは今から500年後の9000年前には2000人もの人口を抱えていたらしい。
しかしエリコは紀元前7370年ごろに一度放棄され、再度人が住み着くのは紀元前7220年ごろのはず。
そうすると再び人が住み着き始めてから200年ほどでエリコは2000人の人口を抱えられていたことになる。
とはいえ同じ時期の9000年前の現在で言うシリアのユーフラテス川中流域の南岸の台地上に存在したテル・アブ・フレイラには7000人の居住者がいたらしく、これは中石器時代で世界的にはせいぜい数十人の小さな集落ばかりだった当時の世界情勢を考えれば異常な規模だそうだ。
ちなみにテル・アブ・フレイラは終末期旧石器時代の13500年前ごろには成立し、1万2800年前ごろに彗星落下によって壊滅していた可能性が高いらしい。
まあその時の人口は最大で100人から200人ぐらいであったらしいけどな。
一度放棄されたのは隕石に伴うエアバーストによるもので、最低でも2200度の高温を引き起こすような状態になったらしい。
そして、それによりヤンガードリアスの寒の戻りが起きたこともあり、一度放棄されていた時期を挟み、9400年前ごろの先土器新石器時代B中期に、テル・アブ・フレイラでは再び集落が起こり7000年ほど前の、紀元前5900年頃に放棄されるまで栄えたらしい。
このとき放棄されたのは乾燥や塩害が理由だろうな。
その後、現在のイラクに当たるメソポタミアのウルクは5000年前頃には8万もの人口を抱えることができたくらいだ。
9000年前には相当人口を抱えることができるようになった理由は従順な牛の家畜化が一般的に広まったことで、重いものを運搬させたり、人が乗って移動したり、農耕の補助などの動力として利用できる家畜であることに加え量の多い乳を手に入れることができることになったからじゃないかと思う。
さらには麦の品種改良が進み、一粒の種からその数を増やすのが比較的容易くなったことが理由かと思う。
牛の家畜化自体は約10,500年前のメソポタミア北あたりだったらしいが、野生の牛であるオーロックスは気性が荒いので主にその肉を食べるために飼われていたらしく、ヤマネコが人間の穀物倉庫を狙うネズミを狙って人間の周りに住み着いてもなかなか従順な気性にはならなかったのと同様に、オーロックスもすぐに人間に従順に従うような存在にはならなかったんだろう。
メソポタミアで家畜化されたタウルス牛はユーラシアオーロックスから家畜化され、コブウシとも言われるゼブ牛はインダス川流域でインドオーロックスからそれぞれ家畜化されたが、それらが交雑したりしたことで体が小さくなり、脚も短くなって気性のおとなしい家畜の牛が出来上がったらしい。
まあ、年代については正確なことはよくわからないんだけどな。
重い荷物や人の運搬をできる家畜の牛はぜひ欲しいのだが、現状では難しいだろう。
だが一応は家畜化されているならなんとか手に入れれられないかな?
このあたりはマリアに聞けばなんとかなるか?
ああ、でも牛は羊なんかに比べれば大量に飼料を必要にするから現状のエリコでは飼うのは厳しいかもしれないな。
エリコの場合は街の周りが水没する期間があるという変則的な環境があるから、その間にエリコの中で十分必要な飼料がないと困ることになるはずだ。
青銅器や鉄器の導入が森林資源を消滅させたように、牛馬の家畜化も草原の砂漠化を進めてしまった可能性があるとすると、便利な手段が環境破壊につながる事をもっと考えていかないと駄目かもな。
生活を便利にする手段はやはり欲しいが、それが後々は生活を苦しくする原因になるかもしれないとするとなかなか難しいものだ。




