魔女の森
おうちから、小学校へ行くまでに、おおきな竹やぶの側の道を通って学校へいく。
少し見通しが悪くなる、その道は、昼間なら全然怖くないけれど,夕方遅くなったり、夜になると、ちょっと怖いなと感じてしまう。
おうちの周りには同級生はあんまりいない。集団登校するお友達も、竹やぶを抜けたところで合流するから、竹やぶはどうしても一人で通らないといけない。通学路は決められているし、今日も、薄暗くなった竹やぶを、友達と別れたその足で、一息に駆け抜ける。
一人でいくとちょっと怖い竹やぶだけど、誰かと一緒ならあんまり怖くない。昨日は学校の後、お友達と遊ぶ約束をして、近くだけれど、今までに行ったことのない路地をいっぱい探検した。その時にも、竹やぶを通ったけれど、まだあたりも明るくて、笹の葉のはっきりとした緑がなんとなく好き。葉っぱの間から、太陽の光が透けてみえて、キラキラするのもなんだかとってもきれい。竹やぶは高台になってて、竹やぶ沿いの道で、竹やぶに背を向けると、私の住んでいる都市の平野が向こうの端にある山地まで広々と見渡せる。
なんだぁ、そんなに怖い場所じゃないや、と思って、いつもは走り抜けてあんまりしっかり見ていない竹やぶをよくよく見ることはができた。そうして、あたりを見渡すと、ショッキングピンクのクッションが土に埋まっているのを見つけてしまった。竹やぶに、ショッキングピンク。緑の中に、ショッキングピンク。
「どうしたのー?行こうよー」とあやみちゃんに声をかけられて、竹やぶを出る。「クッションあったよ。」と言ったけれど、別にクッションがあっただけだから、あやみちゃんは。ふーん、と言った。
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あやみちゃんとひとしきり遊んだら、夕暮れになった。おひさまの光がオレンジ色になって、あやみちゃんが「そろそろ帰らないと、お母さんに夜ごはんが遅くなるって怒られちゃう」と言った。そういえば、わたしも走り回って、おなかがぺこぺこだ。
あやみちゃんと顔を見合わせて、「じゃ、今日のたんけんはここでおしまいー!」と言ったら、なんだかすっごく大冒険を終えたような気持ちになった。バイバイ、と手を振って、あやみちゃんに背を向けておうちへと一直線に走り出す。
坂を下って、また登って、すでに薄暗くなりかけたところで、竹やぶにさしかかる。さっき通ったときは笹の葉がキラキラして、明るくてちっとも怖くなかったのに、暗くなるとなんだか全然違う場所みたいだ。やっぱり、ちょっと怖い。
走る足はそのままに。スピードを緩めずに一気に駆け抜けようとした。そうして、竹やぶをぬけるかという時に、あの、ショッキングピンクのクッションが頭をよぎり、思わず立ち止まって振り返ってしまった。
視線の先に、土に埋まったショッキングピンクのクッション。
なんだろう。土からちょっぴり顔を出すクッションの周りに、何かがうごめいて見える。
ねずみ?それとも鳥かなにか?そう思って一歩、クッションに向かって踏み出したとたん、あたりに大きな雷鳴が響き渡った。さっきまであんなに晴れていたのに。大きな音と稲光に怖くなって目をつむる。耳をふさいでしゃがみ込む。
ゴロゴロという音が次第に小さくなっていく。おそるおそる目を開けると、周りに大きな女の人がいた。びっくりして逃げようとしたけど、どうしたんだろう、足も動かないし声も出ない。
よく見るとその人はちょっと変わっていて、大きな黒い三角帽子に、ショッキングピンクのマントを羽織ってる。なんだろう、こういう格好って…魔女?
「まさこ!」
後ろからお母さんの声が聞こえた。とたんに、動かないと思っていた体が動いて声が出た。「お母さん!」といって振り返ると、そこには傘を手にしたお母さんが立っていた。思わず走りよって、抱きついた。
「雨降りそうやったし、遅いから迎えにきたで。どないしたの?」とお母さんは不思議そうに言う。
「え!?だってあのおばちゃん…!」と母にしがみつきながらも後ろを振り返って魔女のような大きな女の人を指差したけれど、そこには誰もいなかった。
「誰かいたの?追いかけられたの?」最近はフシンシャという変な人も多いらしい。お母さんは心配そうに訊いてきた。「知らない人に声をかけられても、ついていっちゃだめよ。」お母さんは少し中腰になって、顔を近づけてはっきりとした口調で言った。
「…追いかけられたんじゃないよ…。雷がなったら、急にそこに立ってたの…」さっきまでいたはずの人がいないということに、とってもドギマギしながら、そう答えるのが精一杯だった。
「とりあえず、帰ろっか。今日はシチューやで。お腹すいたやろ?」
お母さんの声は優しかった。手をつないでおうちまで帰った。
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晩ご飯を食べたあと、おふろにも入って、宿題も終わった。やっぱりシチューはおいしい。お母さんはお料理がとっても上手だと思う。宿題もおわらせたし、明日の時間割も容易したから、ちょっとだけテレビをみせてって頼んだけど、もう遅いからダメって、すぐ布団に入れられた。
今日は一日冒険もしたし、最後にはなんだかびっくりすることもあって疲れちゃった気がする。お布団に入ったとたん、寝ようなんて思う間もなく、わたしは眠りに落ちた。
どれぐらい経っただろう。はっと目が覚めると、目の前には薄明るい茶色い天井。おうちの見慣れた天井とは全然ちがう、つるりとしていて、まあるい天井。
ここはどこ!?とばかりに、がばっと身を起こした。去年の夏休みに家族旅行で行ったコテージのような部屋だった。キーッと音がして右手のドアがあいた。
そこから白い煙とほのかな甘い香りが漂って来た。びっくりした気持ちと怖いという気持ち、それでいてほんのり香る甘い香りにちょっとほっとするような気持ち。どうしていいかわからないまま、ドアから目を離せずにいると、なんと、雷の後に表れて消えた大きな女の人が、おとぎ話にでてくるような可愛い鍋を抱えて入って来た。
びっくりして何にも言えないでいると、女の人がニコニコしながら、鍋を木でできたテーブルの上に置いた。やっぱりニコニコしたまま、壁際にある棚からマグカップを二つおろして、鍋の中身を注いだ。
一つを手前に、もう一つを私の方に置いて、女の人は席についた。そうしてやっぱりニコニコしながら、私の方に手招きする。どうやら、私にもテーブルへきて座れと言っているらしい。
なんとなく怖かったけれど、でもマグカップの中に何が入っているのかも気になって、ゆっくりとテーブルまで歩いていって、席に座った。目の前にあるマグカップを両手で覆うように持って中をのぞくと、それはココアのようだった。
じっとマグカップをのぞいている私を、女の人はニコニコと見ている。ちらりと女の人を見てみると、しっかりと目があってしまった。慌てて目をそらす。
女の人は何も言わず、くすりと笑って、自分のマグカップからココアを飲んだ。一口飲んだら、また私の方をじっと見つめる。ココアを飲んでみろって言ってるのかしら。
甘い甘い香りに誘われて、思わずココアに口をつける。ココアは時折お母さんが作ってくれるけれど、このココアはいつものよりずっとおいしい。
夢中になってココアを飲み、ふと我にかえると女の人が嬉しそうにこっちを見ていた。そして、すっと私から視線を外す。その先をみると、まだ湯気を上げている鍋があった。おかわりしてもいいよって言ってるのかもしれない。
その不思議な人とどれぐらい一緒にいただろう。たしか、ココアをお変わりしたところまでは覚えてる。でも、その後は何だかよく覚えていない…。
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「早く起きなさい。もうご飯できてるで」
お母さんに怒られて目が覚めた。「あれ、ココアは?」なんて気がついたらつぶやいていて「朝からココア飲んでる暇なんてないやろ」とお父さんに言われてしまった。
早く行かないと集団登校に間に合わない。急いでパジャマを着替えて、朝ご飯をかけ込んで、昨日の夜に時間割をあわせておいたランドセルをひっつかんで、「いってきます!」といっておうちから飛び出した。
集団登校の待ち合わせ場所は竹やぶを抜けたところ。いつもの通り、全速力で竹やぶを走り抜けようとして、いやおうなく、ショッキングピンクのクッションが目についた。
そういえば、昨日のコテージ、中は木でできていたけど、外側はショッキングピンクだった気がする。どうしてだろう、誰にも何も言われてないのに、あの女の人とココアを飲んだのは、このクッションの中だったという気がしてならない。
朝の竹やぶはお日様でキラキラしてる。昨日の雨でぬれた葉っぱがいつも以上にきれい。クッションに向かって、「またね」と心のなかでつぶやいて、私は集団登校の集合場所へと駆けていった。今日も楽しいことがありそうだ。