死後の世界
2016年8月5日──多くの星たちに見守られながら、私は死んだ。事故死だった。
その日のことは今でも鮮明に思い出せる。
親友の友香ちゃんと一緒に、地元の花火大会に足を運んだ。そんなに大きなお祭りではなかったけれど、田舎出身の私からすれば、目から鱗が落ちるような光景だった。粗方屋台を満喫した後、友香ちゃんオススメの絶景スポットへと私たちは向かった。その場所に行くためには、少し長い上り坂を登る必要があった。その道のりだけで、日頃から運動などしていなかった私を二度は来たくないと思わせるには十分だった。もし次があるならば、また他の場所で花火を見たいと私は思う。
花火のように、楽しい時間はあっという間に過ぎ去って行く。私たちは坂を下り、少し談笑をした後各自宅へと帰ることとなった。その時私は〈また明日〉と発言したと思う。その数分後に、私は車に轢かれた。痛みを感じる間もなかったので、恐らく即死だったのだろう。視界は闇に包まれ、意識も遠退き、私は無を全身で感じることとなった。
そして現在──
私は再び光を見ている。熱も感じるし、呼吸もしている。
「死後の世界──君はそんなものが存在していると思うかい?」
天国と地獄──そんなものは十中八九存在しない。だが、天国はあってほしいと思っている。同時に、地獄はいらないとも思っている。生前どんな行いをしていたとしても、死んだ後くらいは幸せを謳歌したっていいではないか。生前そこまでの苦しみを味わっていない私がこんなことを言うと、怒られてしまうだろうか。
私は死んだ。何よりも重い苦しみを味わっているのだから、多少のワガママは許してほしい。
さて、そろそろ彼の問い掛けに答えよう。
「存在していると思います」
私はどんな顔をしてこう言い放ったのだろう。
自分の顔を自分で見ることはできない。なので私は、自分のではなく、彼の顔を見ることにした。
彼は私の返答を聞き、フッと笑みを溢した。心底安心した、とでも言いたげな、優しい笑みだった。
◆
彼が笑顔を見せた直後、私を眩い光が襲った。あまりの眩しさに、私は思わず目を瞑ってしまう。
やがて光は弱くなっていき、恐る恐るだが、目を開くことができるようになった。
眼前には、先刻とは全く異なった西部劇に出てきそうな砂埃舞う街道が広がっていた。
どこか休める場所で落ち着きながら現状を考えよう──そう考えた私は、地を踏む感触のある足を一歩、また一歩と前に踏み出した。
しかし、身体はそこまで従順ではなかったようで、私は為す術なくその場にへたりこんでしまった。
身体が重いのだ。それだけではない。寒気や目眩すら感じられる。
生前皆勤賞の賞状を貰えるほど健康だった私にとって、これらの症状は未知なる苦痛だった。
私は、必死に呼吸をしようとする肺を、両の手で押さえた。その時、確かな鼓動の振動を感じることができた。
私は生きている──だが、また死んでしまうかもしれない。
弱気な私に、一人の女性が話しかけてきた。
「ホワイトか……大丈夫か?」
〈ホワイト〉という単語についてはよく分からなかったが、とにかくこの人は私の心配をしてくれているらしい。
私は、下を向いていた顔を前に向けた。するとそこには、真っ赤な服に黒いスカート、真っ白な脚を覆うタイツを身に纏った女性がしゃがみこんでいた。
「だいじょ……ないです……」
今の私には、これだけを伝えるだけで限界だった。
しかし彼女は、その真意を汲み取ってくれた。
「あー、見ての通り、私じゃ君を抱えることも引っ張ることもできない。だが、文字通り肩を貸すことはできる……掴まれるか?」
言われてみれば、彼女には両の腕がない。しかし、今の私にそのことについて考える思考能力は残されていなかった。
死なぬために私は、死ぬ気で彼女の肩に腕を回した。そして、両の手をぎゅっと握りしめる。
「よし、立ち上がるぞ」
そう言って彼女は、ゆっくりと立ち上がり、申し訳なさそうな目で私を横目で見た。
「なるべく靴先が削れないようにするけれど、多少は目を瞑ってくれよ? 随分と高そうだけれどな……」
今の私は、真っ白なブーツに同じく真っ白なワンピースを身に纏っていた。少し意識して考えてみると、生前の私よりも綺麗な肌をしている気がしてくる。もしかしたら、私は転生というものをしてしまったのかもしれない。
「私はレッド。君の名前は──って、聞ける状況じゃないか……」
「私……死にました……生き返りました……こちらの世界……名前ないです……」
いまいち状況が掴めていないが、恐らくこれは転生だ。そう考えたが故に〈こちらの世界〉という表現をした。そしてその考えは、あながち間違いではなかったようだった。
「ほー、もう異世界について掴めているのか。正確にはここは死後の世界。周りにいるやつらも、私も君も、一度は死んだ墓兄弟さ」
死後の世界はこんなにも荒れ果てた場所だったのか……
天国とも地獄とも言えない何とも微妙な風景に、私は少しがっかりした。
「兄弟とはいえ、やっぱり悪さをするやつらもいる。どの色にもな」
もちろんいいやつの方が多いけれど。と彼女は付け足した。
「グループの説明がまだだったな。グループには赤、青、黄、緑、黒の五色がある。この色は、死因によって分けられているんだ。私は事故死の赤のグループの頭をやっている」
「では、私は……?」
「ホワイトは生前偉業を成し遂げた者に与えられる特権だ。何色にも染まらず、何色にも染まれる……君は一体生前に何を成し遂げたんだ?」
私は至って平凡なただの学生だった。天才の頭脳も俊足の脚も持ち合わせてはいない。
「学校皆勤賞……?」
不意にに口から溢れたそれは、私が唯一誇れるものだった。
「いいねぇ! 超健康な真面目ちゃんだったってことだ!」
これがホワイトになれる条件の一つなのかは分からないが、彼女が笑ってくれたのでそういうことにしておこう……
「よし、着いたぞ」
彼女が立ち止まった場所は、何の変鉄もないバーだった。
「ここの地下に私ら赤のグループのアジトがある。そこには生前医者のやつもいるし、君もすぐに元気になれるだろう」
彼女はそう言いながら、バーの中へと入った。
そこそこ繁盛しているらしく、バーの中は賑やかな笑い声で包まれていた。
彼女はバーの店員と思しき人物に目配せをした後、角にある階段をゆっくりと下った。
地下は、近未来的な作りになっており、彼女は医務室と書かれた扉の前に立った。すると扉は、彼女を迎え入れるように自動で横に移動した。
「お医者さん、患者だ」
「ほいほいーっと……えぇ!? ホワイトォ!?」
レッドの声に反応した赤がかった橙色の髪をした女性は、私の姿を見るなり大きな声を出した。
「道で苦しんでたんだよ。看てやってくれ」
「アジトに入れてよかったの?」
「いいんだよ。困っていたらお互い様さ」
レッドは私をベッドに座らせ、苦い笑顔で手を振りながらこう言った。
「悪いが、これから用事があるんだ。アジトから出なけりゃ安全だから、ゆっくり休んでいてくれ」
「あ、はい……色々ありがとうございます」
「いいってことよ。こっちの世界での皆勤賞はもう無理だろうけどな!」
レッドは、そう言って医務室を後にした。
彼女は優しくて格好いい女性だ。
同性にも異性にも愛される人なのだろう。
「ホワイトかあ……いいなあ」
私がレッドのことを考えていると、いつの間にか私の横に移動してきた医者と思われる人物がそう呟いた。
「アタシはブラッド。君は何て言うの?」
「それが、名前はまだなくて……」
「んじゃ、アタシが付けたげるよ! うーん、ホワイトホワイト……ミルク?」
やっぱ今のなし! とブラッドは自分の発言を撤回した。
「あの、お気持ちは嬉しいんですが……診察を……」
「マジ? ホワイトに触れていいの? てか君かーわいいねぇ!」
ブラッドは興奮ぎみに右手を前に突き出した。次の瞬間、彼女の右手から青い光が放たれ、それは、私の身体を舐め回すように上下に何度も移動していた。
「……どうですか?」
「これは大変だねぇ」
やはり、何かの重い病気なのだろうか……
「レッド腕ないじゃん? アタシ味覚ないじゃん? 君免疫力ないよ」
軽快な口調で語られた言葉だったが、私にはその意味を理解することができなかった。
「何その顔。もしかして、この世界にくる代償の話をされてない感じ?」
「……?」
「やっぱりかー。ま、簡単に言うと、第二の人生を送れる代わりに人生の難易度上げまーす的な?」
「全然分からないです……」
「つまりだ。この世界に生を受ける代償として、何かデメリットを背負わされるってわけ」
……何となくは理解できたと思う。
新たに命を授かることができるのだ、免疫力の一つくらいは持っていかれても文句は言えまい。
「おっ、理解したって顔だね。まー、これから辛いこともいっぱいあるだろうけど、レッドみたいに助け合いの精神で乗り越えていこーねホワイトちゃん! あ、名前はとりあえずホワイトちゃんってことで。あくまで仮の名前だからねっ!」
「は、はあ……」
「よしいい子だ! 他にも話すことはいっぱいあるんだけれど、今はちょっと休みなよ。その代償、かなり負担が大きそうだし」
「ありがとうございます……」
こうして、私の第二の人生は幕を開けた。