超能力と怪物と少年 四
研究所の玄関フロアーはひどい有様になっていた。まず汚れている。赤黒いしみがいくつも出来上がっている。そして何よりひどいのがよくわからない巨大な物体があちらこちらにあることだ。これも建築物だとかではなく何か生き物の肉のようなものである。大きな鶏肉のようなものが、床を突き破って現れていた。これがどうにも気色がわるい。何がどうなってこうなったのかというのはわからないが、とんでもないことが起きたのだというのは間違いなかった。怪物になってしまっているのを見てもその関係だろう。
特に出入り口がひどかった。これでもかというくらいに肉がせめぎあっていて先に進めそうになかった。鶏肉がぎゅうぎゅう詰めになっている満員電車という有様である。においもひどい。
錬太郎はつぶやいた。
「これはだめそうだな。どこか出られそうなところを探そう」
錬太郎の脚力、腕力はずば抜けているところがある。しかし山を削れるほどの威力があるとは思っていなかった。
二人は出られそうな場所を探した。大きな建物なのだ。当然脱出経路というのもひとつではないだろう。
しかしどこにもなかった。玄関フロアーを探し回ってみたのだが、崩れていたりして先に進めないところが多いのだ。
錬太郎は窓ガラスを割ろうともした。玄関フロアーには鏡張りのようになっていて外の景色が見えるようになっている部分があった。大きな一枚のガラスが、道に面している部分に連続して張られているのだ。有名なデザイナーあたりが設計したのだろうセンスがいい。ここを壊すことができればたやすく脱出することができるだろう。錬太郎は自分の脚力ならばできるだろうと考えた。管理室の鋼鉄の扉を無理やり破壊したことで自信があった。
しかしどうやっても割れなかった。何度もけったのだが、ゆれもしない。このガラスに見えている透明な壁は、研究所の守りを担っているものである。拳銃でもロケット弾でもはじく素材でできている。研究機関の壁が普通のガラスでできていたりするわけもない。
そうして二人で困っていると何かが歩いてくる音が聞こえてきた。ズルズルと何かを引きずってきている音だった。錬太郎たちがこの場所に着て動き回っている音を察したと見える。
しかし不気味な音であった。蛇が獲物を狙っているときにはこういう音が出るのではないだろうか。
音の発信源は階段から聞こえてきていた。追いかけてきたのだろう。獲物を食うために。
錬太郎はイオニス少年に命じた。
「隠れとけ。もしものときは逃げなよ」
逃げ道などどこにもないのだ。錬太郎一人ならば、エレベーターあたりに逃げ込むこともできるだろう。しかし錬太郎にはイオニス少年を見捨てるなどという発想がない。そのため、戦わなくてはならなくなったいま、錬太郎はすぐに覚悟を決めた。
錬太郎は階段の音のするほうをじっと見据えた。
音の正体が現れた。それは奇妙な怪物だった。頭が三つある、長い蛇のような胴体。そして人間の手足がムカデの手足のように動いている。また錬太郎よりも体がでかい。立ち上がれば三メートル近い大きさだろう。錬太郎の背後に隠れているイオニス少年に視線を向けていた。
錬太郎は、つぶやいた。
「話はできなさそうだ。目が畜生のそれだ」
はじめから戦うつもりだったのだ。いまさら逃げるつもりなどない。
奇妙な怪物は錬太郎を見つけると、雄たけびを上げた。獲物を横取りしようとしている邪魔者に錬太郎が見えている。
そして一気に距離を縮めてきた。全身を蛇のようにくねらせる運動と、自分の胴体に生えているムカデのような手足を使って、つめてきた。噛み付くつもりなのだ。三つある頭で。そして錬太郎を赤黒いしみののひとつに変えようとしている。
錬太郎は拳を固めた。拳をぎっちりと握りこんで、岩のように固める。この固めた拳を思い切り相手にぶつけるのだ。戦う気持ちは少しも折れていない。むしろイオニス少年を狙っているのが感じ取れているだけ、戦う気持ちは高ぶってくる。奪われるわけにはいかない。その気持ちが錬太郎の目に光を宿らせる。
そして怪物の攻撃にあわせて、拳を振りぬいた。全身全霊をこめた右ストレートであった。怪物の噛み付き攻撃にあわせて放たれた攻撃は見事怪物の顔面を捉えた。
イオニス少年はエレベーターに向かっていた。錬太郎と逃げるためだ。今、錬太郎が怪物の相手をしてくれている。ならばその間にエレベーターを呼び出し、そして先ほど行ったように逃げ出せばいいのだ。錬太郎なら、それができるとイオニス少年は信じていた。
イオニス少年はエレベーターのボタンを何度もたたいていた。錬太郎が苦戦しているのが見えているからだ。相手が錬太郎よりもはるかに大きい上に、耐久力が桁違いなのだ。このままだと錬太郎が押し切られる可能性がある。
イオニス少年は叫んだ。
「錬太郎! エレベーターのボタンを押した! 逃げる用意をしておいて!」
三つ首の怪物が自分のほうへ向かってくるかもしれないという恐怖はあった。しかし錬太郎に自分が何をしようとしているのかを伝えなければ、錬太郎が行動できないだろうと思ったのだ。逃げ道を確保したから、逃げようと、そういう意味である。
錬太郎は奇妙な怪物の頭のひとつを脇に抱えていた。何度かの攻防を繰り広げて、錬太郎は怪物の動きを読み相手の首を取ることに成功したのだ。もしも首がひとつだけであったら、この時点で錬太郎の勝利だっただろう。錬太郎は三つある首のひとつをへし折った。単純な打撃攻撃が通じにくいことに錬太郎は気がついていた。そのため相手を動けなくするため、できる限り関節を狙っていったのだ。幸い人間のような部分がいくつもあるのでそこを狙っていた。
イオニス少年の勇気ある行動を受けた錬太郎は微笑んだ。イオニス少年の勇気がありがたかったのだ。逃げていいといったのに、まさか助けてくれるとは思っていなかった。
そして答えた。
「応!」
力強い声だった。まったく恐ろしいものなどないというような調子だった。
怪物は首のひとつを締め上げる錬太郎をはがそうと必死であった。錬太郎に絡み付こうともがくが、錬太郎がそれをさせない。三つある首のひとつをへし折られたのだ、まったく無視できるわけがない。
しかし錬太郎をはがせなかった。不思議なことで錬太郎の力というのは三メートルもある巨大な怪物よりも強かったのだ。まきつこうとしても錬太郎にはがされて、いいように関節を決められるばかりだった。
エレベーターが到着した音が玄関フロアに響いた。イオニス少年の頑張りが実ったのだ。
そして扉が開いた。
そのすぐ後イオニス少年が悲鳴を上げた。絶望に染まっていた。恐ろしいものをみたのだ。
悲鳴を聞いた錬太郎がエレベーターのほうを見た。そこにはライオンのような頭をした怪物が仁王立ちしていた。身長は二メートル十センチほど。筋骨粒々で、ほとんど人間のような姿だった。違うのは体中がライオンのような毛で覆われていて、両手が五本指であること。そして身震いをすると銀の砂の粒が舞い上がるということである。
錬太郎はすぐに怪物の頭のひとつを解放した。三つ首の蛇のような怪物よりも、イオニス少年を守ることが大切だった。
そしてイオニス少年を助けるために駆け出した。急がなければ、イオニス少年が殺される可能性があった。
また、錬太郎に拘束されていた怪物は自由になった。ずいぶんと呼吸が荒くなっていた。錬太郎の締め上げる力というがそれだけ強かったのだろう。まだふらついていた。
そして錬太郎が背後を見せているのに気がついたのか、追いかけてきた。後ろを見せたから襲っていくという、獣のような発想である。人間の知性というのはとっくの昔に失われていた。
イオニス少年は、動けないでいた。あまりにも恐ろしかったのである。目の前に現れたライオンのような頭を持った怪物。その威圧感に、イオニス少年は腰を抜かしていた。
錬太郎が雄たけびを上げた。自分に注意を向けるため、そして気合を入れるためだ。錬太郎はこれからライオンヘッドにけんかを売るつもりだ。怪物がいったい増えて、絶望的な状況ではある。しかし、戦わなくてはならないという気持ちが勝っていた。
錬太郎がライオンヘッドにけりの攻撃を仕掛けた。拳ではなく、足を使った踏みつけるようなけりである。注意を引いて、勢いをつけて攻撃を仕掛ければほとんど間違いなく怪物に一撃を食らわせることができると、錬太郎は戦いのなかで学んでいた。怪物たちは攻撃に対応する速度が遅かったのだ。
しかしあたらなかった。錬太郎の踏みつけるようなけりは、空を切った。ライオンヘッドは移動していたのだ。
攻撃をはずした錬太郎はライオンヘッドの身のこなしを見て驚いていた。あれは人間の技。戦うものの足運びだと。
ライオンヘッドは錬太郎を無視して、駆け出していた。人間と同じように二本足ではしった。
そして錬太郎を追いかけてきた三つ首の怪物を叩きのめしてしまった。あっという間のことだった。拳を固めて、攻撃を仕掛けた。残っていた二つの首をあっという間にざくろのように砕き、怪物を沈黙させた。見た目こそ誰よりも怪物のライオンヘッドであったが、心は怪物ではなかったのだ。
錬太郎は呆然とその光景を見ているだけだった。怪物だと思っていたものが怪物でなかったということ、そしてあまりにもすさまじいその手際に驚いた。
イオニス少年も同じだった。信じられないものを見たというような感じだった。何せ今までであったものたちには知性がなかったのだ。知れが今、おそらく知性をもった存在と出会うことができた。錬太郎と、このライオンヘッド。まったく驚くべきことばかりだった。
ライオンヘッドがいった。
「私の名前はシージオ・ケラスイア。これでも警察官をやっていた。信じてもらえるかな。一応敵意がないことはわかってもらえたと思っているのだがどうだろう? こんな格好をしているのは、ダナム博士の仕業さ。博士のたくらみを阻止するために動いていたらつかまって、こうなっていた」
ずいぶんと丁寧な口調だった。そして早口だった。それはそのはず、ライオンヘッドことシージオは自分の見た目が明らかに怪物であることを自覚していた。そのため錬太郎とイオニス少年に攻撃されることも、誤解されることも承知していたのである。一応怪物を叩きのめしてみたが、それで納得してもらえない可能性もあったのだ。その可能性があったため、丁寧に話しかけて、名乗り上げた。早口だったのは人間と出会えてうれしくなっているからだ。
錬太郎とイオニス少年は自己紹介をした。錬太郎もイオニス少年もそれほど恐れている様子がなかった。二人とも怪物を叩きのめしたシージオを見て、対して恐ろしいという気持ちにならなかったのだ。見た目こそ怪物であったが、まともに話ができるというだけで信用するには十分だったのだ。二人がこれまで出会った生き物というのが、まったくの獣であったというのが余計に信用させるのを助けていた。あの何も考えていない怪物の目を見れば、シージオがまったくの別物であると判断がつく。
そしてとりあえず脱出することに決めた。三人ともこの場所がよくないということだけははっきりとしていた。わからないことばかりだが、出て行かないことにはどうにもならないのだ。
錬太郎が聞いた。
「どうやって出て行くつもりです? よくわからないものが玄関を封じ込めていて通れませんし、ガラスはやたらと硬くて壊せませんよ」
シージオが答えた。自信満々だった。
「こいつを使う」
立派なたてがみに手を突っ込んだ。かばんに手を突っ込んで荷物を探すような調子だった。
そして銀色の銃を引っ張り出した。銀色の拳銃は、とても大きかった。リボルバー式のように見えるが、取り外せるようなところは見えない。しかし武器というような様子でもない。見事な飾りが施されてある。この飾りつけというのが見事で工芸品のようにしか見えないのだ。世界にひとつしかない芸術品というのが正しいだろう。
銀色の銃はピカピカと光っていた。
銀の銃を見て錬太郎はシージオに言った。半分笑っていた。
「これじゃあ。小さすぎる」
シージオが笑った。
「大丈夫。これはダナム博士の武器だからね。聞いたことくらいあるだろうあの、三大博士の一人、ダナム博士だ。まぁ、私にとっては因縁の相手だがね。ほめたくはないけれどもあの博士が作った武器だ。それはもう、とんでもない威力が出るだろう。たぶん。きっと大丈夫だと思う。
一応理屈だけはわかっているから、安心して使ってくれたらいい。研究者たちが話しているのを聞いた。だから、うん。大丈夫だと思う。
超能力を使ってぶっ飛ばすのさ。ガラスくらいなら楽に壊せるはず。まぁ、使えるものがあるのなら使わせてもらわなくてはね」
シージオはこれを錬太郎に渡した。
錬太郎は聞いた。ものすごく、不安げであった。シージオがあまりにもふわふわとした言い回しをするものだから、本当に大丈夫かという気持ちになったのだ。拳銃というからには火薬みたいなものも詰まっていると考えられるのだ。もしも引き金を引くと同時に拳銃が爆発でもすれば、とんでもないことになる。特に錬太郎は拳銃など初めて持つのだ。わからないことばかりで怖くなる。
「どうして俺なんです?」
シージオが答えた。
「私は超能力が使えない。試しに使ってみたが、反応しなかった。イオニス君は小さすぎて危ない。君くらいのものさ、使えるのは。体もでかいし筋肉もついている」
シージオの説明を受けて錬太郎はうなずいた。拳銃を撃った衝撃で肩が抜けるという話を錬太郎は聞いたことがあった。イオニス少年の体では拳銃を扱うのは危ない。銃弾こそ出てくるかもしれない。しかし衝撃で体の関節が抜けてしまうかもしれない。それは困ったことである。しかし体がでかい錬太郎がやるというのは問題ないだろう。筋肉でどうにかなるだろうから。これは理にかなっていた。錬太郎もすぐに理解できたので、話に乗ることにした。
イオニス少年とシージオに下がっておいてもらった。何が起きるのかがわからないので、できるだけ安全にしておいてほしかったのである。もしかすると銃弾が跳ね返されて、元に戻ってくる可能性もあるのだ。
拳銃を外に向けて構えた錬太郎が、シージオに聞いた。まったく力の入っていない質問であった。
「ダナム博士ってのはもしかしてこの騒ぎの原因ですかね?」
質問を飛ばしたのはシージオの話から推測した仮説を確かめるためである。錬太郎はシージオが忌々しげにダナム博士の名前を呼ぶのを聞いてそしてこの惨状というのを見比べて考えたのだ。もちろん、実際に出合ったこともない人間を犯人扱いするのは、問題がある。しかし今の時点で錬太郎の手元に転がっている情報から導ける結論というのは、これしかなかった。そして一つでもわからないというのを減らすために、質問をしたのだ。外れてもかまわなかった。
錬太郎の質問に、間を空けてからシージオが答えた。言葉を選んでいた。ずいぶんと慎重な言い回しだった。
「あまり答えたくないが、そうだろうね。私も状況が完全に把握できていないから、確証はない。しかし研究所の地獄絵図を見ていれば、博士の計画が動いていると判断できる」
そして二人が十分はなれたところで銀色の拳銃の引き金を錬太郎は引いた。
銀色の銃から、銃弾が発射された。しかし銃弾というのは物質の銃弾ではなかった。錬太郎の目に宿る夕焼け色の光と同じ色の弾丸が飛び出したのである。これがダナム博士が生み出した工芸品の作用だった。持ち主の力を増幅して、銃弾として発射する武器。なのでこれでまったく問題はない。
銃弾は見事にビルの側面を吹き飛ばした。銃弾はガラスどころか壁を抉り取っていった。それだけの威力があったということである。超能力で打ち込まれた弾丸は物質的な限界を超えていたのだ。
弾丸が周りにあったものを壊していったのを見て錬太郎は冷や汗を流していた。だらだらと汗が流れていた。弾丸の威力というのがとんでもなかったからである。錬太郎が思っていたような、破壊ではなかったのだ。錬太郎が思っていたのは壁の強化ガラスが壊れるくらいのものである。それもひびが入って、後は自分たちの腕力で済ませるような考えであった。しかし、目の前におきたのは、壁のガラスどころか、建物の基礎ごと壊していくような破壊だった。あまりにも桁違いの破壊であったため、錬太郎は自分がとんでもないことをやったのではないかという後悔に襲われていた。この後悔が冷や汗になって現れた。
錬太郎はシージオとイオニス少年のほうを見た。
二人とも呆然としていた。
錬太郎はつぶやいた。
「弁償は無理だぜ、俺」




