超能力と、怪物と少年と 一
光に包まれたあと気を失っていた錬太郎が目を覚ました。はっきりとした目覚めではなかった。まだ眠りから完全に抜け切っていない、中途半端な目覚めだった。目を覚ますことになった理由というのは、違和感が体にあったからである。まるで自分の体が動いているような感覚があったのである。普通眠っているときというのは体は動いていない。眠っているのだから体は動かないはず。動いたとしてもせいぜい寝返りがいいところである。しかし錬太郎は自分の体が移動していることに気がついたのである。そのおかしさに気がついて錬太郎は、目を覚ましたのだ。
錬太郎の体は、誰かに引きずられていた。ごみでも引きずるような雑な扱いである。足首を握られて、ずるずると引っ張られているのが、皮膚の感覚から理解できた。しかしまだはっきりと誰が引きずっているのかというのはわからなかった。
錬太郎はもがいた。激しくもがくことはできなかった。せいぜい寝返りを何度も打つというくらいの勢いである。しかしこれはしょうがないことで、体に力が入らないのである。また錬太郎が体を動かしたのは、自分が目覚めたということに気がついてもらえたら、引きずっている誰かが引きずるのをやめてくれるのではないかと考えたからである。錬太郎が目を覚ましのだから、錬太郎自身が歩けばいいという発想を持ってもらえると考えた。錬太郎は引きずっている誰かが悪意で行っているとは思っていない。自分の体が大きすぎて引きずるしかなかったのだとそう思っていた。
引きずられている間、錬太郎というのはまったく声を出さなかった。錬太郎は声を出そうとしたが、まったく形にならなかった。のどがずいぶんと弱くなっているらしく、発音をしようと思っても声帯が震えないのだ。そして出てくるのは音になっているようななっていないような、弱い音だけ。寝起きというのはこういうもので、いつもどおりの性能というのはなかなか出せないものである。特に中途半端な時間に中途半端な目覚めを迎えている錬太郎というのはまともに声も出せないというのも仕方がない。
錬太郎が動き始めて少し間が開いてやっと、錬太郎を引きずっている何者かが振り返った。今まで錬太郎を見もしなかった誰かがやっと錬太郎の異変に気がついて振り向いたのである。しかしおかしなことで、その振り向き方というのはずいぶんとおびえているようであった。まるで怪物でも見ているような、そんな怖がり方であった。
自分の体を引きずっている誰かというのをやっと錬太郎は確認することができた。今まではぼんやりとした光景しか写っていなかったのだけれどもそれがやっと今になって、白衣を着た男が自分を引っ張っているのだと理解することができた。しかし細かいところまでは見ることができていない。まだぼんやりとした世界で、何とか形を理解できるといった程度であった。錬太郎の目も、徐々に動き出しているのだ。
白衣を着た男は、そのまま錬太郎を引きずっていった。錬太郎が目覚めたことは間違いなく確認している。しかし錬太郎に声をかけるということはなかった。普通に考えると手を離して、事情を話すべきだろうというところだが、まったくそういうことはない。それどころかいっそう強く錬太郎の足首を握り、どんどん歩く勢いを強めて言った。よほど錬太郎の目がさめるのがいやだったのだ。できれば眠っている間にさっさと片付けたい仕事であったのである。白衣を着た男にとって錬太郎というのはごみ以外の、何者でもなのである
白衣を着た男の対応を見て錬太郎はもがいた。先ほどのように穏やかな動きではない。陸に打ち上げられた魚がもがくような勢いで、もがいて見せた。錬太郎は気がついたのだ。この白衣を着た何者かは、自分に対してよくないことを行おうとしているのだと。いったい何をなそうとしているのかというのははっきりとわからない。しかしいったん状況を確認しておいて、まったく説明もない上に、むしろ引きずる勢いが強くなったのを見れば、相手が見方でないと判断するのは難しくもなんともなかった。
そしてもがいているとき、錬太郎は顔を赤くした。怒りのためではない。恥ずかしさのためである。錬太郎は自分が裸であることに気がついたのである。錬太郎の眠っていた目もそろそろ本調子になってきたのだ。見えなかった世界が見え始めてきた。
錬太郎をさらに引きずっていったとき白衣を着た何者かは、独り言をいいながら歩くのをやめた。
「ネピ、ネピ、ルバ、ルバ、エルヨ!」
どうにもその独り言は怒りを含んでいるような感じがあった。白衣を着た何者かが、歩くのとやめたのはこの場所が白衣を着た男の目的地だからである。
白衣を着た男の目の前には大きな穴が開いてあった。二人が歩いてきた廊下というのは非常にきれいだった。しかしこの周りだけが壊れてみすぼらしくなっていた。廃墟のようだった。この穴の周りには、大きな肉の塊が我が物顔で居座っていた。この大きな肉の塊が暴れたため穴が開いてしまったのである。
白衣を着た男の背中を錬太郎はにらんでいた。まだ完全とはいえないけれども、それなりに見えるようになった目で必死ににらんでいた。にらまずに入られないのだ。目を覚ましたら何の説明もなしに体を引きずられ、そしてよくわからないままへんな場所につれてこられた。それも素っ裸のままで。怒りもわいてくる。
白衣を着た男が、振り返った。振り向き方というのがずいぶんと不細工であった。ぐらぐらと頭が揺れて、たっているのがやっとという様子であった。白衣を着た男が振り向いたのは最後の仕事をやり遂げるためである。錬太郎を大きな穴まで連れてきたのだから、後は、やることをやるだけだ。
白衣を着た男の顔をはっきりと確認したときだった。錬太郎は、悲鳴を上げそうになった。錬太郎の顔色が悪くなっていた。というのが錬太郎は白衣を着た男の顔を見たからである。その顔というのは人間のものではなかった。人間の顔だったところには獣の顔があったのである。目が左右に離れていて、頭蓋骨の前面部分は今もまだ畜生に変形しつつある。しかし完全に獣ではなく、人間と混じっていて、それができの悪い合成写真を見るような奇妙な感覚にさせる。錬太郎はこの顔というのが作り物ではないという直感が働き、これから何をされるのかという考えに変わり、悲鳴を上げそうになったのである。
錬太郎は暴れだした。全身の力を無理やりに引き出して、必死になってもがいていた。どうやっても目の前の白衣を着た怪物から逃げ出したかった。何をされるのかがわからないというのが余計に恐怖心をあおり、錬太郎に行動する力になった。
白衣を着た怪物は錬太郎に言った。
「死ねねねね」
憎しみがあるようには聞こえない声であった。できるのならばこれで終わってくれという願いがこもっていた。しかし白衣を着た怪物は、もがく錬太郎などまったく気にも留めていなかった。錬太郎というのが気の毒な存在であるという気持ちはある。しかし生かしておくわけには行かない存在であるというところが多かったのである。そのため怪物になりつつある白衣を着た男は、錬太郎を問答無用で始末しようとするのである。
錬太郎がさらにもがいた。なんとしても逃げ出してやろうといって死に物狂いであった。しかし錬太郎の足首を握る手をどうやっても解けなかった。どうみても錬太郎より体が小さいはずなのに、足首がびくともしなかったのは不思議である。必死になったのは逃げるためである。死にたくないのだ。今までは何が起きるのかがわからないという状況だったのが、怪物になりつつある白衣を着た男がはっきりと主張してきたことでいよいよ落ち着いていられなくなったのだ。こんなところで、理不尽な扱いを受けて死にたいとは思わなかった。
もがいていた錬太郎の体がふわりと浮き上がった。ちょうどゆるめにキャッチボールをするときのボールの動きとよく似ていた。錬太郎の体が足首を起点にして浮き上がり、そのまま宙を飛ぶことになった。誰がそうしたのか。錬太郎よりもはるかに身長が低く筋肉もついていない白衣を着た怪物である。白衣を着た怪物が、錬太郎の足首を振りかぶって、そして廊下にあいている大きな穴に、錬太郎を放り投げたのだ。
投げられ宙を舞う錬太郎の表情ガラッと変化した。
「どうやって? 投げ飛ばしたんだ」
おびえていた表情はもうない。目がすっと細くなり、冷静さを取り戻していた。それよりも自分におきた不思議についての興味が勝ったのだ。恐ろしい怪物よりも、自分の巨大な肉体をどうしてたいした技も使わずに、投げ飛ばすなどということができたのか。それが不思議だった。そしてそれに興味を持った。死の恐怖を忘れさせるほど強烈だった
投げ捨てられた錬太郎はそのまま、大きな穴に落ちていった。表情こそ冷静にはなっていた。しかし、錬太郎は穴に投げられていて、特に何か対策を打てないというのならば、穴に落ちていくだけなのだ。残念なことに錬太郎にはこれといってどうしたらいいという方法がない。方法がないので、錬太郎はそのまま重力に引かれて、落ちていくことになる。
落ちていく中、錬太郎は落ちていく自分を見つめる怪物と目が合った。それはたまたまだった。怪物は錬太郎が落ちていくのを覗き込み、錬太郎は自分の落ちていくのに任せて、上を見ていた。それ以上の理由はない。錬太郎はどこに続くのかわからない穴を落ちていく。そして、錬太郎は穴のそこ、真っ暗闇の中に落ちた。
バスンという音と同時に錬太郎は気を失った。
穴から落ちて少し時間がたってから錬太郎は再び目を覚ました。今度の目覚めは急激なものだった。一気に眠りから覚めて、まったくよどむところがなかった。何せ錬太郎の体というのはすでに本調子である。今までのように中途半端な状態ではないのだ。
しかし、目を覚ましてみても穴のそこはほとんど光がなかった。錬太郎が落ちてきた穴というのが、光を注いでくれていたが、それだけである。後は真っ暗闇で頼りになるものがない。窓だとか電灯だとかいうのがまったくないのである。
目を覚ました錬太郎は跳ね起きた。ゆっくりと休んでいるというのも選択肢ではある。しかしそういう気分にはならなかった。何せ錬太郎の横たわっていた床というのが、床なのか同化というのは、明かりが少ない今はっきりとわからないのだが、この床というのが妙に暖かかったのだ。そして暖かいのにも加えて、じゃりじゃりとして寝心地が悪い。金属の粒のようなものが表面を包んでいるようだった。これはちょっと落ち着いて入られない。錬太郎は素っ裸であるから、余計に気分が悪くなる。
跳ね起きた錬太郎は、自分が寝ていた床に手を当てて独り言を言った。
「暖かい、それにやわらかい。こいつがクッションになってくれたのか? なら、感謝しなきゃいけないな」
言葉に感謝の気持ちがこもっていた。わずかに微笑みさえ浮かんでいた。この柔らかい床が錬太郎の命を助けてくれるひとつの原因なのは間違いないからである。いきなり目が覚めたと思えば、理不尽な扱いを受けて、いきなり殺されかけて、そんな自分を助けてくれたのだから、こんなにありがたい気持ちになるものはない。もちろん床が自発的に行ったことではない。しかし感謝したいという気持ちは勝手にわいてくるものだから、しょうがない。
そして、上を見上げた。目を細めて、自分が起きてきた穴というのを見た。何とかして、この場所から脱出できないだろうかと考えたのである。このままここで助けを待っていたら、誰かが助けてくれるということも考えた。目に見えている出入り口がひとつしかないのだから、あの出口から出て行くのが一番簡単な道のように思えたのである。
しかし、見上げることはやめてしまった。おそらくいつになっても助けてもらえないだろうという気がしたからである。もしも見上げていて、声を上げていたら誰かに助けてもらえるというのならば相するが、なんとなくそうならない気がしたのである。そのため、上を見上げているよりも、もう少し違った道から助かる方法を考えるようになったのである。また、見上げていると首が痛くなるので、見上げるのが億劫になったというのもあった。
真っ暗闇を見据えながら錬太郎は独り言を言った
。「よく生きていたもんだ。しかし、何メートル落とされた? 十メートルか、二十メートルか。どれだけこの建物は下に広がっているんだ?」
空元気という調子であった。ところどころ声がかすれているところもあった。もちろん本当に不思議でしょうがなかったということもある。二十メートル近い高さから落とされて生きているのだから、不思議であるし、あまりにも大きすぎる建物というのも不思議である。しかし独り言をはいたのは、冷静を保つためである。不安な気持ちを押し込めるために声を出した。そして声を出して状況を確認して、自分がこれから何をすればいいかというのを考えようとした。
さてどうするかといったとき錬太郎は聞きなれない音を聞いた。ジャリジャリという金属がすれる音だった。錬太郎の耳というのはずいぶん遠くにある音まで聞き分けることができているが、それは錬太郎が特別だからではない。あまりにも音が少なすぎて、小さな音を簡単に拾えてしまうのだ。眠る前の静寂な時間では時計の針の音さえうるさく感じられるようなものである。
そしてジャリジャリという音以外に遠くに光があるのを見つけた。頭上にある光ではない。歩いていけば届くところに光があった。またこの光を見つけられたのも、音を拾えた理由と同じである。周りがあまりにも真っ暗闇であったから、小さな光でも捉えることができた。何かないかといって必死になってヒント探しをしているところであったから、暗闇の中の小さな光でも何かになるのではないかと思う気持ちがあるのだ。もちろん何の助けにもならないことはある。しかし何でもいいから先に進みたいという気持ちが、小さな光でも重要なものに見せていた。
光を見つけるとすぐ錬太郎は歩き始めた。暗闇を歩くというのにその歩みというのはずいぶん力強い。やってやるぞという気持ちが満ちていた。真っ暗闇でしかも怪物が存在しているのだから恐れるべきなのかもしれない。しかし目的が見つかったというのが力になってくれているのだ。錬太郎の状況はいわば、袋のねずみという状況によく似ていて、道というのがまったくないにも等しかったのだ。そのため、たとえ何の確信もなくとも、前にすすでいたいという気持ちになった。ばかげた理由であっても、動きたくなるときがあるのだ。
また歩き始めたとき錬太郎はわずかにふらついた。正座をして立ち上がったときのぎこちない動きというのがある。正座をすると足がしびれるので、なれない人が長く正座をして、立ち上がるとふらつくのだ。しびれていてまともに動けない動きというのがあるが、錬太郎はそういうおぼつかない歩き方だった。どうにも錬太郎の体というのはまだまだ動き出したばかりというところなのである。眠る時間が長すぎると、どうしてもこうなってしまう。肉体というのはいきなり本調子にはならない。
ふらつきながらも暗闇の中を小さな光と、何かがすれる音を頼りに錬太郎は歩いていった。
錬太郎は光を発していたものにたどり着いた。それは、電灯だった。錬太郎が暗闇に見ていた小さな光は室内を照らす電灯である。しかもほとんど切れかけの電灯であった。それ以外には特に何もなかった。
小さな光の正体を確認した錬太郎は周りを見渡した。できるだけ注意深く周囲の状況というのを確認しようとしている。動き始めたばかりの目をしっかりと使い、見落としが内容に一生懸命になっていた。今の自分が、どこにいるのかを確認したかったのである。錬太郎は自分が今どこにいるのかというのもわからない。そしてどういう扱いを受けているのかというのもわからない。わからないことばかりで、さっぱりどうしていいのかというのがわからないのだ。そのわからない野中のどれかひとつでもいいから解決したい。そういう気持ちが錬太郎を必死にさせた。
電灯の光の下でいろいろなものを錬太郎は見つけた。電灯が照らしているところだけ、はっきりと何があるのかがわかる。ピカピカとした床と、きれいな壁、窓ガラスのようなもの。光があるのだから、ずいぶんと壊されているようであったが、誰かがここで仕事をしていたというのがわかる状況であった。何かの力によって破壊されてしまったのだが、壊されずに残った生活の残骸がまだ残っていたのである。錬太郎はそれを見つけたのだ。
その中で錬太郎は気になるものを手に取った。恐る恐るというところがあった。書類であった。レア狩が弱い電灯ひとつしかなかったので、中身まではっきりとわからなかった。しかし、書類ひとつでも残っていれば自分がどこにいるのか、どういう状況にいるのかというのが少しは理解できるのではないかと考えて、調べようとしたのである。
しかし電灯の下に持っていって確認してみてもまったく何が書かれているのかというのを錬太郎は読み取れなかった。何とか確認しようとはした。電気の下でもがいてみて、頭をひねってみたりも下。しかしわからなかった。なぜならば書類に書かれている文字というのは錬太郎が見たことのない文字であったからである。そしてひどく崩れていた。英語の筆記体というのがあるがあれをひどくしたのとよく似ていた。きっちりと文字が書かれているのならば、いくらかいいたいこともわかると錬太郎は考えていたが、流石に大きく崩れた筆記体は読み取れなかった。
文字を読み取れなかったが錬太郎はこういった。
「床だとか壁から推察すると、病院か?
大学病院だとか、研究所の可能性もあるが。いやそれならいったいどうして俺はあんな馬鹿みたいな高さから落とされた」
完全に、自分がどこにいるのかというのはわからなかった。しかし錬太郎は大体のあたりをつけることができていた。少しだけ不安の気配が消えているようである。錬太郎が仮説を立てられたのは、あまりにも周りの雰囲気というのがきれいだったからである。もちろん間違いの可能性もあるが、壁の作りだとか、廊下のつくりというのが汚れを嫌うようなつくりになっていた。この汚れから離れていたいというつくりが、研究室だとか病院のような清潔でありたいと願う施設なのではないかという仮設につながっていた。もちろん間違えている可能性はあったが、今はそれでよかったのだ。安心することが一番であったから。
しかし錬太郎はずいぶん不思議そうだった。眉間にしわが寄っていて、どういうことなのかわからないといって口をゆがめていた。というのが、自分がいるところが仮に病院だとか、その類の施設であったとしたら、自分が穴に放り込まれたということが説明できないからだ。少なくとも病院というのは人を助けるところである。また研究所だったとして錬太郎が受けたような扱いというのはおかしいのだ。自分のことを雑に処理したというのがまた信じられなかった。やるのならばもう少しやりようがあると錬太郎にもわかっていた。だからこそわからなくなる。
一応の仮説を立てた錬太郎は再び周りを見渡していた。わからない事がまた増えたからである。自分が放り投げられて、殺されかけたということと、病院のような建物の中にいるということ。疑問は尽きないが、答えを出せそうにない。答えを出したいが、何にしても情報が少なすぎる。判断を下すためにもう少しヒントがほしい。どこに自分がいるのか、どういう扱いであったのか。それが知りたい。そのためどうにかしようといって一生懸命になっていた
しかし、何も見つけられなかった。周りというのはまったく真っ暗闇ばかりである。何とか歩いてくる助けになってくれた光も、情報を少しだけ与えてくれただけで、後はからっきしだ。むしろ、謎だけが増えたという状況である。小さな光が注いでいる範囲の情報というのでは少なすぎた。錬太郎の疑問に答えるためにはもっとたくさんの光と、情報が必要だった。
これからどうしたものか困っているときだった。遠くから響いてきた悲鳴をしっかりと錬太郎の耳が受け取った。雑念がそぎ落とされるのにはいい静寂だったのだ。電灯がパチパチとはぜる音がうるさく思えるほどの状況で、誰かの悲鳴を聞き逃すことなどない。
錬太郎はすぐに、悲鳴が聞こえてきたほうへと走っていった。とんでもないあわてようだった。自分の状況だとか、そもそも怪物だとかがうろついている可能性があるというのもまったく度外視で、一気に声のするほうへと走って言った。錬太郎は、何かが起きていて、失われようとしているものがあるのではないかという恐れを感じたのである。他人の悲鳴なのにもかかわらず、動き出せたのは自分が襲われることよりも恐ろしいものを感じ取ったからに違いない。
走っているとき何度か何かにぶつかった。真っ暗闇の中を錬太郎は走っていた。そのためいろいろなものとぶつかった。荷物だったり、瓦礫だったりする。しかし仕方がないのだ。何せ真っ暗だからいくら目が暗闇に慣れたとしてもつまづくことがある。
しかしそれでも錬太郎は走った。何度障害物にぶつかっても、すぐに全力で走り出していた。踏み抜く鋭い破片も、肉体を引っかく瓦礫も関係ないとばかりの勢いである。それは悲鳴が聞こえてくるたびに、心が締め付けられるからであった。自分が受ける物質的な痛みなど、たいした障害物にはならなかった。だから必死になって走った。なんとしても助けたいと思ったのだ。
錬太郎の表情というのは情けないものだった。これから助けに行こうとしているというのに怪物に襲われているような表情をしていた。錬太郎にとっては怪物に襲われているのかもしれない。錬太郎は悲鳴が上がるたびにどうしても思い出してしまうのだ。何もかもが失われたときのあの虚無感を。
暗闇を駆け抜けていく錬太郎の耳に、もう一度悲鳴が届いた。声はずいぶん近いところから聞こえていた。錬太郎のがんばりは無駄ではなかったのだ。まだ悲鳴を上げている何者かは生きているし、まだ助けることができるかもしれない。
そして音のしたほうへと錬太郎が向かうと、光が見えた。その光というのは懐中電灯の光だった。弱弱しい光が襲われている人の手元で光っていた。




