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救済者と始まりの被害者 三

 美術室に向かう道の途中で担任の先生と錬太郎はすれ違った。担任の先生はトイレから出てきたようで、手をハンカチで拭いていた。錬太郎は先生とすれ違うとき軽く会釈をした。錬太郎はそのままさっさと先に進もうとした。錬太郎には特に話したいことというのがなかったからである。進路調査票についての悩みもなければ、勉強でわからないところがあるということもないのだ。そして、今は池淵頼子を迎えに行くというお願いが錬太郎にはある。この用事を終わらせなくてはならなかったので、先生と会話をするという発想がなかったのである。

 しかし錬太郎が先に進もうとしたときに担任の先生が呼び止めてきた。

「調査票だけど、あれでよかったの? もう少し悩んでもいいのよ」

ハンカチをズボンのポケットにしまいながらだった。錬太郎がさっさと先に進もうとするので、少しあわてているようにも見えた。担任の先生は流石に大丈夫なのだろうかという気持ちになっていたのである。何せ錬太郎の進路調査票に書かれている理由というのはあまりにもほかの生徒たちとは違う。ほかの生徒たちというのは自分の将来のためにだとか、輝かしい目的があるのだといって書いているものが多い。それが本当なのかどうかというのはわからないが、少なくともそういう体裁をとってくることが多い。しかし錬太郎は違っていた。ほかの生徒たちとはあまりにかけ離れた、短い理由。それも将来のことを考えたではなく自分に正直なふわっとした理由だった。それを見てしまうと、流石に大丈夫だろうかという気になる。理由自体に良いも悪いものないのだが、周りから浮いているような気がしてしょうがなかったのだ。

 担任の先生の質問に、錬太郎は答えた。

「大丈夫です。自分で決めたことですから」

錬太郎は苦笑いを浮かべていた。かといって、しっかりと錬太郎は答えてまったく変えようというところがなかった。錬太郎はやはり、おかしいといわれるだろうなという気がしていたのである。何せ自分が後から考えてみても回りから浮くだろうなという理由なのだから、担任の先生から見れば、余計におかしいだろう。しかし、譲るつもりはなかった。まったくない。これが正直な理由だったからだ。おそらくこれから何度も大丈夫かといってきかれることになるだろうが、それを思うと少し困ってしまうのだった。ただ、これからくるだろう面倒を考えても、変える気持ちはなかった。

 錬太郎が答えるのを聞いて先生はうなずいた。しょうがないなという顔をしていた。錬太郎の心がきっちりと決まっているのを見抜いたのである。まったくよどむところがなく、心の中がはっきりとしている。あきらめているというよりも、一人の人間としてしっかりとたっているのがわかったのだ。自分の道を自分の理由で歩いていけるようになっているのだから、これくらいぶれない人間というのもない。これでまったく考えなしに、なんとなく決めているだけならばもう少し考えろといってつき返していたところであるが、そうではないのだから、うなずくしかない。

 そして担任の先生はこういった。

「納得ができるなら、それでいいよ。でも、勉強はしっかりやりな」

少しうれしそうにいっていた。錬太郎がきっちりと行く道を決めて胸を張って歩いていけるのならば、後は力だけが必要だからである。このときの力というのは勉強ができるのかどうかである。錬太郎が選んだ道というのには、こつこつと積み上げていく地道な力が必要だったのだ。心が決まっているのなら、後はしっかりとやるだけ。それを錬太郎に伝えてしまえば、後は特にやることがなかった。今の錬太郎に教えられることは、それくらいだった。

 錬太郎はうなずいて、道を急いだ。錬太郎は微笑んでいた。錬太郎は自分の道を認めてもらえたことというのが、うれしかったのである。もちろんだめだといわれたところで理由を変えようとは思っていない。考え直すつもりもなかったが、それでも納得してくれたことがうれしかった。だめだといって跳ね除けられるよりもずっとよかった。

 そして先を急いで歩いていった。




 担任の先生と別れた錬太郎は美術室への道を歩いていた。美術室へ道はずいぶん静かであった。錬太郎はできるだけを音を立てずに道を歩いていた。人気がまったくない道であったから、自分の足音だけが響いていると不気味であったのだ。そして、あまり自分の足音がうるさいと、調和が乱されているような気がしたのだ。

 あと少しで美術室だというところで錬太郎は声をかけられた。大きな声で呼び止められたのである。女子生徒の声だった。声の主は自分の友人を見つけたことで喜んでいるのである。大きな声で呼び止めたのは、このままだと自分の存在が無視されてしまうような気がしたからである。せっかく見つけたのだから、ひとつ世間話でもしようじゃないかというように思ったのだ。

 呼び止められた錬太郎は振り向いた。

「ひさしぶり、しぃちゃん」

いやな顔はしていなかった。錬太郎は微笑んでいた。少し振りに顔を合わせる、自分の友人と出会えてうれしかったのだ。まったく二度と出会えないと思っていた人と出会えるというのはうれしいものであった。

 錬太郎を呼び止めたのは女子生徒、万年院静であった。万年院静は錬太郎とちょうど反対側の廊下から現れていた。錬太郎が振り返ったのを見ると、すぐに距離を縮めてきた。錬太郎よりもずいぶん身長が低いのだけれども、足はずいぶん速かった。彼女が一気に距離をつめてきたのは、錬太郎が普段よりも優しかったからである。普段なら思い切り声をかけたら嫌がるのが錬太郎の反応であった。しかし今日は、声をかけたらうれしそうに笑ってくれたのだから、これは近寄りやすい。もともと錬太郎がずっと小さいころからの知り合いであったから距離を縮めるのはそれほど難しいことではなかったが、ここまで優しい顔をしているともっと簡単になる。

 呼び止められたところで万年院と話をしていると、美術室から髪の長い女子生徒鬼島姫百合が現れた。美術室から出てきた鬼島姫百合はずいぶんと機嫌が悪いように見えた。目じりがつりあがっていて、口元がゆがんでいる。猫が威嚇しているようにも見える。彼女が出てきたのは、あまりにも二人の話す声が大きかったからである。八割、万年院静で二割が錬太郎である。普段ならば錬太郎が抑えるように働き、抑えるのだけれども今日はそうではなかった。そのため二人はずいぶんと、鬼島姫百合の機嫌を損ねてしまったのである。鬼島姫百合は二人を注意するために出てきたのだ。

 軽い注意があったが会話はおさまらなかった。万年院静と錬太郎を注意した鬼島姫百合が、そのまま二人の会話に入っていったのだ。機嫌がずいぶん悪いように見えた鬼島姫百合であったが、どうにも機嫌が大分元に戻っていた。というのが久しぶりに見る錬太郎というのがずいぶんと機嫌がよかったのを見たからである。鬼島姫百合も錬太郎のことは知っていた。ものすごくよくよく知っているということではないが、そこそこにわかっている間柄だった。女子生徒の前に出てくるときには、大体機嫌が悪そうで、緊張しているところがあるのを知っている。しかし今日は、驚くくらいニコニコとしていた。隠そうとしているのはわかるが、それでもわかりやすいくらいにニコニコしているのだから、不思議に思う。このニコニコしている錬太郎を見るとどうにも怒りというのが維持できなかった。あまりにも珍しいものがあったために、今までの不愉快が吹っ飛んだのだ。

 三人が話をしていると、美術室から胸の大きな女子生徒が現れた。池淵頼子だ。元気がなさそうに見える。目の下にクマが出来上がっている。池淵頼子は両手に荷物を持っていた。ずいぶん重たそうな荷物である。池淵頼子が美術室から出てきたのは帰りのための準備が整ったからである。そして、錬太郎が迎えに来ていることを知って、自分に用事があるのだろうと察して、自発的に出てきたのである。

 池淵頼子を見つけると錬太郎は、彼女にこういった。

「お久しぶりです。先輩」

とげとげしいところはない。それどころか万年院静と鬼島姫百合が驚くくらいに、愛想がよかった。錬太郎が普通に挨拶をしたのは、恨みなどまったくないと伝えるためである。もちろんはっきりと伝えることはない。なぜなら錬太郎が見てきたものはもしかしたら錬太郎だけしか見ていなかったものかもしれないからだ。しかし、最後に約束をしたように、恨みなどないと証明しなければならないという気持ちがあった。だから、挨拶をした。まっすぐ相手の目を見て挨拶をしたのである。そうすれば伝わると信じた。

 錬太郎の挨拶を受けて池淵頼子が目を大きく開いた。驚いているようだった。池淵頼子にも、錬太郎と同じように悪夢の記憶があったのだ。そしてその夢の記憶から、錬太郎には恨まれていると思っていた。それだけのことをしたと自覚していた。何せ上半身を消滅させた上、人類を救うために働いた錬太郎の足を引っ張り、肉体を奪い取ったのだから、うらまれていてもしょうがない。しかし、今目の前にいる錬太郎は、まったくそんなことはなかったというような接し方をしてくれていた。おかしなことだった。これこそ、夢のようだった。

 池淵頼子がこういった。

「また、先輩って呼んでくれるんだ」

鼻声になっていた。しかしこれはほとんど独り言であった。そしてうつむいてしまった。錬太郎に、自分のことをうらんでいないかといって、話しかけられるほど彼女は強くなかったのだ。

 鬼島姫百合と万年院静が何事かと思っているところで、錬太郎はこういった。

「姉が話したいことがあるといっていました。先輩がいやなら、断ってくれてもいいですよ」

困っているところがあった。目の前のうつむいている池淵頼子をどう取り扱えばいいのかが、わかっていないようである。しかし、錬太郎の言葉には力があった。もしも断るようなことをしても、ほとんど無理やりにでも連れて行くという力である。錬太郎は池淵頼子の対応に泣きそうな女子生徒の扱いというのに困ってはいたけれども、彼女をつれて変えるというところだけはまったく譲るつもりがなかったのだ。ここで彼女を一人にしてしまえば、おそらく馬鹿なことをまたいい始めるという予感があった。それは錬太郎には認められなかった。

 錬太郎の誘いに池淵頼子は首を横に振った。そしてこういった。

「いきます」



 誘いに乗ってくれた池淵頼子に錬太郎は手を伸ばした。握手を求めるような格好だった。錬太郎はこういった。

「荷物、持ちますよ。重たいでしょうそれ?」

錬太郎は笑っていた。照れているところもあった。気取った振る舞いをやったという自覚があるのだ。しかし、ここで先に動いているほうがいいだろうという気がしていたのである。錬太郎は池淵頼子が、荷物が重たくてしょうがないといっていたのを覚えていた。もしかすると今回は違っているかもしれないけれども、重たいのはほとんどうだろうからと思い、錬太郎は荷物を持つと提案をしたのだ。自分のほうがはるかに力があるのだから、自分がやればいいだろうという発想である。錬太郎にとっては重たい荷物ではないのだ。

 提案をうけて池淵頼子は錬太郎に荷物を渡した。恐る恐るという感じがあった。うつむいていた顔を上げて、やっと錬太郎の目を見た。まだ少し潤んでいるようだった。錬太郎に荷物を渡したのはやはり荷物が重たかったからである。これはまったく嘘ではない。池淵頼子にしてみるとここで荷物を持ってもらわなくてもいいといって突っぱねることもできた。しかし、ここで断るのも申し訳ないという気持ちになっていた。池淵頼子は錬太郎に対して負い目が会った。それがどうしても錬太郎に対しての距離感になってしまう。しかし錬太郎が荷物を渡せといってくれるのなら、断るのもまたおかしい。何せ親切心からしてくれているのだろうから。そんなわけで、小動物のような動きを披露することになったのである。

 二人は廊下を歩いていった。鬼島姫百合と万年院静が二人を見送った。少なくとも物理的な障害ならば、錬太郎がいさえすればどうにかなるだろうという安心感があった。また、池淵頼子をつれていった錬太郎というのがいつもよりも大きく見えたのもまた、安心感になっていた。

 そして錬太郎と、池淵頼子は学校から出た。



 

 二人が学校の門をくぐったところで池淵頼子がこういった。

「ねぇ錬太郎君。夕焼けが見たいな。展望台から見てみたい」

妙な緊張感があった。背の高い錬太郎を覗き込むようにしていた。池淵頼子というのには少しばかりの決心というのがある。それは自分の目的をなんとしても達成するという決心である。一番見たい景色を見てからというように彼女は考えているのである。

 池淵頼子のお願いに、錬太郎はこういった。

「日が暮れますよ」

ほんの少しだけ楽しんでいるようだった。前回のことを思い出しているのだ。

 錬太郎が笑うのを見て池淵頼子がコインを出してきた。スカートのポケットから硬貨を引っ張り出したのである。こうなることがわかっていたかのような準備のよさがあった。そしてこういった。

「これで決めよう。表が出たら私の言うことをきく。裏だったら、錬太郎君の言うことを私が聞く」

自信満々だった。絶対に自分のお願いを錬太郎が聞いてくれるような安心感があった。

 コインを構えた池淵頼子に錬太郎はうなずいた。挑戦的な笑みを浮かべていた。さっさとやってくれよという感じがあった。錬太郎の心はもう決まっていたのである。裏が出ても表が出ても、池淵頼子が前回と同じように不正を行ったとしても、彼女のお願いを聞くつもりだった。その程度ならばまったく問題がないからだ。

 錬太郎がうなずくのを合図にして池淵頼子がコインをはじいた。むっとしているところがあった。自分よりも年下のはずの錬太郎が自分よりも余裕のある振る舞いを見せたからである。彼女にも年上としてのプライドというのがあったのだ。錬太郎に負い目というのがあるけれども、それはそれ、これはこれであった。

 コインは宙に舞い上がった。一メートルほど跳ね上がった。回転するコインが夕日を反射していた。

 コインは池淵頼子の手のひらに落ちた。コインは裏を指していた。

 池淵頼子が笑った。やっぱりこうなってしまったかという乾いた笑みだった。

 そして両手を合わせた。静かな動作だった。裏が出てしまって確認ができるほどの時間がたっていたのにもかかわらず、両手を合わせたのだ。しかし、ずいぶん困っていた。本当にまた同じようなことをしていいのか、というような迷いがあった。

 池淵頼子が両手を開く前に錬太郎はこういった。

「では、いきましょうか。俺も展望台から夕焼けが見たかったんです」

困っている池淵頼子とは反対で、迷いなどなかった。さっさと夕焼けを見に行って、そして姉のところに連れて行こうという気になっていたのである。

 錬太郎と頼子は展望台に向かった。


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