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悲劇 四


 展望台に二人は到着した。池淵頼子は息が切れていた。一方錬太郎は少しも息が切れている様子がなかった。まったくたいしたことがないという感じだった。

 展望台には少し古くなったベンチがあった。一年か、二年くらい昔にペンキを塗りなおしたのだろうが、微妙にはげてきていた。ベンチ自体がそろそろだめになりそうで、不安定な感じがかもし出されている。

 二人はベンチに歩いていった。錬太郎がこういったのだ。

「とりあえず、すわりましょうか」

池淵頼子はうなずいた。息が上がってしまって声が出なかったのだ。

 ベンチに座るとき錬太郎は池淵の荷物を彼女に返した。荷物を地面に直接置いてもいいのか、それとも池淵頼子がひざの上にでもおいて対応するのかというのがわからなかったのだ。そのあたりのことは自分でやってくれということで池淵頼子に判断を任せた。

 池淵頼子はお礼を言った。

「ありがとう」

 錬太郎は、答えた。

「軽いものですよ」

池淵頼子にとってはとんでもなく重たい荷物だったのだろうが、錬太郎にとっては少し重たい荷物くらいのものだったのだ。

 池淵頼子が先にベンチに座った。完全に息が切れていて、体力の限界が近いようだった。運動不足である。

 そして錬太郎が池淵頼子の横に座った。特に距離をとる様子がなかった。池淵頼子が座っているのに自分ひとりが立っているのもおかしいなというのと、そもそも池淵頼子と一緒に座ること自体に恥ずかしさがないのだ。

 二人の前にはきれいな夕焼けに染まる町があった。太陽の沈んでいく角度がいい具合に合わさって、町が赤と黒の二つにはっきりと分かれていた。激しい光と影の落差が、物体をはっきりと見せ付けて、隠れている町の形をさらけ出す。夕焼けの時にしか見えない、景色だった。


 

 池淵頼子が話を始めた。

「私ね、ずっと悩んでいたんだ」

 錬太郎が質問をした。

「悩みですか。進路のことですか?」

 池淵頼子が笑った。

「ちがうよ。進路ならもう決まっているし。後悔していないとはいわないけれど、そこそこ満足してる」

 錬太郎が不思議そうな顔をした。そしてこういった。

「なら、恋愛とか?」

 これにも、池淵頼子は笑った。

「それも違うよ」

 錬太郎はさっぱりわからないという顔をしていた。顔をしかめて、一生懸命に考えていた。錬太郎はいくら考えてみても、悩みというのがわからないのである。錬太郎は、一生懸命に悩みになるような問題について考えてみた。しかし、さっぱり思い当たるものが見つからないのだ。時期的に受験かそれともよくある問題として恋愛だろうと当たりをつけていたが、それもきれいに裁かれてしまった。そうなってくると、さっぱり錬太郎にはわからない。わからないのが顔に出てしまっていた。

 錬太郎が悩んでいるところを見て、池淵頼子がこういった。

「私の胸に悪魔が住みついたの」

 錬太郎が笑った。面白い冗談を言うじゃないかという調子で笑っていた。まったく真剣な話であるというようには受け取っていない。池淵頼子の告白というのがあまりにも面白かったからである。錬太郎にとっては、池淵頼子の告白というのは冗談にしか聞こえなかった。だから笑ったのである。そして、冗談が言えるのではないかということで、余裕があるなと思い、笑いがまた生まれるのである。

 そうして笑った後、錬太郎は池淵頼子をじっと見つめた。真剣な目をしていた。錬太郎は池淵頼子の本当の悩みというのを聞くためである。錬太郎は先ほどの告白が本当の悩みであるとは思っていない。嘘っぱちの、冗談であると思っている。そのため、本当の悩みというのが何なのかというのに、気を回しているのである。

 池淵頼子がこういった。

「きっかけはお父さんのペンダントだった。不思議な銀で出来上がっていたペンダントで、とても美しかった。お父さんの研究にペンダントが必要だったみたいでお友達から譲り受けてきたらしかった。

 お父さんは絶対にペンダントを身に着けてはいけないって私に命じたわ。お父さんは私にこういうの。

 『このペンダントには欲望に満ちた悪意の悪魔が潜んでいて、命を食らおうとする。そして奇妙な輝きを宿すことで、誘惑するのだ。お前も気をつけなさい。恐ろしい怪物になりたくなければ』

 ってね。私、笑っちゃったわ。いつの時代の話よって感じだったもの。そのときにはもう、私は失敗していたわ。だってそのときにはもう、ペンダントを身に着けてやろうって、考えてたから」

 錬太郎はこう返した。

「それで、先輩はどうにかしてペンダントを身に着けた。そして怪物になったと?

 俺には優しい先輩が目の前にいるようにしか見えませんけど?」

 池淵頼子が笑った。

「ペンダントの中に潜んでいた悪魔は生きていたの。悪魔は私の胸の奥に入り込んで、私を食べてしまおうとたくらんでいる。

 たぶん、お父さんは私の異変に気がついていないわ。だってペンダントの中に入っていた悪魔自体が私に乗り移ってしまったのだから。ペンダント自体は変わらずにそこにあるの」

 錬太郎は真剣になっていた。

 そしてこういった。

「穏やかじゃないですね」

平静を保った声だった。錬太郎は取り乱さずに、次の一手を考えていた。たとえば、何か池淵頼子がおかしな行動をとらないように見張らなくてはならないだとか。今この瞬間に何か行動を起こすのではないかだとかである。放っておくなどというように錬太郎は考えなかったのだ。むしろ即刻拘束して、カウンセリングにでも連れて行かなくてはならないと計画を立てていた。そのため、次につなげるため、行動が冷静だったのだ。

 池淵頼子が続けた。池淵頼子の顔はあきらめに染まっていた。

「信じてもらえないわよね、しょうがないわ。

 私の胸に悪魔が住み着いて、私を怪物に変えようとしているなんて。

 病院にもいってみてもらったけど、ただ、皮膚の色が変わっているだけってそれだけだった。でも、私にはわかる。この胸の悪魔は、私をとんでもない怪物に変えようとしているって。そして私だけじゃなくもっとたくさんのものを食べてしまおうとしているって」

 錬太郎の目が鋭くなった。いよいよ池淵頼子というのが危なく見えてきたからである。話の内容が夢を見ているような話であるから危なく見えているのではない。受験生の池淵頼子が夢のような話をしていることというのが、危なく見えていたのである。

 池淵頼子というのがずいぶん追い詰められてしまって、そして精神を揺さぶられているのではないかというように錬太郎には見えているのである。そのためこの告白を受けたとき錬太郎は何か行動をおこさなくてはならないと、決心するようになったのである。この決心が目元の鋭さになった。

 決心した錬太郎の携帯電話が鳴った。携帯電話の着信音から姉、晶子からの電話であると察した。

 錬太郎の電話が鳴ったとき、池淵頼子は夕焼けに染まった町を見つめていた。非常に落ち着いていた。彼女が冷静なのは、自分の終わりというのを確信しているからである。これから自分というのが怪物に変わりると彼女は信じている。そのため最後に見ておきたい光景というのを目に焼き付けていた。

 電話を手に持っている錬太郎に、池淵頼子がこういった。

「いいよ、出てあげて」

 池淵頼子の許可を得た錬太郎は携帯電話を取った。

 携帯電話の向こうから姉の声が聞こえる。

「ありがとう。私のお願いを聞いてくれたみたいね。万年ちゃんと、姫百合ちゃんからメールが来ていたわ。

それで、今どこにいるの? そろそろ着くかしら?」

 錬太郎はこういった。

「展望台だよ。先輩が夕焼けを見たいって」

できるだけ、冷静を装っていた。

 姉がこういった。

「あぁ、そう。それじゃあ、三十分くらい後でよいのかしらね。ありがとう。しっかりつれてきてね。夏休みには、いいところに連れて行ってあげるわ、まぁ、桃花先輩付きだけど」

 錬太郎はこう答えた。

「あぁ、楽しみにしておくよ。

 先輩は、きっと連れて行く」

 電話が切れた。錬太郎の姉、晶子の用事が済んだからである。錬太郎が自分の後輩を連れてきてくれるというのがほとんど間違いないことがわかったことで、いろいろと準備を進めなくてはならなくなったのである。たとえば、料理だとか、自分の後輩が泊まっていくかもしれないので、その用意をするとかである。そのため、錬太郎に確認ができたところで、さっさと動き出したのだ。

 電話が切れたとき、池淵頼子がこういった。

「晶子さんには申し訳ないけれど、私は行くつもりはないわ。だって、無駄だから。どうしようもないもの。

 ここでさよならよ。私はね、最後にやりたいことをしたかっただけ。それだけなんだから」

 投げやりなことを言い出した池淵頼子に錬太郎はこう返した。

「無理やりにでも連れて行きますよ。先輩は疲れているだけです。何か決心したようですけどね、馬鹿なまねをしようとしているのならば、あきらめてくださいよ」

まったく嘘偽りのない言葉だった。錬太郎の言葉にはとんでもない迫力があった。池淵頼子というのがどう見てもやけになっているように見えたのである。錬太郎は池淵頼子を死なせるつもりなどまったくなかった。錬太郎が迫力をこめて自分の気持ちを言葉にしたのは、自殺をしようとしているのならば、あきらめろと遠回りに伝えるためである。



 錬太郎が無理にでも連れて行くといった後、池淵頼子が苦しみだした。あっという間に顔色が真っ青から白色に変わり、脂汗が噴出していた。池淵頼子の胸が痛み始めたのである。表面的なところではなく、奥のところが痛み始めたのだ。その痛みというのがものすごくて彼女は息もできないようになってしまった。

 胸を押さえていた池淵頼子が、胸元のボタンをはずした。弱弱しい手つきだった。数秒で胸元があらわになった。彼女は自分の話しを信じてもらいたかったのだ。錬太郎が自分の話しを信じていないというのはすぐに彼女もわかってしまった。しかし彼女は自分がどうしようもなくなっていると思っている。だから自分がどうしようもない状況になるのだというのを理解してもらって、錬太郎に納得してもらおうとしたのである。そしてちょうどよく胸の痛みを感じて、痛みの原因を見せることで、錬太郎を説得しようとしたのである。

 そしてあわてている錬太郎に自分の胸元をさらした。あらわになった胸元を突き出すようにして見せ付けていた。こうすれば、錬太郎に自分の苦しみというのが理解されるだろうという考えであった。羞恥心は消えていなかったが、しょうがないといって抑えていた。

 池淵頼子が言った。

「これが証拠よ。私の胸には悪魔が住み着いている」

得意げであった。納得してもらうためである。これで錬太郎に自分の苦しむ理由というのを理解してもらって、自分のやろうとしていることを納得してもらおうとしていた。

 胸元を見せ付けられた錬太郎は黙ってしまった。池淵頼子の妄言というのが本当だったからだ。錬太郎は見てしまった。池淵頼子の胸に銀色の腫瘍があることを。それは銀色の肉の塊だった。よりこの胸の奥で、もがいているのが見える。しかし不思議なことで、それが池淵頼子の肉体であるということが、確信できた。錬太郎はまさかと思ってしまった。医学に精通しているわけではないけれども、このようなおかしな現象があるわけがないという常識があったのである。それが今、簡単に崩れ落ちた。そして、目の前の確実な証拠から、池淵頼子の話が本当にあったことなのだということになった。となれば、悪魔の話を受け入れなくてはならないということになり。錬太郎の頭が追いつかなくなったのである。

 夕焼けが沈みきった。夜が来る。




 錬太郎は何とか搾り出してこういった。

「それでも、死なせませんよ」

まったく根拠のある言葉ではなかった。しかし錬太郎はこう思ったのだ。

「自分ではまったく手も足も出ない。しかし専門家が見たら太刀打ちできる病魔なのではないか」

 錬太郎はただの高校生だ。医学について知識があるわけではない。もちろん池淵頼子もそうだろう。池淵頼子は病院にかかって、そして異常がないといって診断を受けた。しかしそれも、たまたま見逃されたという可能性もある。だから錬太郎はあきらめなかった。まだ、手が打てると信じた。

 池淵頼子は泣いていた。錬太郎に頭を預けてただ泣いていた。何もかもが終わってしまったのだというような悲痛な泣き声だった。

 錬太郎はこういった。

「先輩の心配なんて、ただの思い込みです。はっきりいってあげますよ。そんなのはありません。ただの思い込みです。ただの皮膚病ですよそんなのは!」

勇気付けたかったのだ。それだけしかない。

 月が輝き始めたとき池淵頼子がこういった。

「終わってしまった」

絶望に満ちた声であった。彼女の目はうつろになっていた。彼女は胸に潜んでいる怪物から、はるか彼方からおぞましい存在が現れることを教えられた。そしてそのおぞましい存在が、今世界を攻撃しようとしていることを悟ったのである。

 泣き続ける池淵頼子を抱きしめていた錬太郎はつぶやいた。

「おかしい」

鳥肌が立っていた。

 錬太郎があたりを見渡した。

「明るい? どうしてこんな?」

周りにあるのは粗末な電灯、遠くには町の光があるだけだ。しかし錬太郎は気がついてしまったのだ。どうして太陽が沈んでいるのにもかかわらず、こんなにも明るいのだと。太陽が沈めば夜が来る。夜になったら真っ暗になる。電気がないところなら、明かりがなければ何も見えなくなるのが当たり前ではないか。今はいったい何が照らしているのかと。

 池淵頼子がこういった。穏やかだった。

「くるわ。悪魔がくる」

池淵頼子は終わりが来ることを完全に受け入れていた。



 

 光が降り注いだ。それはただの光だった。しかし太陽の光でもなければ、電気の光でもなかった。奇妙な、光であった。何か物質のような奇妙な質感があった。

 光は何もかもをなめていった。町を、山を、道を。光が届くところすべてをなめていった。光が届くところとはつまり世界すべてだ。

 光が過ぎ去った後、町には何も残っていなかった。何もなかったのである。町もなければ、道もない。山はかろうじてあったが、禿げ上がっていた。光がすべてを奪い取っていったのだ。

 錬太郎は呆然としていた。今まであったものがまったく何もなくなったのだ。学校も、自分の暮らしてきた街も、山の形さえ変わっている。一秒にも満たない間に、何もかもが消え去るなどということがあってたまるか。

 錬太郎はあわてて、携帯電話を取り出した。消え去ったものの中に、大切なものがいくつもある。建物ではない。町の形でもなければ山の自然でもない。自分の知り合い。友達、そして家族。もしも、光がすべてを奪い取っていたとしたら、自分の大切なものたちはどうなっているのだ。頭に浮かんだ瞬間には動いていた。

 そしてどこかに電話をかけた。何度も何度もかけた電話番号だった。彼の自宅の電話番号、そして、自分の家族の電話番号。友達の、電話番号である。すべてつながらなかった。

 錬太郎は非常にあわてていた。目の前の光景と、携帯電話がまったくつながらない現状から導き出される結論が、受け入れがたいものだったからだ。おそらくこの結論は正しい。だからこそ心が震える。

 錬太郎は携帯電話を地面にたたきつけた。苛立ちのためだ。

 錬太郎は叫んだ。

「つながらねぇ! どういうことだ!」

苛立ちではない、これは叫んでいるだけで、悲鳴なのだ。こうでもしなければ、叫びに変えて悲鳴を前に出さなければ、胸の奥から沸いてきた不安にすべて押しつぶされてしまいそうだった。錬太郎の心は、すべてが失われたかもしれないという不安を受け入れられるほど強くなかった。

 池淵頼子が泣いた。そして謝った。

「ごめんなさい。私が全部悪いの。私が勇気がなかったから、私が死んでいたらこんなことには」

 泣き続ける池淵頼子ではなく錬太郎は上を見ていた。空には月が浮かんでいた。光を打ち込んできただろう存在が、空にいることはわかっている。やったのは池淵頼子ではない。池淵頼子が謝る理由などひとつもないのだ。

 錬太郎は忌々しげに月をにらんだ。錬太郎はただ怒っていた。奪われたものたちのことを思い、その無念に。そして泣かなくともよかった人を泣かせたことに怒っていた。

 月の表面に変化があった。顔が生まれていた。はじめに空から降り注いできた光が奪ったものを栄養にして、形を変えたのだ。

 そして顔の口元に光が集まっていた。空に浮かんでいる月はまだ食べたりないのだ。食べたりないので、光を放ち、口に持っていくつもりである。

 錬太郎は月に向かって叫んだ。

「お前だな! お前のせいで!」

叫ぶことくらいしか錬太郎にはできなかった。しかし叫ばなくてはならないような気がしたのだ。そのくらいしかできないのなら、意味がなくともやらねばならないと、そう思ったのである。

 光が月から降り注いできた。何もかもを腹に入れるためだ。すべてを食べて、満足する。そのためだけに光が放たれた。

 錬太郎は池淵頼子を抱きしめた。光が自分たちをどこに送るのかはわからない。しかしどこに連れて行かれたとしても、何があったとしてもせめてひとりだけでも守りたかったのだ。

 錬太郎の視界がなくなった。月から放たれた光が、錬太郎と池淵頼子を包み込んだのである。光はとてもまぶしく、錬太郎は目を開けられなくなった。そしてあっという間に錬太郎の意識はなくなった。

 


 老人の声が聞こえてきた。

「どうやら、私の研究は完成したらしい。しかしこれは私の願いが永遠にかなわないという証明でもある。

 そういうことなのだろうな。越えるためにはネフィリムの核がその時代になければならない。少なくとも二つ必要なのだ。ならば、私が求めるものは、どうやっても手に入るわけがない。あの時代はとっくに過ぎ去っているのだから。

 まぁ、いいさ。時間の流れはいつだってあるべきところへと向かうのだから。この子達の存在は、おそらくあるべき場所へと向かった結果なのだろう。もう、どうでもいいことだ。

 はっきりとしているのは、私の計画が完全に失敗したということだけなのだから」

 

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