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地球と月の間で 下


 錬太郎は少しも嫌がらなかった。自分の手をしっかりと握っている池淵頼子を見てもまったく嫌がらない。むしろ好きにさせているような感じがあった。池淵頼子の目というのはずいぶんと寂しそうだった。そして絶望というのが目に見えた。池淵頼子の目をはっきりと見て、彼女の絶望というのに錬太郎は気がついてしまったのである。

 池淵頼子が錬太郎の目を見つめてこういった。

「錬太郎君はどうして戦うの? ぜんぜん賢い選択じゃないわ」

 さらにこういった。

「コインで選べるのなら、そっちのがいいのかしら」

池淵頼子はとてもうれしそうに話しかけてきた。錬太郎がまったく自分を振り払わなかったからである。邪険にせず、むしろ受け入れてくれるような優しい眼をしていた。それが池淵頼子には、自分を受け入れているサインに見えた。自分の説得が通じて、聖人ぶった考え方を錬太郎がやめてくれたのだと、信じていた。

 楽しそうな池淵頼子に錬太郎は微笑んだ。



 そしてポケットの中から記念硬貨を錬太郎は取り出して見せた。池淵頼子がコインで決めたいというのならばコインが必要である。だからコインを引っ張り出してきた。しかし錬太郎の心はとっくの昔に決まっていた。

 錬太郎がコインを引っ張り出してきたのを見て池淵頼子が微笑んだ。

 そしてこういった。

「ふふふ、それで決めてもいいかもしれないわね。私たちにとっては意味がないものでしょうけど。それで決めてくれるなら、それでいいわ。

 こうしましょう。コインの表が出たら私のお願いを聞いてくれる。

裏が出たら。ふふふ、裏なんてでないわよね。私たちの力があるのだから」

本当に楽しそうに笑っていた。なぜならば、ネフィリムにとってコインの裏と表を操作するというのは簡単なことだからだ。ほんの少しだけ念じるだけで、自分の願った面を出せるのだ。ネフィリムにとってはコイントスなどというのはまったく意味のない遊びであった。このような遊びをするというのはつまり錬太郎が自分の願いを聞いてくれるということだろうと、池淵頼子は考えていた。何せ、自分を拒まず、ここまで付き合ってくれたのだから。きっと、表が出てくるだろうと考えていた。

 錬太郎はコインをはじいた。コインを親指に乗せて、思い切り打ち出した。コインはとんでもない速度で打ち出されたため、錬太郎から少し離れたところで赤く輝いて、チリになった。錬太郎はまったく道を譲るつもりなどなかった。そしてコインに自分の理由を任せるつもりもなかったのである。これは、錬太郎から、池淵頼子への決別の証である。



 チリになったコインを見て池淵頼子が、呆然とした。まったく何がおきたのかわからないという様子だった。当然である。池淵頼子の頭の中にあったのは錬太郎と幸せな夢を見続ける未来である。しかし今目の前で起きたのは、錬太郎からの決別としか言いようのない行為である。この二つがかみ合わなかったため、池淵頼子の頭は追いつけなくなったのである。

 錬太郎がこういった。

「コインはもう必要ない。俺が守ると決めた。だから、守る。それだけだ」

勇気に満ちた声だった。錬太郎には自分がどこへ行けばいいのかという道と、そしてどうして守りたいのかという理由があった。そしてその理由が、おそらく理解されないだろう理由であるというのもわかっていた。ただ、錬太郎はもう、昔の錬太郎ではなかった。馬鹿げた理由を立てて歩いていけるだけの勇気を手に入れていた。あの怪物たちとの出会い、ネフィリムたちとの戦い、そしてシージオ、ルアウダとの出会い。イオニス少年と出会えたこと。すべてが、錬太郎の勇気に変わっていた。

 錬太郎が、池淵頼子を突き放した。自分の手をしっかりと握っている頼子の手を静かに解いた。これからは、二人の道が交わることはない。同じ存在。同じ場所から来た存在であるが、これからは目的が交じり合うことはない。錬太郎は夢を見るためにここにいるのではないのだ。自分が守ると決めたものを守る。そのために宇宙に来た。そして命を懸けると決めたのだ。戦いが始まる。錬太郎ははっきりと理解していた。

 錬太郎につきはなされた、池淵頼子が首を横に振った。今までの楽しそうな表情はもうない。目の前で起きたことを受け止め切れないという様子であった。震えている。

 そしてこういった。

「嘘。嘘だ。なんで? 私たちは、同じだったじゃない」

本当に信じ切れていない。悪い夢を見ているような、必死さがあった。できるだけはやく目覚めてくれ。そういう願いがこめられていた。

 錬太郎がこういった。

「先輩、どけてください。ダナム博士を始末しに行きます」

冷たい言い方だった。どうやっても道を譲るつもりなどないという決意が誰から見てもわかるほどであった。錬太郎は宣言どおりの考えしか持っていない。池淵頼子が深い絶望にあることにも理解を示してはいたが、その絶望さえ切り捨てていた。当たり前のように素晴らしい夢を見るという誘いも捨てていた。そんなもの、錬太郎にとってはどうでもいいことだった。

 錬太郎がどけといっても池淵頼子はどかなかった。両手を大きき広げて、ここから先には進ませないという気持ちを一生懸命に表現していた。ダナム博士の下にいかせないという気持ちよりも、錬太郎をこの場から放さないという気持ちのほうがずっと強かった。いまやダナム博士のお願いというよりも、錬太郎を引き止めることのほうがずっと大切なことに変わっていた。

 そして錬太郎に、こういった。

「冗談はやめてよ。何で? 何で私をおいていくの?」

 錬太郎はこのように返した。

「俺は少しだけ、運がよかっただけです。俺に勇気をくれる人たちがいたから、ここにいる。

 先輩の選択も理解できます。きっとあの人たちと出会わなければ俺もそうしていたでしょう。ですから、道を明けてください」

 池淵頼子は笑った。それはもう大きく笑っていた。狂っているようだった。錬太郎の勇気に満ちた振る舞いが、その目が、優しい声が、消えうせてしまった人たちに重なったのだ。消えうせてしまったものたちと重なったことで、どうしようもない不安感が彼女を襲った。そして絶望が交じり合って、彼女を狂気に駆り立てていった。

 池淵頼子はこういった。

「絶対にいや! あなたも私を置いていくなんて! おいていかないで!」

 完全なもう一人のネフィリム、池淵頼子が錬太郎に襲いかかった。池淵頼子の光のコートが激しく揺らめいた。今までにないほどの力の波動が放たれた。世界を満たしている魂というめにみえないエネルギーの奔流が、魂の化身として生まれたネフィリムの怒りに応じて、震えていた。いまや、完全なるネフィリムである池淵頼子の願いはただひとつ。目の前の同族を自分の内側に取り込み永遠に離れないようにすることだけである。




 狂気に駆り立てられた池淵頼子が宇宙空間に漂う大量のごみを錬太郎に向けて投げつけてきていた。宇宙空間に浮かんでいるたくさんの小さなゴミ、ちいさな岩。数え切れないほどのいろいろな物体が、動きを止めた。そして池淵よりこの絶叫にあわせて、錬太郎めがけて放たれた。三百六十度、少なくとも宇宙空間にある、手ごろな物体というのは錬太郎めがけて放たれていた。数え切れない攻撃は止められるような物ではなかった。池淵頼子はまず、錬太郎の力を弱めておいて、錬太郎を食らうつもりなのだ。硬い物体ならば、念力での操作というのが難しいというのを、超能力のエキスパート、ダナム博士から教えられていた。

 全力で攻撃を仕掛けてくる池淵頼子とは反対に錬太郎は気を遣って戦っていた。いたるところから自分を狙ってくる隕石をできる限りある方向に飛んでいかないように、力を操作していた。その表情に余裕はなかった。というのが錬太郎は月に向かう宇宙船たちを守らなくてはならなかった。池淵頼子の攻撃は、圧倒的な手数ととんでもない勢いで放たれる隕石での攻撃である。それこそあっという間に、錬太郎がいなければ宇宙船たちはごみくずに変わってしまうだろう。錬太郎はそれを防ぎたかった。

 必死で隕石を防いでいる錬太郎に、池淵頼子が叫んだ。

「絶対に博士のところにはいかせない! あなたは私と一緒にいるの!」

すでに夢を見るなどという目的はすっかり消えていた。今の池淵頼子にあるのは錬太郎を永遠に自分から離れられないようにするという目的だけである。あらゆるものから解き放たれて、一人ぼっちになってしまった寂しさに池淵頼子は耐え切れなかったのだ。

 叫びと同時に、これでもかというほどの隕石が集まってきた。彼女は錬太郎が何を守ろうとしているのかというのをすぐに見破った。まずはできるだけ錬太郎を消耗させるのだ。その考えの下、足を引っ張っているものたちに攻撃を仕掛けることで、錬太郎に更なる、消耗を促そうとしていた。

 池淵頼子が指をさすと、月に向かう宇宙船たちに向けて殺到した。錬太郎は間違いなく宇宙船たちを守りにいくという考えがあるからだ。数えるのもうんざりするほどの大量の隕石が、必殺のエネルギーをこめられたままで突撃をする。これをとめるために錬太郎がエネルギーを使うのだから、それが目的である。

 錬太郎は強く手を振った。必死だった。まったく余裕などなかった。残り少ないエネルギーがほとんど失われていった。しかし守らないわけにはいかなかった。守らなければならないものが宇宙船の中にはたくさんあるのだから。

 すると宇宙船に殺到していた隕石がぴたりと止まった。数え切れないほどの隕石であっても、止められるだけの力が錬太郎にはあったのだ。ネフィリムたちのとの戦いで磨かれた技がここで役立っていた。



 

 錬太郎が数え切れない隕石を防ぎほっとしたとき池淵頼子が錬太郎の懐に入ってきていた。錬太郎のまつげまではっきりと見える距離だった。池淵頼子は楽しそうに笑っていた。自分の願いが、かなう。少なくとも寂しくなくなる。そうして危険を冒して近づいてきたのは二人がひとつになるためには必要だったからだ。

 錬太郎が対応するまもなく、池淵頼子は錬太郎に抱きついてきた。強い力だった。錬太郎のわきの下に手を入れて、背中まで手を回していた。しかし錬太郎がずいぶんと体が大きいので、完全に抱きしめることはできていなかった。池淵頼子が抱きついてきたのは、こうすることでやっと手が届くようになるからである。錬太郎を永遠に離れられない状態にするためには、これが必要だった。

 抱きつかれたとき、錬太郎は顔を青くした。完全に血の気が引いていた。錬太郎は自分がここで終わるというのを確信したのである。ほとんどエネルギーもなくなり、また、油断していたのか簡単に懐に入られるような、失態を見せてしまっている。どう考えても、この距離ならば対応することができない。何せ自分よりも池淵頼子の方がエネルギーを多く持っているのだ。

 錬太郎を抱きしめると、すぐに池淵頼子の光のコートが大きな口の形をとっていた。錬太郎のコートが造るような大きな口と同じだった。人間一人が簡単に包まれてしまうほど大きな口である。池淵頼子は錬太郎を自分の内側におさめることで寂しさを忘れようとしていた。

 池淵頼子が笑った。あきらめているようだった。笑うしかないから、笑っているようである。

 錬太郎に、池淵頼子がささやいた。

「ひとつになりましょう」

 あっという間に錬太郎の肉体が、大きな口に包まれた。錬太郎は対抗しようと試みたができなかったのである。先ほどの大量の隕石をとめたことで錬太郎のエネルギーは失われてしまっていたのである。錬太郎は抵抗もろくにできないままで、肉体を失った。




 錬太郎は、肉体を失った。まったく何もなくなっていた。失うきっかけになったのは池淵頼子が錬太郎の肉体を取り込んでしまったからである。かつてネフィリムたちとであって彼らの肉体を自分のものとしてきた錬太郎と同じように。

 しかしまだ錬太郎は見ることができていた。肉体があったとき同じであった。不思議なことで考えることもできていた。

 錬太郎の前には白く燃え立つ世界が広がっていた。火の中にいるようだった。地面も空も真っ白な炎で出来上がっている。

 何が起きているのかわからない錬太郎の耳が誰かの声を捕らえた。耳の機能も残っているようで、いつもどおりに聞こえていた。錬太郎の耳に届いた声というのは、ずいぶん遠いところにあるようだった。何か独り言を言っているらしいことがわかった。

 声のするほうに錬太郎は歩いていった。はじめは恐る恐るという感じだった。しかし普通に歩けるとわかったときには、まったく恐れるところがなくなっていた。声のするほうに歩いていったのは、何をしていいのかがさっぱりわからなかったからである。とりあえず声がしているのだから、そちらに向かっていけばいいだろう。それだけしかなった。何かうまい方法というのを見つけて、脱出するとか、自分の身に何が起きているのかなどとはまったく考えていなかった。

 声のするほうに向かって歩いていくと池淵頼子が立っていた。まっすぐに立ってはいたが、少し強く押すと倒れてしまいそうな、弱弱しい感じがあった。錬太郎が相手をしていた池淵頼子とまったく同じであった。しかし、肉体というのがなかった。幽霊のようにあいまいな存在に見えた。

 幽霊のような池淵頼子は泣いているようだった。両手を目のところに当てて、大きな声を上げて泣いていた。ずいぶん悲しいことがあったとわかるような泣き方だった。小さな子供が泣くような泣き方にも似ていた。

 泣いている池淵頼子の近くにを壊れた写真立てが転がっていた。カバーガラスが割れてひび割れていた。フレームも少しひび割れていて、直すためにかかる時間とお金というのは新品を買いなおすよりもかかるだろう。

 幽霊のような池淵頼子に錬太郎は声をかけた。

「どうしたんです?」

恐る恐るという感じであった。悪意というのはなった。先ほど命を奪われるようなまねをされた相手であったが、泣いているのならばやはり気になってしまう。それにわからないことが山ほどあるのだ。ここで話を聞くことができれば、解決する問題もあるだろうという期待も少しあった。

 池淵頼子が答えた。

「私のせいで、何もかもだめにしてしまった。錬太郎君にもひどいことをしてしまった。あんなことをしたらだめだってわかっていたのに、きっと嫌われた。でも勇気がなくて、できなかった。先に進めなくて。博士の言うことにしたがってばかりで。

 私なんて、うまれてこなければよかった」

後悔にまみれていた。きいているほうが悲しくなるような声だった。

 池淵頼子の反省する声を聞いて少し考えてから、錬太郎は頼子にこういった。

「俺は、先輩のことを恨んだりしてませんよ。あれは先輩が全部悪いわけじゃない。まぁ、少しはむかついたかもしれないかもですけど、許します。

 今回のことだって、立場が違っていれば結果は違っていたかもしれない。俺だって、たまたまですよ。たまたまイオニス君とであって、いろいろな人とかかわって、やっと決心がついたんです。ですから、先輩を責めようとは思いません。それに嫌いにもなれません」

 幽霊のような池淵頼子が首を横に振った。

「錬太郎君は強いからそういえるんだよ。私はいつも人に任せていた。自分で選ぶのが怖くて、人に背中を押してもらいたいとずっと思っていた。

 君は違う。君はいつだって自分で選ぼうとしていた。きっかけがなかっただけ。逃げようとしていた私とはぜんぜん違うよ。

 やさしくしてくれているけれど、きっと私のことを恨んでる。殺したいと思っている。私はそんなの、耐えられない」

 幽霊のような池淵頼子に錬太郎がこういった。

「あなたを嫌っていないことを証明をして見せましょう」

力強い声だった。目を隠して泣いている池淵頼子にはっきりと伝えていた。

 池淵頼子が首を横に振った。

「どうやって、あなたはもう死んでしまったのに」

 錬太郎が笑って答えた。

「肉体を失うのはこれが二回目ですからね、なんとなくやり方はわかっています」

錬太郎は自分の本体というのが肉体ではなくこの意識、この魂にあるという確信にいたっていた目の前で泣いている池淵頼子の幻影がそれを強めてくれた。。そしてまだ考えられるというのならば、できるはずだという予想を立てることができていた。つまり、肉体の再構成。池淵頼子に一度滅ぼされた肉体を回復して見せた奇跡、そして天をつく巨人オウル・コンシリアートルとの戦いで身につけた技術。錬太郎はその奇跡を再現できる気がしていた。




 宇宙空間で池淵頼子は月を眺めていた。ひざを抱えて、小さくなっている。

 そして独り言を言った。

「なんてことをしてしまったの。何で私はこんな馬鹿なことしかできないの。あの時、何もいわずに死んでいられたらよかった。

 でもきっと無理ね。自分で死ぬべきなのか助けてほしいのかも決められなかったから、今もこんなところで愚図っている。

 そして今回も、助けてほしかったのか、殺してほしかったのかもあいまいなままこんなことをして、また台無しにした。一人きりで消えていくのが私にはふさわしいわ」

 やけになっていた池淵頼子は異変を察した。体の内側から、何か強い力が湧き出してくるのを感じたのである。

 池淵頼子は自分の光のコートが操れなくなっているのに気がついた。

 光のコートが人の形を取り始めた。

 池淵頼子は人の形を見てこういった。

「錬太郎君?」

はじめは何が起きたのかわからないという様子だったが、錬太郎の形がはっきりとし始めたとき、彼女は完全に喜んでいた。

 人の形は、完全な錬太郎の形をとった。しかし錬太郎には肉体がなかった。完全に光のみで構成されていた。錬太郎の肉体を作るために必要な核というのが完全に失われてしまっているからである。錬太郎が光で肉体を作っていられるのは、池淵頼子の肉体を依り代にしているからである。

 光の形として復活を果たした錬太郎を前にして池淵頼子がつぶやいた。

「きれい。きれいな夕焼けの色。最後に見たあのときの」

 池淵頼子が錬太郎に抱きついた。狂気というのはもうない。彼女にあるのは錬太郎が復活を果たしてくれたという事実がうれしいという気持ちだけである。錬太郎が怒り狂っているとか、命を奪おうとしているかもしれないという考えはまったくなかった。むしろ、命を奪ってくれるのならば、喜んでささげようという気持ちさえある。

 抱きついてきた池淵頼子を錬太郎は抱きしめ返した。やさしい手つきだった。錬太郎は池淵頼子を憎んでいないのだ。錬太郎は自分が見てきた池淵頼子の幻影が、彼女の偽りのない気持ちであると信じていた。そして、自分自身が彼女の立場にいたかもしれないということもまた、理解していた。だから錬太郎は、彼女を抱きしめ返したのである。自分には憎しみなどないと証明するためである。

 数秒間そのままの抱きしめあったところで錬太郎は一言謝った。

「先輩、すみません。力を貸してください」

本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。錬太郎は池淵頼子の絶望というのに気がついていた。寂しくてしょうがないということも、勇気がなくて道を選べなかったというのもわかっていた。しかし、錬太郎にはまだやらなくてはならないことがあった。ダナム博士の討伐。そしてそのために必要なエネルギーの不足である。彼は自分の同類を食らうことでその力を補うことと決めたのである。だから謝った。

 錬太郎に池淵頼子が答えた。ずいぶん喜んでいた。

「いいよ。全部あげる。がんばってね錬太郎君」

 池淵頼子の肉体が掻き消えた。あっという間であった。ほかのネフィリムたちを食らったように池淵頼子の肉体を錬太郎が食らったのだ。

 自分の同類を食らった錬太郎は月をにらんだ。憎しみというのはない。ただ、やるべきことをやるという涼しげな眼をしていた。

 そしてこういった。静かな調子だった。

「ダナム博士、あなたの計画は絶対につぶす」


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