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地球と月の間で 上

 浮き上がった船はあっという間に重力を振り切った。エンジンが動き出した振動で、船の中が少しゆれ、景色が変わった。船が空に上るために使う上り坂を一気に駆け上がり、加速する。そうして、一秒もかからない間に、空の雲を下に見た。三大の天才が作り出した、画期的なリンクシステムの産物として生まれた技術の恩恵である。それまでの飛行技術では宇宙の上るためには、大量のエネルギーを使い、使い捨ての部品を山ほど使ってやっと重力を振り切っていた。しかし技術革新が、この二十年の間に次々と起こり、二世代前が石器時代であったかのように感じられるようなステージに乗ることができたのである。

 上り坂を駆け抜けた船はそのままの勢いで、星の周りを回る衛星月に向かって移動を始めた。ずいぶんと静かな動きだった。まったく火を使っていない。しかしとんでもなくすばやかった。宇宙空間には目印になるようなものがないので、景色が変わっているのかどうかというのがわかりにくい。しかし、ほとんど光に近い速度を出すことができていた。この宇宙航空技術もまたリンクシステムの産物で生まれてきた。技術自体が全時代の技術よりもはるかに高い領域にあり、技術を磨き上げた技術者たちの仕事ぶりが半端なものではないということの証明であるが、その力を支えているのもまた、リンクシステムでの人類全体の底上げというのが大きく影響を与えていた。この技術がなければ人間は地球から出て行くことはできなかっただろう。

 月に向かう船の中は、異様な緊張感に包まれていた。誰もが黙って口を利かない。聞こえてくるのは呼吸の音。そして、装備を確かめる音と、金属がすれている音。誰もが、命がけの戦いにあることを確信しているのである。しかし誰もが命を捨てるという覚悟もしていた。死ななくてはならないかもしれないという恐ろしさと、自分がここで踏ん張らなければ、まったく世界というのがだめになるだろうという間違いない未来をどうにか阻止したい。その二つが、絡み合って、誰もが恐れを勇気で押さえ込んでいた。その熱気は言葉にせずとも伝わり、空気が異様な熱を帯びるのだ。死に向かっているというのに、命を願う冷たい熱気であった。

 その中にいて錬太郎は目を閉じているだけであった。誰もが緊張して、たまらないというところである。錬太郎は、目を閉じて、眠っているような状態であった。錬太郎は一人だけ、ルアウダに与えられた服を着て、イオニス少年に預けられたサイズの合わないベルトを大事に身に着けていた。錬太郎が目を瞑っているのは、肉体的な余裕がなくなっているからである。すでに錬太郎の肉体に残っている力というのは、歩くほどのものしか残っていない。戦いのためである。消耗につぐ消耗が、いよいよ限界に達していた。しかし不思議なことで、錬太郎の魂には力が満ちていて、むしろ燃え上がっているようであった。燃え尽きる前に大きく燃え上がるろうそくの火のように。ただ、その勢いを自分自身に感じている錬太郎は、今の自分ならばどれほどの困難が訪れようとも、乗り越えられると安心感にかんじていた。そうして、錬太郎は静かに決戦のときを待っていた。

 錬太郎の隣に座っているシージオは緊張気味に自分の装備を確認していた。ずいぶん毛深くなった両手を一生懸命に動かして、おかしなところがないかと確かめていた。しかしマシンガンだとかライフルの装備ではないのだ。これはいざというときにはあらゆる物を引き連れて地獄へ向かうための装備である。シージオにとって恐れるのは何もかもが失われてしまうということ。ここまでのどうしようもない道のりを錬太郎に課してしまったこと、そしてやはりそれでも守りたいものがあるということの責任感から、彼が一番難しい仕事をなさなくてはならなくなっていた。その難しい仕事をやり遂げるため、万全を期するようにしていたのである。

 船が飛び出してから十分ほどたってのこと、警告音が鳴った。船の中に真っ赤なライトがともった。耳障りな警告音が三度なった。船のレーダーに未確認の飛行物体を捕らえたのである。そして高性能なカメラで確認してみると、それが人間の形をした何者かであることがわかった。これから戦いが始まる可能性が非常に高い。乗組員たちにそのことを教えるため、シズテムが決まったとおりの流れをとおり、やるべき事を行ったのだ。

 そしてアナウンスが流れる。アナウンスがこういった。

「レーダーに反応あり。確認したところ、ネフィリムと判断する」

恐れおののいているようだった。恐れているのはしょうがないことである。何せほんの少し前に一キロメートルを超える大きな怪物を乗組員は見ていた。そしてその怪物を退治するネフィリム、錬太郎の姿を見ていた。乗組員たちは自分たちの技術、持ち込んでいる装備で、ネフィリムを退けることはできないと直感で理解していた。たくさん飛び立った船の中で、ひとつでも残れば、いいとさえ言う武力であったのだ。それが今、たくさんの船の前をふさぐように現れた。もしかしたら月に到着できずに地球と月の間で終わるかもしれない。それが恐ろしかった。

 アナウンスが終わるとシージオが目を瞑った。ライオンヘッドがしなびているように見えた。シージオは祈っていたのだ。誰にもわからないように、自分だけがわかるように祈っていた。シージオはアナウンスを聞いたとき錬太郎の命を使うことをすぐさま決定していた。ネフィリムにはシージオたちは太刀打ちができない。錬太郎はそのためにつれてきた人材なのだから、使わないのはおかしかった。しかし、やると決めた道でも失われていくものがあるのはつらかった。

 そしてため息を吐いた。小さくはいた。誰にも気が疲れないように小さく。憂鬱な気持ちになる。命がけの戦いなのだから、誰もが命を張って当然。そんな風にはシージオには思えないのだ。そしていつになっても後悔し続ける。こんなこと、こらなければよかったのにと、運命に文句を言いたい気持ちでいっぱいだった。

 しかしアナウンスが終わって五秒もない間に、シージオが管制室に連絡を取った。

「そのネフィリムの姿を教えてくれ」

 アナウンスが答える。

「少女です。光のコートを身に着けています。宇宙空間で、私たちと、そして友軍たちを待ち構えています。後五分ほどで、すれ違うことになるでしょう。」

 シージオが錬太郎のほうを見た。その目はまだ後悔と、悲しさがにじんでいた。しかし決心の色もまた強かった。シージオはやると決めたのだ。錬太郎の命を懸けても自分の命を懸けても、なんとしてでも人類を救う。そう決めた。だから、錬太郎に最後のお願いをするつもりである。お前の命を懸けて、人類を守ってくれと。

 シージオと管制室との会話が終わると、錬太郎は、目を開けた。目はゆったりと開かれていた。また、その口元は少し緩んでいた。微笑みに近い形になっている。錬太郎は宇宙空間で待ち構えているものが誰なのかというのがわかったのだ。間違いない。池淵頼子だ。そう思った彼はやっと自分の役目がきたと少しわくわくしていた。命を懸けた戦いなのだから、恐れるべきかも知れない。かも知れないが、悲壮感というのがなかった。やっときた。やっとそのときがきたのだという、気持ちしか錬太郎にはなかったのである。

 シージオは錬太郎の目を見た。シージオはずいぶんと驚いているようであった。たてがみがゆらゆらと揺れた。たてがみが揺れて銀の砂の粒が振り落とされてきらきらと輝いた。錬太郎があまりにも楽しそうだったからだ。錬太郎のほほには赤みが差して、これから楽しいことが待っているというようにしか見えなかった。シージオにはわからなった。何せ、錬太郎はこれから命をかける戦いをすることになるのだから。おそらくそこで死ぬことになるだろうというのもわかっているはずなのに、それなのに笑っている。それが、どうにもわからなかった。

 錬太郎の目の奥が、輝いていた。彼の光のコートと同じ色、夕焼けの色だった。錬太郎の魂というのが高まっていた。肉体こそ滅びつつあった。しかし、魂は誰よりも高ぶっていた。

 シージオに声をかけられるまでもなく、驚いているシージオを尻目に錬太郎が立ち上がった。ずいぶんと元気そうに見えた。ずっと辛そうにしていたのが嘘のようだった。肉体が回復したからではない。魂が、錬太郎の心が肉体の限界を超えたのだ。そして限界を超えた心と魂が、かつてあった錬太郎と同じような活力を肉体に与えていた。

 錬太郎が立ち上がると、銀色の砂粒が舞い上がった。さらさらと銀の砂の粒が巻き上がった。彼があまりにも、強く立ち上がったからだ。思い切った動きをしたものだから、体についていたほこりと同じように落ちてしまった。

 しかしまったく気にせずに、錬太郎は宇宙船の出入り口へと向かっていく。足取りはずいぶん軽かった。楽しいことがこれから待っているのだというような軽やかささえあった。錬太郎は自分の役目を果たせることに、喜んでいるのだ。不思議なことで、自分のすべてが失われるかもしれないという恐怖よりも、その先にあるもの、守れるかもしれないものたちを思うことが活力に、勇気につながっていた。

 錬太郎が通路を歩いていると、乗組員がどこから出て行けばいいかを教えてくれている。装備を整えているいかつい男たち、緊張感に震えているものたち、彼らが錬太郎に道を示してくれていた。手を振って、行く道は向こうだと教えてくれる。また、通路を歩く錬太郎に手が届くものは、手を上げて送り出してくれた。錬太郎はそれに応じて、軽く手を合わせていった。ハイタッチだ。乗組員たちは錬太郎がネフィリムであることも知っていた。そしてもしも敵対しているネフィリムが出てきたときに排除する役目についているということも知っていた。乗組員たちからの案内と送り出しは仲間に向けての激励である。

 錬太郎が通路を進んでいっているとき、シージオが錬太郎に声をかけた。

「錬太郎!」

よく通る声だった。

 呼び止められた錬太郎が足を止めた。あと少しで宇宙空間への出入り口というところだった。シージオを無視しなかったのは、ずいぶん必死そうに聞こえたからである。自分に何かを伝えたいのならば、聞いておこうという気持ちが錬太郎にはあった。錬太郎はおそらく二度とシージオとは出会えなくなるのがわかっていた。だから、最後のこのときに、聞いておきたいと思ったのだ。何もかもが失われて、消えていくというのが本当なのかもしれないけれども、それでもきいておきたかった。

 シージオがこういった。苦いものをかんでいるように見える。

「任せた。私も後からゆく」

 背中に投げつけられた言葉を受けても錬太郎は、振り向かなかった。錬太郎の目には涙がにじんでいた。錬太郎はシージオの覚悟を感じ取ったのだ。そしてどうしてルアウダが自分を見て泣いていたのかがよくわかった。

 振り返らないままで、錬太郎は、軽く手あげて振ってみせた。これを別れの挨拶とした。



 錬太郎が宇宙空間へとむかう出入り口にたどり着くと、乗組員が錬太郎を手で呼んだ。さっさとこっちにきてくれという様子だった。乗組員は宇宙空間に錬太郎が飛び出すということで、通常の手順を踏む必要があった。宇宙空間に飛び出すということは、周りにある空気も宇宙空間に飛び出していくということになる。錬太郎は問題ないかもしれないが、周りにいるものたちは適切な手順を踏まなくてはならない。そうしなければ、宇宙空間に放り出されて、死ぬことになる。乗組員が錬太郎を呼ぶのは、その手順を踏むためである。

 乗組員の意図を読み取った錬太郎は呼ばれたところへ歩いていった。少し急いでいるようだった。錬太郎は宇宙空間に対する知識がほんの少しだけあった。そのため、特殊な手順を踏まなければ、外に出る入り口が開かないということもうすうす察することができたのである。で、そのあたりの細かい手順というのは、わからないので、できるだけ専門家に任せようということで従ったのである。

 宇宙空間に通じる壁が錬太郎の前にあった。鋼鉄の壁はまったく隙間なくしまっていた。この扉をいくつか超えたところに、真っ暗な宇宙空間がある。鋼鉄の壁がいくつも重なって命を守っているのだ。

 鉄の壁の向こう側の暗黒をイメージした錬太郎は深呼吸をした。ほんの少しだけ心臓が冷たくなっていた。まったく何もないところに独りきりになって向かう。それが恐ろしかったのである。怪物になってしまった人たちを、何人も葬ってきた錬太郎であったが、これほど恐ろしいと思うことはなかった。武者震いではない振るえというのをおこすのはおそらく目覚めてからは初めてである。

 深呼吸を一度してから光のコートを身にまとった。自然な動作だった。錬太郎の体自体が光に変わり、光のコートを生み出した。そうして、肉体が元の状態に戻り、生まれた光のコートが肉体を包み込んだ。これから錬太郎は生身では生きていられない空間に旅立つのである。しかしネフィリムの力そのものを使いこなせている今ならば、話は変わる。錬太郎は宇宙服を着るようなことはなかった。宇宙空間に待ち構えている池淵頼子と同じように、ネフィリムの力を使って、対応するためである。

 錬太郎が戦闘態勢に入った後、乗組員がこういった。

「頼りにしてるぜ、よろしくな」

ずいぶん気軽な調子が合った。しかし友情のような感情が深く含まれていた。乗組員と錬太郎は初対面の関係である。つい先ほどであって、ほんの少しだけすれ違うだけの関係である。しかし二人とも同じ目的のために空に上った。そして二人とも一生懸命に自分の役割を果たそうとしている。同じ目的のために生きている。それならば、十分すぎるほどの友情が生まれてくる。ここにいるのだから、どちらも嘘はないだろうから。

 数え切れなくなってきた激励のひとつを受けて錬太郎は笑って見せた。まったく暗いところがなかった。自分にまかせておけば、まったく問題ないといった頼れる笑顔だった。錬太郎の状況はよくない。終わりも近い。しかし、強がる理由があるのだ。また、強がっているけれども強がりを超えるくらいには、自分の力に自信があるのだ。自分ならば、この難しい仕事でもやり遂げられるだろうという自身である。

 準備が整うと、乗組員が離れた。ずいぶんすばやい仕事ぶりであった。錬太郎が決められた場所に立つと後はあっという間だった。数人の乗組員が掛け声とともに準備をやってしまったんである。錬太郎に声をかけてきた乗組員が離れて言ったのは、これから宇宙への扉が開いていくからである。扉が開けば、空気が抜けていく。そうなれば、普通の乗組員たちは命がなくなる。それを避けるため、さっさと安全な場所に避難した。

 空気が抜け始めた。徐々に鉄の扉が開いていった。鉄の扉の向こうには、もうひとつ扉があり、また、その扉のもうひとつ向こうにも扉があった。一番奥の扉が開いたとき、錬太郎が建っている場所の空気というのは完全になくなっていた。そして重力もまた失われていた。宇宙への扉が完全に開かれたのである。真っ暗闇が、錬太郎を待ち構えていた。

 扉が開かれるとすぐに、錬太郎は飛び出した。ネフィリムの力を自在に操れるようになった錬太郎にとって鳥のように飛ぶというのはたやすい技だった。錬太郎の目には強い意志がこもっていた。守るのだ。その気持ちがしっかりと錬太郎にはあった。恐れはない。少しも苦しくなかった。





 宇宙空間に飛び出すとあっという間に宇宙空間を飛んでいった。瞬間移動を繰り返して、宇宙空間でピカピカと輝いている自分と同じ存在に向けて距離をつめていた。宇宙船はとんでもないスピードで飛んでいくため、何十キロという距離もあっという間につめていく。そのため数十秒、数分というところで、池淵頼子にぶつかることになるけれども、錬太郎はそうではなかった。一人で宇宙に出て行くのがいいが、あと数十キロという距離を、自分ひとりでつめなくてはいけなかった。

 そして五秒ほどで、宇宙船の道をふさいでいるもう一人の完成したネフィリムの前に躍り出た。錬太郎の移動速度というのはすばやく、光に近い速度で飛ぶ宇宙船たちを追い抜くことができていた。船よりも先に、もう一人のネフィリムの前に出て行ったのは、注意を引くため。宇宙船たちを守るためである。錬太郎は宇宙船程度の物体ならば、指先ひとつで動きを止めて、その中に潜んでいる戦力を滅ぼすことができることを知っていた。自分ができることであるから、目の前の存在も、できるだろうと予想がついた。

 錬太郎を前にして、完成したネフィリム池淵頼子はこういった。

「久しぶり。錬太郎君」

ずいぶんうれしそうだった。錬太郎を見つけると、自分の体というのを見せ付けるようにくるくる回って見せていた。錬太郎の光のコートと頼子の光のコートはよく似た色だった。池淵頼子が動くと風もないはずなのに炎のように揺らいでいる。池淵頼子は自分と同じ存在と出会えたことがうれしかったのだ。まったく同じ世界に生きているものがいないということは寂しいことだ。彼女も寂しかったのである。文化も、文明も、生きている世界も違う。そんなところに一人きりでいるのは、寂しかったのだ。

 静かにもう一人のネフィリム池淵頼子を錬太郎は見つめた。挨拶を受けたというのに、答えるつもりというのがなさそうだった。ずいぶんと静かな様子である。錬太郎は頼子と話をするようなことはないと思っているのだ。何せ錬太郎の目的というのは、人類を滅ぼそうとするダナム博士の計画を叩き潰すことにある。池淵頼子はダナム博士の味方で、錬太郎の邪魔をする存在。確かに、知り合いではある。しかし、そんなことはどうでもいいくらいの目的があった。いまさら挨拶をする必要などどこにもなかったのだ。

 錬太郎が頼子に出会って少ししてから、錬太郎の背後から数え切れない宇宙船たちが月に向かって飛んでいった。勢いというのはまったく削られていなかった。錬太郎がネフィリムを封じ込めている状況を確かめたことで、計画の目的ダナム博士の討伐に向かったのである。宇宙船の群れを統括するものたちは、錬太郎にかけていた。

 宇宙船が二人を追い越そうとしたとき、池淵頼子が手を振った。ハエでも叩き潰すような勢いで思い切り腕を振りぬいた。彼女の手を振るのにあわせて、空間に満ちている見えないエネルギーが振動し始めた。念力が発動し始めたのだ。池淵頼子は宇宙船たちを月に向かわせるつもりなど一つもないのである。宇宙船たちがダナム博士の計画をぶち壊そうとしているのを彼女は知っていた。

 池淵頼子はこういった。

「だめだよ。あなたたちはお呼びじゃない」

冷たい響きがあった。池淵頼子はダナム博士のお願いに答えるために、一生懸命になっていた。人を殺してしまうということが悪いことだとは思っている。思っているが、それだけだった。自分の意思よりも、ダナム博士の決定を優先していた。そういう風に動くのが楽だったから。




 宇宙空間が振動し始めてすぐ、錬太郎が手を振った。手首を軽く払うような動作だった。錬太郎の目には池淵頼子の念力が空間を動かし宇宙船を壊そうと動いているのがよく見えていた。錬太郎にとって、宇宙船に乗っている人たちは自分と目的を同じにする、同士である。自分と同じように、人類の絶滅を防ぐために命をかけている人たちなのだ。当然、錬太郎は守らなくてはならないという気持ちになる。

 自分がネフィリム、池淵頼子を封じ込めるあいだに、月に潜んでいるだろうダナム博士を彼らが打ち滅ぼすのだ。ここで池淵頼子のいいようにやられるなどというのは、役目を捨てるも同じである。錬太郎は、一人も奪われないように動いていた。

 完全なるネフィリムの超能力のやり取りの中を、まったく問題なく月への道を宇宙船は進んでいった。障害物などない。いつもどおりの安全な月への道のりと変わらなかった。錬太郎の念力が、池淵頼子の念力を完全に封殺したのだ。念力が封殺されてしまえば、宇宙船たちに影響が出るわけもない。

 船が完全に二人をおいていった後、池淵頼子が錬太郎をにらんだ。目を細めていた。口元がゆがんでいる。怒っているようだった。錬太郎の行動というのは池淵頼子の大切な仕事を邪魔する行動であった。池淵頼子はとても大切な仕事を錬太郎に邪魔されて、怒ったのである。

 そしてこういった。

「何で邪魔をするの?」

冷静を装ってはいた。しかし声に怒りが含まれていて、信じられないことをしたなという責める気持ちに染まっていた。池淵頼子はわからないのだ。どうしてダナム博士の計画を邪魔するような真似を錬太郎がするのか。人類が滅び去って、怪物になってしまっているのを池淵頼子はしっていた。そしてこれから栄華を極めていた文明が消えて、つらい時代が来るというのがわかっていたのだ。池淵頼子は良かれと思って、計画に乗っているという気になっていた。つらいだろうから、きれいさっぱり殺してやろう。自分が介錯をしてやろう。そう思って動いている。善意を台無しにされたといって、怒っていたのだ。

 自分を責める頼子に錬太郎が答えた。

「ダナム博士の計画を叩き潰すためです。池淵先輩」

目の前で怒りに震えている池淵頼子を少しも気にしていないようだった。かつて、錬太郎たちの生きていた町が無事だったころに戻ったような対応だった。錬太郎は池淵頼子が何を思い、ダナム博士に従っているのかわからない。また、目の前で攻撃を仕掛けたということに対して怒るということもない。それは、錬太郎にとってどうでもいいことになっていたからである。今の錬太郎にあるのは目の前のネフィリムを封殺することと、ダナム博士の計画を止めるということだけ。いちいち心を乱す理由がなかった。

 池淵頼子が笑った。錬太郎を馬鹿にしているようだった。しかし、馬鹿にしているようだったがやはりうれしいという気持ちも含まれていた。池淵頼子のほほには赤みが差している。ダナム博士が孫に接するように話しかけて、気にかけてくれてはいたが彼女は常に一人きりであった。そして寂しいという気持ちだけが増えていた。そんなところで、やっと錬太郎に出会えて、錬太郎がいつもと変わらないように、話しかけてきてくれた。

 池淵頼子は、錬太郎に問答無用で殺されるというようにも思っていたのである。何せ、自分は一度錬太郎の上半身を一度吹っ飛ばしている。殺したのだ。殺されても文句などは言えない。また、好かれているとも思っていなかった。だが、そんな池淵頼子の予想を裏切り、錬太郎はいつもどおりに接してくれた。それがどうにもうれしかった。しかし錬太郎が馬鹿っぽく見えて笑ってしまった。

 そして池淵頼子はこういった。

「馬鹿じゃないの? なんで博士の邪魔をするの?

 ダナム博士がやろうとしていることは、私たちには関係のない話じゃない。私たちの故郷でもなんでもないのに、どうして命をかけるようなまねをするの? わかっているでしょ、力を使うたびに寿命が削れていくのを。

 あっ! わかっちゃった。もしかしてこの世界が私たちの生まれた世界だなんて思ってる? 違うよ? ぜんぜん違う。ここは、私たちの世界じゃないよ。私たちの世界はもうないの。私と錬太郎君だけがたまたまネフィリムに宿った。それだけなんだから!」

ずいぶんな早口だった。そして聞き分けのない子供に言い聞かせるような苛立ちと、迫力があった。池淵頼子は錬太郎が、勘違いをしていると思っているのだ。自分たちの知っている人類というのがまだ生きているとか。これから錬太郎と自分のような存在に未来があるのだとか。また、この世界というのが自分たちの世界で、命をかけるのにふさわしいものがあるとか。そういう何かきらめいたものがあるのだと、錬太郎が信じていると、思い違いをしたのである。それを何とかして、説き伏せてやろうと考えた。間違いを解いてやって、自分と一緒にいるのが正しいと思わせたかった。



 錬太郎は笑った。声には出していない。ただ、口元をゆがめただけである。何かがおかしかったというわけではない。いきなりよくわからないことを池淵頼子が話し始めたので、驚いたのである。よくわからないことを話し始めたので、錬太郎は笑いの形をとるしかなくなったのだ。対応に困ったのである。

 そしてこういった。

「わかってますよ。俺たちの世界はあの時ぶっ壊された。この世界は、俺たちが生きていた世界とは違う。超能力だとか、宇宙船だとか、ありえないくらい高い建物で出来上がった大都市だとか。どれも俺たちの世界にはなかった。そして、怪物になってしまった人たちと、どうしようもなくなっている人類というのもわかります。でも俺はそれでいいと思ってここにいます。わかった上で守りにきました」

 少し間をおいてから、池淵頼子が大きく笑った。おかしくてしょうがないらしい。届かないはずの声が届いているような気持ちさえある。池淵頼子というのは錬太郎の話す話が、おかしくてしょうがないのだ。何せ錬太郎の話す内容というのは、自分の命を人のために使うということ。それもまったく関係のない人間のためにささげるということである。それは、いかにも聖人ぶった行動である。しかし錬太郎はそんな人間ではないと、池淵頼子は知っていた。普通の少年で、自分の後輩でしかない。そんな人間が、どうしてそんな聖人ぶったせりふをはけるのか。それを実際に前にすると滑稽でしょうがなかった。

 そして少し落ち着いてからこういった。

「わかったぁ。わかっちゃった。錬太郎君は自分のことを知らないんだ。知らないからそんなことがいえるんだ。あれでしょう?

 あのお屋敷にいた女か、男の子を守って、それで家族を作って生きていくつもりなんでしょう? あの人、ずいぶんきれいだったものねぇ! ははは! でもそんなの無理だよ。

 だって錬太郎君の体は壊れちゃうもの! 私と同じ! ネフィリムの体はそういうものなんだから。私たちの肉体はただの触媒でしかない、長くは持たないの。

 どうやっても絶対に、幸せにはなれない! たまたまおまけしてもらえているだけの命なんだから! あなたは、私と同じだから!」

激しくまくし立てていた。怒りと絶望、どうにもならない現状について不満をぶちまけているようであった。池淵頼子は少しだけ怒っていた。運命に対してではなく、聖人ぶったセリフをはく錬太郎に。何せ、自分がこんなに寂しい思いをしているというのに、まったく自分の事を見ていない。

 そして何よりも腹が立つのは、錬太郎が聖人ぶっていられる理由に、思い当たるところである。池淵頼子は、錬太郎を心配そうに見つめていた女の姿を覚えていた。あのきれいな女、自分よりもずっと美しく、魅惑的な女が、錬太郎の希望になっていると、当たりをつけていた。自分がこんなにも苦しいのに、錬太郎を持っていかれるなどと考えただけで、心が燃え上がってしょうがなかった。

 絶叫を終えた池淵頼子は静かになった。何事もなかったかのように、普通に振舞っていた。ただ、その目だけが異様な光をたたえている。危険な光だった。殺意の光である。池淵頼子は錬太郎を殺すつもりなのだ。どうにもならない現状とどうしようもない自分の混乱が、殺意になった。そして目の前のただひとつの同類を誰かに奪われるというのを恐れ、死をもって自分のものにしようという発想になった。それが彼女の希望になっていた。

 そして錬太郎をじっと見つめた。その目はやはり、殺意によどんでいた。これさえあれば今の苦しみから逃れることができたから。殺意がいろいろな問題をすべて忘れさせてくれる。彼女にはいろいろと考えなくてはならない問題がある。ダナム博士の問題。どうしようもない自分の命の問題。錬太郎との話し合い。

「人類絶滅などおろかなこと。今からでも錬太郎の話に乗れ」

という冷静な自分自信も池淵頼子にはある。しかし、絶望と混乱と恐怖が、彼女に考えるだけの力をくれない。彼女はもう、やけになっていた。

 殺意にまみれた池淵頼子をまえにしても錬太郎は少しもよどんでいなかった。池淵頼子が普通に暮らして普通に悩んでいた時代とまったく変わらない立ち姿であった。錬太郎は、怖くないのだ。確かにネフィリムというのはとんでもない存在である。何百トンという重たさをおもちゃのように扱える力がある。そして、何十キロという距離をなかったかのように移動することもできる。魂さえ操ることができるんのもわかっている。しかし目の前の存在は怖くなかった。戦ってきたネフィリムたちよりもずっと怖くなかった。

 自然体の錬太郎はこういった。

「わかっていますよ。そのくらい。戦えば戦うほどどんどん消えかけていくのがわかりましたから。それに、怪物になった人たちを殺したとき、自分がどういう死に方をするのかというのも大体予想できました」

錬太郎は、世間話をするような調子で話をしていた。錬太郎は少しだけ気になったのだ。どうしてここまで池淵頼子が怖くないのかと。また、どうしてここまで戦う気持ちがわいてこないのだろうかと。それが不思議で、少しだけ話をしてみようと思うようになったのである。できればさっさと滅ぼしてしまうのが、計画の達成を助けるのだろうが、ダナム博士は自分などいらないでもやってもらいたいという気持ちが少しはあった。で少しだけ自分のために時間を使うことにした。

 錬太郎の答えを聞いた池淵頼子が笑った。馬鹿にしているようだった。錬太郎がこれから死ぬというのがわかっているというのに、戦うなどといっているのだからおかしなことである。そんなことをしても何も手に入れるものなどないのだから。これはおかしい。わかっていてやっているというのならばそれが余計に。

 そして池淵頼子はこういった。

「なら、戦う意味なんてないでしょう。私たちはあと少しで死んでしまう。守るべきものなんて一つもない。手に入る利益もない。なら、赤の他人のために戦う意味なんてない」

 池淵頼子が近づいてきた。ふわふわと風船が飛んでいるような頼りない移動だった。ずいぶんとへたくそな飛行である。

 もう少しで錬太郎に手が触れる距離で、池淵頼子はこういった。

「でもね、博士が約束してくれたの。もしも錬太郎君をここで説得することができたのなら、一緒に夢を見せてあげるって。

幸せな夢を見せるくらい、博士なら簡単にできるの。私ね、ずっと夢を見させてもらっていたのよ。みんなが生きていて、少しも何もおかしなことがなくて、怖くない夢を。

夢の中なら永遠を感じられる。

 だから、錬太郎君も一緒にね?」

すがりつくようなところがあった。演技のようなわざとらしい感じが漂っていた。しかし真実からの願いもこめられていた。池淵頼子は本心から願っているのだ。ダナム博士にお願いをして、錬太郎と自分が永遠の夢を見続けることを。ダナム博士ならば二人の命が完全に切れるまで、二人を眠らせることもできるだろう。そして二人は同じように夢を見るのだ。

 池淵頼子は錬太郎と二人で、夢を見続けることが何よりの幸せにつながると信じていた。なぜならば錬太郎はただ一人の同類で、ただ一人の理解者であるから。自分と同じ世界に生きていて、自分と同じ存在なのだ。この二人が永遠に一緒にいれば、心はいつも穏やかでいられる。たった一人でこの世界に放り出されて、恐ろしい怪物たちしかいなくなった世界で、震えるのはもうたくさんだったのだ。だから、破滅に向かうだろう夢を見るのも、救いにみえた。

 池淵頼子が錬太郎の手を取った。やっと手に入ったというような、達成感が表情に浮かんでいた。


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