ルアウダ・ピクラリヤとイオニス・タイムの餞別 下
宇宙船の港の中に公園があった。とても広かった。子供たちが遊べるような遊具がいくつも用意されている。そして、大人たちが休めるようないいセンスのベンチがいくつもおかれてある。自販機のようなものも遠くに見える。また、植物も植えられていて、目に優しい。世界に誇る宇宙船の港を作るのだといって、気合を切れて作った結果である。有名なデザイナーを呼び、おそらくたくさんの人が使うだろうという算段をつけて、とんでもない予算を放り込んだ。港が作られるという話になったとき、採算が取れるのかといって騒ぎになるほどの予算であった。しかし予算をかけたというだけあって、施設全体のつくりというのは世界中を見ても類を見ないほど素晴らしかった。この港の中にある公園も、そのひとつである。
公園は快適なつくりになっていた。日差しが強いわけでもなくゆるいでもない。ちょうどいいところで調整がついている。また空気がきれいだった。ほこりっぽいところがない。この公園自体が宇宙を旅している人たちを癒すために作られているのだ。もちろん戻ってくる人を待つ人のためにというのもある。何にしてもたくさんの人の気持ちというのをできるだけ穏やかにするために、力が使われているのである。長旅で疲れている人、また、なれない宇宙のたびに出て行く人の心を癒したり、待つ人を助けたりする。そういう目的があったので、誰がここに来ても心休まるというように出来上がっていた。
イオニス少年とルアウダに手を駆りながら錬太郎はベンチに腰を下ろした。駐車場からの距離というのはそれほど遠いものではなかった。錬太郎のゆっくりとした歩みでも十分ほどの距離だった。錬太郎は、そろそろつらくなっていた。錬太郎は自分の肉体というのをうまく使っているつもりだったが、やはり無理があった。少しの距離を歩いただけで、息が切れた。そのため、公園についてベンチを見つけたときにはさっさと座って休む選択をした。周りの見事な風景や技術は見ている余裕がないほどの消耗になっていた。しかし悪くはないという顔をしていた。公園の環境が気持ちよかったのである。
錬太郎が座ると、隣にルアウダが腰を下ろした。音もなく座り、まったく離れるつもりがない様子であった。涙でぬれていた目に力が満ちていた。ルアウダは錬太郎に自分の考えを伝えるつもりなのだ。だからまったく離れようとしない。
二人がじっとベンチに座っているんを少し見つめてから、イオニス少年はリュックサックを下ろした。体力が厳しくなってきたという様子はない。ただリュックサックを背負っているのが邪魔になるから下ろしたのである。錬太郎とルアウダにイオニス少年が聞いた。
「遊んできていい?」
少し声が弾んでいた。目の前に楽しそうなものがいくつもあるのだ。滑り台のような遊具。ブランコ。誰がデザインしたのか沸かない港のマスコットキャラクターだとかがうろついている。こういうものを見るとどうしても心が弾んでしまう。球形のために来たのだけれども遊びたくなるくらいには、面白いところがたくさんあった。
わくわくしているイオニス少年に錬太郎が答えた。
「うん。いいとおもう」
錬太郎は笑っていた。今まで悲しいことばかりが錬太郎たちの周りにはおきていたので、元気なイオニス少年を見ていると、心が安らぐのだ。自分のみにおきている苦労というのが一瞬どうでもよくなるくらいには、心が安らいだ。
錬太郎が答えてからルアウダが答えた。
「怪我だけしないように気をつけなさい」
声が震えていた。怒っているのではない。これから重大な話をしようとしているところで、イオニス少年が、無邪気なことをやったので、心が少しぶれたのだ。笑いそうになったのである。
錬太郎とルアウだが許可を出すとすぐ、イオニス少年は、公園の遊具に走っていった。ルアウダが全力疾走するよりもずっとすばやかった。学校で同年代の子供たちが競えば、五番目くらいには入れそうだった。イオニス少年は、やはり少年である。シージオたちが薄暗いプレッシャーを放っているのがつらかったのだ。言葉にはしていなかったけれど。それがやっと少しはましになって、はしゃいでいいところになった。それでどうにもうれしくて、思い切り走り出したのである。
錬太郎は遊具で遊ぶイオニス少年を眺めていた。優しい目だった。口元が、緩んでいる。時々イオニス少年が錬太郎を振り返って、手を振ってくる。錬太郎はそれに手を振って返して見せていた。不思議なことで、錬太郎の心はずいぶん穏やかだった。
二分ほど沈黙してからルアウダがこういった。
「ねぇ錬太郎。もうこのあたりでやめておかない?」
両手は握りこぶしになっていた。ベンチに座ったまま、体をひねる形で、錬太郎を見ていた。ルアウダは自分の意見を完全に決めたのだ。ルアウダはこれから自分の願いのため錬太郎を作戦から引き摺り下ろすつもりである。これはつまり人類がこれから一大事に向かうというのにもかかわらず、間の前の滅びつつある錬太郎を優先すると言う決断であった。
話を聞いている錬太郎はイオニス少年から視線を切らなかった。ルアウダの話を目を見て聞くよりも、遊具で遊んでいるイオニス少年が怪我をしないかが心配だったのだ。錬太郎はルアウダが何をいっているのかというのがよくわかった。だからこそ、聞く意味がないと判断した。何せ錬太郎の心はもう決まっているのだ。戦い、倒し、奪われないようにする。それだけなのだ。それ以外に錬太郎は道がないと思っている。
そしてこういった。
「やめる? 何をですか?」
取り合うつもりなどない冷たい声だった。この言葉で、さっさと引いてくれないだろうかと、そんな願いがこめられていた。いちいち説得をするなどという気持ちは、錬太郎にはなかった。また言い負かしたところで、どうなる問題でもない。話をさっさと切りふせて、終わらせたかった。
冷たく突き放されたのもめげずにルアウダが錬太郎の手を握った。
「戦いをだよ。もう十分じゃないかっていってるの」
まったくひるんでいる様子がなかった。ルアウダは錬太郎が自分の提案をけるだろうというのがわかっていた。錬太郎はエルヨ・ガリファイア、自分の後輩と同じような印象があったからだ。だから何を言ってもきいてはくれない。だからこそ、先を読んでいた。それでもやめさせようとした。後輩を止められなかったから、今度は錬太郎を止めたいと願っていた。
ゆっくりと錬太郎は首を振った。
「まだ、博士が残ってます。それに俺と同じかもしれない人が、博士のそばにいる」
少しだるそうだった。錬太郎はまだルアウダをまっすぐに見ていない。決まりきったことをいちいち説明しなくてはならないのかというくらいに、だるそうな気持ちがわいていた。
さらに突き放されてもルアウダは錬太郎の手を強く握った。後悔をしたくなかった。目の前で死に向かっている錬太郎を、助けたいという気持ちがあった。
ルアウダがこういった。
「わかってる。でもシージオさんたちだって馬鹿じゃないよ。きっと錬太郎抜きでも博士の計画を叩き潰してくれる。錬太郎も見たでしょう。みんなが一生懸命になって博士の計画を叩き潰そうとしているのを。軍人も警察官も、国家の垣根さえ越えて力が集まっている。きっと、大丈夫なはず」
ずいぶん力がこもった早口であった。ルアウダもわかっているのだ。自分のいっていることが難しいことであると。何せ錬太郎がこれまで相手にしてきたネフィリムたちというのはどう考えても現存戦力で相手ができるものではなかった。また、つい先ほど錬太郎が討ち果たした、天をつく巨人も考えられない怪物だったのだ。それを超える怪物が、空にいるかもしれない。もしもあるかも知れないのならば、シージオたちが錬太郎を逃がすわけがない。そうしなければ、人類が完全に死滅するのだから。だが、もしかしたら錬太郎を使わない道があるかもしれない。シージオが自分たちを見逃して、そして錬太郎が戦わないでいいかも。そんな都合のいい未来を見た。
ルアウダに錬太郎がこういった。
「ダナム博士だけだったなら、大丈夫かもしれません。でも、もしもエルバーハだとか、ネピルだとかエルヨさんみたいな人たちがいたら、どうしようもなくなる。いや、間違いなくどうしようもなくなるでしょう。何せ俺と同じ怪物が向こうにいる。確実に邪魔をする」
苛立ちがあった。ルアウダの計画、というのがまったく成立しないことはずっと昔にわかっていた。自分が逃げ出すなどということをやればどうなるのか、などというのはいわずともわかるだろうというのが、錬太郎の気持ちである。
ルアウダが錬太郎にこういった。
「あんたは怪物じゃない」
鼻声になっていた。少し怒っているようだった。やっと心を決めて提案したことが論破されたからではない。半分以上あきらめている錬太郎を見て、悲しくなったのだ。
錬太郎はこういった。
「怪物ではない?」
錬太郎は驚いていた。怪物ではないといわれたからではない。怪物ではないといったルアウダがどうして怒っているのかが、さっぱりわからなかった。
ルアウダが泣きながらいった。
「あんたは人間だよ。ただの人間だ。そうだよ。人間なんだ。もう、馬鹿な真似はやめて。エルヨみたいに馬鹿な真似をするのはやめて」
錬太郎の手をルアウダは痛いくらいに握り締めていた。
錬太郎は遊具で遊ぶイオニス少年を見た。イオニス少年は楽しそうに遊んでいた。イオニス少年を見たのは、もしもの時を考えたからだ。もしも、戦わず、生きながらえることができるのならば。もしもシージオたちが自分の力を使わずにダナム博士を打ち倒すことができたのならば。その可能性を考えていた。ルアウダの必死さが、考えるだけの余地を与えたのだ。
錬太郎が考えていると、イオニス少年が手を振っていた。ものすごく楽しそうだった。大きく手を振って、自分の存在をアピールしているように見える。イオニス少年は久しぶりに安全な場所で遊べているので楽しいのだ。何せ家を出てきて、研究所で巻き込まれてからはまったく心休まることがなかった。やっと安全なところで、羽を伸ばせる。この気持ちというのはやはり違ったところがあった。
すぐに錬太郎が手を振り替えした。
錬太郎は微笑んでいた。
ほのぼのとしているところでルアウダがこういった。
「私と一緒に逃げればいいよ。イオニス君も連れてさ私の故郷に帰ればいい。父さんも母さんもきっと受け入れてくれる。私もがんばるから。ね?」
錬太郎は少し目を瞑った。静かに目を閉じた。ルアウダの誘いに、心が揺れたのだ。錬太郎にはもう何もない。家族もなければ友達も失い、故郷に帰ることさえできないところにいる。そんな自分が、もしもこれから生きながらえて、作り直すことができるのならばそれはどんなに素晴らしいことだろうか。
「何もかもがなくなったのだから、また作ればいい」
ルアウダの誘いにも一理あった。ルアウダのいうように、自分はもう十分に貢献した。命を削ったのだ。今から好きなように動いて何が悪いのだ。そういう気持ちもある。錬太郎にまったく利益などないのだ。何せ自分のほしかったものは、守りたかったものはもう戻ってこないのだから。これからのことを考えて何が悪いのだと、そう思ってしまう。しかし、心の中にははっきりとした声が聞こえるのだ。錬太郎の偽らない声である。
目を瞑った錬太郎はポケットの中に手を入れた。自然なしぐさだった。ポケットの中のコインはイオニス少年が自分に渡してくれたものである。錬太郎が思い出すのは、自分の先輩、ダナム博士についた池淵頼子の姿だ。冷静な錬太郎自身がつぶやいている。
「自分と同じ存在が、シージオたちの道を阻むだろう。そうなったとき彼らは対処できるのか。できるわけがない。何せ自分の力なら、あっという間に人を消し飛ばし、何十キロとある距離を一瞬でつめられるのだから。彼らではまったくの無力であろう。ならば、自分が行くしかない」
「シージオたちにとって自分を使うというのは理にかなっている。守りたい世界があるのだろうから。しかし自分にはない。なぜなら大切なものは奪われて戻らないのだから。だが、行かなくてはならないという気持ちがどこかにある」
しかし、はっきりと言葉にできない。するだけの気持ちが、錬太郎の胸にない。
錬太郎はコインをはじいた。何も決めずに。何が出てきたら何をするのかなどと決まっていないのだ。それでもはじいた。
くるくると、コインが宙を舞う。
そして手のひらに落ちた。
コインは表を示していた。
コインが手のひらに落ち、錬太郎が答えようとしたとき天から、声が聞こえてきた。空に人の顔が浮かんでいた。ダナム博士の顔だった。声は聞き取りにくかったが、
「こんにちわ」
といっているように聞こえた。
空から聞こえてくる声がこういった。
「私が生まれた星に住む人たちへ、こんにちは。ダナム・エリヤです。何事かと思っている人が多いでしょうから、自己紹介をしようと思います。私は皆さんが今、落ちている地獄を作り出した張本人です。
そしてあなたたちの地獄を終わらせるものでもある。
理解するのに時間がかかるでしょう。後でゆっくり理解してください。それだけの時間は残すつもりです。
それで、今回何を思って私がこのようなことをするのかと、不思議に思っている方もいらっしゃるでしょう。
お待たせしました本題をずばり伝えましょう」
ルアウダが錬太郎の手をしっかりと握った。強く握り締めて、錬太郎の手を揺らしていた。錬太郎の視線を天に映し出された、ダナム博士から切らせるためである。ルアウダは錬太郎の横顔をはっきりと見てしまったのだ。今まで優しい顔をしていた錬太郎の目に光が宿るのを。この光が危険なものだとすぐにルアウダは理解した。錬太郎の目に宿った光は、ダナム博士を許していない光であり、戦いに向かう意思を示す光であると。そしてそれは自分の願い、錬太郎を助けるという願いを断ち切るものであった。
ルアウダが青ざめた。
そしてこういった。
「やめて」
小さな呟きだった。絶望に満ちていた。錬太郎が消えていく未来が確実なものへと変貌しつつあるのをとめられないことを悟ったのである。
空から聞こえてくる声が続き話した。
「あと三時間のうちにあなた方を皆殺しにします。
勘違いしてほしくないのですが、これは私なりの優しさです。憎くて殺すわけではありません。このような地獄の中で生きるのはつらいだろうというやさしさ。そして人生に残された三時間を有意義に使ってほしいというやさしさです。恋人と過ごすのもいいでしょうし、暴れまわるのもいい。家族と過ごすのもいい。お好きなようにすごしてください」
ダナム博士の演説を聞いてルアウダは涙を流した。自然と涙があふれていた。瞬きをする必要などなかった。ただただ、涙があふれていた。ルアウダは確信したのだ。目の前にいる錬太郎は自分が止めようとも、イオニス少年が泣き叫ぼうとも、それこそシージオが来るなといっても戦いに向かうだろうと。そしてその結果が、死であるということもまた予想がついた。自分の後輩の末路と重なった錬太郎がまっすぐに見れなかった。
空から聞こえてくる声がこういった。
「では、失礼します。皆様いい人生を」
丁寧な口調で、とても穏やかな話し方だった。馬鹿にしているなどということはなかった。全世界にお終わりを告げたのは、言葉通り安らかな終わりを与えるためである。後数時間で何もかもが終わるように動いているのだから、後数時間を気持ちのいい数時間にしてもらいたいという願いである。それ以外にはない。殺すこと自体はまったく揺らぐということはなかった。
公園の遊具で遊んでいたイオニス少年が駆け寄ってきた。不安そうだった。とんでもないことがおきてしまったのがわかっているのだ。しかしイオニス少年はこういうときにどうしたらいいのかがさっぱりわからなかった。わからなかったが、錬太郎とルアウダならば何か解決策を持っているのではないかと思い、駆け寄ってきた。
そして錬太郎に引っ付いた。錬太郎のそばにいれば、安心だった。何がきても、怪物が襲ってきても、天をつく巨人であっても一番安全なのは、錬太郎の隣だろうと信頼しているようだった。イオニス少年にとって錬太郎はヒーローだった。
心配そうにしているイオニス少年の頭を錬太郎はなでた。軽く頭を二回ほどである。不安になっているイオニス少年を安心させるためである。言葉よりも、振る舞いで示したほうがいいだろうという気があった。また、少ししかなでなかったのは自分の手が銀の砂の粒で汚れているからである。何度砂を落としてもどんどんと体が砂に変わっていくので、頭を触ってしまうと、髪に砂が引っ付いて困ると考えていた。
そしてイオニス少年に聞いた。
「なぁ、イオニス君。お父さんとお母さんは好き?」
少しうらやましそうで、申し訳なさそうな感じがあった。
イオニス少年が不思議そうに錬太郎を見つめた。なぜ、行方不明の父親と母親の話になるのかがわからなかったのである。
どうして錬太郎がそんなことをきいてきたのかがわからないまま、イオニス少年は答えた。
「嫌い。いつも約束破るから」
すねているようだった。嘘ではないのだ。何度も休日の約束を破られて、イオニス少年の中での両親の評価というのはそこそこに下がっていた。好きかといわれて、嫌いだといわれるくらいには下がっている。しかし、リュックサックを用意して、準備を整えて、公共の交通機関を乗り継いで、研究所まで迎えに行くくらいには好きだった。今は質問に対して照れと、すねている感情が合わさって、嫌いだという答えになっただけである。
錬太郎はイオニス少年の頭をなでた。少し強めになでている。錬太郎はすぐにイオニス少年の心を見抜いてしまった。頭を強めになでたのは、すねるのをやめてやれよという気持ちがあったからである。まだ見たことのないイオニス少年の両親というのは、忙しくてしょうがなかったのだろうというのが、なんとなく錬太郎にも察せられたのだ。そして、寂しい気持ちになっているイオニス少年の気持ちというのもわかった。
すねているイオニス少年に錬太郎はこういった。
「約束を守ってくれたら、好きになる?」
錬太郎は楽しそうだった。錬太郎はイオニス少年の父親と母親が、無事に帰ってきたときの光景を想像したのである。そしてこの世界にまだ生きているだろう人たちが、無事に戻ってくるものたちを迎え入れるだろう未来を想像すると、うれしくてしょうがなかった。
イオニス少年は、うなずいた。それはもう勢いよくうなずいた。約束を破らないのならば、最高だからだ。
きらきらしているイオニス少年に錬太郎がこういった。
「落ち着いたら、見に行けばいいさ」
イオニス少年の目を見てはっきりと伝えた。錬太郎の心の中にあった、自分の道を行くための理由を疑う気持ちは消えうせていた。自分の選択が、まったく合理的ではないのを錬太郎は悩んでいた。利益というのが自分にはない。ないのだけれども動かずにはいられない。そんな自分が、おかしいと思っていた。何せ周りの人たちとあまりにも違うのだから、受け入れられなかった。しかしその悩みも消えつつあった。自分が決めたから、それでいい。利益など、後でいい。はっきりと胸を張って伝えるその勇気が、錬太郎の胸には宿り始めていた。
イオニス少年が錬太郎を見つめ返した。不安そうだった。
そしてこういった。
「一緒に見に行けるの?」
錬太郎が答えた。間違いないという気持ちで満ちていた。
「あぁ、いける」
イオニス少年が笑った。
「なら、錬太郎も一緒に行こう! お父さんとお母さんに紹介する! 僕を助けてくれた人だって!」
錬太郎が笑った。
「ありがとう。でも、助けられたのは俺もさ。勇気をくれた」
イオニス少年はわからないといった表情をした。
錬太郎はルアウダの目を見てはっきりと伝えた。
「俺は月に行きます。そしてダナム博士の目的を叩き潰す」
ルアウダが泣き崩れた。錬太郎のひざに崩れ落ちて、泣き始めた。イオニス少年が近くにいるのにまったく我慢する様子がなかった。錬太郎の表情を見て、どうやっても引き止められないことを受け入れてしまったのだ。こうなるだろうという予想はついていた。しかしそれがどうしても悲しくて彼女は泣くしかできなかったのである。
おお泣きしているルアウダを見てイオニス少年がオロオロした。本当に何がおきているのかさっぱりわからないというようであった。しょうがないことである。頼りになるはずの大人が、号泣しているのだから、どうしていいのかわからなくなる。また、錬太郎もどのように対応していいのかわからないという顔をしていたので、余計に混乱していた。
二十分ほどして、公園にバリー・マーロンとシージオが現れた。
シージオがこういった。
「錬太郎、君の力が必要だ。助けてほしい」
錬太郎をしっかりと見つめて、はっきりと伝えてきた。心は決まっているようである。シージオは錬太郎の力を使い、人類の全滅を防ぐつもりである。そしてここに集まった戦力たちもその力を使うつもりなのだ。
シージオの提案を受けた錬太郎は、うなずいた。
「もちろん喜んで」
バリー・マーロンが錬太郎から視線を切った。まっすぐ見ていられないようであった。バリー・マーロンは計画について理解している。そのためおそらく計画のために錬太郎が死んでしまうだろうという予想を立てることができていた。この計画自体が、まったくおかしなものではないとバリー・マーロンは理解していたが、人情がどうしても邪魔をしていた。なぜ、錬太郎なのか。なぜ自分たちではなく一般人の錬太郎、それも被害者を使わなくてはならないのか。おそらく待ち受けているだろう結末を思うと、どうにもたまらないようになってしまうのである。
自分の道を受け入れた錬太郎を見てシージオがこういった。
「では、すぐに出発だ。私たちと一緒に船に乗りダナム博士の計画を叩き潰そう」
錬太郎が笑った。
「わかりやすくていい」
錬太郎が、イオニス少年とルアウダに別れを告げた。軽い調子だった。まったくこれから恐ろしいことがおきるなどとは誰も思わないような、さわやかな挨拶だった。
「それじゃあ、いってきます」
錬太郎が挨拶をしたときイオニス少年が、
「まって」
といった。
イオニス少年はリュックサックから何かを引っ張り出してきた。リュックサックにはいろいろなものが詰め込まれていた。思い切り引っ張り出したため放り出されてしまったものもある。タオルに水筒。子供向けのフィギュアみたいなものもあった。
リュックサックから引き抜かれたイオニス少年の手には特撮ヒーローもののベルトが握られていた。小さな子供が遊ぶためにどこかの企業が作ったのだろうというつくりだった。大人用ではない。錬太郎の腰に巻くというのは無理だろう。錬太郎の胴体というか、体全体が大きいからである。仮に錬太郎がイオニス少年のヒーローベルトを身に着けるとしたら、二の腕か首だろう。
錬太郎にヒーローベルトを突きつけてイオニス少年がこういった。
「これ、錬太郎にあずけるから。僕の宝物。絶対帰ってきてね」
錬太郎はイオニス少年からベルトを受け取った。錬太郎は困っているようだった。しかし丁寧にイオニス少年の宝物を受け取った。これがイオニス少年の心遣いであるというのがわかったからである。自分が戦いに向かって間違いなく帰ってこれますようにという、気持ちの現われなのだと、錬太郎にはわかっていた。
ベルトを受け取った錬太郎はこういった。
「あぁ、約束する」
少し暗い気持ちが混じっていた。錬太郎は自分がこれから向かうところから戻ってこれるとは思っていなかったからである。そしてそうなったとしたら、ヒーローベルトを返すことができなくなる。それはとても悲しいことだった。
通信機からの合図を受けたバリー・マーロンがこういった。
「シージオ先輩。準備が整ったそうです。いつでもいけます」
シージオがこういった。
「ではゆこうか」
バリー・マーロンが先導をして、その後をシージオ錬太郎がついていった。
イオニス少年とルアウダは二人の背中をずっと見送っていた。
月に向かう宇宙船の内部はきれいなものであった。軍隊が使っている宇宙船のため無駄なものがまったくなかった。乗組員たちが座るためのいすがずらりと並んでいる。それだけだった。
たくさんの装備を身につけた人たちが、宇宙船に乗り込んでいた。誰も彼もが使命に燃えていた。彼らは志願してここにいるのだ。人類が滅びたといってもまだ生きている人たちはいる。いるのだからその人たちを守らなくてはならない。守りたいものは誰にでもあるのだ。
宇宙船のいすに座る錬太郎もその一人であった。イオニス少年から渡されたおもちゃのベルトを腕に巻いていた。そして誰よりも落ち着いた様子で宇宙に旅立つときを待っていた。
錬太郎の隣に大量の装備を見につけたシージオが乗った。全身が毛皮だったシージオであるが、装備でほとんど毛皮が見えなくなっていた。
そろそろ船が月に向かって飛び立つというとき、シージオが錬太郎にこういった。
「本当に、申し訳ないことをしたと思っている。君をこんなところまで連れてきて、命を懸けるようなまねを」
謝るシージオのわき腹を錬太郎が小突いた。錬太郎の人差し指が、装備の隙間をつついていた。しかし思い切りついているわけではない。友達に接するような気軽さがあった。シージオが謝るのをやめさせるためである。まったく錬太郎は後悔などというのをしていなかった。確かに命を懸けることになり、おそらく自分に利益などひとつもないが、それでもいいと思えていたのだ。ここで謝られても、困るだけである。
シージオが身をよじった。もだえるたびに銀の砂粒が舞った。結構な毛皮が合ったのだが、思いのほかいい具合に刺さったのである。
つつくのをやめた錬太郎がこういった。
「俺が決めたことです」
はっきりと、さわやかな声だった。確かにシージオの思惑と重なるような行動を錬太郎は取った。そしてシージオが何を求めているのかというのもわかっていた。しかしそんなことはどうでもよかったのだ。錬太郎は、やりたいことをやると決めて動いている。その自分で決めて歩いているということ自体が、錬太郎をさわやかな気持ちにさせていた。
シージオが目を開いた。錬太郎が少しだけ大きくなったような気がしたからだ。自分が始めてであったときの錬太郎ではない。そんな気持ちが生まれていた。
自分の失態を認めたシージオが謝った。
「失礼した」
ずいぶんと真剣な調子だった。シージオは目の前にいる男が、すでに保護されるべき存在でなく、ともに命をかける存在に変わったことに気がついたからである。
謝るシージオを見て錬太郎が笑った。真面目なシージオが面白かったのだ。そこまで真剣に謝るようなことではない。少なくとも錬太郎はそう思っていた。何せ自分が一般人で、普通は利用したりすると問題がある立場にあるのだ。シージオのような立場の人たちが気に病むというのもしょうがないことである。だからおかしかった。
錬太郎がこういった。
「生きて帰りましょう」
シージオがうなずいた。
「そうだな」
穏やかな声だった。何があってもかまわないという決意の気持ちがこめられていた。錬太郎も覚悟を決めてここにいるが、シージオもまた覚悟を決めてこの船に乗っているのだ。シージオは自分の体からいくらでもわいてくる銀の砂粒を振り払っていた。
数え切れないの宇宙船が、発着場からとびたっていった。統一感というのはない。軍用の宇宙船もあれば、民間の船もたくさんあった。外見は違うけれども、中身は同じだ。彼らはみな人類を守るための戦いをするために月に向かうのである。
それをルアウダとイオニス少年と、戦いには向かないものたちが見送った。
最後の戦いが、始まろうとしてた。




