ルアウダ・ピクラリヤとイオニス・タイムの餞別 上
輸送車の中で錬太郎は目を瞑っていた。眠っているようだった。輸送車の硬いいすに全身を預けている。そして深呼吸に近い呼吸を繰り返していた。両手はゆるく結ばれて太ももの上におかてあった。輸送車のほとんどふさがれている窓から差し込んでくる光が、錬太郎に反射するときらきらと光るものがよく見えた。錬太郎は天をつく巨人オウル・コンシリアートルを倒したあとから、不思議な安心感を感じていた。肉体は非常にだるいのに、心が充実していたのである。錬太郎は自分の肉体に起きている異変と、また自分自身がいったいどういう存在になっているのかというのにほとんど思い当たっていた。そして思い当たったからこそ、これから自分が向かうだろう月への道へも、穏やかな気持ちで望むことができるのである。そうなっておそらく輸送車の中にいる誰よりも穏やかに、宇宙へ旅立つための道のりを錬太郎は楽しむことができるのだった。
そんな錬太郎をイオニス少年とルアウダが心配そうに見つめていた。イオニス少年は錬太郎の目と、静かに上下する胸を見ていた。じっと見つめて、消して動きが止まらないようにと願っているようだった。イオニス少年は錬太郎が命がけで戦っているということを知った。そして、とんでもない力を発揮して、怪物たちを打ち倒していることを目で見た。結果、錬太郎がとんでもない怪我を負って戦って、死んでしまうかもしれないという可能性を知った。この錬太郎の命が失われるかもしれないという可能性自体が、イオニス少年を不安にさせているのである。ただ、イオニス少年は錬太郎の胸の動きが、まぶたの揺らめきが止まり、錬太郎が自分に話しかけてくれなくなるということ自体を、恐れていた。
一方でルアウダというのは何か決心をしているようなところがあった。涙を無理にぬぐったせいではれてしまった目を、鋭く細めて、錬太郎をじっと見つめていた。ルアウダにあるのは錬太郎に命を救ってもらったという恩と、目の前で錬太郎が死んでしまうかもしれないという不安。しかしすでに不安と呼ぶよりもはっきりとした死の影を見ていた。
これからおそらく死んでしまうだろうという未来を回避したいという願いをルアウダは持っていた。ルアウダは自分たちのおかれている状況というのをよく理解していた。わからないほど馬鹿ではない。しかし、それでもルアウダというのは錬太郎がこれから消えていくというのが耐えられなかった。ただでさえ、エルヨ・ガリファイアが無謀な道を選び、命を散らしたのだ。あのときの胸の虚無というのはどのような言い訳を考えても晴れるものではない。また、これから起きるだろう結末というのを考えるだけでもルアウダというのは耐えられそうになかった。だから仮に社会に対して反逆をするようなまねであったとしてもやらなくてはならないと、心を決めていた。
二十分ほど走ってから輸送車が止まった。宇宙へと向かう港までの未知というのはずいぶん荒れ果てていた。しかし、バリー・マーロンはずいぶんと道を選ぶのがうまいらしく、壊れている道でもふさがれて進めなくなった道があったとしても、うまい具合に避けて、きれいに通ってきたのである。これがシージオであったら、ここまで早く目的地に着くことはなかっただろう。バリー・マーロンはこのあたりの地形というのをよく知っているのだ。もともとバリー・マーロンは大都市の警備のために配属された警察官だった。見回りもよくやっていたし、細かい道というのもよく知っていた。もちろん、桁違いに広い大都市全体を把握しているわけではない。しかし主要な建物の場所、飛行場だとか、発電所のようなライフラインだとかのことである。そして道のり、隠れられるような場所だとか、はよく頭に入っていたのである。地形がはっきりと頭にあったので、半分近く天をつく巨人によって破壊されていたとしても、まったく問題なかったのだ。
運転席のバリー・マーロンがこういった。
「宇宙港に到着です。シージオ先輩、今回の作戦に乗ってくれた方々との作戦会議があるそうです。急いで向かってください」
バリー・マーロンは少しシージオをせかしていた。バリー・マーロンの通信相手ががずいぶんとあわてているようだったからである。通信手がせかしたというよりも、その後ろにいる人たちというのがずいぶんあせっているのがわかったのだ。さっさとこの状況をどうにかしなければ、人類滅亡というのが間違いないものになる。できるだけ速やかに月に上り、恐るべき計画を実行しようとしているダナム博士を止めなくてはならない。そんな気持ちがひしひしとバリー・マーロンには伝わっていた。また、その気持ちというのはバリー・マーロンも同じであった。
輸送車の扉が開いた。ずいぶんと重々しい動きだった。無理に鉄板だとか、使えそうなもので補強したために動作不良が起こり始めていた。油のひとつでもささなくてはならない。
バリー・マーロンの連絡を受けて、シージオが立ち上がった。ライオンヘッドが少し悲しげに見えた。立ち上がる動きというのが、ずいぶんと疲れているようにも見えた。ため息でも吐きそうな感じでもある。立ち上がったときシージオのたてがみから銀色の砂の粒が零れ落ちた。シージオは錬太郎の姿を見ているのがつらいのだ。シージオというのはやるべきことというのをしっかりとわかっている。そして実際にやっている。これは計画をとめるために一生懸命に動くということだ。そうしなければルアウダもイオニス少年もきれいさっぱり殺されることになる。
そのために錬太郎を使う。これはまったくおかしなことではない。何せ戦わなければ命が失われるのが間違いないのだから、シージオでなくとも同じ選択をするだろう。正しいと胸を張るものもいるだろう。しかし、割り切れないのが人情である。歩いている間に疲労がたまってくるように徐々に心が重たくなってくる。思い切った決断をするよりもずっと、その後に待ち構えるいろいろな問題を受け止めるほうがずっとつらかった。心の疲れが、シージオをしなびさせていた。
立ち上がった、シージオがこういった。
「では、先に行かせてもらう」
独り言のようだった。この独り言には心の疲れというのがにじんでいた。心を強く持っておこうという気持ち自体があるのだろうが、その気持ちを超えて疲労が表に出てしまっていた。独り言をはいたのは、勢いをつけるためだ。重大な決心を伝える前の助走である。
そして輸送車を降りるときにこういった。
「錬太郎、間違いなく君の力を必要とするだろう。覚悟を決めておいてくれ」
強くはっきりとした宣言だった。この宣言というのは錬太郎に人類のために死んでもらうつもりでいるというのをはっきりとさせたものである。シージオは自分の決定というのが揺らがないと錬太郎に伝えたかったのである。そして自分が錬太郎を利用しようとしていることを知った上で、なお、錬太郎が戦ってくれるのならば、と考えたのだ。何せシージオというのは錬太郎を止められるだけの武力がない。おそらくどこにもそんなものは、いないだろう。だから伝えたのだ。逃げたいのならば逃げればいい世と、そういう気体も含めて。
錬太郎の返事を聞かずシージオは会議に向かった。足取りはずいぶんと重たかった。しかししっかりとしていた。シージオはすでにやることをやってしまった。後はシージオがこれからやることをしっかりとやるだけなのだ。つまり錬太郎の力があろうがなかろうが、きっちりと計画を達成できるようにするという計画、そしてそのための助力についての話し合いである。その話し合いをするため、さっさとシージオは先に向かった。
シージオが少し離れてから、運転席のバリー・マーロンがこういった。
「錬太郎君、あれでもシージオ先輩は君のことを心配しているんだよ」
恐る恐るという調子だった。バリー・マーロンは錬太郎がもしもシージオのことを勘違いしていたらいやだなと思ったのだ。バリー・マーロンというのはシージオのことをよく知っていた。一般人を磨耗労という気持ちも持っていれば、できる限り悲しむ人がいないように動き回る気持ちがあるというのも知っていた。また悪を前にすれば戦いに出て行く心を持った人であるというのも知っていた。そして見た目が変わっても、その内面というのが換わっていないということも知っていた。しかし勘違いされてしまう言い回しになっているのもまた、わかっていたのだ。何せ、言い方が厳しい。錬太郎にとっては命を使えといって意地悪をしているように聞こえてもしょうがない言い方だった。実際そのようにしているのは事実であったが、それでも心やさしい人間であるというのを間違えてもらいたくないという気持ちがあったのである。
バリーに、錬太郎が目を瞑ったまま答えた。
「わかってますよ。わかってます」
まったく揺らぐところがなかった。錬太郎はまったく勘違いなどしていなかった。何せシージオというのは、錬太郎から見てもずいぶん馬鹿な男であったから。錬太郎がネフィリムの力を使い、そうして命を削っているのを見て申し訳なさそうな顔を浮かべてあやまり。どうやって報いたらいいのかわからなくて、小さくなっているのを見ていた。確かに利用しようとしているというのわかっている。そもそも錬太郎はシージオが自分を利用するとはっきりといっているのを聞いていた。バカ正直に告白してきたのを覚えていた。あんな馬鹿な男をいちいち勘違いすることはできなかった。むしろ自分の命のことなどでいちいち悩んでくれるなよという気持ちさえ錬太郎にはあった。
錬太郎の返事を聞いてバリー・マーロンがこういった。
「落ち着いて休めそうなところを探してくるよ。ちょっと車を動かすから、待っててね」
うれしそうだった。先ほどの暗い声というのがなくなって明るくなっている。バリー・マーロンは自分の心配というのがまったく必要なかったことに気がついたのである。そうして、少し心が安心したところで、バリー・マーロンは錬太郎たちが休めるところを探さなくてはならないことに気がついた。というのが、月に向かう港というのはいま残存戦力が集まってきていて、ずいぶんあわただしい。そのため、錬太郎たちが、休めるような場所というのがないのだ。もちろんいてもいいが、騒がしいので休めるようなことはないだろう。特に誘拐されていた二人は、大丈夫そうに見えても心理的な疲れが出てくるのは間違いない。やや冷静になったバリー・マーロンはそのことに思い当たり、少し時間をもらうため声をかけたのである。
バリーがそういうと輸送車が走り出した。輸送車はずいぶんゆっくりと進んでいた。終結しつつある人たちが乗ってくる車というのをするすると邪魔にならないように進んでいく。というのが月に向かうために使う港というのには、たくさんの人たちが集まりつつあって、混雑していたのである。
公共の交通機関というのを使いたいところであるが、社会の機能というのがほとんど使えなくなっている。そのため、どうしても車とか、バイクのようなものを使わなくては、港まで人を集められなかったのである。誰もが車とバイクを使ってくるので、どうしても混雑気味になってしまう。となってただでさえ混雑しているところに巨大な輸送車が入ってくるのだから、これはとんでもなく邪魔である。かといって進ませないわけにはいかないので、周りに気をつけながら進むということになり、遅くなる。
宇宙船の発着場には、いろいろな宇宙船が止まっていた。どれもこれも見たことのない乗り物であった。飛行機の形によく似ていたが、ジャンボジェットよりもふた周りほど大きいように見えた。また翼というのが、鳥の羽のようなものではなく、半円の形である。この宇宙船の発着場というのは普段はもう少し活気がある。しかしダナム博士が事件を引き起こしてしまった結果、機能が止まってしまっていた。今この港にあるのは、飛び立てなかった船なのだ。
そして、数え切れないほどたくさんの人たちもいた。この人たちはいろいろな格好をしていた。警察官のような格好をしている人もいれば、兵士のような服を着ている人もいた。またまったく関係ないだろう格好をしているものもいたが、背中に大きく企業ロゴが入っているところを見ると宇宙船を作っている企業に雇われている人なのだろう。また私服を着ている人もいれば、スーツを着ている人もいた。まったく統一感がない。彼らは生き残った人たちで、シージオたちの計画に共鳴して、手を貸してくれているのである。シージオがダナム博士の計画を警察署で公のものとして、生き残っている人たちに伝えたことで、この計画が走り出したのである。
輸送車が駐車場に止まった。かなりゆっくりとした動作だった。ものすごくたくさんの車が駐車場に止まっていたので、まったく邪魔にならないような舗装されていないところに輸送車は止まっている。かろうじて駐車場だろうといえるところである。このようなところに止まったのは邪魔にならないからである。何せ輸送車が大きすぎて、駐車場にきれいにとめるようなことをすると、ほかの車が止められなくなる。大型車専用のレーンというのもあるが、それも埋まってしまっている。そのため、かろうじて邪魔に成らないだろうと思うような、おそらく誰かの私有地に止めるしかできなかった。かといっておそらく文句は言わないだろう。何せ、この私有地を持っている人が、生きているとは限らないからだ。
到着すると運転席からバリー・マーロンが降りた。バリー・マーロンは少しでいるようだった。思いのほか人が多いことにあせったのだ。シージオの号令を聞いたことで、残存戦力が力を貸してくれていることは知っていたが、まさか宇宙港全体が埋まるほどの助力があるとは思っていなかった。そうなってきて、この状況で、錬太郎たちを休ませるところがあるだろうかという不安に襲われた。バリー・マーロンの目に見えている錬太郎というのは特に調子が悪そうで、どうにか休ませられなければどうにもなりそうにないのだ。イオニス少年もルアウダも同じである。で、自分がどうにかしなければならないという責任感にかられて、どうしてもあせってしまう。頼まれたことではないが、そういう気持ちが年長者として警察官として、バリー・マーロン個人として会ったのだ。
そして宇宙港に向けて移動していった。小走り気味だった。ルアウダが全力疾走したら、ぎりぎり追いつけるくらいのスピードである。
シージオとバリーが消えた輸送車の中で錬太郎は目を瞑っていた。錬太郎の表情に苦しみというのはまったくなかった。しかし、血の気というのもほとんどなくなっていた。錬太郎は特に何を考えているわけではなかった。ただぼんやりとしているだけである。まったく体力がなくなってしまっていたのである。意識だけがはっきりとしている状態で、肉体というのが不調。かといって眠りたいのかというとそうでもない。動かそうと思えば動かせるが、できる限り動かしたくない。意識だけが高ぶっていて、肉体が追いついてこない状態であった。どうにも温度差があるため、錬太郎はただ、ぼんやりとして、自分を休めていた。
錬太郎がじっとしているところに、イオニス少年が近づいてきた。足元はしっかりとしていた。できるだけ音を出さないようにしているようである。しかし背中に背負っているリュックサックがこすれて音が出ていた。イオニス少年は錬太郎がまったく身動きを取らず、呼吸の動きすら弱まっているのを見ていた。そのどうにも死んでいるようにしか見えない様子というのが、恐ろしかったのである。先ほどからずっと感じている、錬太郎を失ってしまうのではないかという恐怖。この恐怖をどうにかしたいと思い、イオニス少年は錬太郎が目覚めているのかどうかというのを確かめに来たのである。音を出さないようにしたのは、錬太郎が眠っているように見えるのと、輸送車の中が非常に静かで、音を出すことが恥ずべきことのように感じられたからである。
あと少しで錬太郎に手が届くというところで、イオニス少年は声をかけた。
「大丈夫?」
失敗したという顔をしていた。そして少しの恐れと伺うような感じがあった。イオニス少年が動き出したというのを、錬太郎はしっかりと感じ取っていたのである。そうして、錬太郎のまぶたが開いたのをイオニス少年は見たのだ。イオニス少年は錬太郎を起こしてしまったと思ったのである。そして、眠っている錬太郎が目覚めてしまったのだということで、錬太郎が生きているというのがわかり、ほっとした。そのほっとしたところで、錬太郎をおこしてしまったというのを悪いと思い、というのが、目を瞑っていたということはとても疲れているということだろうというのがすぐにわかったからだ。わかったから、錬太郎に声をかけたのである。起こしてごめんなさいという気持ちと、体の調子はどうだろうかという伺うような調子をこめて。
イオニス少年に質問をされて、少し間を空けて錬太郎が答えた。
「大丈夫」
力をこめた声だった。そしてやさしい感情がこもっていた。錬太郎はイオニス少年が何を思って、自分に近づいてきたのかというのがわかったのだ。錬太郎は自分の体のことなどまったくどうでもいいと思っていたけれども、イオニス少年はどうでもいいとは思っていないのだと。そして声の調子だとか、目の動かし方から、ずいぶん心配をかけてしまっているというのに思い当たった。シージオや、ルアウダ、バリーのようなやさしさというのもわかっていたが、イオニス少年から受けるやさしさというのも、錬太郎はうれしかった。相手のやさしさがわかったから、元気そうに振舞ったのだ。心配しなくてもいいと。それでどうなるわけではないが、やさしさにこたえたいという気持ちになったのである。
イオニス少年と錬太郎が話をしていると、バリー・マーロンが戻ってきた。汗をかいていた。バリー・マーロンはかなり急ぎ足で、宇宙港を走り回り、どこか休める場所がないかと探し回ったのである。そうして生き残った空港関係者に休むのにいいところはないだろうかといってきいて回っていたとき、いいところを見つけた。そして使っていいかという許可を、取り付けてもどってきた。ずいぶんすばやい仕事だった。十分もたっていない。この一連の仕事をさっさとやって、急いで帰ってきたものだから、バリー・マーロンの肉体というのはこれでもかというくらい熱くなっていた。しかし錬太郎たちのことを思うと、休んで入られなかった。だから彼は流れる汗も気にせずに急いで戻ってきたのである。
息を切らせながらバリー・マーロンがこういった。
「休めそうなところが合ったよ。公園みたいなところが中にあるから、そこで休んでおくのがいいだろう。公園のあたりは人がいなくて静からしい」
達成感のようなものがあった。汗だくになっているのも合わさってスポーツで優勝した選手のようにも見える。バリー・マーロンは少しだけ自分の仕事が果たせたという気持ちになっているのだ。できるなら華々しい仕事をして、人の役に立てるというのが一番である。しかしできることとできないことというのがある。それはバリー・マーロンもわかっていた。
少なくともシージオと錬太郎のように尋常ならざる武力を振るうというのはありえないことだった。というよりも、ほかの警察関係者も、軍人たちでも無理だとわかっていた。錬太郎たちの見せる武力は自分たちの知っている超能力技術ではないことくらいはわかっていたのである。しかし意地というのがある。目の前で必死になって戦っている錬太郎、そしてシージオ。彼らを見ておいて、自分だけが何もしないというのは心苦しい。また、後ろめたい気持ちになる。そんな気持ちがあるから、簡単な仕事であっても貢献できるのがうれしいのだ。
バリーがそういうので、錬太郎は立ち上がった。少しつらそうだった。しかしふらつくということはなかった。肉体をうまく使い、自分を運ぶことができていた。錬太郎はバリー・マーロンのすすめにしたがって、休めるところへ移動しようとしていた。輸送車のいすに座っておくというのも回復にはなるが、あまりいい空気ではない。できるならもう少しよどんでいないさわやかな空気の中で、回復につとめたいという気持ちがあった。
錬太郎が立ち上がると、銀色の砂粒がサラサラと座席に落ちた。まったく気がつかないほど自然に、砂が落ちてきた。それは錬太郎の体から落ちてきた砂である。服から滑り落ちてきたものでもなければ、天をつく巨人を銀の砂の山に変えたときについたものでもない。彼の体が、ゆっくりと燃え尽きていこうとしている証拠だった。
イオニス少年が錬太郎の手を引いた。イオニス少年の顔には血の気がさしている。少し興奮しているようだった。これは、自分が錬太郎の助けをしなければならないと思っているからなのだ。まだ少し状況の悪い錬太郎を助けるためである。錬太郎の大きな体を支えられるとは思っていなかったが、もしも錬太郎が倒れるようなことになれば、自分が背負ってでも運んでやるという気持ちがあった。その気持ちが、熱になり、イオニス少年を赤くさせる。
錬太郎が立ち上がって、イオニス少年に助けられながら歩き出したとき、ルアウダが座席に落ちた銀色の砂粒に触れた。ルアウダの顔というのはずいぶんひどいものになっていた。涙がいくらでも出てきそうなくらいに目が潤んでいる。また、唇をかみ締めていて、何とか声を出さないようにとがんばっていた。座席に落ちている銀の砂粒に触れる指先など、震えていて見ている人間が大丈夫かといって駆け寄りたくなるほどである。
ルアウダはずいぶんと消耗していた。失われるものというのを目の前にして、どうしようもない状況に、心が折れかけていた。そして目の前で起きたすべてを信じたくない。夢なのではないだろうかという妄想さえ浮かぶような気になっていた。すべてが何かの悪ふざけで、後何十分か時間がすぎれば大掛かりな悪ふざけだったみんなが飛び出てきてくれるのではないだろうかなどと、思うくらいには。
しかし目の前にはどうしようもない現実の証拠が、銀の砂の粒としてある。もしかしたらという気持ちがいつまでもぬぐえないルアウダはわずかな希望を持って、手を伸ばしたのである。夢であってくれと。ただ、彼女の願いはどうやってもかないそうになかった。
錬太郎はふらつきながら、輸送車から降りていった。イオニス少年に手を引かれながら、バリー・マーロンのところへと向かう。大分疲れがたまっているように見えた。しかしうまく体を動かせていた。錬太郎はこれから休めるところへと向かわなくてはならない。よどんだ真っ暗なところで肉体を休ませるより、さわやかで光り輝く場所で、心を休ませるために。
イオニス少年も同じように降りていく。錬太郎の手を引いて、もしも何かがあったら、自分が助けるのだという気持ちでいっぱいになっていた。錬太郎がつらい様子を見ているのだから、自分が、錬太郎の助けになってやろうと。それだけだ。錬太郎が辛そうにしている。だから助ける。それだけしかない。
二人が降りた後、少ししてからルアウダは急いで車から降りていった。零れ落ちてきていた涙をぬぐって、何もなかったように装った。ハイヒールは歩きにくかったので、脱いでしまっていた。しかしそのままルアウダは降りてきていた。ハイヒールは一応、片手でつまんで持っていた。
そして降りてきたところで、錬太郎に駆け寄ってきて、錬太郎に肩を貸した。イオニス少年が手を引いていない反対側に回り、錬太郎の腕を自分の肩に回させた。まったく有無を言わせない迫力があった。イオニス少年が一生懸命にやっているのを見て、自分も何かしなくてはならないと奮い立ったのである。何せ自分が泣いている間に、イオニス少年は自分にできることをしっかりとやっているのだ。そしてしっかりと歩いている。それがどうにも情けなかった。情けなかったから、今からでも何とかしようと、がんばっているのだ。また、自分ができることを少しでもすることで、錬太郎のおかれている状況に、またこのどうしようもなくなっている社会全体という現実に抗いたかった。
脇に入ってきて自分を支えてくれているルアウダに錬太郎がこういった。
「服が汚れますよ」
少し照れているようだった。錬太郎は、自分の体から銀の砂の粒が出てきているのを知っていた。そのため、錬太郎は思ったのだ。ルアウダが自分の体にべったりと引っ付いてくると、ゴミがついてしまう。錬太郎にはわからないが、ルアウダの着ているドレスというのは高級そうに見える。おそらく高級なのだろう。そういう高いドレスを着ているのに汚れがつくようなまねというのはやらないほうがいいだろうと、そう思ったのだ。何せ銀色の砂の粒である、静電気だとかが作用して引っ付いてしまえば、クリーニングが大変だろうと、へんなことまで考えていた。
錬太郎の言葉にルアウダは首を振った。まったく声を出していなかった。ルアウダはもう耐えられないくらいに心を揺らしていた。錬太郎の言葉が、ルアウダには突き刺さっていた。ルアウダは先ほどの言葉でわかってしまったのだ。どういう状況に自分がいるのかというのを錬太郎はわかっていると。そのわかっている姿というのがどうにも、耐え切れなかった。どうしてこんなことになっているのか。また、目の前で失われていくのを見なくてはならないのか。そんな気持ちがわいてきて、また涙があふれそうになっていた。
ただ、ルアウダは自分が泣くのは違うというのもわかっていた。泣きたいのは錬太郎で、自分ではない。自分はただ守られて、さらわれて、また守られていただけの人間なのだから。錬太郎を見て泣くのはおかしいと。わかるからこそまた情けなくなる。




