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魔女 エルヨ・ガリファイア 三


 やりたいことが終わったのか、カーテンが下りてきた。姉の役を演じているルアウダが妹の役を演じているエルヨ・ガリファイアの胸を刺し貫いておしまいだった。演劇の物語自体はまだ続くようなところがあったが、その部分が終わったところで自動的に幕が下りてきたのである。エルヨ・ガリファイアはこれ以外の部分をまったく必要としていなかったのだ。目的が達成されたということで、静かに幕は引かれていった。

 幕が下りるのとほとんど同時にイオニス少年が自由を取り戻した。金縛りから解放された人のようだった。ビクンと大きく震えて、大きく呼吸をしていた。エルヨ・ガリファイアの呪縛というのがなくなったのである。目的が達成された以上、イオニス少年をエルヨがいじめ続ける必要などまったくないのだ。約束していたわけではないけれども、お決まりというのがある。演劇が終わったら、お客さんは帰るだろうから、縛り付けたままではいけない。縄はとかれなくてはならない。

 イオニス少年が開放されたのを見て、錬太郎はイオニス少年に声をかけた。

「大丈夫か? 怪我はない?」

ずいぶん心配していた。錬太郎は本当に心配していた。そしてやっと開放されたと見て、イオニス少年にかまい始めたのだ。もしも何か不調があったとしたら、すぐに手当をしなければならない。そんな気持ちもあった。

 猛烈に心配している錬太郎にイオニス少年は、何度も小さくうなずいていた。錬太郎の心配するするさまに、少しおびえているようだった。イオニス少年自体はまったく恐ろしいという気持ちというのがないのである。一応意識もあれば、呼吸もできていた。体の不自由があったために動けなかったが、錬太郎とシージオがそばに来てくれたことで、不安というのもまったくなくなっていた。だから不自由がなくなった今では、まったく不安などなく、むしろ心配してくれている錬太郎の勢いが怖いくらいだった。

 イオニス少年の様子を見て、錬太郎はうなずいて、こういった。

「よかった」

少し泣いているようだった。錬太郎の怒りというのはまだ心のそこに残っている。自分たちをからかったような真似をしたものに対する処刑というのも心にはある。しかし、イオニス少年がまず無事であったということがうれしかったのだ。奪われたものが戻ってきてくれた、それだけで心が満足していた。

 イオニス少年が無事だというのがわかると、シージオと錬太郎が立ち上がった。シージオも錬太郎もやや視線がきつくなっていた。今までの感動というのをさっと心のそこにしまっていた。これから二人はもう一人のさらわれた人、ルアウダを助けるために動き出そうとしていた。また、錬太郎はルアウダをさらった犯人、エルヨ・ガリファイアとの対決も覚悟していた。

 錬太郎に、シージオがこういった。

「さて、茶番は終わった。こっちの目的も果たさせてもらおうか」

 シージオの言葉に、錬太郎がうなずいた。

「そうですね」

暴走する様子はまったくない。涼やかな表情である。しかし戦うということ自体はまったく避けようとしていなかった。冷えた怒りが錬太郎の心の中にはあるのだ。素晴らしい劇を見せてもらったから、今回のことをまったくなかったことにするなどという発想はなかった。

 錬太郎は、イオニス少年にこういった。

「ついておいで。俺たちと一緒にいるほうが、安全だろう」

優しい声だった。錬太郎は今からイオニス少年を一人にするとか、バリー・マーロンのところに連れて行くという気持ちはなかった。仮にバリー・マーロンがここにいたとしても彼に任せるということはなかっただろう。何せ錬太郎は自分の力が及ぶところであれば、そこが一番安全だろうという自信があった。実際そうだろうから。

 錬太郎の言葉を聴いてすぐにイオニス少年がうなずいた。なぜだかうれしそうだった。



 三人が舞台に向かって歩いていった。シージオが一番前を歩いて、次にイオニス少年が歩く。最後は錬太郎が歩いていた。イオニス少年が真ん中を歩いているのは、この形なら前から襲われようが、後ろから襲われようが、対応できるからである。

 三人があと少しで舞台に着くというときだった、誰かが悲鳴を上げた。甲高い悲鳴である。女性の悲鳴だった。悲鳴の感じからすると、何かに襲われているようだった。悲鳴の声はエルヨ・ガリファイアの声だった。

 悲鳴を聞いて錬太郎とシージオが変な顔をした。シージオは目を細めて、錬太郎は口をゆがめていた。二人ともさっぱり意味がわからなかったのである。何せ錬太郎とシージオの見立てだとエルヨ・ガリファイアはネフィリムである。ということはエルバーハとネピルと同じようにとんでもない念力を使ってみたり、光のコートを出してみたりという技が使えるはずだ。イオニス少年の心を操っていたのもその一環であるはず。ならば、おかしい。ネフィリムに悲鳴を上げさせるなどというのは錬太郎のようなネフィリムでなければ無理なはずだからだ。二人はそれがわからなかった。

 悲鳴を聞いて錬太郎がこういった。

「ルアウダさんじゃないですよね?」

 シージオが答えた。

「違うな。どういうことだ」

 さて何が起きているのかというところで、舞台袖からエルヨ・ガリファイアが飛び出してきた。ずいぶんあわてているようだった。舞台袖からアクション俳優のように転がり出てきた。彼女は今追い立てられているのだ。それもまったく手加減をしてくれない相手に。彼女はその手加減をしてくれない人から逃げるために一生懸命なのだ。

 エルヨ・ガリファイアのすぐ後ろから、鬼のような表情をしたルアウダが追いかけてきた。泣いている子供でも、この顔を見れば泣くのをやめるだろう。おそらくさっさと逃げ始まるはずだ。ルアウダはずいぶん怒っていた。自分たちをこんなところまで連れてきたことにも、警察署の職員たちの心を操ったことにも、演劇のためにイオニス少年の心を人質にとったことにも何もかも。その怒りをエルヨ・ガリファイアに向けていた。

 舞台袖から出てきたルアウダはステッキのようなものを振りかぶっていた。王様の持つ豪華な飾りがついたステッキであった。演劇では使っていなかったが、別の演劇では使うのだろう。振りかぶり方というのがやや独特で、鬼が金棒を振りかぶるような威圧感が会った。ステッキを持っていないほうの手は、スカートのすそをまくるために使われてあった。どうやら何度かステッキでエルヨ・ガリファイアを殴りつけたようだが、怒りがまったく収まっていなかった。とりあえず後数十発は打ち込んで、やっと説教が始まるような勢いがあった。

 追い立てられているエルヨ・ガリファイアが叫んだ。

「ごめんなさい! ゆるしてくださいっす! ルアウダ先輩!」

少し泣いているようだった。くりかえし謝っていた。しかし、余裕のようなものがあった。しかし尋常ではないルアウダの怒りように押されていた。エルヨ・ガリファイアはこういうまねをしてもかろうじて許してもらえるのではないかなという気がしていたのである。もちろん何発か思い切り殴られるだろうが、あまり迷惑をかけていないし、おそらくルアウダはそこまで怒らないだろうと。人がいいからという考えであった。しかしどうにも間違えていた。

 エルヨ・ガリファイアの叫びきいてすぐ、ルアウダが大きな声を出した。

「許すわけないでしょうがこの馬鹿!」

まったく許すつもりなどないというのが誰にでもわかった。真剣に怒っていた。真剣に怒るだけの理由というのがルアウダにはあったのだ。

 逃げるエルヨ・ガリファイアにルアウダが何度もステッキを振り下ろした。スカートのすそを持って、何とか追いかけているような状況だった。なんとしても根性をたたきなおさなくてはならないという気持ちがあるのだ。自分の後輩が、まさかこんな馬鹿なまねをするとは思わなかった。思わなかったから今からでも矯正しなければならないぞと。実際演技の指導をしたのはルアウダなのだ。馬鹿な真似をしてしまった後輩を正さなくてはならないという使命感があった。

 しかしルアウダは捕らえられなかった。何度ステッキを打ち込んでもエルヨ・ガリファイアを打ち据えられなかった。ルアウダというのがそもそも運動がへたくそである。走るのも遅ければ、球技関係というのもへたくそだった。そのためステッキの攻撃というのも非常にゆるかった。勢いこそ出ているが、誰にでもよけられそうな攻撃である。それに加えて、逃げ回るエルヨ・ガリファイアが非常に運動能力が高かった。すその長いドレスを着ているのにまったく関係ないといわんばかりのパフォーマンスを見せていた。狭いところならステッキもあたるだろうし、わざとあたりにいくこともできるが、本気で逃げ回られると当てるのは非常に難しかった。

 ルアウダが延々と攻撃を仕掛けてくる間に、エルヨ・ガリファイアがあわてて錬太郎の背後に回ってきた。ちょうど錬太郎の体を壁にするような感じであった。こうしておけば、ルアウダは攻撃してこれないだろうと考えたのである。錬太郎の体の大きさならば、女性の平均よりも身長の高いエルヨ・ガリファイアでも簡単に隠れることができていた。

 勝手に錬太郎の背後に隠れたエルヨが錬太郎にこういった。

「ちょっと先輩を止めてくださいよ。なんか久しぶりにマジ切れしてるっす!」

友達に話しかけるような気軽な口調だった。エルヨ・ガリファイアというのは特に難しいことを考えていなかった。今の彼女の頭にあるのはどうやって怒り狂っているルアウダをとめるのかということだけだった。錬太郎に引っ付いてきたのはなんとなくルアウダが錬太郎に目をかけているというのを見抜いたからである。

 エルヨ・ガリファイアにお願いされた錬太郎は心底いやそうな顔をした。言葉にはしていないけれども、どうしてお前のためにそんなことをしなくてはならないのだという気持ちが表情に出ていた。そもそも助ける理由がない。むしろこのままルアウダに突き出して、根性を入れなおしてもらえばいいじゃないかという気さえしていた。 

 お願いをされて困っている錬太郎がエルヨに言った。

「まず、説明をお願いしていいですか。どういう意味があってこんなまねをしたんですかね」

ほとんど突っぱねるような言い方だった。できるならさっさと戦いたいという気持ちがにじんでいた。実際錬太郎はエルヨ・ガリファイアのことを許していない。ほとんど殺意に近い感情があっただけに、よく耐えているという状態だった。助けてくれといわれて、わかりましたなどといってお願いを聞くわけがない。

 錬太郎が嫌がっている間に、スカートをまくったルアウダが錬太郎の目の前に来ていた。そしてこういった。

「錬太郎くん、ちょっとそこをどけてもらえないですか。私の馬鹿な後輩が、馬鹿なまねをしたので教育しなければならなくなったんです」

妙に丁寧な口調だった。そしてずいぶんきれいな笑顔だった。怒っているけれどもかろうじて、理性というのが残っていたのだ。まだ怒りをぶつける相手というのを選ぶことが、ルアウダにはできていた。

 ルアウダを前にして錬太郎が一歩引いた。完全に一歩引いていた。自分の背後からエルヨ・ガリファイアが押してくるが、そんなのは問題にならなかった。錬太郎が一歩下がるくらいに、ルアウダには迫力があったのだ。逆らったら、自分ごとやられると、そんな気持ちにさせるほどの迫力だった。

 錬太郎の背後に隠れているエルヨがこういった。

「あれはめっちゃまずいっすよ。まじやばっす。錬太郎君、先輩をなだめてプリーズ」

完全に錬太郎に対応を任せるという感じがあった。その間にもルアウダが錬太郎の背後に手を伸ばそうとするのだけれども、エルヨ・ガリファイアが手をよけるので届いていなかった。エルヨ・ガリファイアは本気で錬太郎にルアウダの対応を、任せるつもりなのだ。

 錬太郎は心底いやそうな顔をした。鬼のような顔をしたルアウダというのがそもそも恐ろしい。そのうえ、ここで下手に絡んでいけば間違いなく自分も説教を受けることになる可能性がみえていた。また、どうして自分が誘拐犯の肩を持たなくてはならないのかという気がある。しかし、ルアウダを落ち着かせねば話が前に進まないだろうという気もあって、やらなければならないのだろうなという道が見えていた。

 ルアウダがこういった。

「錬太郎くん、お願いだからそこをどいて頂戴。ほんの少しでいいの。ほんの少しの教育で済むから、ねっ?」

ほんの少しの教育では済ませないような声色だった。



 心底いやそうな顔をして錬太郎がルアウダにこういった。

「ルアウダさん、とりあえず落ち着きましょう。俺たち本当に心配したんですから。何があったのか教えてください。何もかもわかったら、好きなようにしてもらっていいですから。

 ですからあの、ここはおさめてください。お願いします」

錬太郎はルアウダの目をしっかりと見つめていた。そして本当に心をこめて、自分の気持ちを伝えていた。錬太郎は、こうすることが怒りを抑えてもらえる一番の方法だと考えたのだ。すべてを話し終わってくれたらエルヨ・ガリファイアの処遇は任せるつもりがあった。問題がない限りは。

 こういって錬太郎は頭を下げた。丁寧な礼だった。まったくこの礼を受けてしまったら、自分のほうに悪いところがあるのではないかと思うほど丁寧な振る舞いである。

 ルアウダの顔色がよくなっていった。鬼のような迫力がどんどん消えうせていった。そしてだんだんと冷静になっていった。錬太郎の礼をみて、そして言葉をきいて、目を見て、頭が冷えてきたのだ。今は自分の後輩のしでかしたことを正すときではないのだと。まずはやることをやらなくてはだめなのだとすぐに思い当たった。

 大きな鼻息を吐いてルアウダがこういった。

「錬太郎に感謝しときなさいよエル。マジで説教コースだから」

まだ言葉にはとげがあった。錬太郎の言葉で頭が冷えたけれども説教をするというのは間違いのない決定になっていた。

 説教の宣告を受けて、エルヨが錬太郎の背中越しに答えた。

「うぃっす」

ものすごくいやそうな感じはなかった。やっともとのルアウダに戻ってくれたかというほっとした感じがあった。というのがエルヨ・ガリファイアは結構な頻度でルアウダの説教を受けていたためそれほど堪えていなかったのである。



 やっと場が落ち着いたところで、シージオがこういった。

「さて、では話してもらいましょうか。私たちには教えてもらいたいことがいくつもある」

完全に警察官としての振る舞いであった。ルアウダとエルヨ・ガリファイアがもめている間に、シージオは大分冷静になっていた。そしていまやらなくてはならないことをざっと頭に浮かべておいていた。あとは一つ一つ質問を飛ばしていって、それを解決するつもりだった。

 シージオがエルヨにきいた。

「あなたがルアウダさんとイオニス君をさらった犯人で間違いないですか?」

 エルヨがうなずいた。

「そうでっす。私が先輩とそこの男の子をさらいました。ライオンヘッドさん」

 錬太郎の目の前にいたルアウダが一気にエルヨに近づいてきた。

 そしてエルヨの頭を小突いた。

 ルアウダがこういった。

「失礼のないように」

 エルヨがもう一度答えた。

「そのとおりです、シージオ捜査官。私がルアウダ・ピクラリヤとそこの少年をさらいました」

 シージオが少し困った表情をした。やりにくいなという表情と、わからないことがあるという表情が混じっていた。エルヨ・ガリファイアがいきなり口調を変えたということは、まだよかった。女優なのだろうということもわかっていたので、その手の技というのはいくらでも持っていると踏んでいた。しかし、わずかに会話をしただけで妙な親近感を覚えるというのはよくなかった。シージオはこういう手合いというのが苦手だった。とくに自然と行うのではなく技術として行うものというのは苦手中の苦手であった。

 シージオがさらに質問をした。

「私のことをご存知で?」

 エルヨが答えた。

「はい。あなたとあなたの相棒、オウル・コンシリアートル捜査官の話はダナム博士から聞いております。とんでもなくてこずらせた捜査官で、実験体としても桁違いだったと」

 シージオが眉間にしわを寄せた。確信を得たのだ。間違いなくダナム博士の関係者。そして強力な催眠能力を持っていることから、ネフィリムだと。

 さらに、シージオが質問をした。

「なぜ、こんなまねをしたのです。正直、私には何がしたかったのか、さっぱりわからない」

 ほんの少しだけ間をおいてエルヨが答えた。

「私の師匠であり憧れでもあるルアウダ・ピクラリヤの奥義に近づくために行いました。彼女は女優業を引退するという決意を固めていましたから、その前になんとしても彼女を上回りたかった。

 そして、もうひとつ目的があります。それはダナム博士の目的を助けるための時間稼ぎ。

完璧なネフィリムである錬太郎君をなんとしても月に向かわせないようにするための時間稼ぎです。私以外のネフィリムとすでに出会った後でしょう? 彼らと同じ目的が私にも与えられていたのですよ。

 そして私はやり遂げました。

そろそろダナム博士の乗った船が月に向かって飛び立つころでしょう。国際宇宙空港は封鎖されているでしょうけれど、プライベートな発着場は使えますからね。もちろん、予想していたでしょうがネフィリムを使わなければ時間のかかる障害物をいくつも用意していますから。ここにあなたたちが来た時点で、私の役目は終わっています。

 おそらくいくら残存兵力を無理やり集めても、間に合わないでしょう」

 シージオが悪態をついた。

「くそっ!」

シージオたちが立てた計画のひとつが失敗したと思ったからだ。シージオたちはまずダナム博士を月に上げないように動いていた。月にあげなければそもそも計画が発動しないような口ぶりであったからことから、どのように人類を絶滅させようとしているのかというのをシージオは当たりをつけているのだ。だからまずはそこから動いていたのである。しかしそれが失敗した。となると、後は残存戦力をつれて月に上って直接対決しかない。

 それを思うと憂鬱になる。何せ宇宙空間での戦いになるのだ。兵士たちの被害は桁違いになるだろう。悪態もつきたくなる。

 しかしすぐにシージオは持ち直した。

 そしてこういった。

「わかりました。ではすでにあなたの目的は達成され、私たちはいいようにやられたと」

 冷静を装っているシージオを見てエルヨが笑った。

「そういうことになりますね」

 シージオが錬太郎にこういった。

「少し連絡をしてくる。急がなくてはならなくなった。錬太郎、もしものときは頼む」

 シージオが劇場からあわてて出て行った。外で待機しているバリー・マーロンを使って状況を確認するためである。

 会話を終えたエルヨ・ガリファイアは微笑んでいた。そしてこうつぶやいた。

「操りやすくっていいっすね」


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