魔女 エルヨ・ガリファイア 一
イオニス少年とルアウダがさらわれたという情報を聞いてすぐだった。錬太郎がふらついた。明らかに体の調子を悪くしていた。目の焦点が一度消えて、どこを見ているのかがわからなくなっていた。また、エルバーハを討伐したときと同様に全身の力が抜けようとしていた。かろうじてたっていることができているだけで、強く押せば簡単に倒れるだろう。
錬太郎の体には、エルバーハを倒したときと同じような強い疲れというのが現れていた。二度目の感覚であったから、錬太郎は何とか耐えることができていた。しかし、錬太郎の心というのは深く揺さぶられていた。安全地帯にいたはずのイオニス少年とルアウダがさらわれたというのが、精神の支えをきってしまったのだ。しかし希望もあった。この希望が、錬太郎を立たせてくれている。さらわれたというだけなのだから、まだ生きているかもしれない。もっとがんばらなくてはならないと。
ふらついているけれども気力が高まっていく錬太郎は、自分の足元に光るものを見た。視点を結べなくなっていた両目が、たまたま足元で光るものを捕らえたのだ。ただの偶然である。見ようと思ってみたのではない。舗装されている道、舗装されている広場にあって、自己主張をするものがあった。銀色の砂のような粒である。銀色の粒というのは太陽の光を反射して、輝いていた。
錬太郎がふらつき始めてすこししてからシージオが錬太郎を支えた。ずいぶんあわてていた。今までの冷静な感じというのは吹っ飛んでいた。シージオの頭の中はずいぶんと混乱していた。そのため錬太郎の調子が悪くなっているというのにも気がつきにくかったし、なかなか行動に移すこともできなかった。というのが、警察署にいたはずの二人が、簡単に連れ去られるというのがそもそもおかしいのだ。
何せ警察署にはたくさんの生き残った職員たちがいる。彼らは怪物になったものたちを打ち倒せるだけの力があるのだ。それなのに簡単に二人だけを連れて行かれるようなことになった。考えられる可能性は二つ、圧倒的な力で連れ去られたか、二人が自分から出て行ったか。どちらにしてもおかしなことだ。シージオには判断がつかなかった。連絡が来ているのだから、警察署が全滅しているということはないというのだけが、心の救いだった。かろうじて落ち着いていられるのが、この全滅していないだろうという希望的観測があるからで、錬太郎の不調に気がつけたのも、この希望があったからだ。
錬太郎の体に手を触れたときである。シージオが錬太郎の体に起きている異変に気がついた。「これはいったい?」
完全にうろたえていた。ライオンヘッドの表情がゆがんでいた。シージオは錬太郎の体に起きている異変、体が銀の砂の粒に変わりつつあるという現象を発見してしまった。シージオはすぐにこの現象を、怪物たちが息絶えた後に変化する銀の砂の山に重ねることができた。そしてすぐに思い当たったのだ。今、錬太郎が死に向かいつつある。当然理由も簡単に思い当たる。これはネフィリムの力を使うことの代償。始めてネフィリムの力を自発的に使ったあのときの不調の理由も、これで簡単に説明ができた。だからこそうろたえた。瞬間的な死ではなくゆっくりと近づいてくる死に言いようのない恐れを抱いたのだ。
うろたえるシージオを見て錬太郎は、首を振った。静かな動作だった。かまうなという心をこめて振って見せた。錬太郎はうすうす気がついていたのだ。自分の体の不調の理由と、自分の体が徐々に銀の砂の粒に変化するという異常事態。つなぎ合わせていけばおそらくどうなっていくのかというのは簡単に想像できていた。何せ自分が始末してきた怪物たち、怪物になってしまった人たちの死体は、ことごとく人の姿を保てずに、銀の砂の山に変わるのだ。自分もまたそうなるだろうというのはわかっていることだった。覚悟済みなのだ。いまさらいちいち騒ぐようなことではなかった。少なくとも錬太郎にとってはいちいち言葉にする必要はない問題だった。
そしてこういった。
「俺のことはどうでもいい。ルアウダさんとイオニス君は?」
突き放した言い方だった。錬太郎はシージオにメッセージを送っていたのだ。自分たちにはやることがあるだろう。自分の体に起きている不調などどうでもいいだろう。まずさらわれてしまった人をどうにかするのが大切なのではないか。お前もそのつもりで、自分をここに連れ出したのだろうがと。
錬太郎が次の動きを教えてくれよと告げて、少し考えてからシージオが錬太郎を抱えて、輸送車に走った。発電所を守りきり、これからの復興が楽になったなどという楽観的な様子というのは、シージオにはなかった。つらいことばかりでどうして人生というのはこういう理不尽ばかりがおきるのかと運命をのろっているようであった。シージオは自分の心の弱さというのを痛感しているのだ。覚悟を決めて一般人を利用すると決めたのに、目の前で徐々に死に向かいつつあるものを哀れに思い、心が揺れた。人間なのだから、心が揺れるのも仕方がないことである。
しかしそのゆれを、生贄にささげたものに突かれるなどという失態を犯すのだから、情けないにもほどがあった。少なくともシージオはそのように思い、自分をなじっていた。ただ、切り替えも早く、シージオはすぐにやるべき行為を頭の中で組み立てていき、実行し始めた。
シージオが錬太郎を輸送車に運び込んでいたとき、輸送車の運転席でバリー・マーロンが連絡を取っていた。ずいぶんと慎重なやり取りを繰り返していた。バリー・マーロンは自分にできることが戦いにないということをよくわかっていた。どうやっても錬太郎とシージオのような威力を出すことはできないのだ。そのため彼らにできないことを積極的に担っていた。車の運転もそのひとつである。また、もしものとき連絡が来るだろうということで頭の中で算段をつけて、落ち着いて動けるよう構えていた。それが今、しっかりと実を結んでいた。
連絡を終えたバリー・マーロンが錬太郎たちに教えてくれた。
「ルアウダさんとイオニス君をさらったのは、エルヨ・ガリファイア。二人とも無傷で連れ去られています。警察署の被害はゼロ。真正面から入られて、何もできないまま連れて行かれたそうです。ご丁寧に、誘拐に来ましたと宣言してくれていたようです」
冷静に、丁寧ではきはきと、伝わりやすい口調だった。しかしどこか、ほっとしている様子があった。丁寧に話をしたのは、情報をしっかりと伝えなくてはならないからだ。情報の伝達というのは正しいければ正しいほどいい。間違えた情報を持っていって勘違いしたまま動いて失敗してしまったらまったく笑えない。少し安心しているのは、けが人も泣ければ、死んでしまった人もいないからである。もしもひどい状況になっていたら、それだけで悲しい気持ちになる。
大分冷静になってきているシージオがバリー・マーロンにきいた。
「要求は?」
できるだけ冷静であろうと勤めているようだった。仁王立ちの形をとって、目を瞑っていた。シージオは今、頭の中で必死になって考えていた。そして面倒な問題になるのではないかということもまた考えていた。その考えというのはエルバーハとネピルのような存在が動いているのではないかという考えである。バリー・マーロンの話でほとんど戦争状態になっていた警察署の防衛網を抜いてきたという話であるから、その可能性が高い。しかも無傷でやってのけるところを見ると、また一味違った技を使うかもしれない。そういうことを考えていると、どうにも冷静でなければならなかった。熱いままではやっていられない。
シージオの質問にバリー・マーロンが頭をかいた。解けない問題がある学生のようだった。バリー・マーロンは警察署との連絡の中で、エルヨ・ガリファイアが求めてきているものというのをきいてはいた。しかし、きいてはいたけれども、いまいち信用できなかったのだ。うそ臭い要求であったからである。警察署というのは悪ふざけで不幸の手紙だとか、いたずら電話というのがかかってくることが結構多いのだ。どうにもネピル・ガリファイアの要求というのはその手の要求とよく似ていて、真面目なところに話していいのか迷うところだった。
少し考えてからバリー・マーロンは答えた。
「シージオ先輩と、錬太郎君を、国立演劇場につれてくることだそうです。ここから高速に乗って一時間くらいのところですね」
答えるのがいやそうな感じがあった。それはそうだろう。シージオというのがものすごく本気になって考えているのだ。そんなところに、国立演劇場につれてこいなどという話をするのだから、怒られそうな気がしていやになる。かといって、答えないわけにはいかないのがつらいところであった。
おそるおそるこたえたバリー・マーロンにシージオがさらにきいた。
「それだけか? 本当にそれだけ? まったくなし?」
シージオは自分の毛むくじゃらの手をぷらぷらとさせながら聞き返していた。ぷらぷらと揺らすたびに銀色の砂の粒が宙に舞った。少し困っているように見える。信じられないようだった。子供のいたずらじゃないんだからというようなあきれもあった。シージオもまたバリー・マーロンと同じような印象を持っていた。ふざけた子供だとか大人だとかが警察署にいたずらを仕掛けてきて仕事の邪魔になるということが何度もあったのだ。そして何度か話し合う機会もあったくらいである。その出来事というのを当然シージオも知っていた。で、どうにもそのふざけているいたずらと重なっていたので信じられなかった。
シージオのあきれに同意しながらマーロンが答えた。
「まったく何もなしです。二人をピンポイントで連れて行ったみたいです。それと、気になることがあります」
バリー・マーロンは少しほっとしているようであった。シージオが自分がふざけているのではないかといって起こり始めないかと思っていたからである。しかし自分と同じようにふざけたことをやっているなというような反応を返してくれたので、安心したのだ。
シージオとバリーが話を進めているとき、錬太郎は自分の髪の毛を触っていた。自分の指を髪の毛に絡ませて、何か探しているようだった。錬太郎は髪型を気にしているわけではない。ネピル・トゥリフゥリとの戦いが終わってから、全身が妙にごわごわとして、気持ちが悪いのである。髪の毛というのが気になったのは、頭が何かざらざらとした感覚に襲われていたからである。ごみでもついたのかという気がして、それを取り払おうとしたのだ。
髪の毛を探っていた錬太郎が自分の手を見てみると、手のひらに銀の砂粒がついていた。ほんの少しの銀の砂粒である。輸送車の鉄板で補強されている窓の隙間から入ってくる光が銀色の砂粒に反射してきらきらと宝石のように輝いている。どうやらこいつが、微妙な体の違和感に通じるらしいというのが、すぐに錬太郎は思い当たった。全身に感じる妙なざらつき、ごわつく感覚というのは錬太郎の体が、銀の砂の粒に覆われてあるからである。正しくは銀の砂の山に、錬太郎がなりつつあったのだ。
錬太郎がぼんやりと自分の行く末を考えているあいだに、シージオがバリー・マーロンに話の続きを促した。
「気になることとは?」
シージオは対応に困っているようだった。錬太郎にではない。エルヨ・ガリファイアについての対応である。何せ要求というのが、いまいちつかみどころがない。エルバーハとネピルのような足止めを目的とした類で、錬太郎を消耗させようとしているとしたら、というより、その可能性が非常に高い。となったとき、シージオができる方法というのは錬太郎と一緒に戦いに向かうだけ、そして見ているだけだろう。それがどうにも、心苦しかった。
シージオの質問されるとすぐに、マーロンが答えた。
「エルヨ・ガリファイアは心を操る技を持っているみたいです。しかも操られたことがまったくわからないくらいに自然に操られるみたいです。
先輩方も大分へこんでましたよ。当たり前のように異物が入り込んでいるのに、まったく異物と思わなかったみたいです。イオニス君が少しあわてていたみたいですが、それもおかしいと思えなかったみたいです」
夢でも見ているような内容を語るバリー・マーロンだったが、嘘を話しているというような後ろめたい感情はない。バリー・マーロンの声には敵の情報を伝えているのだという真剣さが合った。つまり、エルバーハ、ネピルと同じような存在。おそらく錬太郎だとかシージオのようにありえないような技を使うような存在なのだと理解しているのだ。バリー・マーロンは目の前で錬太郎とネピル・トゥリフゥリの戦いを見ていたので、おそらくそういう技を使えるものがいてもおかしくないという気持ちがあった。警察署の職員は自分におきたことが信じきれないような調子で話をしていたが、おそらくシージオならば納得してもらえるだろうという気持ちがあった。
シージオがうなずいた。しっかりとうなずいて、信じきっていた。少しも馬鹿にするところがない。シージオもまたエルバーハとネピルの姿を思い浮かべていた。あの二人は特大の念力と、ちょっとした飛行能力を見せていた。そして、怪物を操る技をもってもいる。しかしおそらく個人個人の技量というのがあり、使いやすい技も分かれているだろうという推測がシージオにはできていた。そのため、特に人の意思を操ることができる技に適性を持ったネフィリムがいたとしてもおかしくはなかった。むしろシージオはイオニス少年のことが心配であった。何せ、イオニス少年にはいまいち心理的な操作にかかりにくいような様子が聞き取れていたからである。もしもききにくいというのなら、それだけで十分危害を受ける可能性がある。
腕を組んで考えていたシージオがマーロンに命令した。
「私たちは直接、演劇場に向かおう。待機しているものたちは計画通り動いてくれ。ダナム博士の計画だけは、なんとしても阻止しなければならない。
へこんでいるのかもしれないが、持ち直せと伝えてくれ。エルヨ・ガリファイアの目的はおそらくエルバーハとネピルと同じだろう。私たちは邪魔者を排除してから合流する」
覚悟が決まったようだった。シージオはエルヨ・ガリファイアの能力から、おそらくネフィリムだろうと予想を立てた。そうしてネフィリムだというのなら、その行動の目的というのは完全なるネフィリム、錬太郎を足止めすること。当然だけれどもいかなければ、人質はどうなるかはわからない。的確にイオニス少年とルアウダを狙ったのはおそらく心を読んだか、警察官たちから直接聞き出したのだろう。であれば、何にしてもいかなくてはならない。見逃せる障害物ではないのだから。
仮に、へそを曲げられるようなことになれば、何がおきるのか。エルバーハとネピルと同じレベルの念力で無差別に攻撃を行われるなどということもありうるのだ。それは避けたかった。
シージオが決定を下すとマーロンがうなずいた。そうしてすぐに警察署に連絡を出した。




