ネピル博士と発電所 三
警察署の廊下をシージオが錬太郎の先導をする形で歩いていた。二足歩行するライオンが背筋をまっすぐに伸ばして歩く姿というのはなかなかの威風がある。シージオが錬太郎の前を歩いているのは、錬太郎の体力を使わせないようにするためである。自分が目立つ格好で歩いていけば、それほど人の目が錬太郎に集中しないだろうと考えたのだ。何せ錬太郎というのはエルバーハと同じだ。よくわからない力を持つネフィリム、人からしてみれば怪物二歩からないのだ。いい感情を持たないものも当然いて、恐れの視線を向けるものもいる。その視線を錬太郎に向けるというのをシージオが嫌がったのだ。
自分よりも大きなライオンの背中を錬太郎は追いかけていった。シージオとは反対に錬太郎は少し背中が曲がっていた。背筋はまっすぐだけれども、胸を張っているようなところはない。普通に歩いているだけなのだが、シージオが目立ちすぎてどことなく曲がっているような感じがあった。錬太郎は流石にシージオほど背筋を正して歩くというのができそうになかったので、普通に歩いていた。というか、シージオほどまっすぐにやっていると少しふざけているようにも見える。
廊下の途中でルアウダとであった。ルアウダの目が少し赤くなっていた。ルアウダはバリー・マーロンの奥さんに付き添われていた。バリー・マーロンの奥さんが、ルアウダの護衛をしているのだ。何せルアウダというのは有名人である。そんな有名人が、一般人と同じところにいると騒がしくなる。特別扱いをするというのも限度があるが、下手な混乱が起きるよりはずっとよかったのだ。ルアウダが廊下にいたのは、居場所がなかったからではない。錬太郎を待っていたのである。
ルアウダを見つけた錬太郎はルアウダに挨拶をした。
「少し出てきます」
実にさわやかだった。まったく迷いがないというのが誰にでもわかった。
錬太郎の言葉に少し遅れて、ルアウダがうなずいた。何かいいたいことがあったのだろう、口元が少し震えていた。しかしうなずくことしかできていなかった。ルアウダは錬太郎の心が決まってしまったのだというのを感じ取ったのである。まったく自分の言葉が入り込む様子がない。その入り込む様子がないのが、悲しかった。入り込めないのがわかったからこそ、うなずいて、送り出すことしかしなかった。水を差すのだけはいやだったのだ。
うなずいたルアウダをみてイオニス少年が、ルアウダのところに走っていった。ばたばたと走って、リュックサックが上下に激しく揺れていた。イオニス少年はルアウダが心配だったのだ。錬太郎は触れなかったけれどもどう見ても泣いているようにしか見えなかったというのも、心配するのには十分な理由であった。錬太郎はうすうす気がついている涙の理由はイオニス少年にはわからなかった。
イオニス少年は、ルアウダに
「大丈夫?」
ときいていた。相手のことを心配する優しい声だった。ただただ、心配だったのだ。
まったくうつむくばかりのルアウダと心配そうに見ているイオニス少年を横目に見てシージオが錬太郎に先を促した。
「さぁ、バリーが待っている」
あふれ出てくる感情を抑えているのがばればれであった。いっそのこと冷たい心だけを持っていられたのならば、楽に生きられただろう。
錬太郎がうなずいた。自分に任せてくれよという自信に満ちていた。体の調子こそ悪かったが、その気力というのは肉体を操るのには十分すぎるほど満ちていた。
バリケードの向こう側に輸送車が、止まっていた。輸送車といってもただの輸送車ではない。鉄板で守られていて、戦車のたたずまいである。輸送車の窓のようなところからのぞいているのは、銃口だ。このような輸送車は戦場でなければ使い道がないだろうと思うようなつくりである。この輸送車を使って、錬太郎を発電所まで連れて行くつもりなのだ。運転手はバリー・マーロンである。 バリケードを守っていた警察官たちが、錬太郎たちを激励した。
「シージオさん、錬太郎君、発電所は頼んだ! ここは任せとけ!」
野太い男の声があちらこちらから上がっていた。そして、女性の声もちらほらと聞こえてくるが、男性の声援よりも少し過激な感じがあった。警察署の職員たちは、錬太郎が何者であるかというのを知っていた。そして戦ってくれるということを知って、仲間だと思ってくれているのだ。そして恐ろしいと思う職員もいたけれども、命がけでやってくれているのに、無碍な扱いなどできるかと思うものばかりだったのだ。
励ましを受けた錬太郎は、警察官たちに一礼して輸送車に向けて歩いていった。きれいな礼だった。錬太郎は振りかえらなかった。今の顔を誰にも見せるわけにはいかなかったのだ。激励が胸に刺さっていた。戦うには十分すぎるほどの理由ができていた。
輸送車に近づいたとき、運転手を買って出たバリー・マーロンが錬太郎に挨拶をした。
「おう、錬太郎君! 元気か!」
大きな声だった。しかしビビッているのがよくわかった。顔色が非常に悪い。錬太郎のことを恐れているのではない。これから怪物がうろついているだろう場所へ、ほとんど助けもないのにもかかわらず向かわなくてはならないという状況を恐れているのである。しかしここにいるのは怪物がうろついている状況よりも、ライフラインの確保というのが重要であると知っているから。そして自分ならその手伝いができるという確信があったからだ。バリー・マーロンには勇気があったのだ。
バリーをみて錬太郎は苦笑いを浮かべた。大丈夫だろうかという感じだった。何せバリー・マーロンの顔色のほうがずっと、悪いように見えていた。声が元気なだけで、顔色が悪いので、どうにも不安定な感じが高まって余計に心配になる。
苦笑いをしていてもしょうがないので、錬太郎はこうかえした。
「元気っす」
完全に砕けていた。少し年上の先輩に接するような気軽さがあった。シージオのようにおそらくはるかに年上だろう人というのにはいまいち距離があるけれども、バリー・マーロンほど年齢が近い相手だと、なんとなく親近感が沸くのだ。
錬太郎の返事に、バリーがこう返した。
「そうか。そりゃいい。発電所までは俺に任せてくれ!」
バリー・マーロンは自分の胸をたたいて見せた。バリー・マーロンは自分の役割をきっちりやってやり遂げてやるという覚悟があったのだ。錬太郎とシージオのような武力は持っていないけれども、二人を案内することはできると。
シージオはさっさと輸送車に乗り込んでいった。バリー・マーロンのやる気なんて知ったことではないという感じだった。シージオはバリーのことをよく知っていた。そのため彼がやる気満々になっているのを見ても、いつもどおりだなというようにしか思わないのである。しかも今はさっさと発電所に向かわなくてはならない状況である。いつもどおりのバリー・マーロンにはかまってやれないのだ。
一方で錬太郎は任せろというバリーにこういっていた。
「よろしくお願いします」
錬太郎はどういう道のりで発電所に行けばいいのかというのもわからなければ、体力もそれほど充実しているわけでもない。助けてもらえるのならば、助けてもらいたいという気持ちがあった。だからバリー・マーロンにお願いをしたのだ。自分たちを運ぶ役目を、しっかりやり遂げてくださいよと。
バリーがこういった。
「おう!」
目がきらきらと輝いていた。警察署の職員たちはバリー・マーロンに見慣れているので、こういう扱いをしてくれる人というのがほとんどいないのだ。そのため錬太郎のようにお願いをしてくれると、なんとなくやる気が沸いてきてしまう。期待にこたえてやるぜという気持ちである。
挨拶を交わした後、錬太郎が輸送車に乗り込んだ。少し足元がおぼつかない様子であった。何にしても、輸送車に乗り込んで、移動しなければ始まらない。
錬太郎が乗り込むと、輸送車の扉がしまった。自動ドアである。ちょうど路線バスの扉が開くのとよく似ていた。少し違っているのは、扉の動く音がうるさいというところだけの違いである。鉄がすれるような音と、ばねがきしむような音がすごかった。これから動き出すという合図である。
輸送車が動き出した。バリー・マーロンの運転というのはシージオの運転と同じくらいに丁寧だった。ただ、シージオの運転よりは勢いが出ていたので、シージオが思っているよりも早く発電所に着くだろう。
輸送車は発電所に向けて走っていった。
発電所の前にたくさんの怪物たちがいた。怪物の見本市というような有様である。すでに人間の形を保っているものはほとんどいない。恐竜のような姿のものから、生命体とは呼べないような金属的な質感を持ったものまで、さまざまであった。おそらく人間だったのだろうとしか言いようがないのが、物悲しい。この怪物たちは自分の腹を満たすために発電所に集っていた。発電所の周りをうろついているのは、このあたりにエネルギーになるものが多かったからである。当然そのエネルギーになるものには人間も含まれていた。
発電所の門はしっかりとしまっていた。怪物たちの進入がないのは、発電所の防衛システムがしっかりとしているからである。空から来るものさえ防いでいるところを見ると目に見えない壁というのもあるらしい。しかし発電所というのはそれだけ重要な施設であるから、対策をしておくというのはまったくおかしなことではない。何せここが壊されてしまえば、ほとんどの機能が使えなくなるのだから。人間で言うところの心臓、失われてはならない部分なのだ。
錬太郎たちが発電所の近くに到着すると、発電所の中からスピーカーで拡大された声が聞こえてきた。
「申し訳ありませんが、そのごみどもを始末してもらえませんか。発電所の中に入れたくないんですよ。そいつらを片付けてもらえたら、防衛システムをきって、あなたたちを迎え入れます」
男性の声だった。少しざらついていた。口を開くのが久しぶりという感じがあった。この声の主が警察署にメールをわざわざ送りつけたネピル・トゥリフゥリ博士である。
輸送車が怪物たちから離れたところで止まった。怪物たちの興味というのは発電所に向いているので、輸送車が五十メートルほどのところまできても興味を示していなかった。輸送車が離れたところに止まったのは、危ないからである。錬太郎とシージオがこれから怪物を打ち倒しに行くのだけれども、怪物たちの攻撃に、輸送車が耐えられるとは限らない。特に、バリー・マーロンが耐えられるのかがわからないので、離れたところで待機、もしものときはさっさと逃げられるようにという配慮があった。
輸送車の中でシージオが立ち上がった。そしてこういった。
「私だけでも十分だろう」
本当にまったく気負ったところがなかった。シージオはうぬぼれているわけではない。恐竜のような怪物にも、金属の肌を持った怪物にも、まったく敗北するという気がしなかったのだ。実際勝てると踏んでいた。何度か怪物と遣り合って感じた感覚が、その自身の根拠になる。
シージオに続いて、錬太郎が立ち上がった。
「俺も行きますよ。そういうつもりでついてきていますから」
少しふらついていた。しかし戦うという心はまったく萎えていなかった。錬太郎はシージオ一人でも勝てるだろうとは思っていた。しかし自分の力というのを確かめたいという気持ちがあったのだ。よく理解できない理屈で、自分の体に宿った力というのがある。そしてそれを使いこなせているのかいないのかというあいまいな状態。いっぺんは使いこなせるか試したかった。実験だ。
運転手のバリー・マーロンが二人を激励した。
「二人とも気をつけて!」
緊張していた。何せバリー・マーロンの目の前には地獄絵図が広がっているのだ。どの角度から見ても拳銃で対応できないとわかる巨体。そして金属の質感をもった怪物。それが一匹だとか、二匹とかならいい。輸送車で引けばいいのだから。しかし目の前に広がるのはその群れなのだ。まったく勝てる気がしなかった。勇気を持ってここまできたが、流石に尻尾を巻いて逃げ出したかった。
錬太郎とシージオが輸送車から降りていった。二人ともまったく気負っていなかった。二人はこれから、怪物の群れを、本気で二人だけで叩き潰すつもりなのだ。そしてまったく負けるという気がなかった。
十分後、錬太郎とシージオはあっという間に怪物たちを静めていった。錬太郎の拳がうなり、シージオの足技がこれでもかというくらいにさえていた。シージオの武技というのは警察になったものが使う武術なのだけれども、これほどまでの冴えを見せるものはなかなかいないだろう。普通の人間相手だと、命を奪うわけに行かないため手加減をすることになるが、まったくそれがない。そのため、シージオのわざと言うのは一発即死の必殺技に変化していた。
一方で錬太郎は自分の新たな力を存分に使って、怪物の相手をしていた。今まで自分におきていた謎の現象についての説明がつくようになったことが、余計に錬太郎の力を高めていた。柔術から、単純な打撃技。これを念力を絡めて行う。そうなって現れるのが、錬太郎よりも大きな体を持つ怪物たちのお手玉。見ていて気持ちのいい戦いぶりだった。相手が怪物であるということから、手加減の気持ちがまったくないのが、余計に二人の強さを高めていた。
そして発電所の前には、銀色の砂が散らばるばかりになった。先ほどまで見えていた灰色の舗装されている道が消えうせて、銀色の砂漠のような状態である。二人がたたき殺した怪物たちの死体が、あっという間に銀色の砂の固まりになったのである。
発電所の中から、スピーカーで拡張された声が聞こえてきた。
「ありがとうございます。これで安心して門を開くことができる。では、お入りください」
少しはしゃいでいるようだった。声の主、ネピル・トゥリフゥリというのはうれしいのだ。自分が占拠している発電所に集めたごみどもが消えたこと。そして、錬太郎とシージオが現れてくれたことが。問題がきれいになくなって、やっと望んでいた光景というのが見えるということで心がわくわくしていたのである。
アナウンスから少しして門が開いた。発電所を守っていた門が重たい音を響かせながら開いた。ネピル・トゥリフゥリが錬太郎たちを招いているのだ。
すでに門に近いところにいた錬太郎とシージオは歩いて中に入っていった。車まで戻るというのもあったが、五十メートルほど離れていたので、無駄に歩くことになる。
その後から、輸送車が入ってきた。少しだけ運転が荒かった。というのがバリー・マーロンが錬太郎とシージオの戦いぶりを見て、興奮してしまっていたからである。錬太郎とシージオの戦いぶりというのはあまりにも派手だった。錬太郎はバンバン巨大な怪物を投げ飛ばすし、シージオは金属のよう肌を持つ怪物たちを拳で砕いていった。まるで映画でも見ているような光景である。恐ろしいと震える心臓は、いつの間にか目の前で繰り広げられる華々しい光景に震えるようになり、はしゃいでしまう。終わった後もその感動と興奮というのはなかなかさめない。プロレスを見た帰りのファンのような顔をバリー・マーロンはしていた。
輸送車が入ったところで、門が閉まった。怪物たちを入れないためである。そして錬太郎たちを逃がさないためである。
錬太郎とシージオが発電所にたどり着いたところで、またスピーカーが鳴った。
「そこで待っていてください。すぐに向かいます」
あわてているようだった。ネピル・トゥリフゥリというのは今玄関からかなり離れたところに陣取っていた。彼は管理室に陣取っていて、そこから発電所を守っていたのだ。この管理室というのは発電所の中でもなかなか深いところにあって、玄関からはかなり遠い。お客さんを呼んだのはいい。しかしコントロールできるのが自分だけである。まったくお迎えのことをネピル・トゥリフゥリは考えていなかったのである。カッコウをつけた手前、格好良くお出迎えというのが一番だったのが、少し失敗していた。
五分ほど錬太郎とシージオはおとなしくそこで待った。錬太郎もシージオも少し退屈そうだった。錬太郎は体の調子がだんだんとよくなってきていることで安心しているようだったが、シージオは曇り空を見上げて、ぼんやりとしていた。二人とも待ってくれといわれて、思いのほか待たされているので、困っていた。
さてそろそろ出てきてくれないかというところで発電所の玄関から白衣を着た男が現れた。三十歳位の見た目である。髪の毛がいろいろな方向に跳ねている男である。身長が錬太郎ほどではないが高く、細身だった。いかにも科学者という感じの顔をしている。ただ、ネピル・トゥリフゥリの目というのはエルバーハだとかシージオのような力をたたえていた。黙っていればそれなりに威厳があるのだろうが、そんなものはない。大分急いでやってきたのだろう、シャツがはみ出ていた。
白衣を着た男ネピル・トゥリフゥリはこういった。
「失礼ばかりして申し訳ない。私はネピル・トゥリフゥリ。メールにも書いておきましたがダナム博士の弟子です。超能力技術研究所では統括部長をしていました」
髪の毛があちこちにはねているのを手で直しながら、自己紹介をしていた。一応名前だけは伝えておいたけれども、礼儀としてもう一度名乗っていた。できるならもう少しいい格好で出てきたいという気持ちがネピル・トゥリフゥリにはあったのだが、できなくて恥ずかしそうにしていた。
ネピルの自己紹介の後、シージオが軽く自己紹介をした。
「私の名前はシージオ・ケラスイア。警察官です」
礼儀としてやっておくかという冷たい感じの挨拶だった。シージオはネピル・トゥリフゥリのことを信用していない。どう見ても罠だろうとしか言いようのない状況であるし、ダナム博士の弟子というだけで十分疑わしい。
錬太郎がシージオに習って自己紹介をした。
「花飾錬太郎です。よろしく」
信用してませんよという気持ちがそのまま現れた冷たい挨拶だった。錬太郎にしてみるとダナム博士の弟子で、なんとなくエルバーハに近い感覚があるというだけで十分疑う理由になる。何か確固たる証拠がない限りは、心は許さないという気持ちでいっぱい。むしろ戦うつもりで満々なのだ。仲良くするつもりなどなかった。
白衣を着た男ネピルはこういった。
「ご丁寧にどうも申し訳ない。
それで、早速本題なのですが、私はこの発電所を警察の皆さんに任せたいと思っているのです。この発電所は重要なライフラインですからね」
冷たい対応にもまったくめげている様子がなかった。ネピル・トゥリフゥリは自分が信用してもらえないということがよくわかっていたのである。もしも自分が錬太郎とシージオの立場であったら、絶対にこんなところには来なかっただろうという考えもある。何せ怪しすぎる。二人がここに来たのも、ここに来なければライフラインが切れるという脅しがあったからであるともわかっていた。自分たちを脅すような人間を信用できるかといわれたら、絶対にうなずけない。わかっていたからこそしょうがないという気持ちで接しているのである。
白衣を着た男ネピル博士の言葉にシージオがうなずいた。
「はい、その件につきましては本当にありがとうございます。
あなたがたがいなければ、おそらくライフラインのほとんどが失われていたでしょう」
感謝の念がこめられていた。まったく嘘ではないのだ。電力が失われた瞬間、警察病院の施設のほとんどがいったん停止することになる。また、水道、機械の類もほとんどが動かなくなる。発電機を持っている建物もあるが、限度があった。社会が混乱している状態で、電力が使えるというだけでも救いなのだ。何せ電力がなければ水も引っ張ってこれないのだから。
白衣を着た男ネピルが、笑った。少し驚いているようでもあった。また、ありがとうといわれる身分ではないという気持ちも隠れていた。ネピル・トゥリフゥリというのは今回の事件の主犯ダナム博士の弟子。邪推してみれば関係者である。混乱を引き起こしたのも、いってしまえば自分だといわれても間違いではない。恨み言をぶつけられても、受け入れるつもりだった。何せそれだけのことをしたのだから。そこにお礼などがくると、どうにもむずがゆい。
そして笑っている白衣の男ネピルにシージオがきいた。
「あの、ネピル博士、ひとつお聞きしたいことがあるのですが」
丁寧な調子だった。
ネピルが答えた。
「何でしょう?」
少しだけ声が弾んでいた。いくらでもこたえてやろうという気もちになっていたのだ。うらまれているよりも好れているほうが気分としてはいい。好意が口を軽くさせている。
シージオがきいた。
「発電所は、あなたお一人で?」
声のトーンがひとつ下がっていた。シージオはずいぶんと真剣な面持ちであった。発電所を切り盛りしていただろう、たくさんの人たちのことがシージオは気にかかったのである。もしも生きているのならば、つれて帰りたい。そういう思いもあった。
ネピルが答えた。
「そのとおりです」
平坦な調子だった。いまさらそんな当たり前のことを聞いてくれるなという面倒くさい気持ちも含まれていた。何せダナム博士が全世界に悪意を振りまいて、人類というのが滅亡しているのだ。たまたま生き残っている人間はいるけれども、怪物に変えられた者たちのほうが、はるかに多いのに、たまたま発電所の人間が、無事でいられるわけがない。
シージオがきいた。
「なるほど、そうですか」
ものすごく残念そうな顔をしていた。シージオはただ、発電所にいただろう人たちの命の事を悔やんでいた。
シージオがさらに続けた。
「どうして、ダナム博士を裏切るようなまねを?」
警察官らしい質問であった。まずそこが知りたいというのがシージオにはあったのだ。そして信用できる理由であれば、自分たちの陣営に入ってもらいたいという気持ちもあった。その確認作業である。もしも博士のために動いていて、今もそのために働いているというのならば、戦いになるだろうけれども、まずは確認だった。
少し考えてから、ネピル博士が答えた。真面目な顔をしていた。
「裏切ったつもりなんて少しもありませんよ。
完全なるネフィリムを足止めするというのが私たちが受けた命令ですからね。
発電所を守ったとしても時間稼ぎになっているのならば、問題のない行為です。爺との約束は守っている。あなた方が爺の計画をとめられなければ発電所が守れても意味がありませんからね。
それに、こうすれば見たかったものが見れるかもしれない。私はね、ネフィリムの最高の力を見てみたいんですよ。むしろこれが私にとっての一番の理由でしょうね。爺の思惑よりも、自分が確かめたかったものを確かめたい。
せっかくのチャンスなんです、乗らないのはおかしいでしょ? そう思いませんか?」
少しふざけているような感じがあった。ネピル・トゥリフゥリが挑発まがいの言葉を吐いたのは、錬太郎を実際に見て、体験するためだ。彼の言葉に嘘はない。
錬太郎が、ネピル博士をにらんだ。エルバーハの相手をしているときの錬太郎の目であった。錬太郎は、目の前にいる白衣の男ネピルが間違いなく敵対者であると認めて、戦いのトリガーを引いていたのだ。
そして錬太郎はこういった。
「エルバーハの同類か?」
もしもただの人間であるならば、手加減しなければならない。普通の人間なら、警察署に連行して、尋問にかける必要がある。いきなり殴りつけるわけにはいかなかった。事故を防ぐ、その確認作業である。
ネピル博士が笑った。楽しくてしょうがないのだろう。腹を抱えて笑った。ずいぶんと錬太郎が丁寧な作業をしたからである。問答無用で攻撃をしてこないのが面白かった。まったく気がつかないうちに、命を奪われて、何も見えないかもしれないというのも頭にはあったのだ。それがどうにもいちいち確認を取ってくれて、気遣ってくれるのだから、たまらなかった。
笑い終わってネピルがいった。
「君とも同類だね。ネフィリム!」
ネピル博士の体から、光があふれ出した。エルバーハよりも激しい赤色だった。体の内側から光が滲み出してきた。そして光が衣服のような形をとり始める。ネピルの体からにじみ出てきた光は白衣と同じような形になって彼の体を包み込んだ。ネピル・トゥリフゥリは錬太郎たちと全力で戦うつもりだ。
ネピルの宣言とほとんど同時に、錬太郎の体を光が包んだ。錬太郎の体がわずかに輝いた。あっという間に光のコートが生まれていた。夕焼けのような色の光だった。錬太郎もまた、ネピル・トゥリフゥリと全力でぶつかるということを覚悟したのだ。
ネピル博士が大きな声を出した。
「美しいな。朝焼けみたいだ」
楽しくてしょうがないらしい。声が弾んでしょうがなかった。実際楽しくてしょうがないのだろう。ネピル・トゥリフゥリはこの完全なネフィリムを見るためだけに人類に喧嘩を売ったようなものなのだから。これさえ自分の目で確認することができれば、それこそ殺されてもかまわないと思っていた。それが今目の前で、自分を殺すために動いてくれている。最高の体験だ。
錬太郎は吐き出すように行った。
「何なんだお前らは!」
ただただ、腹が立っているようである。何せ錬太郎にしてみれば、まったく面白いことなどないのだ。今の状況でさえ、人の命が簡単に消えていく。また、これからも失われていくだろうという話なのだ。完全なるネフィリムだとか博士の思惑などどうでもよかった。奪われるかもしれないということ自体が、錬太郎の怒りになっていた。しかし奪われたという激しい怒りの中に、別のものも混じっていた。錬太郎は気がついていないが、この感情はエルバーハとであったときに感じたものと同じだった。この自分に混じる奇妙な感情が余計に怒りを加速させる。




