警察署とエルバーハ 四
錬太郎とイオニス少年がぼんやりとしているところに、ルアウダが現れた。ずいぶんと体力を使ったようだった。ルアウダが中庭に現れたのは、自分のファンから離れるため。離れて、体を休めるためである。どこにいてもファンが押し寄せてくるので、彼女というのはまったく休む時間がなかったのだ。どこか休めるところはないだろうかと聞いて、ここにきた。
ルアウダは錬太郎とイオニス少年を見つけると、一気に駆け寄ってきた。体力がなくなっていると見えていたが、まだ体力は残っているようだった。やっと自分に対してべたべたしない人たちと出会えたということで、うれしいのだ。ちやほやされないというのもつらいが、してくれるというのもうっとうしい限りである。時と場合によるのだ。
そしてこういった。
「ちょっと失礼していいかしら」
いいでしょうかという下手に出た感じではない。座るけれどもかまわないよなという確認のための言葉である。仮にここでだめですといって断っていたとしてもおそらく無理に座ってくるだろうというような調子さえあった。引退を引きとめようとするファンに結構付きまとわれて気分を悪くしていたので、錬太郎とイオニス少年と触れ合うことで気分をルアウダは回復させようと考えていた。
イオニス少年はうなずいた。イオニス少年は少しばかり引いているようだった。ルアウダの有無を言わさぬ様子というのが、今まで見てきた姿よりも威圧感があったからである。
錬太郎も同じようにうなずいた。好きなようにしてくれとというような無関心な感じがあった。ベンチにはまだ空きがあるので、いちいち断らなくてもいいだろうという、ぶっきらぼうな感覚である。ルアウダのような状態になっている女性には何を言っても無駄だと知っていたのである。錬太郎の姉、晶子がよく教えてくれていた。
息が荒くなっているルアウダに錬太郎はこういった。
「だめだっていっても無理にすわるつもりっしょ。ルアウダさん」
からかうようにいった。ルアウダを見ているとなんとなくからかいたくなる雰囲気があるのだ。女優だからからかわないという発想が、錬太郎にはなかった。近所のお姉さんに冗談を飛ばすような気軽さがある。
ルアウダがベンチに座った。ドスンという感じだった。優雅さというのはどこにもない。錬太郎にからかわれて怒ったということではなく、いちいち女優として振舞うのをやめただけである。これがルアウダの普通の振る舞いなのだ。
イオニス少年が、錬太郎にささやいた。
「どうしたのってきかないの?」
ベンチに座ったルアウダというのが座ったまま黙ってしまったからである。しかし、黙っているのがすきだから黙っているという風には見えなかった。話を聞いてほしいのだけれども、自分から話を振るのがいやだというのがイオニス少年にも感じ取れていた。だから錬太郎に聞いたのだ。おそらく誰かが話を振らなければ、ずっと黙ったままだぞと。
イオニス少年のささやきに錬太郎は、ささやき返した。
「俺がやんの?」
面倒くさそうだった。錬太郎は、なんとなく長い話になりそうな予感があったのだ。そのため、話を聞くというのがいやだった。
いやそうにする錬太郎にイオニス少年が小さな声でささやいた。
「コイン」
コインを拾った功績を評価して、錬太郎が変わりにやってくれないでしょうかということである。
錬太郎が、苦笑いをした。
「了解」
意を決した錬太郎が、ルアウダに声をかけた。
「あの、ルアウダさん」
恐る恐るだった。錬太郎はもしかするとこれから絡まれるかもしれないという考えがあるのだ。もしも絡まれたりしたときには、きっと面倒くさいことになるというのが頭にある。どうしてもその面倒を考えるとたまらなくなるので、少し引いた対応をしてしまうのであった。
ルアウダが錬太郎のほうを見た。うれしそうだった。やっと話を聞いてくれたという気持ちでいっぱいなのだ。
そしてこういった。
「なに?」
錬太郎が少し引きつった。
錬太郎は聞いた。
「何かあったのですかね? 機嫌がわるそうですけれども」
ルアウダがうなずいた。よしやってやるぞという気合がこもっていた。
そして語り始めた。ルアウダの話というのは自分のファンというのが自分のことを一人にしてくれなかったという話と、そして、自分の引退を取りやめにしてくれないかというお願いで大変だったという話である。これを、いちいち登場人物になりきった演技を交えながら、詳しく話してくれた。素晴らしい演技だった。話はまったく頭に入ってこないけれども、素晴らしい演技だった。
話を聞いている間、錬太郎とイオニス少年はうなずくばかりであった。完全に演技の迫力に負けていた。
そして最後に、ルアウダは錬太郎の肩をつかんだ。錬太郎の肩に指が深くめり込んでいた。猛禽類が獲物を捕らえる動作とよく似ている。
錬太郎は動けなくなった。まったく脈絡のない行動だったからである。錬太郎は一応話を聞いていた。話の流れからすると、いろいろな人との出会いがありましたというところで終わりだろうという予想がついていた。しかしそれが急に、自分の肩をつかむという行動に変わったのだ。さっぱり流れがつかめずに、錬太郎は驚いてしまったのだ。そして固まってしまった。
ルアウダの目が、錬太郎を捕らえていた。鋭い目である。結構な力が宿っていた。
ルアウダがこういった。
「あんたの記憶がないって話、さっき警察の人から聞いたわ。私が、私が、助けてあげる。こう見えてもそこそこ人脈があるわ。崩壊したから、どのくらい無事なのかはわからない。でもね、私があんたを助けてあげるわ。恩返しよ恩返し」
錬太郎は、何度もうなずいた。
そうして話をしていると、シージオが中庭に現れた。肩をぐるぐる回して、関節を伸ばす運動をしていた。動くたびに体から銀色の砂の粒がはじけていた。少し疲れている様子だった。
シージオを見つけたルアウダの目が鋭くなった。
シージオは片手を挙げた。知り合いに挨拶をするときのポーズである。今のシージオがやると招き猫のようにも見える。
シージオが錬太郎にこういった。
「まず、私たちの結論からきいてもらいたい。私たちはダナム博士の計画をなんとしても阻止する。そのために残っている戦力をすべてを使う。国防軍、警察、民間企業。一般人はもちろんのこと、記憶障害をおこしているものも使う。また、阻止するための手段を選ばない。何でもやる」
シージオの結論を聞いて錬太郎がうなずいた。
シージオが両手を組んだ。
ルアウダが錬太郎の肩に手を置いた。
ルアウダの射抜くような目を無視してシージオが錬太郎にこういった。
「錬太郎君、君にも戦ってもらいたいと思っている。君が何者であるのかは、私にはわからない。しかし間違いなく博士の計画を阻止する要になるだろう。ダナム博士のあわてようから、それがわかる。だから、少しでも成功率を上げるため、私たちと一緒に戦ってもらいたい。人類のために戦ってもらいたい」
錬太郎は、少し目を伏せた。錬太郎は自分がやろうとしていることを考えていたのだ。考えるとは、どうするのかといって考えることではない。どうやって説明をするのかという問題である。錬太郎は、誰かのために戦うという気持ちになっていた。しかし、誰かのために命を使うということが馬鹿な行動であるというようにも感じていた。少なくとも錬太郎の肩をつかんでいるルアウダは納得しないだろう。理由を聞いても納得はしてもらえないに違いない。この理解されないだろう決定をどうしたものかと錬太郎は考えたのである。
悩んだ結果錬太郎は、ポケットのコインを取り出した。理解されないのは目に見えていた。しかし決定を譲るつもりもない。だからいっそのこと運命に任せたように装うつもりなのだ。運命がそう決めたから、自分は道を選んだ。そう突っぱねるつもりであった。当然、コイントスの表が出ようが、裏が出ようが、まったく関係はない。まだ、胸をはれるほどの気持ちはないのだ。
ルアウダとシージオが呆然としているところで、錬太郎はコインを親指ではじいた。
コインが宙を舞った。
コインが錬太郎の手のひらに落ちた。
コインは裏側を示していた。
一連の動作を終えた錬太郎を鋭い目でルアウダが見つめていた。ルアウダは錬太郎が行っていることがなんとなく理解できたのである。しかし、本当にコイントスなどという馬鹿にしたような方法で運命を決めるつもりなのかという気持ちがある。納得いかないのだ。命というのはもっと大切なものだろうという気持ちが、彼女にはあった。
コイントスを終えた錬太郎は答えた。強い声だった。
「いいですよ。戦いましょう」
錬太郎はとっくの昔に道を決めているのだ。コイントスの結果などまったく関係はない。ただ、理由を装うだけのこと。それだけであった。それが終わったのだから、結論は簡単に出てくる。
決定を下した錬太郎の体をルアウダが強く揺さぶった。必死の形相があった。錬太郎があまりにもふざけた理由で戦うと決めたのを見て、怒ったのだ。まさか本当にそんなくだらないことで、命をかけるようなまねをするとは、彼女には耐えられなかった。
そしてこういってとめた。
「あんたね! 無事で済むわけがないじゃない!」
ルアウダの怒鳴り声が響くのにあわせて、警報機がなった。警報機が鳴り響いたのは、警察署の回りに張り巡らせているレーダーに大量の影が映りこんだからである。この大量の影というのがいったい何者なのかというのがわからなかったため、すぐに状況を確認しなければならないという警報が鳴ったのである。
警報機がなり終わった後、シージオが錬太郎に言った。
「何か来たな。早速出番らしい。行くぞ錬太郎君」
ルアウダの手を振りほどいて錬太郎が立ち上がった。ルアウダの力というのは一般女性並みのものでしかない。錬太郎をどうにかできるほどの力というのはまったくない。つかんだままでいてもらってもいいが、これから錬太郎は問題に対応するために動き出すのだ。守りたい人たちを連れて行くわけにはいかなかった。
ルアウダとイオニス少年をしっかりと錬太郎は見つめた。できるだけしっかりと忘れないように見つめていた。
そして錬太郎はこういった。
「いってきます」
シージオが先に動き出していた。シージオはすでに中庭から出て行こうとしていた。問題がおきたときには、できるだけ早く動くというのがいいのだ。ゆっくりと動いて入られなかった。
錬太郎は置いていかれないように走っていった。
シージオの後を追って、錬太郎はバリケードにたどり着いた。
バリケードを守っている警察官たちは騒がしかった。警察官たちは防弾ベストを着て、武器を用意し始めていた。これから大量のよくわからないものというのが、警察署に向かってきているのだ。となれば、警察官たちは自分たちの背後にあるものを守らなくてはならない。もしも怪物であったとしたら、力を使って排除しなければならないのだ。ぼんやりと待ち構えるわけにはいかない。できる限りの武器と、壁で対応しなければならなかった。結果の、騒がしさである。
若い警察官バリー・マーロンがシージオに報告した。
「怪物を率いて、こちらに向かってくるものがいます。シージオ先輩と錬太郎君には、もしものときの対応をしていただきたい」
さて、そうして準備を整えていると、怪物を率いた何者かというのが現れた。怪物を率いている何者かというのはどう見ても人間であった。髪の毛をきっちりと固めている。体はがっしりとしている。身長が錬太郎よりも少し背が低い。百八十センチほどである。軍服のようなものを着ていた。そしてその人間はこういった。
「私の名前はエルバーハ・アリウム。ネフィリムと戦うためにここにきた。ネフィリムがここにいることはわかっている。ぜひたち合わせてもらいたい」
そういったので、シージオと錬太郎がバリケードを超えて前に出て行った。二人ともまったく恐れるところがなかった。防衛のために動いている警察官たちを分けて進んでいった。怪物を率いているエルバーハ・アリウムがネフィリムをもとめているというのならばそれは間違いなく自分であるからだ。そして、もしもここで要求に応じなければどうなるのかというのが誰の目にも明らかだったからである。




