警察署とエルバーハ 一
ルアウダの別荘で起きた惨劇から一時間後、シージオの運転する車が道を走っていた。太陽が昇り始めているところをするするとはしっている。シージオの運転する車以外に道を走っているものはいなかった。やはりシージオの運転する車というのは丁寧な運転であった。シージオははじめに決めた目的地どおり、警察署に向けて走っていた。警察署に一般人を保護してもらうためである。
助手席にはルアウダが座っている。動きやすい格好に着替えて、必要なものだけをかばんにつめて用意を済ませていた。ルアウダが助手席に座っているのは、シージオに細かい道のりを教えるためである。シージオよりはルアウダのほうが細かい道順というのを知っていたのである。
後部座席にはイオニス少年が座っている。そしてそのそばには、錬太郎が寝かされていた。錬太郎は池淵頼子とであいダナム博士とのやり取りが終わってからというもの、目覚めることがなかった。そのため、シージオが錬太郎を運び、後部座席につめておいたのである。
錬太郎の体には大きなコートがかけられていた。後部座席の邪魔にならないところには男性用のシャツとズボンが用意されていた。大きなコートをかけたのはルアウダである。ルアウダが錬太郎の体にコートをかけたのは、彼が気絶してしまったときに何も身につけていなかったからである。もしも錬太郎が目覚めたときに素っ裸の状態であったらきっと困るだろうということでルアウダは別荘の中にしまっておいた自家製衣装を引っ張り出してきた。そしてサイズのあったものを彼の体にまとわせたのであった。
シージオの運転する車が走り始めてから今までの間、イオニス少年は錬太郎の手を握っていた。風邪を引いているときに手を握って元気付けてくれているような温かい心があった。イオニス少年は錬太郎が死んでしまったのではないかという気持ちがあるのだ。このように思うこと自体自然なことである。何せ一回錬太郎というのは体の半分を消し飛ばされたのである。しかし何かしらの奇跡が起こり錬太郎は復活した。しかし今は目覚めていない。もしかしたら二度と目覚めないかもしれない。イオニス少年はもしも錬太郎が目覚めないかもしれないということを考えたとき、とても寂し気持ちに襲われた。そして恐ろしいと思った。そして自分にできることというのは何かと考えたとき、イオニス少年にできることというのはせいぜい錬太郎の手を握って、錬太郎が元気になってくれることを祈るくらいのものだった。
運転中ずっとシージオはまっすぐに前を見ていた。ひどく冷静な様子である。もともとライオンそのものの顔をしているのだから、表情が読みにくい。しかしそれでもなお心の動きというのがわからないくらいに冷静であった。シージオがここまで冷静であるのは、心の準備というのが出来上がっていたからというのが一番である。というのが、シ錬太郎が自分と同じように何かしらの実験の道具だとかにされているだろうという予想がシージオにはついていたのである。何せ超能力技術研究所にいて、しかも記憶が失われている。かといって超能力が使えていないわけではない。鋼鉄を引きちぎって見せたり、圧倒的な力を持つ怪物たちをものともしないのだ。そうなってきて、人間の姿こそしているが人間ではないと当たりをつけるのは少しも難しいことではなかった。わかっていたからこそ、錬太郎が光そのものになり、あっという間に兵隊たちを葬ってしまったのを見ても、驚かなかった。むしろ、あの力こそ錬太郎の存在理由なのだろうなとさえ思えていたのである。
ルアウダが小さな声でシージオにきいた。
「錬太郎をどうするつもり」
非常に静かな声であった。しかしその声には非難めいたものがあった。ルアウダの頭にあるのは錬太郎が見せた奇跡のことではなく、これからのことだった。錬太郎が恐ろしいということではない。ルアウダが恐れているのは自分の隣の席に座って、車を運転しているシージオのことである。ルアウダは錬太郎がすさまじい力を持っている何者かであるということを察したとき、すぐにシージオに利用されてしまうだろうという可能性を考えた。利用というと言葉が悪いが、これは平和のために錬太郎に闘うよう命じるのではないかと考えたということである。
何せ今の状況というのは非常に悪い。ダナム博士が人類に対してとんでもない悪意を振りまいたというのが本当で、実際何百万人といた大都市の人たちが、いっせいに怪物になっているのを見ている。軍隊というのもほとんど同じような目に合わされているだろう。なら、そんな時錬太郎というのが使えたらどうだろう。一発逆転の可能性があるというのがわかれば、誰だって使うだろう。ルアウダも錬太郎の力の有効なことは理解していた、しかしそれを利用するということは錬太郎に戦えと命じるのと同じで、ひいては命を賭けろということに他ならない。それがルアウダには耐えられなかった。
シージオは答えた。
「手伝ってもらうつもりだ。錬太郎の力は、博士の計画を阻止するために重要な役割を果たすだろう」
冷ややかな声であった。冷静であろうとつとめているようだった。シージオの答えというのは錬太郎の力を有効活用するという答えである。これは警察官として、秩序を守るものとして正しい判断である。しかしシージオ個人が納得できる判断であるかというと違うのだ。シージオにしてみれば錬太郎もまた守らなくてはならない一般人の一人である。イオニス少年とルアウダとなんら変わらないのだ。むしろダナム博士に受けた被害だけを考えると、シージオよりもひどいところがあるだろう。しかし錬太郎個人の事情を考えても、またシージオのプライドというのをはかりに載せてみても、その先にある人類の完全なる滅亡よりはずっとましだった。シージオが冷静な声を出していたのは、そうでもしなければ道を外れそうになるからである。自分のプライドよりも世界を取ったのだ。
ルアウダの眉間にしわが寄った。怒っているというのがありありと表れていた。しかし冷静さを失いということはなかった。ルアウダはなんとなく予想していたのである。シージオという男が、世界を助けるために自分のプライドを捨ててまで錬太郎を武器にして戦うのだということが。わかっていたからこそ、眉間にしわがよるだけですんだのだ。
ルアウダがこういった。
「錬太郎は、まだ子供よ」
錬太郎というのは一般人であるということを忘れていないかといって、念を押すような言い方であった。ルアウダもシージオの考えというのは大体わかっていた。錬太郎の力を使うことで、うまく博士の計画を防ぐことができるというのならば、それに越したことはないのだから。しかしルアウダはそういう自分がいやだった。また、そういう選択をしなくてはならない現状がいやだったのだ。かといって、騒ぎ立てるわけにもいかない。なぜなら錬太郎を使わなくては生き残れないのが間違いないから。わかっているのにあえて口に出した。早い話が八つ当たりである。
シージオは表情を少しも変えなかった。冷静なままだった。シージオもまたこういう受け答えが起きるだろうということは頭にあったのだ。予定調和がここにはあった。そのためシージオはまったく表情も変えず、機械的に反応を返せた。
シージオはルアウダにこういった。
「わかっている。しかし、必要ならば頼まなくてはならない。少なくとも錬太郎と同じような力を持ったものが、ダナム博士の口ぶりではもう一人いるということになる。あの少女、頼子と呼ばれていたが、あの少女ももしかしたら錬太郎と同じかもしれない。ならば、錬太郎はそのもう一人の相手だけでもしてもらわなくてはならない。私たちには、どうすることもできないだろうからな」
ルアウダはうなだれた。前をまっすぐ見ていられないようであった。頭を下げて、静かに自分の手を見つめているばかりであった。
そしてこういった。
「錬太郎は、ただの子供なのに」
弱弱しい声であった。やっと声になっているようで、聞き取るのが難しいほどだった。これはシージオに向けての非難の声ではないのだ。錬太郎が巻き込まれてしまった現状、運命のようなものに対しての非難の声である。
シージオがこういった。
「いや、違う。力を持った子供だ」
イオニス少年は二人の会話を聞いていた。耳を済ませていた。二人の会話を追いかけて、二人が錬太郎をどのように扱おうとしているのかを頭に叩き込んでいった。イオニス少年は大人たちが何か錬太郎の不利益になるようなことをしようとしているのが感じられたのである。そしてシージオとルアウダが何をしようとしているのか、何を錬太郎にさせようとしているのかというのをぼんやりとだけれども、理解していた。理解していたからこそ、しっかりと聞くことにしたのだ。この二人が何かしら錬太郎に対して悪意を持っているような気がしたから、眠っている錬太郎がおきたときに伝えて、錬太郎の手伝いをしようと考えていたのである。シージオとルアウダよりは錬太郎のことをイオニス少年は信頼していた。
錬太郎に対して害意があるような会話の中であったが、大人たちの会話が進むあいだイオニス少年は黙っていた。しっかりと口を閉じているばかりである。錬太郎のことを好き勝手に扱おうとしているということ自体には、わずかな怒りを覚えていた。しかしイオニス少年はどうすることもできない。口を挟んだところでまったく聞いてもらえないのはわかりきっていることだった。何せ子供だからだ。後で話を聞いてやるといってはじかれるだけのことが見えていた。子供だから黙っていろという対応は、よくある接し方であったから。だから、黙っておいた。
大人たちが話し合う中、イオニス少年は、ただ錬太郎が目を覚ますのを待っていた。錬太郎の手をしっかりと握り、元気になってほしいという願いをこめていた。イオニス少年にできることといえば、このくらいのものだったからだ。イオニス少年はただ自分のできることをやろうと考えていた。それは世界だとか秩序に対してではない。自分を助けてくれて、ここまで守ってきてくれた錬太郎に対しての自分なりの応答であった。
錬太郎の指がわずかに揺れた。ほんの少しだけ、誰も気がつかないくらいのゆれだった。
シージオの運転する車は、ぐんぐん目的地に向かって走っていった。使われなくなった道を使ってみたり、回り道を使いながらでもゆっくりと目的地に向かう。しかし間違いなく、目的地警察署には近づいていった。細い道を進んでみたり入り組んだ道を進むこともあったが、車が止まるということはなかった。というのが車を運転するような人間というのが残っていないからである。ダナム博士の話していたとおり、世界というのはどうにも滅んでいるようだった。
警察署が見えてきた。警察署というのは超高層ビルの立ち並ぶ都市中心部分から五キロほど離れたところにたっていた。そばには警察病院が建っている。もともとは都市の中心部分に警察署が立っていたのだけれども、人口が密集してくる間に警察署の機能というのが追いつかなくなった。追いつかなくなってしまったものだから立て替えようとしたのだけれども、立て替えるための資金というのがどうにも手に入らなかった。というのが超高層ビルの中心部分というのが悪かった。単純なリフォームというのならばまだいいのだが、機能を拡張しようとしたわけで、そのままの敷地の大きさというのではだめだったのだ。大きくしようとすると当然だが土地を広げる必要がある。上に広げるというのもあったのだが、横にも広げたかったのだ。そうなったときに超高層ビルの中心部分の土地代というのがどうにも用意できなかったのである。それでどうしようもないということで、もともとも警察署というのを中心部分に残しておいて、新しい警察署を土地代の安いところに立てることに決定した。その結果できあがったのが、都市部から五キロほど離れたところにたつ、縦横奥行きのある警察署なのだ。
警察署の近くに病院が建っていた。この病院は警察署と比べてみてもまったくそん色ない立派な病院である。警察署が立て直されたときに一緒に立てられたものである。警察病院と呼ばれる病院であるが、警察官でなくとも治療を受けることができる。警察署を立てるときに病院が足りていないから、ついでに立ててしまえばいいだろうということで建てられた病院である。ちょうど超高層ビルが立ち並び始めて人が集まる時代であったから、無理ができたのだ。人が集まれば需要はいくらでもあるのが病院であるから。
そしてどちらの建物にもバリケードが張られてあった。バリケードはいろいろなものが使われていた。車の残骸。車そのもの。どこから拾ってきたのかわからないようなドラム缶。会議室で使うような机。手軽に広げられる有刺鉄線のようなものもあった。このバリケードの張りようというのはとんでもない威圧感があった。それこそ戦争でもやっているのではないかと思うくらいに念入りな壁が出来上がっている。このようなバリケードを張っているのはどうしても建物の中に入れたくないものたちというのがいるからだ。シージオと錬太郎というのは怪物に対して肉弾戦を挑むような武力を持っているものならば、怪物などというのは悪阻るるに足らない。数が多くあったとしても排除に時間がかかるだろうくらいの気持ちしかないのだ。しかし普通に相手をするのは難しい。何せ銃弾も武器にも限りがあるのだ。いちいち戦いたくはない。
警察署と警察病院のものものしいのを確認してから、シージオがハンドルを警察署にむけて切った。
まったく迷いのない操縦であった。あれだけものすごいバリケードを張っているようなところに、シージオみたいな怪物そのものになったようなものが現れれば、間違いなく攻撃されるだろうという悪い考えというのが、シージオにはないようだった。それはそのはずで、むしろシージオは仰々しい装いの警察署と警察病院に張られているバリケードというのを歓迎していた。なぜならば、あのバリケードを張っているということは、誰かが生きているということ。そして生きようとしているということである。シージオは自分の同僚たちがまだ生きていて、がんばっているのだということがわかったのだ。むしろ恐れていたのはすべての同僚たちが怪物になり、怪物に食われてしまったのではないかというところである。それが泣くなって、心は軽くなっていた。
少し心が軽くなっているシージオは車をバリケードから二十メートルほど離れたところにとめた。バリケードから遠くもなければ、近くもないというところである。そして警察署に車が来たということが、わかるだろうという場所にとめてあった。このようなところにとめたのは、攻撃されるという可能性があるのがわかっていたからというのと、気がついてもらわなくてはならないというのがあったからである。まず、車が来たことに気がついてもらえなかったとしたら、シージオか錬太郎がバリケードに近づいて声を出さなくてはならない。そうなったときもしかしたら、問答無用で攻撃されるということもある。バリケードの中、警察署がどういう状況なのかはわからないからだ。さてどうしたらいいかとなれば、できるだけ警察署側に、気がついてもらえるというのがよかった。そういう気持ちがあるものだから、少し大げさな動きで、音を出すようにして車を止めた。そして車がきたことがわかるだろうというところに車を泊めて、誰かに出てきてもらおうと考えたのである。そうすれば、かなり危険が減るだろうから。
シージオがやや車を乱暴に止めたときに錬太郎が起き上がった。ゆっくりとではなく、すばやい動きだった。はっきりと目が覚めている様子だった。
そしてあたりを見渡した。回りの様子というのをしっかりと確認するように、慎重な様子があった。錬太郎は、ずっと目を瞑っていたのだ。そのため音だけでしか状況を確認することができなかった。そのため、まずはどのような状況に自分が置かれているのかというのを確認したかった。だから、目覚めてすぐ、周りの様子を見渡したのである。
見渡しながら錬太郎は自分の手を握っているイオニス少年に聞いた。
「ここは?」
ずいぶん落ち着いた声だった。あわてている様子というのがない。また、イオニス少年に向ける声というのはやさしさに満ちているようだった。
イオニス少年が笑った。ずいぶんうれしそうだった。イオニス少年というのはもしかしたら錬太郎が、永遠に目覚めないのではないかということを考えていた。イオニス少年にとって錬太郎が永遠に目覚めないというのはそれこそ胸の奥が痛くなるほど避けたいことだった。自分の両親と二度と会えなくなるかもしれないという予感を感じたときと、同じような痛みである。そんな痛みをずっと抱えているのはつらいことである。しかし錬太郎が目覚めてくれた。そして力強い声を出してくれた。それだけでほっとした。
イオニス少年は錬太郎の質問に答えた。
「警察署だよ」
錬太郎にしっかりと届くように、大きな声だった。はきはきとしていて、元気がよかった。
「錬太郎は目覚めたばかりである。おそらく、頭がぼんやりしているだろう」
そう思ったイオニス少年は、錬太郎が判るようにはっきりと伝えたのだ。しっかりと錬太郎が今いる状況を伝えることが、自分の大切な仕事なのだ、そんな気持ちが、イオニス少年にはわいていた。
錬太郎は、うなずいた。イオニス少年の目をしっかりと見て、うなずいていた。錬太郎はイオニス少年が自分を心配してくれていたことをわかっていた。だからもう大丈夫だ。自分はこうやってしっかりと動いているというのをイオニス少年に伝えたかったのだ。自分よりもずっと年下の少年を心配させておくというのは、錬太郎にはできないことだった。
錬太郎が起き上がったのを見て、ルアウダが振り返った。振り返るルアウダというのは恐る恐るという表情があった。そしてその表情には後ろめたいことをしているというくらい感情というのが潜んでいた。ルアウダはシージオとの会話を通じて、錬太郎を利用するという方向に頭を動かしていた。錬太郎を利用するというのは、合理的な考え方である。なぜなら錬太郎の力を使えば、ほとんど間違いなく人類の窮地を脱することができるからだ。人間一人の命で、自分たちの命が助かるというのあらば、理由が人それぞれ違ってくるだろうが、自分たちを助けよと叫びだすだろう。ルアウダは理由こそシージオに説得されたというようなところがあるが、その決定が錬太郎に対しての裏切りになるというような感情があった。そのため錬太郎にたいしてまっすぐ向き合うことができなくなっていた。
目覚めた錬太郎にルアウダはこういった。
「私は、あんたの味方だからね」
非常に弱弱しい声で、震えているようであった。その場にいる誰もが、ルアウダ自身もなんともうそ臭い言葉であるというように感じられた。ルアウダは口からでまかせをはいたわけではない。しかし本心でもない。異なる二つの感情が人間の中に渦巻くということはある。理にかなった行動をとるべきという感情と、人情というのを大切にしようという感情。命を助けてもらった錬太郎をいけにえにささげるような真似をしている自分というのを、どうにもプライドが許せず、かといってプライドを押し通せるような能力がルアウダにあるわけでもない。結局、状況に流されつつける無力な人間でしかない。そうなって錬太郎に送る言葉は、どちらにもなりきれない弱くて薄い嘘になったのだ。
シージオも同じように振り向いた。ルアウダとは違い、その表情には迷いがなかった。まったく何を言われようが、ぶつけられようが自分の道を行くのだという決意が会った。シージオは錬太郎の力を認めて、すでに頭の中で計画を立てていた。その計画というのは錬太郎の力を存分に使い、博士の計画を叩き潰すという計画である。一般人を計画に組み込むというのはどう考えてもシージオのプライドが許さない行為であった。しかしシージオは自分のプライドなどというものよりも、まだこの世界に生きているだろう人類を守ることこそ重要と考えた。自分のこだわりを切り捨てたシージオには迷いがない。迷いがない心は、表情にも表れる。ライオンの表情はりりしかった。
錬太郎としばし見詰め合ったシージオは何もいわずに、運転席から降りた。静かな動きだった。特に問題があるわけではないといわんばかりに、車の扉を開けて、外に出て行った。シージオが何も語らなかったのは、錬太郎に語る言葉というのが見つからなかったからだ。何を言っても上っ面をなでるだけという気持ちがシージオにはあった。だから何もいわずに出て行った。後で、錬太郎に話をすればいい。それよりもまず、一般人を保護してもらえるように動くことが、大切なことだった。
錬太郎はいやな顔をした。眉間にしわを寄せて、車を出て行ったシージオの後姿をにらんだ。嫌悪感というのではない。危ないものに対して、無防備に出て行ったシージオの行動に対してのいやな顔である。シージオというのはどう見ても怪物なのだ。錬太郎とイオニス少年、ルアウダのように人間らしい姿をしていない。どう見ても怪物なのに、特に何の仕掛けもなしに車の外に出て行った。バリケードを張っているというところからも、警察署にいるだろう人たちというのは、警戒心が半端なものではないはず。当然ライオンヘッドのシージオがふらふらと歩いて近づけば、攻撃されるだろう。話しかけられるわけもない。何せライオンなのだから。
錬太郎の視界に、拳銃を構えた警察署の職員たちがうつっていた。警察署の職員だろう人たちが、警察署から飛び出してきて、バリケードをたてにしながら攻撃の準備を始めていた。警察署の職員たちは車から出てきたシージオを見て判断したのだ。
「車に乗って現れたのは怪物で、おそらく自分たちに害をなす存在であろう」
どういう理屈なのか怪物が車を運転していたが、それも何かの間違いで、たまたまそうなっただけ、知能がかろうじて残っていた結果、そうなったのだと。
わらわらと沸いてくる警察官たちを見て錬太郎があわてた。それはもうとんでもなくあわてていた。自分の体が素っ裸であるということも気にせずに、ばたついた。錬太郎にかけられていたコートがずれ落ちた。錬太郎があわてているのは、シージオが殺されてしまう可能性を考えたからだ。かなり甘く見積もってもシージオを見る警察署の職員たちの目はハンターそのものであった。よく来たな怪物。鉛だまのひとつでもプレゼントしてやるぜという研ぎ澄まされている意思というのを感じられる。シージオというのが怪物の見た目であるけれども人間のハートを持っていることを錬太郎はよく知っていた。もしもこんな馬鹿なまねをしてシージオが死んでしまったら、錬太郎は心苦しいにもほどが合った。
ほとんど裸の状態のままで、錬太郎は、窓から顔を出した。コートが完全にずり落ちているので、車の中にいるルアウダとイオニス少年には錬太郎の素っ裸がみえてしまっているのだが、そんなことは知ったことではないといわんばかりで、錬太郎は動いていた。裸を見られるのが恥ずかしくないというタイプの人間ではない。裸を見られたら恥ずかしいと思う。ただ、恥ずかしいと思う以前に、人の命が勘違いで失われようとしているのだ。錬太郎はどうにかして止めたかった。
バリケードから攻撃しようとしているにもかかわらず歩き出したシージオに錬太郎がこういった。「シージオさん! やばいですって! 撃たれますよ! 俺が行きますよ!」
響き渡るような声というのがあるけれども、錬太郎の声というのはよく響いた。それこそ警察署のバリケードの向こう側にいる人たちにも、警察病院の入り口を固めている人にも、深く響いていた。錬太郎はただただ必死だった。自分の状況というのも考えるべき問題というのもいろいろとあったが、それよりもまず目の前で行われようとしている道でもいい勘違いで起きるだろう悲劇を、とめたいという気持ちがあったのだ。そのため自分のような人間の姿をしているものが話をしたほうがいいだろうということを考えたのだ。
そうして車から降りようとした。ものすごい勢いであった。ばたばたと動きはじめていた。ただ、錬太郎と同じように後部座席に座っていたイオニス少年が、錬太郎を止めようとしていた。
しかし、歩き始めていたシージオがとめた。
「大丈夫だ。私が交渉したほうがずっと早い」
自分に任せておいてくれという強い気持ちがこもっていた。シージオには自分ならばどうにかできるだろうという気持ちがあるのだ。もちろん攻撃されるということもあったが。攻撃されたところでたいした威力ではないということが頭にあった。そしてもしものときというのがあれば、そのときには錬太郎に任せればいいと考えていた。
錬太郎は、不安そうな顔をした。シージオの言葉をまったく信用していなかった。確かにシージオというのが大人で、警察官で、優秀なのかもしれない。かといって、見た目というのはとても重要なのだ。少なくとも錬太郎はシージオと始めてであったとき問答無用で攻撃を仕掛けていたりする。自分と同じように喧嘩っ早いものがいたとしたら、あっという間に攻撃を仕掛けられるはずである。しかも相手は拳銃を持っている。流石にシージオであったとしてもどうしようもあるまい。そういうわけでいくら自信満々に任せろといわれても、まったく任せられないような気持ちにしかならなかったのである。




