ルアウダ 三
しかし逃げ切ることができた。錬太郎の動きというのは怪物たちよりも早かったのだ。たとえ肩に荷物を担いでいるとしてもである。
錬太郎はシージオの待ち構えている車の後ろのドアを開けた。そしてそこに女性を放り込んだ。このときの錬太郎は、いくらか丁寧な動きだった。錬太郎も肩に担いでいる女性が、人間であるということがわかっている。いくら急いでいるとしてもここで放り込むようなことをすれば、怪我をしてしまう。それは助けたいと思う気持ちとは反対であるから、錬太郎は丁寧な動きをしたのだ。顔色が非常に悪いことには気がついていたが、錬太郎にはどうしてそうなっているのかというのはわからなかった。
そしてすぐに自分も助手席に乗り込んだ。怪物たちが迫っている。錬太郎はかなりの勢いで進んできたので、いくらか時間を稼ぐことはできている。しかしいつ怪物たちが車の渋滞を潜り抜けて現れるかはわからない。
シージオとイオニス少年が目を見開いて固まっていた。二人とも驚いてしまっているのだ。何せ錬太郎は偵察に出ていたはずである。しかし戻ってきてみればドレスを着た女性を肩に担いで走って帰ってきた。いったい何があったのかといってすぐに受け入れられるものではない。
錬太郎はこういった。早口であったけれどもはっきりとした声だった。
「逃げましょう。怪物の群れが、すぐそこまで来ています」
すぐさまシージオがハンドルを切った。錬太郎のいうことを信じてくれたのだ。もしも錬太郎が対応しきれないほどの怪物たちが錬太郎を追いかけてきているというのならば、間違いなく車に乗っている戦力だけだとどうしようもない。シージオはそのことに思い当たって、すぐに車を発進させたのである。
車が猛スピードで方向転換した。シージオ運転通り、今までの方向とはまったく逆。今まで来た道を戻る方向に車の頭が向いた。
イオニス少年と錬太郎と助けた女性の体が勢いで体制を崩しそうになった。丁寧な運転を続けてきたシージオだったが怪物から逃げなくてはならないとなっている今、丁寧な動きというのはできない。優先されるのはスピードであって丁寧さではないのだ。
イオニス少年と、女性が何か悲鳴のようなものを上げていた。イオニス少年は振り回されたことにより悲鳴である。ドレスを着た女性はそろそろ胃の中身が戻ってきそうだといううめき声に近い悲鳴であった。
車は大通りから逃げていった。背後に迫っている数え切れない怪物の群れから逃れるためである。
車が走り抜けた後、大量の怪物たちの群れが追いかけてきていた。しかし追いつけるものはひとつもなかった。シージオの運転技術が非常に見事だったのと、追いかけてくるものを錬太郎が銀色の拳銃で始末したからである。このとき錬太郎の打ち出す拳銃というのは勢いがありすぎて、また車が大きくゆれることになった。
何とか大通りから逃げ出した車の中で、シージオが錬太郎に聞いた。
「この女性は?」
車の中にシージオが見たことがない女性がいるからである。錬太郎が説明をしてくれていたら、いちいちこんなことをきく必要というのはなかったのだが、錬太郎は説明をしていない。もちろんこのまま何も知らないままで車を運転し続けることはできるが、流石に無理があった。
錬太郎が答えた。
「怪物に追いかけられていたので、助けてきました。名前は知りません。結構危ないところだったので、余裕がありませんでした」
錬太郎は少しも息を切らせているところがなかった。すらすらと女性をつれてきた流れというのを説明して見せた。間違いなくつれてきた理由を質問されるだろうとわかっていたのである。わかっていたから、理由を頭の中で考えて、用意をしていた。そのためずいぶん簡単に答えることができた。
後部座席に座っているイオニス少年が、女性の顔を見た。恐る恐るという感じだった。イオニス少年は後部座席に放り込まれた女性が気分の悪そうな声を上げているのを何度も聞いていた。そのため大丈夫だろうかと思い、女性に大丈夫だろうかといって声をかけようとしたのである。
そして驚きの声を上げた。
「えっ!?」
イオニス少年は女性の顔に見覚えがあったからである。そして、どうしてこの人がこんなところにいるのだろうという気持ちになり、イオニス少年は声を上げたのだ。
錬太郎がイオニス少年に聞いた。
「どうかした? 車酔いでもした?」
イオニス少年が恐る恐るシージオと錬太郎に聞いてきた。
「二人はさ、映画とか見る?」
イオニス少年は錬太郎とシージオというのがあまりにも何の反応もないのが不思議だったのである。そのため二人がもしかしたらテレビだとかインターネットのようなものから離れて暮らしていたのではないかと疑問に思ったのである。何せこの女性というのはかなり有名な人であって、知らない人のほうが少ないだろうと自信を持ってうなずける人だったのだ。
錬太郎とシージオは不思議そうな顔をした。いきなりどうして映画の話になるのかという気持ちが、表情から簡単に読み取れる。
何がいいたいのかさっぱりわからない錬太郎であったが質問には答えた。
「あぁ、結構見るよ。あまり古い映画になるとわからなくなるけどね、最近の映画なら、いくつか見たよ」
錬太郎に続いて、シージオが答えた。
「私は最近の映画はわからないが、昔の映画ならわかるぞ。それがどかしたのかね」
イオニス少年が、こういった。
「ならさ、女優さんの名前とかも知ってたりする? 顔とか名前はわかる? 」
恐る恐るという感じで二人に聞いていた。イオニス少年は二人がそろそろ気が着いてくれないだろうかという気持ちで、話を振っていた。
シージオの目元が細まった。シージオはなんとなくイオニス少年の言いたいことがわかり始めていた。錬太郎が肩に担いできた女性というのが、シージオと錬太郎の思い当たらない女優なのだという可能性である。イオニス少年が遠まわしに話を振ってきているのは、二人にそれとなく理解してもらいたいという気持ちがあるからというところまで、シージオは理解し始めていた。
錬太郎は夕焼けに染まった道路を眺めていた。ぼんやりと道路の様子が変わるのを楽しんでいる。特にイオニス少年の質問に真剣にあるというところがない。特に真剣になる理由というのが思い当たらなかったのだ。本の少し雑談をしているくらいのもののようにしか思えないのである。
イオニス少年の女優の名前を知っているかという質問に錬太郎が答えた。
「いやぁ、どうだろう。それなりに女優さんの名前はいえると思うよ。外国の女優さんもそこそこ覚えてる。でもそれがどうしたの? 確かに記憶があいまいなところがあるが、全部なくなったわけじゃないよ?」
シージオが錬太郎に目だけで合図を出していた。シージオの目が錬太郎といったん会い、そしてその後、後ろを見てみろといって頭を振っていた。
合図を受けた錬太郎は、おそるおそる、後部座席に投げ込んだ女性を見た。流石に錬太郎もイオニス少年が急に話を振ってきたことと、シージオの不思議な目を見ていよいよ自分が何かやらかしてしまったのだということに気がついた。そのためもしかして自分の知らない映画関係の女性。イオニス少年の口ぶりからして女優さんあたりに失礼なことをやったのかというように予想を立てた。そして確かめるために背後を見たのである。
女性はうつろな目を錬太郎に向けていた。顔色というのはまだ悪いようだった。かろうじて血の気が戻ってきているようである。女性が錬太郎を見つめているのは、助けてくれてありがとういうという気持ちに加えて、少しは自分のいうことをきいてくれてもよかったのではないかという恨みの念があったからである。
錬太郎は、後部座席にいるイオニス少年に視線をやった。錬太郎は落ち着いて女性の顔を見て、整っているなという気持ちになった。錬太郎の記憶にはまったく女優だということには思い当たらない。しかし知らないだけで女優さんというのはたくさんいる。むしろ、別世界の女優さんというのを錬太郎が知っているわけもないので、そちらの可能性がはるかに高かった。そして最悪なことでもしかするとそこそこ有名な女優さん立ったりするのかもしれない。何せイオニス少年とシージオがおかしな対応をし始めたところを見るとそうなのだろうという気持ちにもなる。
イオニス少年はうなずいた。そしてこういった。
「この人、女優のルアウダさんだと思う。引退するって話だったけど」
錬太郎はつぶやいた。
「マジか?」
そろそろ夕焼けも沈みきって、夜が来るという時間、まだ車は目的地警察署についていなかった。シージオがはじめに使おうと思っていた道以外の道を使おうとするとどうしても遠回りになってしまうからである。
シージオがつぶやいた。
「どうにも、完全に日が暮れそうだな。できるなら、日があるうちに警察署に尽きたかったんだが」
錬太郎が聞いた。
「夜を通して移動するってのはありだと思うんですけど」
シージオが答えた。
「正直、何が起きるかわからない状況だから、できるだけ危険を避けて通りたい。見通しがきくのに越したことはないだろう。私だけなら、無理にでもやるがね」
さて困ったというとき、うつろな目をしていた女性ルアウダが、声を出した。よく通る声だった。
「ねぇ、ちょっといいかしら」
そろそろ自分の出番が来たことを悟ったからである。彼女は助けてもらったお礼を、しようとしているのだ。そしてこういう状態だからこそ力を合わせなくてはならないというようにも考えていた。
シージオが答えた。
「はいどうぞ、ええっと」
女性が自己紹介をした。
「ルアウダ・ピクラリヤです。一応女優をやっております」
シージオが自己紹介をした。まったく動じるところがない。いつもどおりの自己紹介をしていた。
「そうですか。わたしはシージオ・ケラスイア。こんな見た目ですが、一応警察官です。よろしく」
この自己紹介に、イオニス少年も入った。少し興奮しているようだった。
「イオニス・タイムです」
この自己紹介の連続に、錬太郎も一応参加した。シージオ、ルアウダ、イオニス少年の自己紹介の声と比べて声が小さかった。
「花飾錬太郎です。よろしく」
錬太郎たちの自己紹介が終わるとルアウダと名乗った女性は、提案してきた。
「はい、よろしくお願いします。いろいろといいたいことがあるのですが、とりあえず今の状況というのは夜をどうすごしたらいいかという話ですよね?
皆さんがよろしければ、私の別荘を使ってください。命を助けてもらいましたから、その御礼だと思ってもらえるとうれしいです」
そういって、ルアウダは別荘の住所をシージオに教えた。
シージオがこういった。
「これはずいぶんいい立地ですね。ここから移動するのもそれほど無理がない。警察署に向かう中継ぎとしては最高だ。ご協力ありがとうございますルアウダさん」
そういうとルアウダはこういった。
「いえいえ、このくらいでいいのならいくらでも手伝いますよ」
ルアウダとシージオが会話をしている間、錬太郎は窓の外の月を眺めていた。月を見るのがいやだという気持ちがあったとしても見てしまうほど大きな月だった。
行き先が決まるとシージオが車を動かした。イオニス少年とルアウダ、そして錬太郎を無事に保護できる場所に移動するためである。
車はルアウダの別荘へと向かっていった。車はヘッドライトをつけて道を照らしていた。また心は急いでいたけれども丁寧な運転だった。ルアウダが使ってもいいといっているのならば、別荘での休息を断る理由はどこにもなかったのだ。
三十分後、シージオの運転する車は閑静な住宅街を進んでいた。
そして車は大きな屋敷の、門の前で止まった。
門は侵入者を防ぐため、しっかりと車の前に立ちふさがっていた。鋼鉄製の分厚い扉であった。思い切り車がぶつかっても進入を許さないぞという力強い気持ちがこめられているようなつくりである。ここはルアウダの別荘であるから、それだけのつくりになっている。いわゆるセレブといわれるほどの有名人なのだ。簡単に進入されるようなつくりにしていたら、命の危険がある。そのため、別荘であっても強固なつくりになっていた。
門を前にしてルアウダがいった。
「困ったわね。どうやらシステムの一部が壊れちゃってるみたい。電気自体はながれてるみたいだけど。どうしようかしら」
錬太郎がこういった。冷静な声だった。
「いざとなったら、イオニス君とルアウダさんを担いで塀を登ることになるでしょうね」
本当にやるぞというところがあった。別荘の持ち主が使ってもかまわないといっているのだから、いざとなれば門を無理に越えていくということもあるだろう。錬太郎とシージオの身体能力ならば、少し無理をすれば、塀を越えることができるだろうというのは錬太郎はわかっていた。そのためいざとなれば、やるつもりだった。
錬太郎の返事にルアウダがこう返した。
「それは勘弁してほしいですわ」
本当にいやそうだった。ルアウダというのは錬太郎の肩に担がれて、人間ジェットコースターを体験している。あれを体験した後、もう一度同じような体験をするというのは本当に勘弁してほしかったのである。
シージオが錬太郎に提案した。
「このくらいの門ならば私たちの力でどうにかなるだろう。錬太郎君、試してみないか。だめだったら銀の銃を使えばいい」
錬太郎はこう返した。
「一応、持ち主の許可をとってからにしましょうよ」
シージオがルアウダにたずねた。
「ちょっと門を壊してもいいですかね?」
ルアウダが笑った。控えめな笑いであった。見ほれそうな品があった。できるわけがないと思っているのだ。鋼鉄でできた門を人間の力でどうにかできるわけがない。確かにシージオというのはいかにも怪物的な姿かたちではある。しかし発揮できる力というのは人間並みであるはずだと、そう思っているのだ。だから笑ってしまった。また、錬太郎というのもせいぜい人並みか、優れている程度のもの、特別に自分の後輩があつらえた門を壊せるなどとは思っていなかった。
そして答えた。やや、挑戦的だった。
「いいですよ。壊せるものならどうぞ壊してください。結構いいつくりになってるんですからねその門は」
錬太郎とシージオが車から降りていった。錬太郎もシージオも平然としていた。二人とも自分がこれからやろうとしていることが、不可能だと思っている様子はない。少し難しい仕事をして、もしもできるようならばそれでよく、できないようなならば、力で無理やり通るというまっすぐな迫力がある。実際腕力でどうにかできなければ、錬太郎が銀色の銃を使って破壊すればいいだけのことになる。問題になるのは門が開くかどうかではなく修繕費用を誰が出すのだというところになるだろう。
車から降りた錬太郎とシージオが門に手をかけた。二人は鋼鉄の扉、門を力づくで開くためだ。
そして思い切り引っ張った。それは一瞬の出来事だった。二人が一気に体を後ろに下げた。そうすると門の形が変わった。二人が思い切り引っ張った性で、門自体が塀から外れてしまったのだ。また二人が思い切りに引っ張るものだから、引っ張られる方向に鋼鉄が広がっていた。
無理やり引きちぎった門を邪魔にならないところに重ねて片付けた錬太郎とシージオは手についたほこりを払っていた。二人ともたいしたことはなかったという余裕で満ちていた。
シージオが錬太郎にこういった。
「思ったよりやわかったな」
錬太郎が返した。
「そうですね。これだとすぐに侵入されますよ。もう少し強くしなくちゃ」
などといいながら、車に戻ってきた。




