1.巫女と護衛の始まりの日々<ノエル視点>
リクエスト短編。
ハルカが巫女になって間もない頃のお話。ノエル視点。
※本編の前日譚のため、どのタイミングで読んで頂いても大丈夫です。
我が国の今度の巫女は、これがなかなか厄介な娘である。
異界からやって来たという彼女は、見た目にはごく普通の娘に見える。こちらの世界の一般的な人間と何ら変わるところもないし、同じ言葉を話し、気性も穏やかで大人しい。
一つ言えば、人見知りの激しすぎるところは多少気になるところだったが――突然見も知らぬ世界に拉致されて、何の警戒心もなく周囲に打ち解けている方が異常だろうと思い直し、結論として、やはり彼女はごく普通の娘であるという認識に落ち着いた。
だがしかし、彼女の人見知りの激しさを、ちょっと甘く見すぎていたなと今では思う。
部屋に閉じこもっている分には仕事がラクでありがたい、だなんて当初は簡単に考えていたが、それはあまりに楽観的だったとすぐに思い直すことになった。
彼女は筋金入りの引きこもりだったのである。
まず、仕事の時間ですら部屋から出ようとしない。
扉の前でオロオロと巫女の名を呼ぶ使用人達を押しのけ中に踏み込んでみれば、我らが巫女様は、更にベッドの中に引きこもっている。頭からかぶったシーツをはぎ取ろうとしても、思いのほか強い力で抵抗されてしまい、最終的には持ち上げたシーツに巫女がくっついてくるという始末。
別に難しい仕事をさせているわけではない。むしろただ座っているだけでいいような仕事が多いのだから、抵抗している間にさっさと終わらせてしまえばいいと思うのだが、そういう問題ではないらしい。
誰がどう説得しようと、なかなか首を縦に振ろうとはしない。
となれば、残された道は、実力行使のみ。
そんなわけで、巫女を部屋からたたき出すことが、俺の任務になってしまった。
巫女の首根っこを掴まえて部屋の外へ連行する。
信仰心の篤い神官あたりが見れば、失神するような光景だろう。
俺だって、国の宝とも言える異界の巫女を猫の子のように扱いたいわけじゃない。が、恭しく接しているばかりでは、彼女を毛ほども動かすことなどできやしないのは身にしみて分かっている。周囲も同じくそれを分かっているから、俺の巫女に対する横柄な態度に表立って文句をつける者はいなかった。
ならば、巫女当人はどう思っていただろう。
実は、俺を護衛から外せとすぐに言い出すのではないかと密かに考えていた。
俺以外の人間は、巫女を腫れもののように扱う者ばかりだ。俺さえ消えれば、彼女にとってはかなり過ごしやすくなる。
だが、意外なことに、そうはならなかった。力ずくで部屋から引きずり出そうとする俺に毎度抵抗するものの、もう二度と姿を見せるなと言われたことは一度もなかったのだ。
しかしそれは、巫女が俺という存在を受け入れたからというわけではないと思う。
それ以前に、彼女は何もかもがどうでもいいと感じていた節がある。
何せ、一番の願いである「元の世界に帰りたい」という思いを無下に取り下げられてしまった娘だ。帰ることができないのなら何だって一緒だ、と、そう意味では割り切っていてもおかしくない。証拠に、この世界へ来てからこちら、彼女の口から「帰りたい」という以外の要望を聞いたことがなかった。
憐れに思うことはある。
だからと言って、甘やかしてやったところで彼女が慰められることはないだろう。
仕事は仕事、そう割り切ろうと、決めていた。
・ ・ ・ ・
「何だかんだで、君たちっていい関係築けてるよね」
ある時、召喚士のルーノ殿がそんなことを言い出した。
巫女の今後の教育方針を決める会議の後のことだ。
あの引きこもりを前向きにさせるための有効な策など簡単に出るはずもなく、会議は憂鬱な空気をまとったまま解散となった。
一人呑気な面構えで席についていたこの召喚士は、今度の巫女を召喚した張本人であり、彼女の後見人でもある。後見人とは言っても名ばかりで、こうした会議にもただ参加するだけだ。とはいえ、巫女を召喚したことで彼自身の役割はしっかり果たしたのだから、別にそれでいいんじゃないかと俺は思っている。
とにかくも、不毛な会議帰りの長い廊下で、突然ルーノ殿から話しかけられた俺は、無意識に一歩身を引いてしまった。――別に嫌いとまでは言わないが、掴みどころのない言動の多い彼が、俺はどうも苦手なのだ。
「私とハルーティア様が……いい関係を、ですか?」
そんな訳ないだろうと切り捨てたいところだったが、一応、言葉を濁しておいた。
「うん、何だか、厳しい飼い主と懐かない子犬って感じで」
「……」
それに、とルーノ殿は言葉を続けた。
「ハルちゃんに問答無用で厳しく当たれる人ってのは、すごく貴重だよ。そういう人がいないと、きっと彼女はダメになる。君みたいにコワ~イお兄さんがいるから、逆にハルちゃんも『嫌!』って感情を素直に出せるんだと思うんだよね~。何だかんだで、ハルちゃんは君のこと頼りにしてるんだよ」
そういうものなのだろうか。
だから彼女も、俺を遠ざけようとはしないのか。
「ま、そういう訳だからさ、これからもハルちゃんに構ってあげてね。ハルちゃんが『嫌!』以外の主張をするようになってくれたら、この国と彼女の関係も、きっともっとどんどん良くなっていくよ」
ルーノ殿は、満面の笑みを浮かべてそう告げると、まるで子供のように大きく手を振って、その場から去って行った。
……彼は彼なりに、色々と思うところがあるのかもしれない。
・ ・ ・ ・
それから数日後のこと。
とある式典に巫女の出席が必要となり、俺はいつものように彼女を迎えに行った。
またしても無駄な攻防で体力と時間を消費することになるのだな、と思いつつ、もはやそれほど悪い気はしない。ルーノ殿の言葉のせいと思えば、単純なものだと自分に呆れる。
巫女の私室前では、これもまたいつものように、複数の使用人たちが途方に暮れて立ちつくしていた。彼らは俺の姿に気がつくと、明らかにほっとした様子で眉尻を下げる。
もはや状況を確認するまでもない。
俺は軽く手を上げて使用人たちを制すると、部屋の扉を強めにノックした。
「ハルーティア、俺だ。入るぞ」
返事はない。だがそれもいつものことなので、気にせず扉を開けた。
小奇麗な部屋の中には、いかにも若い娘が好みそうな調度類やら小物類が取り揃えられている。だが、そこに生活の色がまるで感じられないのは、巫女がそのどれにも無関心だからだろう。まるで人形の部屋のようだと、来るたびに思う。
当の巫女本人はというと、大きなクッションを胸に抱えつつ、ベッドの上で膝を抱えて黙り込んでいた。俺の方へちらりと視線を寄越すと、引き結んでいた唇に更に力が入ったのが分かる。
「ハルーティア、案内は既にあったはずだが、これから式典に参加してもらうぞ」
「……」
「それとも、また布団ごと担ぎ上げられたいか?」
「……いいえ、行きます」
消え入りそうなか細い声に、俺は思わず片眉を上げた。
今、行くと言ったか?
密かに驚いている俺を尻目に、巫女はのそりとベッドから降り立った。
抱えていたクッションを手放し、俯きがちに部屋の入り口までやって来る。そんなことはこれまでで初めてだったので、こちらの驚きは深まるばかりだ。それは俺の後ろに控えていた使用人たちも同じだったようで、背中から小さく息を呑む音が聞こえてきた。
珍獣を見守るかのような遠慮のない視線に、巫女は居心地が悪そうに身じろぎをする。
「行かなくていいんですか。なら、私、ベッドに戻りますけど」
「いや、行こう」
慌てて道を開けると、巫女はむっつりとしたまま再び歩き出した。
その背中を追って、俺も歩き出す。
「……どういう風の吹き回しだ?」
思わず、そう問いかけずにはいられなかった。
すると巫女は、疲れたような表情でちらりとこちらを振り返り、また前を向いてしまう。
「どれだけ抵抗しても、結局、絶対連れていかれるじゃないですか。もう、抵抗するのも疲れました」
その応えを聞いた時、俺は無性に悔しくなった。
俺との小さな攻防すら、彼女は手放してしまおうとしているのだと。何もかもを諦めた彼女の中に残っていた、唯一「嫌だ」という意思を示すことさえ、今まさに、放棄しようとしているのだ。
その場で俺が足を止めたことに、巫女は数秒遅れで気が付いた。
怪訝そうな顔で再び振り返り、彼女も同じように立ち止まる。
「ノエルさん?」
「――サボるか」
「はっ!?」
彼女は目を見開き、素っ頓狂な声を上げた。
「いいぞ、サボっても。式典に出るのがどうしても嫌なら、人気のないところまで連れて行ってやる。どうせ式が終わるまでは部屋には戻れないからな」
「え!? あの、えっ?」
突然言葉が分からなくなったとでもいうように、巫女は目を白黒させた。彼女の表情が大きく動いたことに、どこかほっとした。
「いや、でも、大事な式典なんですよね? 巫女が出ないとまずいんですよね?」
「まあ、そうだが」
「国王も出るほど大きな式だって、さっき別の人が言ってました」
「そうだな」
「それに私が出ないと、どうなっちゃうんですか」
「大変なことになるが、別に死人は出やしない」
「少なくともノエルさんの首は飛ぶような気が」
「やってみなければ分からないがな」
「……いいです、もう!」
からかわれていると思ったのだろう、巫女はムッと俺を睨み上げると、そのまま再び歩き出した。
足の向かう先は、自室ではなく、式典の会場だ。
嫌だ嫌だと駄々をこねても、根は真面目であるらしい。
もしここで「行きたくない」と言われれば、冗談ではなく本当にサボらせてもいいかと思っていた。移動中に巫女の具合が悪くなったとでも報告すれば、それほど大きな問題にはならないだろうという見込みもあったし、式典自体も巫女がいなければ成り立たないという程のものではない。
本人が行く気になったところを、わざわざ連れ戻すのもおかしな話だから、そうはしなかったが――それでも、歩いていくその背中の小ささに、俺は何とも言えない気持ちになった。
・ ・ ・ ・
「はあ、やっと終わった……」
式典の後、控えの間まで巫女を迎えに行くと、どこかやつれた様子で椅子に腰かける彼女の姿があった。
「今日の予定はこれで終わりのようだな。すぐ部屋に戻るか?」
「戻ります」
頷きながら、巫女は勢いよく立ち上がる。行きの腰の重さとは大違いの身軽さだ。
廊下に出ると、同じように式典に参加していた重鎮たちがちょうどそれぞれの持ち場へと戻っていくところだった。
王宮内では珍しい人混みに、俺の前を歩く巫女が息を詰めているのが分かる。いつにない早足が、彼女の居心地の悪さを物語っていた。こうしてわずかな間だけでも人々の視線を集めるのが苦痛だというのなら、確かに日々の儀式や式典への参加は拷問にも近いだろう。
「ハルーティア、こちらの回廊から戻ろう。少し遠回りだが、人も少ないし、風が吹き抜けるようになっているから、気分転換にもなる」
自然と俺は、そう提案していた。
見込み通り、北側の回廊にはほとんど人の姿は見えなかった。
隣に並んで歩きながら、そよ風で乱れた前髪を引っ張っている巫女に視線を向ける。
「ハルーティア、一つ頼みがあるんだが」
そう切り出すと、巫女はピタリと手を止め、嫌そうに眼を細めた。
「……また式に出ろって話ですか」
「違う」
「じゃあ何ですか」
どうせロクなことじゃないだろう、という心の声が聞こえてくるようだ。
「何か思うところがあれば、いつでも俺に教えてくれ」
「え?」
「言いたいことは遠慮せず何でも言ってほしい。言われたことを全て叶えてやれるわけじゃないから、そこを期待されると困るんだが」
「……どうしたんですか、急に」
怯えたように巫女は俺から一歩離れた。非常に心外だ。
「別に急なことじゃない。前々から思っていたことだ。お前の意に反して無理を強いることは多くあるが、心の声まで押し殺すことはしないでほしい」
噛み砕いて伝えても、彼女はしばらく黙ったままだった。
これはもう、今更手遅れだっただろうかと思った――その矢先。
「じゃあ、早速一つ、お願いしたいことが」
「ああ。何だ?」
「ハルーティア、っていう呼び方、止めてもらえませんか?」
今度はこちらが驚く番だった。
「呼び方?」
「そのう、ハルーティアっていう名前、何だか仰々しくって……どうも苦手なんです。全然自分のこと呼ばれてるって気がしないし」
「……その台詞を、名付けた神官長が聞いたら自害するぞ」
「も、もちろん、ここだけの話ですっ」
「他の者に『巫女様』と呼ばせているのもそれが理由だったんだな?」
「まあ、そんなところですかね」
ばつが悪そうに彼女は口ごもった。
しかし、何とささやかな願いだろうか。いや、神官長にとっては大事件かもしれないが。
きっと、彼女の心の内には、こうしたささやかな希望や不満がいくつもひしめいていたのだろう。そのたった一つでさえも、これまでは誰にも打ち明けられずにいたのだ。
「もっと早くに言えよ、そういうことは」
「う、すみません」
「こっちだって、ハルーティアなんて名前より、ハルカの方がよっぽど言いやすい」
「ノエルさんこそ、その台詞を聞かれたら神官長に怒られますよ」
「ここだけの話なんだろ?」
「そうですね、でも――」
彼女は俯いてもごもごとつぶやいた。
「ちゃんと私の名前覚えていてくれたんですね。皆に忘れられてると思ってました」
どこか嬉しそうな様子の彼女に、心から、もっと早くにこうしていればよかったと後悔した。
だがまあ、これから少しずつでも、彼女の心の声を引き出していけばいい。
彼女が役目を終えるその日まで、まだまだ時間はたくさんあるのだから。