堕天使組曲
堕天使組曲
【序曲】
青白い月光の下
冷めた聖女の肩を抱き 祈った
神に背を向けた過去も忘れて
生まれ変われたら またこの楽園で
そっと微笑いかけておくれ
僕だけのMARIA
【狂想曲】
高校2年の夏休み。靖樹は雑多な音に包まれながら特別補習を受けていた。
校庭からホイッスル。体育館からブザー。視聴覚室からチューニング。
何人かの同輩がそこで戦っている。
対して靖樹は、初歩的な位置エネルギーに翻弄されるばかり。
「ここにエネルギーはあるのか?」
ペンを握って悩む振りをしていても、知識が足りなければ解けるはずもない。
一生懸命になどなっていないのに、汗だけは一丁前に流れ落ちる。
彼らの汗は眩しいが、自分の汗は粘ついて臭い。
夕方に補習を終え、なにげなくビデオレンタル店に立ち寄った。
無性に映画が見たい。洋画が良い。しかも、古い名作。ここからどこかへ飛んでいきたい。
モノクロに没頭したい。モノクロになりたい。たばこの煙と、ぶつ切れたレコードの音と、スマートな文句。
慣れない名画コーナーをうろついていると、聞き覚えのある声が店内に響いた。
「えー、化粧濃過ぎじゃなーい?」
「カッコイイんだって、アルパル! 一回聴いてみなよ。なんならうちがお金出すから」
「そんなにですかぁ?」
「そんなにです。えっとね、この『虚空のオブリガード』が初心者向きかな」
「ちょっと何言ってんだか分からない」
「うちも分からないけどマジでガチです。あっ、コレ初回版じゃん! もったいない」
姦しい声に振り向くと、CDコーナーで笑子が友人と戯れていた。バレー部の練習が終わったのだろう。
靖樹は笑子に惚れていた。
笑子はヴィジュアル系バンド・Alps Impulseに惚れていた。
彼女たちが去った後、先ほどの話題に出たCDに手を伸ばした。
紙製のジャケットの向こう側では、銀髪の美男子が十字架を象ったポーズを取っていた。全裸で。
「こういうのが好きなのか……」
好きな人が好きなものを知っておくのも悪くない。
靖樹は『虚空のオブリガード』を当日レンタルした。
それは衝撃。
時にバイオリン・パイプオルガン・アコーディオン・ハーモニカなどを駆使した流麗なメロディ。
荘厳で、どこかノスタルジックな哀愁を感じさせる。
ボーカルのファルセットが美しく、男の靖樹でも惚れ惚れしてしまう。
ただし歌詞は複雑過ぎ、知的なはずが一周回って逆に頭が悪そうだった。
とにかく、靖樹が彼らを憧れと敵意の対象にしたのは、思春期の男児としてごく普通の現象だった。
そして靖樹は、ネットでバンドメンバー募集のサイトに書き込んだ。
『ジャスキです。当方Vo。G・B・Dr・Key募集。初心者歓迎!』
【行進曲】
幾度もの『音楽性の不一致』を乗り越え、ジャスキはソロ名義でメジャーデビューした。高校は中退していた。
進学・中退・バイト・スカウト・解散・家業・恋愛・就職・ライブ・酒乱・訃報・痴情……すべてが『音楽性』。
今が旬と言わんばかりに、ヴィジュアル系バンド専門誌のインタビューがこぞってやってくる。
――音楽活動を始めたきっかけは?
「ある夜、歌が降りてきたんだ」などと嘯く。
『漆黒の堕天使ジャスキ・一万文字ロングインタビュー!』と題された記事を見ては、「一万文字は俺の手柄じゃないだろう……」と辟易する。
それでも笑子のことは忘れられず、インタビューの度に彼女を意識したコメントを残していた。
高校を中退したため、同窓会には今まで呼ばれていなかった。
ところがデビューした途端に呼ばれるようになった。
数年ぶりに再会した笑子は、保険会社の社員と結婚していた。
【円舞曲】
モチベーションの維持。全ての労働者にとって最重要の課題である。
それが今、崩壊しようとしている。
天使や悪魔をモチーフとした曲を作り続けてきた。
幻想的・享楽的・刹那的。そして時には暴力的。
しかしいずれの曲にも、一条の希望を秘めるように心がけていた。
それが今、破滅的な曲しか浮かんでこない。
歌が降りてこない。いや、歌が降りてくることなんて今まで一度も無かった。雑誌記事はリップサービス。
心情を抉り出し、切り売りしてきただけ。
「こうだったらいいな」と望む展開を虚飾してきただけ。
今、ジャスキに「こうだったらいいな」は見えない。
ある夜、ジャスキは缶のハイボールをひたすら呷った。彼のキャラクターではワインでも飲むべきなのだが。
それでも彼は、既にアーティストだった。
お笑い芸人が自身の失敗談をネタにする如く、アーティストは失敗談を歌にした。
そして発売されたシングル『僕だけのMARIA』が60万枚の大ヒット。歌番組への露出も増える。
徐々に徐々に化粧を薄くし、いつの間にか素顔で出演するようになっていた。
ラジオだが冠番組も設けられた。
初期のヴィジュアルが好きだった一部のファンは離れていったが、それ以上に新たなファン層を獲得できた。
その頃にはもう、ジャスキは『歌わない』と決めていた。歌わないで済むように、歌っていた。
【即興曲】
紅白歌合戦を目指した理由は三つ。
生放送だから。
CMが入らないから。
アーティストだから。
大喧嘩した両親にも、過去のバンドメンバーにも、事務所の仲間にも見せるべき大舞台。
不思議と緊張はなかった。数年間、やると決めていたことだから。
司会者の声が聞こえる。
「それでは白組、ジャスキ『僕だけのMARIA』! どうぞ!」
歓声。スモーク。レーザー。静寂。イントロ。
歌い出し。
歌わない。
ジャスキは歌わない。マイクの前に立ち、語る。
Aメロ(1番):笑子。幸せか。今、幸せか。俺は不幸だよ。生きているのに、死んだみたいだ。
Bメロ(1番):俺は、マイクに向かって叫ぶだけで、たったの一回だってお前に言えなかった。夏休みの廊下でも。高校を辞める時も。同窓会で会った時も。
サビ:好きだって、言えなかった! ずっとずっと、魂を搾り出してきたはずなのに! お前を待ってた。お前が来てくれるのを待ってた。お前が気づいてくれるのを待ってた。動いてるつもりで、走ってるつもりで、本当は待ってただけなんだ。
間奏:ああ、お前の旦那が死んだら再婚でもしてくれるかい。そうなればいいと安易に思ってみても、俺はそうなってほしくないんだ。
Aメロ(2番):だって、お前は悲しむだろう。悲しみを歌うのは俺の仕事だ。お前じゃない。お前じゃないんだ。悲しみを歌うのは。
Bメロ(2番):いや、俺でもない。俺でもないな。俺は悲しみを歌いたいんじゃなかった。じゃあ、何を歌いたいんだ。俺は何を歌いたいんだ。何を聴かせたいんだ。
サビ(2番):もう、一曲だって届くのかい? お前の耳に、心に。愛してる。愛してる。愛してるって、届くのかい? 俺は、吉崎靖樹は、菱山笑子を愛している! だけどお前はもう菱山じゃないんだろう。何て言ったっけか、今の名字は。
間奏:放送事故だこんなの。でも今は俺が勝ち得た時間だ。俺の時間だ! 俺はこんな時間よりも、お前を勝ち得たかった! ちくしょう、悔しいよ。どうしてこんなに時間がかかっちまったんだろう。それでも結構早かった方なんだよ、ここまで来るのは。ここまで来るのは。ここまで来られたのは! お前がいてくれたからなんだ!
Cメロ:どうか聴いてくれないか。お前と出会って作れた曲だ。これが俺なんだ。さあ、さあ、歌う!
サビ(ラスト):あおじろいつきのもと さめたきみのかたをだき いのった かみにせをむけたこともわすれて うまれかわれたら またこのばしょで そっとわらいかけておくれ ぼくだけのまりあ
アウトロ:笑子! ありがとう!
【終曲】
はい、次のメールが来てます。ラジオネーム・えみこさん。……あのね、ホントごめんなさい。忘れたいの。紅白以来このラジオネーム多すぎだろお前ら。まあ、読みますけど。
『ジャスキさんは今でもNHKに入れないんですか? 私のこと愛してますか?』
入れねえよ! 俺が今からNHKに就職して役職につかない限り、未来永劫入れねえよ! あとお前笑子じゃないだろ! 質問はひとつにしろ、ひとつに。もうメールしてくんな。
はい、というわけで質問コーナーは終わり!
ジングル『ニホン放送・ジャスキの堕天使組曲!』
さて。じゃあ次はいつものクイズいきたいと思います。
あなたはこのクイズが解けるかな? 運良く選ばれたリスナーは、電話でジャスキに関するクイズに答えてもらいます。
見事正解できればなんと賞金1万円! 残念ながら不正解だった場合は番組特製オリジナルストラップをプレゼント致します。
いつも思うんだけど『特製オリジナル』って二度手間じゃないか? まあいいや。ヤフオクにかけるなよ、チェックしてるからな。
今日のリスナーは……ラジオネーム・セッターさん。喫煙者かね。……もしもし?
『もしもしー』
あら、女性なんだね。随分と重いヤツを吸われるようで。
『いえ、たばこじゃなくて昔バレー部だったんで』
あーそっちかー。失礼失礼。ところでセッターさん、自信の程は?
『バッチリです!』
そりゃあ頼もしい。では問題! ジャスキの学生時代の苦手科目は? これは運だろ。じゃあスター
『物理』
……え?
『物理の補習受けてたでしょ』
は? え、もしかして俺の知り合い?
『……忘れたいの?』
………………お前。
『私のこと愛してますか?』