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第3章(1) 公爵夫人

 公爵夫人は言いました。

「そのことの教訓は何かというと、『見てほしいとおりのものになれ』ってことさ。もっと簡単なほうがよかったら、『自分が他人の目に見えるのとは異なるものではないと思ってはならないのはあなたが何でありまた何でありえたかと異なることなくこれまで何であったかが他人にはそうではなく見えているかもしれないことと異なりはしない』と言ってもいいがね。」


『不思議の国のアリス』(ルイス・キャロル作、脇明子訳)

 この女をひとことで評するなら、たぶん「美しい」よりも「迫力がある」という語の方がぴったりくるだろう。天使の羽のように軽やかに、顔の周りに広がった金髪。整いすぎていて作り物みたいな印象を与える卵型の顔。長い首の優美なライン。しかし、あらゆるものを透過し、底の底まで見通すような強烈なまなざしの力が、すべてを覆い隠してしまう。


 紺碧の瞳は澄みきっていて怖いほどだ。

 美しすぎる星空が人に、恐怖に近い畏敬の念を起こさせるように。

 そこにたたえられた感情は限りなき慈愛のようでもあり、底知れぬ憎悪のようでもある。


 若い女ではない。三十代半ば、といったところだろう。


「いい女やな。ちょっと年くってるけど。そう思わん?」


 女の映像を私の[認識野(スパイムビュー)]に送りつけてきたハクトが、熱のこもらない口調で言った。

 私は腕組みし、椅子の背もたれに体重を預けた。


「どっかで見たような顔だな……どこかは思い出せないが」


「えー、その程度の認識? インドじゃ結構有名人のはずやけどな。これは《ローズ・ペインターズ同盟》の教祖様や。東は旧《鋯石線(ジルコンライン)》、西はニューデリーはもちろんイスラマバード、カブール辺りまで、人的統治機構(せいふ)や企業のお偉いさんを大勢(ぎょうさん)虜にしてるカリスマ伝道師で、信者には『女王』と呼ばれとる」


 ハクトののんびりした声が、玄関ドアがなくなったせいで風通しの良くなった私の部屋を流れた。


「名前はマリアンヌ・アスドクール。若い頃フランスの聖パウロ修道女会のシスターやった、と自称してるけど……名前も経歴も嘘くさい。バチカンに調べてもろたが、この女に該当するようなシスターの在籍記録はないそうや」


「……」


 私は、アパートの大家が契約しているメンテナンス会社がドアの修理に来るのを待っているところだった。

 「てめえはさっさと自分の仕事に行け」と何度促しても、ハクトは私の部屋を出て行こうとしない。のんべんだらりとソファに座り込み、まるで我が家のようなくつろぎぶりだ。

 アリスは、あいかわらず何を考えているのかわからない茫洋とした表情で、おとなしくハクトの隣に腰かけている。昨夜ほどハクトを嫌がらなくなったのは、パンケーキによる餌付けの効果か。


 映像の中の金髪女が、保守的な色のルージュに彩られた唇を動かし、よく響く声で言った。


『機械の生み出した偽りの白薔薇を、熱き血潮で紅く塗り替えましょう。世界を再び、私たち人間の手に取り戻すために』


 私は反射的に舌打ちし、テーブルの向こうのハクトを睨みつけた。


「俺にこんなもの見せたって何にもならねえぞ。俺はてめえの任務なんか手伝うつもりはねえからな」


「これ。見覚えないか?」


 ハクトの操作により、私の[認識野(スパイムビュー)]の中で女の映像が拡大された。象牙色の服を着て、複雑な模様の暗色のストールを肩の周りに巻いている。そのストールを留めるため刺されているピンバッジが大写しになった。

 銀色に輝く小さなハート。その真ん中にはピンク色の石が埋め込まれている。


 昨夜アリスをさらおうとした軍人風の男も、今朝アパートに乱入してきたやくざの幹部も、似たようなデザインのバッジを身につけていた。


「……気づいてたのか、おまえも」


【どうやらこのバッジは同盟員の証みたいなもんらしい。俺、昨日の男が《同盟》の信者やとわかったから、今朝おまえにその話をしようとしてたんや。そしたら新手が来よった。そいつも信者や。……たまたま同じ宗教を信仰してただけなんて、そんな偶然ありえへんやろ?】


 アリスの耳を気にしたらしく、ハクトが[ダイレクトボイス]の通信に切り替えてきた。


【理由はわからんが、《ローズ・ペインターズ同盟》がアリスちゃんを狙ってる。二日連続で襲ってきたところを見ると、奴ら、がっつり本気やで。このままやとアリスちゃんが危ない。……これでも『自分には関係ない』って言えるんか、リドル?】





 私は貴媚ママにアリスをしばらく預かってくれるように頼んだ。

 この街へ来てからというもの、あまり他人と関わらないようにして暮らしてきたので、他に頼めそうな相手がいなかったのだ。

 アリスが厄介な連中に狙われている、ということもママに正直に打ち明けた。ママは眉一つ動かさなかった。


「任せてちょうだい、リドルさん!」


 巨大な拳でたくましい胸板を叩いてみせる姿はいかにも雄々しい。


「私のそばにいればアリスちゃんは安全よ。私が世話をしてる子に手を出そうなんて度胸のあるやくざは、コルカタには一人もいないから」


「……なんでそんなにやくざに顔が利くのか訊いてもかまわねえか? つまり、今までここのキッチンで何人(さば)いてきたのか、ってことだが」


「あらぁ。リドルさん。……私に興味が出てきた? 私のこと、もっと知りたい?」


 ママが妙な感じで体をくねらせながら、肉食獣の()で私を見据える。

 全身の毛が逆立った。私は本能的に後じさった。


「いや。いい。もう何も言うな。過去なんか地中深く埋めとけ。……できればあんたのその邪神像みたいな(つら)も土に埋めて封印できりゃ最高だ」



 『媽媽的店』でアリスの引き渡しを終え、私が立ち去ろうとすると、アリスはいきなり駆け寄って来て私のジャケットの裾を握りしめた。言葉を発しなくても、そのメッセージは明瞭だった。「置いていかないで」と全身が叫んでいた。

 私は、柄にもなく動揺した。


「心配すんな。置き去りにするわけじゃねえよ。ときどき様子を見に来るから」


「……!」


 アリスは顔をくしゃっと歪めて今にも泣き出しそうな様子を見せた。

 別になつかれるようなことをした覚えはないのに、涙をためた青い目でじっと見上げてくるその必死さは何なんだ。

 すると横合いから貴媚ママの野太い声が響いた。


「『ときどき』じゃなくて『毎晩』来るわよね、リドルさん。夕ご飯を食べに」


 イエスと言え、と目くばせしてくる。

 私はしぶしぶうなずいた。


「ああ。そうだな。毎晩来る」


「ほら。リドルさんも毎晩会いに来てくれるって言ってるから、安心して、アリスちゃん。そろそろおやつにしない? カノーリを作ってあげるわ。座って待ってて」


 貴媚ママは思いきり強引に、アリスと私の間に巨体を割り込ませてきた。アリスはでかい体の陰に完全に隠されてしまった。

 その隙に私は『媽媽的店』をするりと抜け出した。

 たとえようもなく後味が悪い。――すがるような青い瞳が脳裏から離れない。


 頼むから、そんなに私になつかないでくれ。

 




 私はハクトと共に《ローズ・ペインターズ同盟》を調べる決心を固めていた。

 《同盟》に潜入すれば、連中が何の目的でアリスを狙っているのか情報を得られるかもしれない。


 ――私がそんなことをしなければならない筋合いはない。私は、裁判所からアリスの[補助大脳皮質(エクスパンション)]スキャンの許可が出るまでの間、アリスの寝食の世話をするだけの立場だ。

 残り期間はあと二週間ほど。《同盟》にみつからないよう、どこかに身を潜めてその日数をやり過ごしさえすれば、それで済む。そうすればあとは警察の仕事だ。アリスの正体も、アリスが巻き込まれているトラブルも、警察がつきとめて処理するだろう。


 私がそうしなかったのは、二度と後悔したくなかったからだ。

 「あのときもっと何かできたはずだ」と後になって悔やむのは、もうたくさんだった。



 ローマのあの晩秋の日。

 突風にあおられ、石畳の上で激しく渦を巻く枯葉の乾いた音。

 分厚い黒のコートで、世界に対し完全武装をきめていたレイシー。


「私は死人のように生きているから、自分が生きていることさえ確信できないんだ」


 むせび泣くように笑う、その白い顔。


「生きるための理由を……闘い続ける理由をくれ。安っぽくても、陳腐でもいいから。闘うための理由づけを、何か私に示してくれ」


 あのとき手を差し伸べていれば。

 あいつを引き戻すことができたのか。生者の世界へ。







 《ローズ・ペインターズ同盟》はコルカタ市内でも活発に活動しているが、それほど歴史の長い宗教団体ではない。ネットワークを介した大規模情報発信を許可される[公認組織サーティファイド・オルグ]の登録も、まだ受けられずにいるらしい。

 そういった団体の宣伝方法は、大昔と変わらない原始的なやり方だ。つまり、街頭に立って通行人にちらし(フライヤー)を配るのだ。

 平日の夕方にダルハウジー広場やハウラー中央駅へ行くと、かなり高い確率で、妙にテンションの高い二十歳前後の男女がフライヤーを配布しているのに出くわす。


「明日、夜七時半から、カリガート公会堂で集会があります! 入場無料です!」


「今の世の中に疑問を抱いておられる方! 生きづらさを感じておられる方! 言葉のシャワーで心を洗いに来ませんか!?」


 灰色の雑踏の中で、若々しい声が天に向けて張り上げられる。

 ハクトと私は、熱意で頬を紅潮させた若者たちからフライヤーを受け取り、翌日そのフライヤーを入場券代わりにカリカード公会堂へ乗り込んだ。


 カリカード公会堂は、純白の有機合成素材(オルガーニチ)で内装を統一した、味もそっけもない機能的な建物だ。大ホール一つと中ホール二つ、いくつかの会議室などを備えているが、その夜の公会堂の利用者は《ローズ・ペインターズ同盟》だけらしく、信者らしい連中がエントランスロビーを埋め尽くしていた。


 私は、顔の前に立てたフライヤーの上辺越しに、周囲の人間をざっと見渡した。

 新興宗教を調査する場合、信者の年齢層、人種、性別なども重要な情報となる。


 分析は瞬時に完了。私の[認識野(スパイムビュー)]に、ロビー内の人間の人数と年齢構成、人種構成、性別構成が原色のグラフとなって表示される。続いて、世界六大宗教の公開データに基づき、各宗教のコルカタ市内の信者の年齢構成、人種構成、性別構成のグラフも表示され、最初のグラフに重なる。

 ――公会堂のロビーに集まった二百六十四人は、他の宗教の信者に比べると、全体的に若い。二十代、三十代の占める割合が、他宗教より明らかに多い。しかしロビーに未成年者の姿はまったくと言っていいほど見当たらない。これも顕著な特徴のひとつだ。一概に「若年層に人気のある宗教だ」と断じることはできないようだ。


 ロビーにたむろし、集会会場である中ホールの開場を待っている周囲の信者たちを、私は眺めるともなしに眺めていた。皆に「しょぼくれ」と評される私の外見は、こういった場所への潜入にうってつけだ。人生に行きづまり、すがる思いで新興宗教の門を叩く男に見えなくもないだろう。周りにも、うらぶれた空気をまとった奴らが大勢行き来している。

 例のハート型のバッジを身につけている人間は見当たらない。ハクトの話じゃ、あのバッジは《同盟》の会員証みたいなものだということだったが。

 ロビーの向こう端近くにハクトの姿がある。奴の長身は人ごみから頭一つ抜きんでていた。

 地味な連中が多い中、ハクトの緑色の帽子とド派手な橙色の髪は悪目立ちもいいところだった。そのうえ朱色に近いタートルネックを着込んでいるので、全体の印象はまさにニンジンだ。あいつは「変装」の意味をわかってんのか。前にアリスをさらおうとした奴らと鉢合わせする危険があるから、外見を変えてこっそり潜り込むという趣旨だったのに、奴は人目を引きまくっている。


 今夜の私はハクトとは別行動だ。あの脳天気なキャロット野郎が注目を集めてくれれば、その分こっちが動きやすくなるだろう、と自分に言い聞かせ、私は奴を無視して調査に集中することにした。


 ぎょっとした。

 こんなに接近するまで、まったく気づかなかったとは。


 ほんの一メートルぐらいしか離れていない所で、凶悪きわまりない三白眼、残忍に歪んだ口元、ぎざぎざに尖った歯などが特徴的な毛深い男を発見したとき、私は思わず声をあげてしまうところだった。

 心臓に悪すぎる。R18に指定してもよさそうな顔面だ。――コルカタ中央署で私にアリスを押しつけた、例の生活安全課のオオカミ男がそこに立っていた。



 これまでの三十年近い人生で、私は一度たりとも警察と良好な関係だったことはない。必要もないのにみずから進んで警官に接近するなんて、ありえないことだ。

 だが今夜は例外だった。調査中はあらゆる伝手(つて)を積極的に利用しなければならない。

 ましてオオカミ男が、まるっきり似合ってない最新流行のさざなみ色(リップリング・ブルー)のタイトスーツの襟元に、小さな銀色のバッジを光らせていやがるから、なおさらだ。


 そのバッジは菱形だ。トランプで言うなら「ダイヤ」にあたる。

 菱形の中央にはピンク色の石がはめ込まれている。見覚えのありすぎるデザインだ。


「こんな所で何やってんだ、お巡りさん(オフィサー)。これまでの職務怠慢を神様に懺悔する気にでもなったのか?」


 私はオオカミ男に歩み寄り、快活に話しかけた。

 相手は私を見返し、不審げに太い眉をひそめた。どうやら私の顔を思い出せないらしい。

 それは想定内だった――ハクトほどではないが、私も外見に多少手を加えているからだ。


「忘れたか? リドルだよ。あんたらに迷子の世話を押しつけられた」


 そう告げてやると、オオカミ男の三白眼が理解で輝いた。


「ああ、あんたか! 気づかなかったよ。なんて言うか……前に会ったときと印象が違うから」


「お互いにな、お巡りさん(オフィサー)


「今は非番だ。オフィサー呼ばわりはやめてくれ。……俺の名前はラゴースだ。よろしく、リドルさん」

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