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第1章(3) リドル

 ――押しつけられた。


 背負い込んでしまったものの重みに、私はげんなりしてため息をついた。


 まさか、子供を引き取らされる羽目になるとは。

 一か月という期間限定とはいえ、子供なんかどう扱えばよいのか見当もつかない。


 すでに天頂近くまで昇った太陽の気の抜けた光が、コルカタ中央署の玄関に茫然と立ちつくす私に降り注いだ。


 しかし、私の指を握りしめる小さな手の存在が、私に現実逃避を許さない。


 肚をくくるしかない。ここでアリスを放り出したら法令違反となり、せっかくの完璧な身元(ID)に傷がつく。



 私はまず、アリスを最寄りの診療所へ連れて行って解熱処置を受けさせ、それから行きつけのダイナーへ寄って腹ごしらえをした(アリスは激甘のペタバルフィを頼んだ。――見てるだけで胸焼けがしそうだ)。

 そして、アリスの着替えを買うためにデパートへでかけた。

 どうせ費用は市から出るんだ。高級デパートも恐れるに足りず、だ。


 この子に合う服を頼みます、と子供服売場の店員にアリスを押しつけ、私は休憩スペースのソファに身を沈めた。


 この店は、人間文明が最後の徒花(あだばな)ともいえる輝きを放った二十世紀の、ロンドンに実在した百貨店の内装を模しているのが売りらしい。クリスタル風のシャンデリアは本物のクリスタルにしか見えないし、大理石風の柱や床は本物の大理石にしか見えない――最近の有機合成素材(オルガーニチ)は高品質だ。

 明るい店内を、苦労などなさそうな顔をした買物客が行き交う。


 私の[仮想野(スパイムビュー)]の片隅でデパートからの支払請求がフリップしたので、オーソライズした。

 まもなくデパートのロゴ入りの袋を抱えたアリスが戻ってきた。


 いちおう、袋の中身を確認してみる。


 アリスがいま着ているのとほぼ同じデザインの青いエプロンドレスが五着ほど入っていた。

 ――口の重いアリスが自分でこれらを選んだとは思えないから、間違いなく店員のセレクションだろう。


 なんで同じ服を五着も買わせる? 何かのいやがらせか?


 私は抗議しに行こうとソファから立ち上がりかけ――ふと、あることに思い至って、再びソファに崩れ落ちた。ついでに、頭も抱え込んだ。


 うわあ。いやなことに気づいちまったぞ。


 しかし、いくら頭を絞っても、この苦境を逃れる方法が思いつかない。


 私はアリスを連れて子供服売場へ引き返した。高級デパートの売り子にふさわしい美貌の若い女が、見惚れるほどあでやかな営業用スマイルを顔面に張りつけていた。

 私は覚悟を決めて、アリスを店員の方へ押しやった。


「こ……この子に合う下着を頼みます」


「……」


 美しい店員の笑顔の温度がたちまち氷点下にまで下がった。女はあからさまな嫌悪の視線を私に向けた。


 違う! 別に、私が下着を欲しがってるわけじゃないんだ!

 そんな、少女の下着を頭にかぶって踊り狂いたがっている変態を見るような眼で、私を見るな!!


 しばらくすると、休憩スペースで待っている私の元へ、アリスが新たな袋を抱えて戻ってきた。


 私はその袋の中身を確認しなかった。するわけねえ。




 こうして私と少女との奇妙な共同生活が始まった。


 私はすぐにアリスの存在に慣れた。


 アリスは驚くほど手のかからない子供だった。

 ひとことも口をきかない。放っておけば何時間でもおとなしくその場に座っている。まるで人形みたいなものだ。


 聞き分けの良すぎるIDチップを持たない(チップレス)少女は明らかに普通とは言えなかったが――アリスの身元や事情を探るのは警察の仕事だ。私には関係ない。

 私はただ、一か月間アリスの寝食の世話をすればいいのだ。


 アリスが私のことをどう思っているのかはわからない。

 けれどもアリスは、私の行く先にはどこへでもついて来たがった。


 ふと強い気配を感じて振り返ると、まっさおな二つの瞳が私をしっかりとらえているのが常だった。まるで、断じて私を視界の外に出すまいと決めたかのように。





 アリスを『媽媽的店』へ連れて行くと、ママも常連客どもも見慣れぬ金髪の美少女に大喜びした。


「きゃーーっ♡ リドルさんの彼女、かわいいーーーっ♡」


 ビルの五階のヒッタイト・ダンス教室の、無駄に妖艶なインストラクターと生徒たちが、アリスを取り囲んで金切声をあげた。

 彼女なわけねえだろうがウスラ馬鹿どもがっ、俺はロリコンじゃねえぞ、という私の抗議を女どもは完全無視だ。騒ぎは一方的に加熱していく。


「リドルさんたら、意外と隅に置けないわねー」

「こぉんな可愛い彼女がいたんじゃ、そりゃあいくら貴媚ママがモーションかけてもなびかないはずよね?」


 この女たちと正面きってやり合うとツッコミが間に合わなくて疲弊してしまうので、普段はできるだけ受け流そうと心がけているが。聞き捨てならない台詞が耳に届き、反論せずにはいられなかった。


「ちょっと待て、この白塗りツタンカーメンども。いったい何のことだモーションって。おぞましいこと言うんじゃねえよ!」




(警察署でオオカミ男を見て泣きわめいた時を除いて)言葉を発しないだけでなく、表情もほとんど変えないアリスだが。

 貴媚ママ自慢のティラミスを食べている時だけは、はっきりとした満足の表情を浮かべた。


 小さな口で無心にスプーンをくわえている様子は、幸福というやつを体現しているかのようで、心温まる眺めだった。


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