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第8話 アシュレイとヒロインと決断

 いつも通り、イヌは夜中の一時ごろ現れた。


 外は曇っていて、昨日のような月明かりは見えない。どんよりと暗く重い闇が、私の部屋に覆いかぶさっている。


 イヌはカギのかかっていない窓を静かに開けると、机の上に飛び乗る。そして、私のベッドに向かって声をかけた。


「――今日も起きているようだな。寝付けないのか」


 私は答えない。かけぶとんを完全にかぶって顔を見せない私に、イヌは心配そうに云った。


「気持ちはよく分かる。こんな現実、だれも受け入れたくないだろうからな。だが、向き合わなければいけない。四条穂積、そろそろ顔を見せて、結論を聞かせてくれ。魔法戦士になるという決断を」


 そう云ってイヌは私のベッドに飛び移ると、かけぶとんをぱっと引き上げた。


 そこには、横たわっている私の姿――


「なに!?」


 ――の代わりに、私の部屋にあった大きなセントバーナードの人形が置かれていた。


「まさか、代わり身――」


 イヌが気づいたときには、もう遅かった。


 ベッドの下で気配を消していた私はすばやくはい出て回り込み、立ち尽くすイヌの背後をとった。そして容赦なくイヌの首に腕をからませ、きつくしめ上げる。


「ぐおっ!?」


 イヌは必死にじたばたするが、小さな体では私に力比べでかなわない。


「な、なにをする四条穂積! だましうちとは卑怯だぞ!!」


「よく言うよ。いままでさんざん人の寝てる間を襲ってきたくせに。これくらい当然だろ」


「く……だがなぜ今なのだ。今日は貴様と闘うつもりなどみじんも無い。きちんと話し合いで解決しようと思っていたのに……」


「じゃあ、私の質問にも正直に答えてくれるな、イヌ」


 私は腕の力を緩めることなく、イヌに伝えた。


「ひとつ訊きたいことがあるんだ。もしちゃんと答えてくれなかったら、このまま最後まで首をしめ上げるからな」


「わ、わかった。この際だ。なんでも誠実に答えてみせよう」


「云ったな。じゃあ――」


 私は、イヌに告げた。


「――家のテレビに細工をしたのは、お前だな?」


 その言葉に、イヌの動きが一瞬、固まった。そして、一気に青ざめた顔になる。


「……な、なんのことだかさっぱりだな」


 私は首をしめ上げた。


「ぐっ! く、苦し……苦しい……!」


「お前がやったんだな」


「わ、私にはなにがなんだか……」


 私は首をしめ上げた。


「ぐぅっ!! や、やめろっ……し、死ぬ……!」


「お前がやったんだな!」


「て、テレビだと……貴様ら人間の道具を、どうして我々が操作することなどでき」


 私は首をしめ上げた。


「がはっ。ぐ、ぐるしい……やめろ……死ぬ……ほんとに死ぬ……」


「お前がやったんだろ!!」


「……そ、そうだ。私だ。私が……貴様の家の、テレビを……」


 半分泡をふきながら、イヌは息も絶え絶えにやっと告白した。


 私が力を緩めると、イヌは抜け出すどころか、そのまま床に力なくぽてっと落ちた。そしてぜえぜえ云いながらしばらく起き上がれない。どうやらほんとにやばいところまでいっていたらしい。


 そんな虫の息になっているイヌを見下ろしながら、私はかまわずため息混じりに云った。


「やっぱり、お前がやったのか……」


 イヌはふるえながらも、なんとか両腕で体を起こした。


「ああ……。我々が……貴様に、事態の深刻さを……理解させるために……偽物の番組を……」


「だからって、あんなやり方ひどすぎるだろ! 私は真剣に悩んだんだからな!!」


 私はやっぱり怒りがこみあげてきて、近くにあったペン入れをつかむと、立ち上がりかけていたイヌに思い切り投げ下ろした。気づいたイヌは、かろうじてそれをかわす。私は逆に腹が立って、近くにあるものを次から次へとイヌに向かって投げつけた。


「お前があんなことしなかったら、私は学校を休むこともなかったし、今日一日棒にふらなくてすんだ。それに小町だって――小町だって、泣かずにすんだんだ!」


 私が消しゴムやノート、バッグや時計や、その他もろもろをやたらめったら投げるのを、イヌは次々にかわす。それが気に入らなくて、私はもっと投げ続ける。投げる物が無くなったら、今度は蹴りや突きを見舞う。いつもより強引に、怒りにまかせて、私は殴りかかっていった。


「落ち着け、四条穂積! 私の話を聞け!」


「だれがお前の話なんて聞くか! 早く部屋から出ていけ!!」


 そうやって暴れまわることしばし。


 何度か私の投げた物が当たり、ついに蹴りを一撃受けたイヌが、ふっとんで床に転がった。


 気がつくと、私の部屋は無茶苦茶に散らかっていた。


 机の上に置いてあった物も、カラーボックスに並べていた物も、全てが床やベッドの上に散乱している。私は乱れた呼吸が静まっていくのを感じながら、両足から力が抜けたようにベッドの上に腰を落とした。


 イヌは――


 ドアの前で、のびた状態から起き上がろうとしている。しぶといやつだ。


「四条……穂積……。よくぞ私をここまで追いつめた……」


「どうせたいして効いてないんだろ。お前のわざとらしい演技にはもう飽き飽きだ」


「なんだ、気づいていたのか。なぜ分かった」


 あっさり立ち上がるイヌ。私は右の拳をふるわせた。


「…………次こそひっつかまえて首をしめ切ってやる…………!」


 私はベッドから再び立ち上がり、また飛びかかっていこうとする。イヌはあわてた様子でそれを止めようとした。


「待て、貴様……! 殴ってばかりではらちがあかんぞ! やめろ――この」


「逃げるな! 絶対つかまえてやる!!」


「やめろと言っているだろう! 貴様、いい加減に……」


「お前が挑発してくるからだろ! 私の蹴りなんて効いてないってとぼけた顔するからだ!!」


「とぼけた顔はこの人形の仕様だ。許せ。とにかく、一時休戦だ。怪物が日本に出現しているというのに、仲間割れをしている場合ではない」


「だれが仲間だ! 私はお前が仲間だなんて認めてないからな! それに、日本に怪物が出てきたっていうのもウソだったんだろ!!」


「いや、本当だ。もうすでに、日本で『マルガー』の存在を確認した」


「ウソつけ! さっき、私が見たテレビのニュースは全部偽番組だって――」


「それも本当だ。それも含めて、説明したい。だから――その巨大なテーブルを私に向かって投げつけようとするのはやめろ。壁までぶち抜かれるぞ」


 私は上に乗っていたものを全てふり落として両手で持ち上げていた赤色の大きなテーブルを、仕方なく脇へ置いた。


「……本当に、ちゃんとしゃべるんだろうな」


 私は不満と不信を顔に浮かべながら、またベッドに座る。イヌはドアの前に立ち、私に向かって鋭い視線を投げた。


「ああ。しかしまず――貴様をだましたことをわびよう。すまなかった、四条穂積」


 頭を下げるイヌに、私はむすっとした顔で答えた。


「――なんでこんなことしたんだ」


「さきほど私が云ったことは、間違っていない」イヌは神妙な顔つきで云った。


「マルガーは昨日、日本で四体確認された。見つけた時点でなんとか全てを消滅させたが、我々も日本の国土全部を把握しているわけではないから、実際にはそのニ倍、三倍の数は出てきていてもおかしくない。すでに、マルガーは日本を席巻しようとしているのだ。そしてあの映像は、貴様に事の重大さを実感してもらいたくて、日本人につくらせたのだ。地球には無い、我々の先進的な技術と交換でな」


「……テレビはどうやって操作したんだ」


「この家の二階に小型の電波発信機をとりつけ、貴様の家のテレビをジャックした。条件さえそろえば、テレビにうつる映像を置き換えることは、地球人の技術でも難しいことではない」


「それで、私を陥れるために、わざわざそんな手のかかることをしたのか」


「それくらい当たり前だ。地球の命運が――ひいては我々の星の住人全ての命運もかかっていると、もう何度も言っているだろう。貴様が見た映像は偽物だが、数日後には、それが現実のものになっていないとも限らん」


「信じられるか、そんなこと――」


「だがどちらにせよ、貴様がヒロインになることについて、真剣に考えてくれたのは確かだろう」


 イヌはおごそかに云った。


「昨日のこの時間、私が部屋にやってきたときの貴様の目は、いつもと違った。地球とヒロイン。確かに比べる対象としては飛躍しすぎているのかもしれないが、その差を埋めようと貴様は必死に考えてくれていた。だから私はあえて昨日、何も言わずに去ったのだ。本当なら、無理やりにでもこのリストバンドをはめたくてうずうずしていたのだが」


 云いながら、イヌはどこからかいつものリストバンドを取り出してみせる。


「これまで、貴様は私が何を言っても、ただひたすら感情的に反発するだけだった。実力行使に出ても、さすがに空手の日本一候補だけあってなかなか油断が無く、上手くいかない。もっとじっくり貴様を説得する時間があるか、もしくは私に貴様を説得するだけの魅力ある話し方ができればよかったのかもしれないが、そんな猶予はなかったし、私にはこうしたやり方しか思いつけなかった。貴様の心象を害したのは悪いと思う。だが、我々は――私は、街にマルガーが現れたときのリアルな映像を見せるのが、貴様にヒロインになってもらうのに一番手っ取り早いと考えたのだ」


 イヌの云い分を聞いても、私はいろいろ納得がいかなかった。でも結果的に、私はヒロインになるべきかどうか、本気で考えさせられた。


 イヌがここまでやらなかったら、私は少なくともマルガーが実際に現れるまでは空手に打ち込んでいただろうし、魔法戦士になるっていうイヌの頼みもまともに聞こうとしなかっただろう。やり方は気に入らないけど、イヌが私のためにここまで必死になっているのだけは、確かなように思えた。


 それに――


 イヌはそんなつもりじゃなかっただろうけど、私にとって空手ってなんなのか、それを自分で見つめなおす機会にもなった。あれだけ空手のことを一日中考え続けたことは、いままでなかった。そういう意味では、私にとって貴重な時間だったような気もする。


 私がそう思っていると、イヌはさらに云った。


「理解してくれとは言わん。納得もしなくていい。だが、マルガーがもう明日にもこの街にやってくるという事実だけは、信じてほしい。それ以外にはなにも求めない。私が無理やりこのリストバンドをつけさせたところで、貴様は自分の意思でなければ我々に従わないことは何となく想像がつくからな」


 イヌの言葉に、私はようやく、腹の中の怒りが収まってきた。どうやら今度こそ、本音を口にしたみたいだ。私はそう判断して、イヌにまっすぐな視線を返した。


「イヌ。言いたいことは色々あるけど――とりあえず、テレビのことは水に流すよ。お前も、悪気があってやったんじゃないだろうからさ」


 私が云うと、イヌは何も答えず、ただじっと私の顔を鋭い見つめていた。


 私の気持ちを読み取ろうとするかのように。私の心に、どうにかして干渉しようとするかのように。


 イヌは、重々しく告げた。


「……四条穂積。一度だけ訊く。このリストバンドをつけて、地球を救うヒロインになる気はないか」


 最後の質問。


 覚悟して、イヌは訊いてきたんだろう。私はそう感じた。


 イヌの雰囲気、口調、様子。全てが真摯で、真剣だった。


 今度こそ、裏の無い、本心からのイヌの訴え。


 思えば出会ったときから、ずっとイヌが私に問い続けていたことだ。


 地球を救う魔法戦士に――ヒロインに、ならないか。


 いつしかそれは命令口調になり、実力行使になったりしたけど――


 イヌはずっと、私をヒロインにさせようと現れ続けてきた。


 それだけ私に、ヒロインになってほしかったんだ。自分たちの星を救うために。


 実感はないけど、イヌの云うことを信じるなら、これは地球の問題だけじゃない。イヌの住む星の運命も、ひょっとしたら私のこの決断で決まるかもしれない。それくらい重い、イヌの放つ言葉。


 そのイヌの願いに、私はこの場で、はっきり伝えないといけない。


 私は心に決めて、口を開いた。自分の意思を、言葉に乗せて、伝えた。


 ゆっくりと首を、横に振りながら――


「――やっぱり、なる気はないよ」


 そう云った。


 私のいつもよりか弱い声が、部屋に小さく響く。


 静寂が落ちる。開けっ放しの窓から風が少しだけ入ってきて、カーテンをひらひらなびかせる。


 まるで私の言葉が縛り付けたように、二人ともお互いの目を見つめながら、沈黙の底に沈んでいた。言葉以上の思いを、視線だけで交換し合うように。


 やがてイヌは「そうか」と口を開いた。がっかりするようでもなく、うなだれるでもなく、ただ淡々とした調子で。


 イヌは心のどこかで、私がこういう答えを出すのを、予想していたのかもしれない。それでも最後に、一抹の望みをかけて、私に尋ねたんだと思う。いままでの経緯からすれば「ならない」と云う可能性の方が高かった。でも昨日今日で、私の意識の針がヒロインの方へ振れたから、イヌによけいな期待を抱かせてしまったのかもしれない。


 そう思うといたたまれなくなって、私は顔を上げた。視線はずっとイヌの方に向けていたけれど、なんとなく、私は下を向いていたような気がした。


「ごめんな、イヌ。力になれなくて」


 私の言葉に、イヌは答えた。


「かまわん。貴様が必死に考えて出した結論だ。私はそれを尊重する」


 そう云うと、イヌは私の机の上に飛び乗った。いままであれだけ文句を云ってきたやつが、理由も訊かず、ただ私の言葉をそのまま受け取って、去っていこうとする。


 あっさりしすぎていて、逆に違和感があった。でもイヌにとっては、想定していたことだったんだろう。それにヒロインになる気のない私になんか、もうかまっているヒマはないだろうし。


 そう思うと、なぜか私の胸に、少しだけ何かが沈むような感覚が生まれた。寂しさに似た、私の中の整理できない気持ち。


 そんな複雑な思いを抱いたままの私に向かって、イヌはひとりごとのように云った。


「――いいヒロインになると思ったが、残念だ。いままですまなかったな」


 イヌの表情はいつもと変わらない。でもどこか気を落としたような暗い色が、私には見えた。


 それを見て、私は訊かずにはいられなかった。


「待てよ。マルガーはどうするんだ。私がヒロインにならなかったら、本当にあのテレビみたいに、地球は怪物に滅ぼされるのか……?」


 イヌは云った。


「そんなに心配なら、貴様がヒロインになればいい。このリストバンドをつけて」


 私は、言葉に詰まった。


 そうだ。ついさっき、ヒロインにならない、って云ったのに、こんなこと訊いて。無責任すぎるよな……。


 うつむく私に、イヌはなぜか苦笑した。


「――冗談だ。意地の悪い答えだったな。悪かった。実は……貴様に代わる次の候補をもう見つけている。そいつにヒロインになってもらうよう、すでに話を進めているところだ」


 意外な答えに、私は思わずほっとした。でもなぜか、心のどこかで、がっかりしたような気持ちにもなっていた。


「……なんだ。私の代わりがいるんだな。最初はいないって言ったのに」


「嘘も方便だ。最初から代わりがいることを伝えたら、貴様はまず間違いなくヒロインになどならなかっただろうからな」


 確かにそうだ。代わりがいるんならそっちに頼めよ、って私、云ってたからな……。


「でも、なら私にここまでこだわらなくてもよかったんじゃないか。どうしてこんなギリギリになるまで、私の方をヒロインにさせようとしたんだ」


「勘違いするな、四条穂積。あくまで最適合者は貴様だ。代わりの者は、マナの蓄積量に関しては貴様並みか、むしろそれ以上ある。だが体力的にはかなり心もとない。格闘はおろかスポーツの経験自体ほとんど無いようだからな。マルガーとの戦いでどれだけ体力がもつのか、不安がある。その点、貴様は全ての条件をクリアしている。だからこそ、私は貴様にこだわったのだ」


「そうか……」


 私はそれ以上、なにも云えなかった。云えば云うほど、やぶへびになるような気がしたから。


 私はイヌの頼みに、首を横に振った。その後のことを気にするのは、偽善だ。本当に気になるなら、ヒロインになればいいんだから。


 振り返っても、帰り道は無い。やり直すことはできない。私の後ろには、時間とともに崩れていく崖があるだけ。


 前に歩き続けるしかない。分岐点はもう、通り過ぎた。


 イヌは勉強机から窓枠に足をかける。私は、思わず声をかけた。


「イヌ! 頼むよ。怪物を……マルガーを、倒してくれ」


 イヌは私を振り返った。


「イヌではない。アシュレイだ。最後くらいきちんと名前で呼べ」


「ご、ごめん。アシュレイ――こんなこと、頼める立場じゃないのはわかってるけど」


「言わずもがなだ。貴様に頼まれるまでもない。それに――」


 イヌは、不敵な表情を私に見せた。


「四条穂積。貴様の生き方は、嫌いじゃない。私が逆の立場でも、そうしていたかもしれん。――空手、必ず日本一になれ。約束だ」


 それだけ云うと、アシュレイは私が答える前に、窓から飛び降りていった。


「あっ」


 ……一方的な約束だな。


 私はそれを追おうともせず、ただじっとだれもいなくなった窓からみえる、雲の覆う夜空を眺めていた。


 これでもう、あいつと会うこともないだろう。


 せいせいするよ。二度とあいつの顔を見ないですむ。そう思いたかった。


 でも、そんな気持ちには全くなれないまま、私の胸には、ぽっかりと穴が空いていた。


 いままでの――


 あのイヌ――アシュレイとのできごとを、思い返す。


 ドタバタしていたけど、緊張感のあった日々。私自身の生き方について、考えさせられた日々。


 それも今日で終わる。いまから、私はまたいつもの空手バカに戻るんだ。


 自分の望んだ道に、私は立っている。でもなぜか、私の中には闇空のような寂しさが、ぽつんと残っていた。











 その日は、朝から雨が降っていた。


 アシュレイとの一件から夜が明けて、私は空手の朝練に復帰した。顧問の先生がだいぶ心配してくれていたけど、私は練習に打ちこんで万全なことを示した。小町も心配してくれていたから、昨日家までわざわざ来てくれたことを感謝したけど、「先輩、まだ風邪なら私に移してくださいね。口移しで」とかあからさまな心配をしてきたから、適当に受け流した。


 いつもの部活。いつもの授業。普通の生活に、私は戻った。


 アシュレイの姿は、どこにもない。リストバンドをつけさせようと狙うあいつの姿は、どこにも見えない。あいつは完全に、私の前から消えた。


 これでよかったんだ。私が自分で決めたんだから。そう云い聞かせて、私は朝も昼も過ごした。いまごろアシュレイは、魔法戦士になったヒロインと一緒に、マルガー退治に向かっているかもしれないな。そんなことを考えながら。


 そして授業が終わり、放課後の部活も終えて、帰り道。


 私はしとしと降る雨の中を、傘をさして急ぎ足で歩いていた。


 昨日、私は太郎にエサをやりにいけなかった。だから今日は、早く行ってやらないと。


 私は普段より多めの肉を用意して、いつもの公園に向かった。最近、ずっと一緒に帰っている小町は、「アシュちゃんの動画をUPしたら、ワイワイ動画で再生回数が7650000回を超えて『この犬、本物?』って問い合わせがいっぱい入ったんですよ~!」とかなんとか云って速攻で帰っていった。よく分からないけど、何か忙しそうだった。


 ……まあ、小町のことは置いておいて。


 私は公園に着くと、すぐに太郎のいるところへ向かっていった。普段から人気の無い公園だから、今日みたいな雨の日には、まず人はいないはずだった。


 クスノキの下に入ると、葉から落ちる雨の雫が傘に重く当たる。私はそんな雨音も気にせず、木の周りを大声を出しながら捜し回った。


「太郎~! 昨日は来れずにごめんな。今日はいっぱい肉を持ってきてやったからな。太郎~!!」


 いつもなら、公園に入ったところでほえ始める太郎。でも今日は、クスノキの下に来ても、何の反応も無い。


 私はいつも太郎がいる生垣のところまで行ってみた。そこには、太郎が入っているダンボールがびしょぬれの状態で置かれていた。


「……太郎?」


 近寄って中をのぞいてみる。やっぱり太郎はいない。


 雨が激しいから、どこかに逃げたのかな。


 私は周りを探してみた。でもどこにも、太郎はいない。どこかに隠れているような気配も無い。


 ――そうか。親切な誰かが、太郎を拾ってくれたんだ。


 私は納得した。さすがにあのままずっと公園暮らしのままじゃ、かわいそうだもんな。できれば最後に、お別れしたかったけど。


 私はほっとしたような、でもどこか寂しいような、そんな気持ちが胸にわいてくるのを感じた。


 アシュレイと別れたときと同じような、ぽっかり穴の空いた感じ。その穴が、さらに深く掘り込まれたような感覚。


 よかったな、太郎。ちょっと寂しいけど、でも、これでよかったんだ――


 と、私が思ったとき。


 私の耳に、聞き慣れた声が入ってきた。


「ワン、ワン」


(――あれ?)


 太郎。


 間違いない。いまの声は、太郎だ。


 雨が傘を打つ音で聞きづらいけど、かすかに聞こえた。


 私は、声がした方向へ向かう。それは公園を外れ、曲がり角の奥から聞こえた。


「ワン! ワン!」


「太郎――?」


 私は走っていき、曲がり角から姿をみせる。


 そのとき、私は――


 自分の目を、疑った。


 角を曲がり、袋小路になっている通路に出たとき。


 私の目に映った、信じられない光景。


 幻覚。そう思いたかった。でも何度まばたきしても、「それ」は私の目に確かに見えていた。


 そこには、太郎が壁際で、必死にワン、ワンとほえている姿。


 そして、その太郎の前には――


 2mくらいの背丈の、形容しがたい「何か」が立っていた。


「何か」は、あきらかに人間でもなければ、私の知っている動物のどれでもなかった。何物でもない、見たことも想像したこともない存在。


 それは、全身が丸みを帯びていて、黄ばんだ白色の肌――肌、というのが正しい表現なのかはわからないけど――をしていた。両手、両足があって、でも人間みたいにひざやひじの関節が分からない。着ぐるみみたいに、直線的な手足をしている。指はあるけれど、手は四本、足は二本しか指が無かった。


 服などは着ておらず、毛のようなものも一切生えてなく、全体的にのっぺりした印象の体だった。腹にも背中にも、骨のようなものは見えない――ウレタンでできた人形みたいな体だ。人間に比べて凹凸が全然無くて、粘土をむりやり人間の形にしたような、そんな姿だった。


 そして、一番私の目を引いたのは、首だった。


 首は無い。頭はあるけれど、直線的に、頭と胴体がつながっている。だから、顔をひねるたび、首の辺りに急激にしわが寄る。


 でも問題はそこじゃない。


 それを見たとき、私の頭に呼び覚まされたのは、アシュレイがつくったあのテレビ番組だった。


 テレビで怪物として紹介されたものの顔が、いま目の前にいるやつと瓜二つ。全く同じものだった。


 頭は体とつながっていて、目、鼻、口といった顔のパーツが一切無い。のっぺらぼうの状態。でもひとつだけ、丸く赤い「目」のようなものが、顔の中心についていた。


 私はその異形の生物を見た瞬間、おのずとつぶやいていた。


 マルガー。


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