第6話 涙とヒロインと分岐点(2/3)
「先輩、体は大丈夫ですか? 熱はないんですか? 悪寒とかしませんか? よければ小町の体温で全身全霊をこめて温めますよ~」
「わ、わかったから! 玄関で抱きついてくるのはやめろ!」
「じゃあ玄関じゃなかったらいいんですね? リビングなら――あ、もしかして寝室? きゃー!」
「勝手な妄想を繰り広げるな!」
「あれ、先輩。風邪の割にはリアクションがいつもどおりですね。もっと弱々しくなってる先輩を想像してたんですけど」
「悪かったな。もう治りかけてるんだ。だから大丈夫だよ」
「えぇ!? せっかく小町がかいがいしく看病してあげようと思ったのにぃ。一体どういうことですか!」
「知るか! っていうか、なんでわざわざ郵便局員のフリしてくるんだよ!」
「だって先輩、体調が悪いからっていって小町のこと、追い返したりしないかなと思って……。でも家に入ってしまえば、もう小町のものです!」
「なにがだよ……」
気分転換としては最高の人間がやってきたな。むしろそうぞうしいくらいだけど。
私はしかたなく小町をリビングに通した。一応、お茶を入れようとしたら「病み上がりの先輩は休んでいてください。小町が全部やりますから」と云って小町が台所に入っていった。
「でも小町、台所のどこになにがあるのか、知らないだろ。やっぱり私がやるよ」
「大丈夫です。小町に任せてください!」
そう云うと、小町はまるで最初からなにがどこにあるのか知っているかのようにてきぱきと、お茶の準備を整えていく。
「……小町。なんで私の家のお茶っ葉とか湯飲みの場所、知ってるんだ」
「わかりますよ~。だって先輩の家ですもん。あ、先輩はソファに座っていてください。すぐにもって行きますから」
……なにか釈然としない。
まるでずっと前からうちの調理場に立っていたかのような小町の全く無駄のない動きが気になりつつも、私はソファに座ることにした。
待つことしばし。
「せんぱ~い! おまたせしました~♪」
そうして小町はお盆に載せて、急須と湯飲みと、カルボナーラをもってきた。
…………あれ。
「小町、これは……?」
「カルボナーラですよ。知らないんですか」
「いや、そうじゃなくって……いつの間に作ったんだ?」
「やですよ先輩。これつくるくらいの時間、十分あったじゃないですかぁ。風邪を完全に治すには栄養たっぷりつけないといけないですから、小町が先輩のためにつくったんですよぉ」
二分もなかったと思うんだけどな……。どうやってパスタをゆでたんだろう……。
今日は食欲がなくて何も食べていなかったけど、いざアツアツの食べ物が目の前に出てくると、やっぱりお腹がへってきた。私は遠慮なく小町のつくった謎のカルボナーラをフォークに巻いて、口に運ぶ。
――なんだこれ、死ぬほどおいしい。
「どうですか、先輩。お口にあいますか」
「あうもなにも、めちゃくちゃうまいよ、これ。すごいな、小町」
「えへへ。先輩にほめられた~」
隣に座ってきて幸せそうにニヤニヤする小町をよそに、私はカルボナーラを一気に平らげた。あと二皿くらいはいけそうなほど、おいしい。残ったソースをパンにつけて食べたいくらいだ。
「あ、よければどうぞ」
私の心を読んだかのように、小町がどこからかバケットを斜めに切ったパンを皿に入れて出してきた。
「……このパン、どこから出てきたんだ?」
「小町が今朝焼いたんです~。先輩に食べてもらおうと思って」
パスタのホワイトソースをつけてはむっとかじる。やっぱり死ぬほどおいしい。
「小町……お前、意外と家庭的なんだな」
「そんなことありませんよぉ。これも全部先輩を想ってのことです。先輩じゃなかったら、ここまでがんばりませんよ~」
「いや、これが作れるだけでも十分すごいと思うよ」
私は結局、小町の持ってきたパンも全部食べた。そして、二人して湯飲みで紅茶を――急須の中身は紅茶だった――飲んで一息ついた。
「ほんとはカプチーノがよかったんですけどね~。エスプレッソマシンがありませんから、残念です」
「よくわからないけど、小町っていろいろすごいな……。空手と、パソコンのほかに、料理もできるし、お茶もいれられるんだから。尊敬するよ」
「先輩に尊敬されちゃったぁ……。小町、いま天にも昇る気持ちです」
まさに「天にも昇る気持ち」なのか、ぼうっとした表情になる小町の前で、私はつぶやいた。
「それに比べたら、私なんて空手しかできない空手バカだし。ほんと、不器用な人間だと思うよ」
私の言葉に、小町はほうけた表情を戻して、少しだけ驚いた様子をみせた。
「先輩……? 先輩の口からそんな弱気な発言がでるなんて、やっぱりどこか調子でも悪いんですか」
「いや、別に。ただ、さ……私、空手しかやってこなかったから、それってどうなんだろう、って、ちょっと考えちゃってさ」
「先輩……」
小町が心配そうに眉根を寄せる。私はそれをそらすように、湯飲みにゆっくり手を伸ばし、紅茶をすすってからまた静かに戻した。
「こんなこと訊かれても、困るだけだと思うけど……もし、さ」
私は視線を落としながら、云った。
「もし、地球に正体不明の怪物がいっぱいやってきて、小町がその怪物から世界を救う正義のヒロインになれるとしたら――どうする?」
いつもなら、たぶん唐突だと思う非現実的な質問。でも、いまその半分は現実味を帯びている。京東都には、すでに怪物が出現している。インターネットに詳しい小町のことだ。もちろんもう知っているだろう。それを見越して、訊いてみた。
警察の手に負えない怪物。それを倒す力を身につけられるとしたら。
小町は迷うことなく答えてくれた。
「そんなの、なるに決まってるじゃないですか~! 面白そうですし、わくわくします。小町、正義のヒロインにあこがれてますから!」
「それが、命がけだとしても? 自分の好きなこと――例えば空手を、止めないといけなくても?」
「もちろんですよぉ。私の力で世界を救えるんですよ。こんな経験、絶対できないですもん。やるしかないじゃないですか~!」
小町は突き抜けた調子で迷いなく云う。もちろん、本気だと思っていないのかもしれないけど、それでも怪物が街を破壊しつくしているいま、やると云い切れるのはすごいなと思った。
「……そうだな。空手をやめて、怪物と戦う、か。人間より強いやつと戦えるわけだし、空手より挑戦しがいがあるかもしれない。ヒロインになるのも、悪くないかもな」
私は、小町に自虐的な笑顔を向けた。
「ごめんな、いきなり変な質問して。いま私が言ったこと、忘れていいから。ありがとう、小町」
そう云うのに、小町はなぜか、きょとんとした表情を向けてくる。
「先輩……」
静かに、小町が口を開いて私の方を見つめる。私、なにか変なこと云ったかな。
「なんだ、小町」
「……うそです」
つぶやく小町の言葉の意味が、一瞬分からなかった。
私がそれを頭の中で模索していると、そっと、小町は云った。
「さっき小町が言ったこと、うそです。本当は、正義のヒロインになんて、なりたくありません。だって……空手ができなくなるっていうことは、先輩とも会えなくなるってことだから」
「小町……」
「いくら世界を救えても、それで自分の好きなことを捨てないといけないんだったら、小町、とても耐えられません。先輩と会えなくなる生活なんて、考えられません……」
小町が隣に座ったまま、まっすぐな瞳を私を向ける。そこには、いつもの小町にはみられない真剣さがこもっていた。
私は、なんとなく日ごろから思っていたことを口にした。
「小町は――なんでそんなに私にばかり会いたがるんだ。私なんて、空手しか知らない、ただのがさつな女――」
「がさつじゃありません! 絶対、そんなことありません!」
小町は首を振りながら急に声を上げた。
「先輩は気づいてないんです。先輩はショートヘアが似合ってるし、顔立ちもきれいでかわいいって、クラスの女子に評判なんです。それに性格だって、力だって、男に負けないくらい強いし……。女の子っぽくないかもしれないけど、それでも――そのほうが、小町にはいいんです。小町、男の人が嫌いだから……!」
私は、小町のいつになく真剣な目つきに、困惑した。
「お、落ち着け、小町――」
それでも小町は話し続けた。
「小町、先輩がいないとだめなんです! 先輩じゃなかったら、私――」
「小町……」
「先輩より、男の人のほうがよっぽどがさつだし、乱暴なんです……。小町、小さいときから、お父さんがいつもお母さんに暴力をふるうのを見ていて……お父さん、酒ぐせが悪くて、お母さんにいつも手をあげていたんです。いまはお母さんがいなくなりましたけど、お父さんはたまに帰ってきて、今度は小町にどなりつけてくるから――だから小町、家にあんまり帰りたくないんです……。それにいままで付き合ったクラスの男子も、表だとみんな優しい顔するのに、二人きりになるとみんな下心が見えて……デートの後、乱暴なこともされかけたりして……だから小町、男の人が嫌いなんです。もう一生、好きになれません。でも――先輩は違います。先輩は女なのに、男の人より強いし、かっこいいし……。だから小町、あこがれてるんです。尊敬してるんです。先輩と会えるから、そう思って毎日、学校に通ってるんです。先輩の姿をみたら、小町も元気になれるし、安心できるんです。先輩がいないと小町、とっくにだめになっていたと思います。学校にも家にも、小町の安らげるところがなかったから。先輩は私にとって、心の支えなんです。無くなったらすぐに小町の全部が壊れてしまうくらい、大事な支えなんです。だから、先輩……」
小町はいつのまにか、両目から涙をこぼしていた。
「空手を……やめないでください……」
ほおを伝うしずくをぬぐうことなく、小町はただずっとまっすぐに、願うように私を見つめ続ける。しずくがソファに落ちてもなお、澄んだ涙はとどまることなく流れ、小町の顔を濡らした。
私は、空手をやめるなんてひとことも云っていない。そんなこと云ったら、小町によけいな心配をかけさせるだけだと思ったから。
でも小町は、いつのまにか、感じていたんだ。
私のいつもと違う話し方、態度、そぶりを見て。
「……すいません、先輩。ひとりで興奮しちゃいました……」
上ずった声のまま、小町は気がついたように、指で涙を払った。ぬれた顔で、小町は恥ずかしそうに下を向く。
私は、興奮して純粋な気持ちがあふれた小町の体を引き寄せて、そっと胸に抱きしめた。
「先輩――」
戸惑う小町の小さな背中に、私は両手を回す。そして、安心させるように、その背中をなでた。
「悪かったな、小町。私のせいで、いろいろ不安にさせて。大丈夫だから……私は、どこにもいかないから」
「先輩……!」
小町は嗚咽する。私はただそれを、静かに胸の中で受け止めるだけだった。
嘘偽りの無い、小町の気持ち。それが、小町の体温を通じて、私に直に伝わってくるような気がした。いつも軽い調子で、私にかまってくる小町。むやみやたらと絡んでくるばかりで、何を考えているのか分からなかった小町。
でも今日はじめて、小町のことが、少しだけ理解できた気がする。
詳しい事情は分からないけど、小町にも悩みやトラウマがあって、そんな小町にとって、私が心の支えになっている。だから、私を頼ろうとしているんだ。いつも、どんなときも。
小町って、案外かわいいやつだったんだ。そう思えた。
小町がゆっくりと顔を上げる。ソファの上で、私の胸の中にいる小町。その大きな瞳には、私の顔が映りこんでいる。間近にある私の顔に告げるように、小町は口を開いた。
「小町――先輩のことが、好きです。これからも、ずっと、ずっと、先輩が好きです。だから――」
そう云いながら、小町はゆっくり、顔を近づけてくる。私との距離が縮まり、あと数センチのところまで迫る。
心臓の音が早くなる。小町の熱っぽい胸の鼓動も、私と同じくらい早くなっているのがわかる。
のぼせたような小町の表情。両の瞳が徐々に閉じ、ぷくっとした丸い唇が、私の唇に重なろうと近づいてくる。小町の吐息が、私の肌にかかるのを感じる。私も顔を紅潮させながら、小町に合わせて、瞳を閉じていく。
そして――
「――って、ちょっとまて!!」
私は目が覚めたように、瞳を見開いた。そして、完全に唇を重ねる体勢の小町を思い切り引き離す。
「先輩、どうしてっ!?」
小町がさらに寄ってこようと、無理やり私の胸の飛び込もうとする、私はそれをソファの上で必死にはね返す。押しあう私と小町。
「私にはそっちの趣味はないんだっ! やめろって小町!!」
「ひどいです先輩! ここまでムードをつくっておいて止めるなんて、小町はおあずけを食った気分です! この中途半端に高まった気持ち、どうすればいいんですか!!」
「知るか! 女の子どうしでなんて、絶対おかしいだろ!」
「関係ありません! そもそもやりかけて途中でやめちゃうなんて、先輩らしくありません! やろうとしたことは最後までやり通しなさいって、空手の先生もいつも言ってるじゃないですか!」
「それとこれとは別の話だろ!!」
「いいえ、いっしょです! ほかにだれもいない家のソファで、小町と先輩はお互いの気持ちを確かめあって、いままさに結ばれるんです! さあ、先輩、早く――!!」
そうして唇をやたらと突き出してくる小町。もうムードもへったくれもない。
いつもより心なしか強い力で迫ってくる小町を、なんとか全力で払いのける。はじきとばされた小町は、そのままリビングの床に横たわる。
「えぐっ……えぐっ……ひどいですせんぱい……小町は本気だったのにぃ……」
小刻みに体を震わせながら、両手で顔を覆う小町。私はなぜか息が上がりながら(それくらい小町の力がすごかった)、それを見下ろしてあきれた。
「……ウソ泣きだろ、小町」
「あれぇ、なんでばれたんですか。さっきは信じてくれたのに」
「…………」
これがなかったら、小町はもっとかわいいのにと思う。