第3話 両親とヒロインと勘違い
また勝ったな、穂積。すごいなぁ。
えへへ。昨日は、男子に勝ったんだよ。
そうか。穂積は強いな。これなら次の大会も優勝確実だ。
うん、先生。私、日本一つよい空手家になる。
そう、その意気だ。
女子も男子も全部やっつけて、日本でいちばんつよくなるの。いちばんつよい空手家になるの。
すごい気合だな、穂積。でも、強い空手家は、ただ組み手で勝つだけじゃないんだぞ。
えっ。
勝負で勝つことも大切だけど、それよりもっと大事なことがあるんだ。
もっとだいじ?
そう。もっと大事。それができると、本当に強い空手家になれるんだ。
どうしたらそれができるようになるの?
それはね。ひとから教えてもらうんじゃなくて、自分で考えるものなんだ。空手をがんばって続けていれば、いつかきっとわかるよ。
おしえてー。
だーめ。ほら、次の練習がはじまるぞ。いこう。
小さかったころ、道場の先生に云われたこと。
勝負に勝つ以上に、大事なこと。
それがなんなのか、私はいまだにわからずにいる。
ジリリリリリリリリリリリリリッ!
大きな目覚ましの音が、私の部屋に鳴り響く。
「うーん……」
朝の陽が差し込む部屋で、ベッドの中の私が目を覚ます。
眠けまなこのまま、私はかけ布団から腕だけを出し目覚ましを探す。
「……どこだよ……」
時計があったはずのところをたたいてみても、なにもない。
「うー……めざまし……」
とりあえず周りをやたらめったらたたいてみる。なかなかみつからない。
すると――
ふにっ、とした感触に、手があたった。
「ん、なんだ――」
やわらかい、手触りのいいなにか。
私はそれがなにか確かめようと、手を動かす。
「ぐっ、やめ、やめろっ!!」
「えっ」
聞き覚えのある低い声が、私の耳に届き、寝ぼけた頭をゆさぶる。
それが昨日の記憶にぴったりあてはまった瞬間。
私は、寝ていたベッドからすぐさま起き上がった。
「昨日のイヌ――!」
思った通り――
私の目に小さな茶色いイヌの人形の姿が映った。手には例のリストバンドをしっかりとたずさえている。
「ちっ……目覚まし時計に救われたな、四条穂積」
「なんだよ朝っぱらから! まさか私の寝ている間に、そのリストバンドを――」
「ふん。未遂に終わった。残念だ」
「卑怯者! リストバンドつけさせるなら、正々堂々勝負しろよ!!」
「人形姿の私に対して正々も堂々もないだろう。それにこれは一度つけたら二度とはずれんからな。なんと非難されようが、つけてしまえば私の勝ちだ!」
そう云うと、イヌはすぐにまた窓に飛び移った。
「次こそは必ずつけさせてやるからな。覚悟しろ。それと――寝るときに下着しか身にまとっていないのは感心せんな」
「い、いきなりなんの話だ!」薄手のシャツにショーツ姿の私に向かって、イヌは真面目に云う。
「風邪でもひかれれば我々が困る。いざ魔法戦士になろうというときに体調を崩していては、マルガー退治に差し支えるからな。パジャマくらい着ろ。ジャージでもかまわん」
「よけいなお世話だ!!」
「ではさらばだ。ハハハハハ!!」
イヌは窓の外へさっそうと去っていく。
静かでけだるい朝の空気が、一気にふっとんだ。
――まさかこんな早くから、あいつがやってくるとは。
私はうなだれつつ、寝起きからぐったりした気分にさせられた。いまから空手の朝練なのに、もういくらか無駄に体力を使ったような気がする。
だけどもちろん、イヌの襲撃はこれだけじゃ済まなかった。
空手の朝練。
「休憩? ああ、わかった」
私はお茶を飲もうと更衣室へ戻る。
「四条先輩、お茶です」
「ああ、ありがと――」
そう云って手をだそうとした先に、イヌがリストバンドをもって構えていた。
「――おまえ!」
「ちっ。気づかれたか」
「普通気づくわ!」
「さらばだ。フハハハハ!」
すぐさま逃げていくイヌ。
学校で授業中。
(解の公式……ワイイコールなんとかのなんとか……こんなの勉強しててなんの意味が……だめだ、眠い……)
一番後ろ、廊下側の席でうとうとし始める私。
(だめだ、寝る……)
私が机につっぷしたところで、横からぞもぞした音が聞こえる。
(……ん)
私が片目だけ開けて見ると、しずかに私の右手に近づいてくるイヌが。
「やめろ、こら!」
思わず声をあげて右手を振り払う。イヌは脱兎のごとく教室から逃げていった。
「なんだ四条。先生に向かってやめろ、とは」
私の声に、授業をしていた数学の教師がギラッと目を向ける。
「えっ? あ、あはは、いや、その……ひとりごとで」
「ひとりごとでなにをやめるんだ」
「あの……寝るのを――そうだ。寝るのを、やめよう! って」
「四条はいつも授業中寝ているからな。ぜひそうしてもらいたいところだ。よし、今日は四条を徹底マークする。もし途中で寝たりしたら、四条だけ宿題倍な」
「うえっ」
「みんな見張ってろよ。今日は四条が寝ないでがんばるっていうからな」
クラス中からわっと笑い声が上がる。くそう、イヌのせいで私の貴重な睡眠時間が――。
「せんぱ~い! いまから部活ですね! 今日もはりきっていきましょう。小町もがんばります!!」
「ああ、そうだな……」
「あれれ先輩。今日はどうしたんですか。テンション低いですよぉ」
「それが、イヌが私にリストバンドをはめようと全部の授業に――」
「はい? よく聞こえませんよぉ」
「いや、なんでもない。……そうだな。いまから部活だから、元気出していかないとな」
「そうですよ、先輩。先輩から元気をとったら、空手くらいしか残らないんですから!」
「それ、励ましになってないよ、小町」
「あれ、そうですかぁ? まま、細かいことは気にしないで、さっさと武道場に行きましょう! ……と、先輩。私、教室に忘れ物をしちゃいました。ここで待っていてください」
「忘れ物? じゃ、私さきに武道場に――」
「だめです! 小町といっしょにいくんです! 絶対待っててくださいね」
走り去る小町。
「はぁ……全く、なんでそこまで私に付きまとうんだか」
そういう意味じゃイヌと同じだな、なんてことを考えていたら。
背後に気配。
振り返ると、イヌが飛びかかってこようとしていた。
「あっ!?」
私は反射的に右足を蹴り上げる。
だがイヌはそれを軽く空中でいなした。
「おとなしくリストバンドをつけろ!」
「しつこいんだよ、このイヌ!」
蹴って蹴って蹴りまくる。でもいくら蹴っても、イヌは全てかわす。
「ちょこまかと……。じっとしてろよ!」
廊下の角まで逃げるイヌを追いかけ、私は大きく踏み込んで、すばやく回し蹴りを放つ。
だが。
「きゃーっ!?」
「あっ」
廊下から人影が――。
ギリギリのところでその人は私の蹴りをかわした。
「あぶないですよ先輩~! 廊下でいきなり回し蹴りだなんて!!」
っていうか小町だった。
イヌはいつのまにか姿を消している。また逃げられた……。
「ご、ごめん、小町。つい勢いで」
「勢いで回し蹴りは出ないですよぉ。それとも今日は廊下で練習ですか。……まさか、小町と二人きりで? きゃー!!」
「バカ。そういうんじゃないよ」
「じゃ、どういうんですか」
「もういいだろ。さあ、早く部活いこう」
「え~。教えてくださいよぉ。まさか見えない謎の異星人と戦ってたりしてたんですかぁ?」
「えっ」
「えっ、て先輩……まさか図星」
「そ、そんなわけないだろ! なにいってんだよ。私が異次元から来たイヌの人形の異星人となんて、闘うわけないだろ」
「例えがものすごーく具体的で気になりますけど――そうですよねぇ。いるわけないですよねぇ。いたら絶対面白いと思うんだけどなぁ……。じゃあ先輩、気を取り直して部活にいきましょう!」
「あ、ああ。そうだな……」
それが全然面白くないんだよ、小町。
その後もイヌは、私がひとりになるタイミングを見計らって襲いかかってきた。
部活の休憩中、下校途中、そして家に帰ってからも――
「いい加減にしろよ! いつもいつもおまえの相手なんかしてられるか!!」
「ふはは。それを解決するには簡単だ。貴様がこのリストバンドをつけ、マルガーを倒す正義の魔法戦士になればいいのだ!」
「だから私はならないって言ってるだろ! 万が一つけられたとしても、おまえの言いなりになんかならないからな!!」
「ふん。これを身につけて変身すれば、貴様もおのずと地球を救う使命感に目覚めるはずだ。それだけの力をこのリストバンドは秘めているからな。我が星にもたったひとつしかない、貴重なアイテムなのだ」
「だからなんだ。いくら貴重だからって、それをつける理由にはならないだろ!」
「なら、一度試しにつけてみるか? 別に魔法戦士にならなくてもいい」
「えっ」
「つけるだけだ。変身してもしなくても、おまえの自由だ」
「い、いや。そういわれてもな……」
「ほうら、迷いが生じている。やはり多少興味があるのだろう。なら迷わずつけるのだ。さあ、さあ!」
「つ、つけるか! それこそおまえの思うツボだろ! さっさと私の部屋から出ていけ!!」
「ちっ。強情なやつだ。また来るぞ。今日の午前2時ごろ」
「もう来るな!!」
窓からイヌが去っていく。私は窓を完全に閉めてロックをし、そのロックをガムテープでぐるぐる巻きにした。もちろんカーテンも閉める。部屋のドアも同じようにする。
これでよし。これくらいしないと、安心して寝られない。
そんな日々が、三日間続いた。
学校でも家でも、イヌは容赦なく襲い掛かってきた。そのたび、私も全力で応戦する。だけどイヌは日々腕が上達しているのか、いまでは私の蹴りも拳も全く当たらない。
いつやってくるのかわからない、というのがこれほどやっかいなことだと思わなかった。
一日中ずっと気を張りつめているからか、どんどん私の神経もすり減っているような気がする。学校に行っても、家に帰っても、心の休まるときがない。いつイヌが私にあの変な模様のリストバンドをはめようとやってくるのか、そればかりが気になる。
リストバンドは一度つければはずせない、というイヌの言う通りなら、私はこれからもずっとあのイヌの襲撃を24時間避け続けなければいけない。そう思うと、心が折れそうになる。もしかするとそれが、イヌの本当の狙いなのかもしれない。
なんとか反撃に出ないと。このままじゃ、いつかはマルガーを倒す愛と正義の魔法戦士とかにさせられる。それにはまず、私が先にイヌの居場所をつきとめて――
「穂積さん、どうかされたんですか。むすっとした顔で」
「えっ」
自宅のリビング。両親と三人で、私は夕飯を食べていた。
どうやらいろいろ考えすぎて、私の顔がそうとう厳しい表情になっていたらしい。
「そんなにむすっとしてたかな……」
「はい。なにを困っているのかなと思いました」
「い、いや。なにも困ってないよ。ごめん、母さん」
「それならいいんですけど……」
母さんは心配そうに私の顔をみつめてくる。心配性の母さんだから、不安にさせたのは悪かったな……。
母さんは、ウェーブのかかった長い髪にきれいな目の、おっとりした人。いつも私のことを心配してくれる、やさしい母さんだ。といっても実は、私の本当の母親じゃない。
私を産んだ母は私が物心つく前に病気で亡くなった。それから少しして、お父さんの仕事が忙しくて家庭のほうに手が回らなくなって、いまの母さんが家政婦として私の家に通い始めた。私が中学生にあがるときに父さんが母さんと再婚して、いまの状態になっている。
だから、私にとってはいまの母さんの方がよく知っているし、本当の母親みたいな存在だ。でも母さんは家政婦のときの態度が抜けなくて、私に対していつもですます調で話す。もちろん、父さんに対しても。
その父さんは、母さんの横で、いっしょに夕飯を食べている。
父さんは、鼻の下にヒゲをはやした、白髪でやや大柄な五十代の人。私が武道を始めたのは父さんが勧めたからだけど、本人はパイプとウイスキーと英字新聞が大好きで、テニスが得意という、完全に西洋向きの人だ。たまに厳しいときもあるけど、母さんといっしょで、根はとてもやさしい。
その父さんが、食事の手を止め、私に向かってやや真剣な面持ちで云った。
「悩み事があるなら、すぐにいいなさい。お父さん、心配しているんだ」
「そうですよ穂積さん。悩みがあるなら、遠慮なく言ってくださいね」
二人が私に心配そうな目を向ける。何か変だ。
「あの、二人とも……何をそんなに心配してるんだよ。私、そんなに悩んでるふうにみえたかな」
私の言葉に、母さんは云おうかどうか迷うように視線をさまよわせてから、口を開いた。
「……私、穂積さんが最近家の中で、とつぜん大声をあげたり、どなりちらすのを聞いたんです。深夜に穂積さんの声に驚いて起きてしまうこともあったりして……正直なところ、少し怖くて、私……どうしたらいいのかわからなくて、いままで話せずにいたんです」
…………。
私は恥ずかしくなって思わず手で顔を覆った。
「なにを言っているのかまではよく聞き取れなかったのですが『~~にならないからな!』とか『二度と来るな!』とか……。たまに二階が揺れたりもしますし……。穂積さん、ストレスでもたまっているのかと思って、私、たまらずお父さんに相談したんです」
「いや、あれはその……なんていうか……か、空手の新しい練習方法を試していて……」
「そうなんですか? でもそれにしては、真に迫ったような声でしたから……本当に大丈夫なんですか、穂積さん」
全然大丈夫じゃない。けど、「いつもイヌの人形の姿をした異星人に『地球を救うヒロインになれ』っておどされてるんだ」なんて云えば、それこそ母さんの顔が蒼白になりそうだ。かと云って、うまい言い訳も思いつかない。
「穂積さん。私、穂積さんの母としては至らないかもしれませんが、それでも精一杯のことはさせていただくつもりです。穂積さんの言うことは、決して疑ったりしません。何を言っても信じますから、どうぞ、隠さずになんでも言って下さい」
「そうだぞ穂積。父さんも母さんも、穂積のことが大切だからこそ、言ってほしいと思っているんだ。何が穂積をそこまで苦しめているんだ。さあ、打ち明けてくれないか」
……そこまで云われると、本当のことを言いたくなる。
母さんも父さんも、いたって真剣な眼差しを向けている。どうしよう……。
でも――
二人とも、本気で私のことを心配してくれている。ここで下手なウソをつくより、いっそこの機会にきちんと話しておいた方がいいんじゃないか。普通の人なら妄想みたいな話だとバカにするかもしれないけど、父さんと母さんなら、きっと信じてくれる。うん、そうだ。
「父さん、母さん――」
私は、思い切って口を開いた。
「実は私……小さなイヌの人形の姿をした異星人に『地球を守るヒロインになれ!』っておどされてて……つけると二度と外れない魔法のリストバンドをつけさせようと、そのイヌが昼も夜もかまわず襲ってくるんだ」
私が真面目な顔でそう云った直後、二人の顔が一気に青ざめた。
「お父さん、穂積が……」
「うむ。これは思ったより重症だな」
――あれ。
「まさか穂積が、あまりのストレスにおかしくなってしまっていただなんて……」
「きわめて危険だ。きっと穂積は、ストレスでできた心の隙を、悪魔に突かれてしまったのだ」
あれれ。話がおかしな方向に進んでいる気が――
「穂積は、イヌの人形に襲われるというたちの悪い妄想にとりつかれてしまったのだ。悪魔のしわざに違いない。これは一大事だ」
「そんなのイヤ! イヤです! 穂積さん、戻ってきてください。――悪魔よ、穂積さんを返して!!」
そしてどこからか十字架を出してきた母さんは、私に向かってそれをえいえいとふりまわす。
「悪魔よ、退散なさい!!」
「ま……ちょっと待って母さん!! いまの無し! 取り消し!! イヌの人形なんてどこにもいないから!」
「うそをつかないで! きっとその言葉も悪魔に言わされているのね。私が成仏させてあげますから、じっとしていてください!!」
悪魔と幽霊がごっちゃになってるよ、母さん……。
「父さんもなんか言ってよ! さっきの話は全部ウソだから!」
「うむ。父さんはエクソシストの青野さんを呼んでこよう。ここでおとなしく待っているのだぞ」
「だからちがうって!!」
ダッシュで家を飛び出す父さんと、相変わらずえいえいと十字架を振り回す母さん。イヌの話を出したばっかりに、私の夕食の時間が台無しだ。
それもこれも、思い返せば全部イヌのせいだ。このままじゃ、青野とかいう知らない人に、いもしない悪魔を祓う儀式とかを毎日押し付けられるかもしれない。考えただけで寒気がする。
あのイヌめ……。
私は両の拳に力を入れながら、決心した。
次に会ったときこそ、決着をつけてやる。