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第2話 イヌとヒロインと地球の危機

「私、こんなのもってたっけ……?」


 困ったような目をした、耳が長くて茶色い二頭身のイヌの人形。


 私はベッドに座ると、そのイヌを手にとった。ふにふにと押してみる。どこからどうみても普通の人形だ。


 私の記憶にない。私のもっている人形じゃない。


 ひょっとして、お母さんが置いていったのか。でも私のお母さんはだまって部屋には入らないだろうし。


 いろんな可能性を考えてみる。でも、どうしてもこの人形がここにある理由を思いつけない。


 う~ん……。


 …………。


 ……。


 。


「だー! わからない!」


 私は、早々に考えるのをあきらめた。


 なんでもいい。私のベッドの上に置いてあったんだ。ってことは、私のものだろう。うん。そうに違いない。


 とりあえず――


「かわいいな、おまえ!!」


 ぎゅうううううっっ、と。


 私はがまんできず、そのかわいいちいさなイヌを、思い切り両手でだきしめた。小町が見たらびっくりするだろうけど、私はイヌに目がないんだからしかたない。


 力の限り、これでもかというほどだきしめる。ぎゅううーーーっ。


 そのとき。


「こ、こらっ、やめろ、やめろっ! 苦し、苦しい――!!」


「えっ?」


 ――と。


 どこかから私の耳に、必死に助けを求める人の声が聞こえた。男の声だ。それもかなりのハスキーボイス。


 私はイヌの人形を胸にかかえながら、部屋を見回す。だけど、だれもいない。


 ――空耳か?


「だから放せ! 苦しい! 死ぬ! このままでは死んでしまう……!」


 やっぱり、聞こえる。はっきりと、男の声が。


 窓の外をみてもなにもない。どこだろう。押入れの中か? ひょっとして、ベッドの下――


「放せといってるだろう! 腕だ! お前の腕の中だ!!」


「えっ」


 私は自分の右腕の中をみてみる。中、といってもあるのはイヌの人形だけ――


「ぷはっ! ハァ……ハァ……」


「おわっ!?」


 私はびっくりして思わず人形を放った。


 なぜなら、人形が閉じていたはずの口を思い切りあけてあえいだからだ。


 再びベッドの上に転げるイヌの人形。すると「それ」は両手をついてふるえながら立ち上がる。人形なのに。


「ハァ……ハァ……危ない、しめ殺されるところだった……なんてバカぢからだ……」


「にんぎょうが……」


 しゃべってる――。


「な……なんだよおまえ。人形じゃないのか……?」


「うむ……おっと、失礼」


 まだ若干青ざめた顔のイヌの人形が、まだ少しふらつきながら、でもはっきりとしゃべっている。私のベッドの上で。一瞬そういうオモチャかなにかとも思ったけど、動きが機械のそれじゃない。


 どうみても、普通じゃありえない光景だ。子供のころにみたアニメにこんなシーンがあったような気がする。けどそれだけに、現実のことだと信じ切れない。


 どう反応したらいいのか分からずにいる私の前で、イヌはうやうやしく話し始めた。


「急にこのような姿で現れて申し訳ありません、四条殿。イヌの人形であれば四条殿に警戒されることなく、私の話を聞いていただけるかと思ったもので」


「めちゃめちゃ警戒するだろ! 人形はふつうしゃべらないって!」


「む、コチラの世界ではそうでしたかな」


「コチラの世界? おまえ、どこから……ていうか、いきなり私の部屋に入ってきて、おまえ何者だ。私の名前だって、なんで知っているんだ?」


「知っていますとも、四条穂積殿」イヌは急に直立し、姿勢を正して云った。


「私は、これからおとずれる人類の危機を救うことのできる『能力者』を探しに、こことは異なる次元の世界からやってきました」


「……なんだって?」


 急に現実ばなれした話をもちだすイヌに、私は戸惑った。


「のうりょくしゃ……ことなるじげん……?」


「といっても容易には信じて頂けんでしょうな」


 そしてイヌの人形は、とぼけた目のまま真剣な表情になった。


「順を追って説明致します。私は、アシュレイと申します。以後、お見知りおきを。まず、私が何者かについてご説明いたしましょう」


 あっけにとられたままの私の前で、唐突に、イヌは語り始めた。


「私がすんでいる世界は、こことは違う次元――つまり、時空の異なる場所に存在しています。あなた方がこの時空を宇宙と呼んでいるように、我々は自分たちの住んでいる時空を『レイス』と呼んでいます。その『レイス』にある星『ラピュタイル』から、私はやってきました」


「……は?」


「『ラピュタイル』は地球とよく似ている星です。地球でいう人類は、我々の星では『レム』と呼んでおり、文明も発達しています。都市にはビルがあり、車とよく似たものも走っています。異なる言語を早期に習得できるノウハウがあるという点で、地球より若干進んでいますが、携帯電話はいまだに普及していません。地球もラピュタイルも、文明には一長一短あるといっていいでしょう」


「……へえ」


「しかし、共通した点もある一方で、地球とは大きく異なる点もあります。例えば、地球には生存する上で人類に直接対抗しうる生物は存在しません。ですがラピュタイルには、我々『レム』と対立する生物が存在します。それが『マルガー』なる、異形の生き物です。彼らは文明らしい文明をもっておらず、秩序の整った社会ももっていません。お互いを認識する言語能力すら持ち合わせていません。あるのはただ自分を生存させ、増殖させるために、他の生き物を破壊し滅ぼす力。それだけです」


「……はあ」


「ひたすら数を増やし、そのために周りのものを食べつくし、滅ぼしつくす。我々もある意味では彼らと同じ存在なのでしょうが、彼らはただ欲望のままに周辺の資源を食いつくし、むさぼっている。そんな生物なのです。ただ彼らには非常にやっかいな能力が二つあります。ひとつは、暴力的な力。人間と同じくらいの太さの腕一本で、巨大な岩をやすやすと破壊します。そしてもうひとつは――空間を自由に移動する能力です」


「……」


「この能力のせいで我々は太古の昔から大変苦しめられてきました。これまでも我々が何か防ぐ手段を講じては、やつらがそれを乗り越えてくる、そのイタチごっこだったのですが、数十年前に空間移動を防ぐ特殊なバリアを開発したことにより、ようやく『マルガー』からの脅威は大幅に減りました。やつらを閉じ込める方法も徐々にできつつあり、我々の生活にも安心と平和が訪れていたのです。ですが最近になってまた、やつらが進化したのです。しかも今回は、いままでで最悪といっていい進化です。『マルガー』は空間だけでなく、時空をも移動するようになったのです」


「……う」


「これで事態は一気に複雑になりました。注意を払うべきは我々の生きている空間だけでなく、他の次元の世界にも及ぶからです。『マルガー』は我々の世界から他の世界へ移り、そこで大量に増殖してからまた我々の世界に戻ってくる、という行動をとりはじめたのです。我々のつくるバリアの強度にも限界があります。それを超えるだけの『マルガー』が押し寄せれば、ひとたまりもありません。そのために、我々は『マルガー』が増えすぎないよう定期的に狩りをおこない、数を抑制させてきたのですが、いまでは全て水泡に帰している状態です。そして――」


「ちょっとストップ……」


 私は思わず口を挟んだ。うんざりした表情になっているのが自分でよくわかる。


「その説明、あとどのくらい残ってるんだ」


「は、いまでちょうど半分ほどですが」


「申し訳ないんだけど」私は云った。「長い話は苦手なんだ。あと10文字くらいで終わらせてくれないか」


「無理です、四条殿。それにこれは大事なことなのです。地球の存亡にかかわりますから、正確な情報を把握して頂かないと」


「でも私、いまの話1%くらいしか理解できてないんだけど」


「い、1%……?」


「ああ。ようするに、おまえは違う世界からきて、なんか大変なんだ、ってことだろ」


「みじかい! しかも漠然としすぎている!!」イヌはさけんだ。


「四条殿、こういったときはきちんと事の背景も十二分に理解しておいて頂かないと」


「っつっても私、脳内労働、苦手なんだよな。自慢じゃないけど」


「苦手……」イヌのもともと困ったような細い目つきが、ますます細くしぼられた。それにかまわず、私が云う。


「結局、おまえは私にどうしろってんだ? そこだけ教えろよ」


「ぐ……マナの才能に恵まれているからとエラそうに……」


「なんか言ったか?」


「いえ! そ、それでは四条殿のために、短めにご説明します。さきほど申し上げた、我らが宿敵『マルガー』が、次の繁殖地として選んだ場所こそ、この地球なのです」


 イヌの口調が再び真剣味を帯びた。


「最近になってようやく我々も、特殊な機械により時空の移動ができるようになりました。『マルガー』を追えるようになったのです。そして最初に行き着いた先が、ここ地球でした。


 我々もどうすべきか悩みました。文明がすでにある世界でやつらの活動をいかにして防ぐか。わざと放っておいて地球人がやつらを返り討ちにする可能性も考えましたが、あなたたちの文明レベルではたとえ防ぐことができたとしても、甚大な被害はまぬかれないでしょう。しかし時空を移動する機械はまだ開発段階で、一度に移動できる数が限られています。我々が地球で十分な人数をそろえるころには『マルガー』がすっかりのさばっているころでしょう。我々としても、それを看過することはできない。そこで、あなたに白羽の矢が立ったのです」


「はい、質問」私が手を挙げると、イヌは感動したようにうなずいた。


「おお、四条殿もようやく関心をもって頂けましたか。で、何をお知りになりたいのでしょう」


「白羽の矢ってなんだ」


 ズコッ! という感じで、イヌがベッドから転げ落ちた。


「四条殿……」


「いやあ、難しい言葉は嫌いでね」


「そんなに難しかったか……いや、私の学んだ日本語は、義務教育レベルのはず……」イヌはなにやらつぶやいてから、気を取り直したように今度は私の机にジャンプしてとびのった。けっこう身軽なヤツだ。


「ごほん。ええと……白羽の矢が立つ、というのは、多くの人の中から選ばれる、ということです。そこで話を戻しますが――『マルガー』を倒すには、物理的な攻撃でもいいのですが、最も有効なのは、我々の世界でいう『マナ』と呼ばれる力――地球では『霊感』や『超能力』と呼ばれる類のものです。この力は我々『レム』には乏しく、非常に貴重なものとなっています。地球人の場合も大半の者は同様。ですが、我々の調べたところ、中にはごくまれに『マナ』を生まれながらにして豊富にたくわえている人間のいることが、わかったのです」


「それが、つまり私、ってことか」私が云うと、イヌは得たようにうなずいた。


「お察しのとおりです、四条殿」


「でも私、霊感ゼロだし、超能力も全然信じてないけどな」


「言い方を変えましょう。魔法、と呼ぶのが最も近いと思います。ふだん人類が使うことのない力。まだ人類が発見し、活用できていない力。それを、四条殿はもちあわせているのです。いうなれば、あなたこそが『マルガー』に対抗できる、地球で唯一の、選ばれし人間なのです」


 重々しく、イヌは語る。


「突然こんなことを説明されて、さぞ戸惑っていることと思います。なぜ私なの、どうして私が? そうお思いでしょう。ですが、この地球を『マルガー』の魔の手から救うのは、あなたしかいないのです。あなたに全世界の人類の命運が託されたのです。さあ、あなたに秘められた力を引き出し『マルガー』と戦うためのリストバンドがここにあります。これを身につけていますぐ愛と正義の魔法戦士に変身――」


「いや、いいよ。私、空手のほうが大事だから」


 私は断った。


 即決で、あっさり。


 私の言葉を全く予期していなかったのか、イヌはひとことも発せないまま、しばらく目が点になっていた。


「――いま、何と?」


「だから、空手の方が大事だし、その……魔法戦士? とかいうのはやめとくよ」


『部活があるから遊びにいくのはやめとくよ』くらいの気持ちで答えた私に、イヌは必死に考えをめぐらせているようだった。


「……カラテ、というのはつまり――日本でおこなわれている、なぐりあうフリをしあう、いわゆるスポーツの空手のことでしょうか」


「なぐりあうフリ、ってのが納得いかないけど、それそれ。だから私、魔法戦士とかいうのをやってるヒマないんだ。ごめんな」


 さ、夕飯を食べに行こう。私はしれっと部屋から出ようとする。


「ま、まてまてまてまてまてまてまて!!」


 ものすごくあわてた様子でイヌがダッシュして私の前に立ちふさがった。意外とすばやいな、こいつ。


「なんだよ。もう理由は説明しただろ」


「お待ちください四条殿! スポーツをしたいからというだけの理由で、地球の危機を見過ごすというのですか!?」


「ああそうだよ。それにまあ、正直にいっちゃうと、さっきおまえの話したこと、あんまり信じてないんだよね。地球の危機、っていわれても、現実離れしてるっていうか」


「それならまた一から懇切丁寧にご説明いたします。だからいま一度私の話を――」


「さっきのでもう十分。お腹いっぱいだよ」私はへき易した顔で云った。ほんとに、これ以上の長話はごめんだ。


「マルコだかマルオだか知らないけど、私はいま空手のことしか考えたくないんだ。正義の味方ごっこをやってる場合じゃないんだよ」


「マルガーです。ごっこでもありません! 私は真剣に、我々自身の存命と、この地球の未来を危惧して、お願いしているのです」


「そういわれてもなぁ……私も空手には真剣に打ち込んできたし、だいたい地球を救うなんて大それたこと、なんだか私には重すぎるよ。私は博愛主義者じゃないし。ほかにも候補がいるんなら、そっちをあたってよ」


「四条殿! もし地球が滅ぶようなことになれば、空手もできなくなるのですよ。空手だけではありません。あなたの愛する両親や友人、恋人もみな死ぬことになるのです。だから――」


「それ、脅迫だろ。もしほんとにそうなるんだったら、マルオを私の前につれてきてよ。そしたらおまえの言ってること、信じてやるよ」


「マルガーです! それにつれてくるなど不可能です! 万一つれてこられたとしても、変身もしていないいまのあなたでは非常に危険です。そんなマネはできません!」


「ま、つれてこられてもやるかどうかはわからないけどね、魔法戦士。第一、そんなものになったらなったで命がけだろ。私、知らない人のために自分の命をかけられるほど、心の広い人間じゃないんだ」


 私はイヌを見下ろしながら云った。


「必死になってくれて悪いけど、そういうわけだから、つつしんで辞退するよ」


「お、お待ち下さい! 地球の危機なのです! ぜひあなたにこそ、魔法戦士になっていただきたいのです! ですから――」


「しつこいな……。やらないったら、やらないって」


「そこをなんとか」


「やらないから」


「そこをなんとか」


「やらないっての」


「そこをなんとか――!」


「あーもううるさい。イヌ、そこどけよ。私は晩ご飯を食べたいんだ」


「晩ご飯――」


 私の言葉に、イヌは目を見開いてあ然とした。


 そのとき――


 イヌの中の何かが、音を立ててぷちんと切れたようだった。


 イヌはいままで我慢してきたものをおさえきれない様子で、少しずつ奮えだす。気のせいか、青白い炎がイヌの背後からたちのぼっているようにもみえる。


 雰囲気を急変させたイヌが、うらめしそうなうなり声をあげる。


「……………………ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


「ど、どうしたんだ」


 明らかにイヌの様子がおかしい。気分でも悪くなったか。


 そう私が思っていたら――











「だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


「なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」


 な、なんだ!?


 イヌが唐突に部屋中に響くような怒りの叫びをぶちまけてきた。かと思うと、これまでの礼儀正しい態度を一変させてがなりたててきた。


「やっっっっっっっってられるかーーーーーーーーーー!! なんで私がこんな平和ボケした、使命感0なヤツにうやうやしく接しなければならんのだ!! もうやめだ! すべて終わりだ! いままでの態度は全部取り消しだ! 貴様、いますぐこのリストバンドをつけろ。いますぐにだ! さっさとしろ!!」


 おいおい、完全にキレたぞこいつ。こんなに情緒不安定なイヌだったのか……。っていうか態度変わりすぎだろ。わりとシブめのハスキーボイスだったのに、台無しだ。


「それがイヌの本性かよ。どうも話しっぷりが怪しいと思ったんだ」


「イヌではない! アシュレイだ!! さあ、はやく正義の味方に変身して地球を守りたいんですと言え!!」


「だれが言うか!! ますますなりたくなくなったっつーの!!」


「そうか。なら力づくにでもこのリストバンドをつけさせてやる。覚悟しろ!!」


 そう云うと、イヌは表面に複雑な模様が刻まれた赤いバンドをどこからか持ち出した。そして、急にジャンプして飛びかかってくる。


 20cmくらいの身長なのに、私の頭の上まで飛び上がってきた。


「うおおおおおおお!! 魔法戦士になれぇぇぇぇぇぇぇ!!」


「はっ!」


 向かってくるイヌに、私は反射的に上段蹴りをあびせた。


「ぐはっ」


 イヌがあっけなくふっとぶ。


 人形にしては重すぎるだろうキックを食らい、イヌはリストバンドもろとも一直線に私のベッドの奥へ転がっていった。


「あっ――」


 結構まともに入ったな。大丈夫か。蹴ってから心配になった。


 でもイヌは、すぐにベッドの後ろから現れた。けっこうふらつきながらだが。


「ぐ、なかなかやるな……。さすがに全国レベルの空手の腕をもっているだけのことはある……。その腕を、地球を救うために使ってみる気はないか」


「スカウトどうも。でもあいにくご期待にそえないね」


「くっ、まだいうか貴様。地球の命運がかかっているんだぞ!」


 イヌはにらみつけるように私の方をみる。最初は人形らしい、半目のとぼけた目をしていたのに、あれは完全に演技だったんだな……。


 私はイヌに云ってやった。


「地球の命運、っていわれてもな……さっきも言ったけど、私は知らない他人のために命をかけるのなんてごめんなんだよ。どうせほかにも私みたいな候補がいるんだろ? なら、そいつになってもらってよ」


「いないのだ」


 ――と。


 イヌのはっきりした言葉に、私はちょっと戸惑った。


「……いないのか?」


「正確には、まだ適合者がみつかっていない。貴様ほどのマナをもった者はいまのところ数名しかいないし、いたとしても、それが赤子や老人では話にならない。マルガーとの戦いに耐えうるだけの体力や精神力をかね備えた人間をしぼりこむと、貴様しか戦える者がいないのだ」


「本当かよ……」


「もっと時間をかければ、ほかにも適合者はみつかるだろう。だがそれでは遅いのだ。ワームホールの出口は、このニホンという国のどこかに開いた。そして、やつらはもう増殖をはじめていると思われる。だから我々はまっさきにこの国の人間の中から適合者を探しているのだ。そしてみつかったのが、四条穂積、貴様だ」


「そうだったのか……」


「自分の置かれている状況がわかったか。なら、地球を守る愛と正義の魔法戦士になってくれるな」


「イヤだ」


 ズコッ、とそこでイヌはまたコケた。


「な、なぜだ!? いまので自分の置かれている状況がわかっただろう。貴様がやるといわなければ、すぐに日本はマルガーに滅ぼされてしまうのだぞ。貴様、世界の平和と空手とどっちが大事なんだ!」


「空手」


 ズコッ、とそこでイヌはまたコケた。よくコケるイヌだ。


「貴様……本気で言っているのか」


「本気だよ。当たり前だろ。いままでの自分の時間を全部注ぎ込んできたんだ。魔法戦士になれっていわれてすぐ『はいそうですか』って捨てられるもんかよ」


「ぬうう……聞き分けのないやつめ。空手など、ぺぺぺっとマルガーを倒して平和を取り戻してからでもできるだろうが!」


「空手はできる。でも、高校空手はいましかできないんだ。夏の高校総体で優勝する、それが命をかけるより大事ないまの私の目標だ」


 はっきりと私は云った。偽りない、正直な私の気持ちだから。


 身勝手かもしれないけど、私がいままで信じてきたものを、簡単に壊すわけにはいかないんだ。


「私は空手にかけているんだ。だからあきらめてくれ、イヌ」


「アシュレイだ! 何度言ったらわかる!!」


「ならおまえも、貴様って呼ぶのやめろよな。私にはちゃんと四条穂積って名前があるんだ」


「くそ、人間がここまで私の頼みをむげにするとは思わなかった……マルガーの前にやっかいな敵があらわれたものだ」


「それはこっちのセリフだ。だいたい、いきなり現れて『地球を救うために命をかけろ』なんて図々しすぎるだろ」


「それでほとんどの人間は魔法戦士になるのだ。壮大な使命感とファンタジックな世界観にあこがれてだ」


「知るか! それはお前の思い込みだろ」


「思い込みではない。我々の調べによると、日本人の89.37%は、ファンタジー世界にあこがれをもつ、潜在的なアニオタだという結果が出ているのだ」


「調べ方がかたより過ぎだ!」


 大真面目にズレたことを話すイヌに、私は思わず声をあげた。


「だいたい、命をかけろなんていうけどな、自分が死ぬかもしれないって考えたら簡単に選べないだろ、そんな選択」


「貴様は分かっていない」イヌが云った。


「ひとつの国が――いや、町でもいい。とにかく『滅ぶ』ということが、どれほど凄惨で、残酷なものなのか。我々は歴史の中で自分たちの国を何度もマルガーに滅ぼされた。だから、マルガーがいかに恐ろしいものなのか知っている。空手などという、本気で闘いもしないちんけな遊びなど、一瞬で粉みじんにされてしまうのだぞ」


「待てよ」


 そう云われて――


「空手をそれ以上バカにするな」


 私は本気で頭に血がのぼりそうになった。


「そりゃあ、まだ戦争している国とかに比べたら、確かに日本は平和なのかもしれないし、空手なんてやってる場合じゃない人だっていっぱいいるかもしれないけど……そんなものと、空手を比べるのは卑怯だろ。私は空手をやる自分を信じてきたし、自分の信じた道をずっと突き進んでいきたい――だれにもそれを邪魔されたくないんだ!」


「青いな。マルガーが現れれば、そんな言葉も吐けなくなる」


 イヌは云った。


「貴様が空手を続けるには、ここでマルガーを倒すために地球を救うためのヒロインになるのが一番。そのことに早く気づくのだ、四条穂積」


「うるさい。私は、おまえの言うことなんか絶対に聞かないからな」


 もうこうなったら意地だ。理屈じゃなく、このイヌが嫌いだ。


「……わからず屋め。やはり力づくでリストバンドをつけてもらうしかないようだな」


「ふん。つけられるものならつけてみろ!」


「当たり前だ。貴様の平和ボケした蹴りなど、すぐに見切ってやる!」


 にらみあうイヌと私。身長差がありすぎる二人の間で、奇妙な火花が激しく散る。


 と、そこへ。


「穂積さーん。もうお夕飯できてますよー」


 部屋の外から、お母さんの声が聴こえた。そして、ぱたぱたと階段をのぼってくる音。急に緊張感が解ける。


「ちっ。邪魔が入ったな」


 イヌはそう云うと、赤いリストバンドをいつのまにかどこかへしまい、ぴょん、と窓枠に飛び移ると、窓をがらっとあけた。


「だが私はあきらめんぞ。貴様にこのリストバンドをつけ、マルガーを倒すヒロインに変身させるまで、何度でも現れてやる。せいぜい首を洗って待っているんだな。ハハハハハ!!」


「完全に悪役のセリフだろ! もう何を言われたって、ヒロインになんか絶対ならないからな!!」


 イヌが窓から飛び降りる。私はすぐに月明かりの照らす窓の下をみた。だけど、もうあのイヌはどこかへ姿を消していた。


 ――なんだったんだ、あのわけのわからないヤツは。


 私はどっと疲れて、ベッドの上に腰を下ろした。すると、ドアをノックする音がした。


「穂積さん? さっきから大きな声が聞こえますけど、だれかいらっしゃるんですか」


 お母さんが部屋の外から、心配そうな口調で訊いてくる。私はあわてて取りつくろった。


「いや! だれも――今日は疲れたなー、ってひとりごと」


「そうですか? でも『ヒロインになんか絶対ならない』とかなんとか――」


「あ、ああ……! あれはその――ヒ、ヒーローイン……タビューなんか絶対受けない、って……ほら、空手の全国大会とかでさ」


「そうですか……それならいいんですけど……お夕飯がもう」


「ああ、食べるよ! すぐに行くから――」


 そう云うと、お母さんは安心したのか、階段を下りていった。


 はぁ……。私は思わずベッドに転がった。


 なんだったんだ、あの変なイヌは。突然現れて、地球が滅ぶとかなんとか……。


 そんなこといきなり云われても、信じられるわけないだろ。第一、いまはなにも起きていないんだから、全然実感わかないよ。


 魔法戦士に変身して、怪物をやっつけて、たくさんの人たちの命を救って――


 完全に、空想の世界じゃないか。そんな浮ついたことと、私がこれまで自分の足で歩いてきた道を、引き換えになんてできない。


 いまは空手のことだけを考えていたいんだ。


 だから私は、ヒロインになんて絶対なりたくない。



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