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第10話 奏とヒロインと戦いの結末

 空から現れた白い光のかたまりが、私の近くに降りてくる。


 私は地面に顔をつけたまま、目だけを動かしてその光をみつめた。


 まぶしい光が徐々におさまる。しだいにみえてくる、人間のシルエット。


 そこにいたのは、白く輝くなめらかな衣装に包まれた、私と同い年くらいの女の子だった。


 首元に流したミドルショートの黒髪に大きく開かれた瞳。背の低い小柄な彼女は、少し気の弱そうな、でも優しそうな目つきで、マルガーのいる正面を見据えていた。


 さっきの大きな光はもう消えたけど、淡い光が包んでいるように、彼女の体の輪郭はまだうっすらと明るく輝いていた。不思議なのは、雨が降っているのに、彼女の服は少しもぬれそぼった様子がないことだった。雨を弾いているような感じでもない。きっとあの光が、雨を全て受け止めているんだ。そんなふうに見えた。


 あの光は一体なんだろう。答えは、すぐに分かった。


 女の子は手に杖を持っていた。金色のまっすぐな杖身の先に、大きな水色の水晶がはめこまれている。彼女はそれをマルガーに向けると、急に目つきを鋭くし、はじめて口を開いた。


 つぶやくように、でもはっきりと、彼女は言葉を連ねる。でも何をしゃべっているのか、私には分からなかった。雨音が強くて聞き取りにくかったのもあるけど、それだけじゃない。そもそも、日本語じゃない言葉を使っているようだった。


 彼女が詠唱を終える。すると――


 突き出していた水晶に光が灯り始める。それは急激に大きくなり、さっき私が見た以上の光にふくれあがる。


 そして――


 光は、彼女の杖の先端から、勢いよく飛び出していった。


 真っ白な筋をひきながら、一直線にマルガーに向かって突き進む。降り続く雨粒も、ゆがんだ空間も、全てふきとばして。


 そして光がマルガーに当たった瞬間。


 強烈な光の渦が広がった。


 閃光が四方八方に散り、砂ぼこりのようなものが激しく舞い上がる。暴走する光が、マルガーの全身に幾度も突き刺さっては、はじけとぶ。


 まぶしくてとても直視できないくらい。私は思わず目を背けた。


 やがて、光がおさまっていく。


 マルガーは――


 直立不動のまま、その場に立ち尽くしている。


 しかし直後、その両ひざが折れた。


 前のめりに上体がゆっくりと倒れ、足元から上へ順番に、がらくたのように崩れながら、マルガーは地面につっ伏した。


 そして倒れたマルガーの体は、徐々に薄くなっていき、最後には霧のように消えていった。


「…………!」


 まるで映画で見るような非現実的な光景に、私は消えかけていた意識を取り戻しながら首だけをめぐらせて、目を見張った。


 マルガーを倒した女の子。光に祝福されたような、暗い雨の中でも変わらない明るさを放つ、不思議な力を宿した魔法使い。


 直感した。


 この子が、私の代わりの――


「だ、大丈夫ですかっ!?」


 ーーと。


 彼女は杖をおろすと、すぐに私のそばに駆け寄ってかがみこんだ。ついさっきマルガーと相対したときと打って変わって、落ち着きがなくあわてた様子だ。


「動けますか? と、とりあえず、回復系の魔法を使わないと……。呪文はたしか――」


「あの、さ……」


 私は体中に響く痛みにまた気絶しそうになりながら、幼い顔の女の子に云った。


「私より……向こうに倒れてる犬を……みてやってくれないか」


「犬?」


 彼女は周りを探す。その目が、すぐに太郎を見つける。すると、彼女はすぐに立ち上がって、太郎のもとへ走っていった。


 ――いい子だな。


 ためらいもせず、私より犬を助けにいってくれた。


 彼女は少しして、また私のところに戻ってくる。その両手には太郎が抱えられている。


「大丈夫ですよ、安心してください。気絶してるみたいですけど、怪我は軽いみたいです」


 それを聞いて、私は心の底からほっとした思いだった。


「そう、か。よかった――」


 私の中で、張りつめていた糸が切れた。


「あっ――大丈夫ですか!?」


 体の冷え切った私は、ボロボロの体のまま、その場で意識を失った。


 その、意識が消える直前。


 ――無事か、四条穂積。


 私の耳に、そんな男の声が届いたような気がした。











 窓がひとつだけある、白くて明るい小さな部屋。


 夕暮れの陽光が、ひらひらしたカーテンの向こうから差し込んでいる。


 目を覚ますと、私はベッドの上にいた。


 静かな風が、部屋の中にふく。耳にこびりついていた激しい雨音はもう聞こえない。


 私はベッドから起き上がった。制服は脱がされたようで、代わりにゆったりした白い院内着を着せられていた。


 体の具合を確かめてみる。マルガーに殴られ、ふきとばされて、全身が傷めつけられていたはずだった。でも、いまはなんともない。痛みのひどかった腹部と肋骨はまだ少しだけ痛むけど、マルガーと闘っていたときに比べれば、ずっとましになっていた。


 ――あの子が、治療してくれたのか。


 私は右手をにぎったりひらいたりして感触を確かめながら、しばらくぼうぜんとしていた。


 意識を失う前とは正反対の、静かで、平穏な空気。


 ここはどこだろう。病院? それとも――


 私が考えていると、斜め向こうにあった部屋の扉がゆっくりと開いた。


「あっ、目を覚まされたんですね。よかった――」


 そこには、マルガーを倒したあの女の子がいた。


 胸にフリルのついた淡いピンク色のかわいらしいブラウスを着た小柄な彼女は、つぶらな瞳を私へ向けながら、ぱたぱたと小走りで近づいてくる。手には桃色と黄色の花を差した花瓶を手にしている。とてもあの凶悪な怪物を倒したとは思えないくらい、平和そうな女の子だ。


「体の具合はいかがですか。かなりひどい怪我をされていたみたいなので……」


 彼女は花瓶をベッドの横に置きながら、心配そうに尋ねる。私は笑顔をつくって答えた。


「ああ、全然大丈夫だよ。あれだけ痛かったのが、ウソみたいだ――お前が治してくれたのか」


「は、はい……」女の子はなぜか恥ずかしそうに答える。どうやらかなり内気な子らしい。


「私、まだ力の使い方に慣れていないので、うまくいったかどうか不安だったんですけど……でも、よかったです」


 そこで、彼女ははっと気づいたように顔を上げた。


「自己紹介がまだでしたね。私は真白ましろかなでといいます。よろしくお願いします」


 ぺこっと頭を下げる彼女に、私も答えた。


「私は四条穂積。ありがとうな、真白」


「奏でいいですよ、四条さん」


「なら私も、穂積でいいよ」


 お互い、笑いあう。緊張感がほぐれ、たゆんだ気持ちになる。


 その後、奏はいまの状況を説明してくれた。私たちがいるのは病院ではなく、とある施設の部屋。私が倒れてからちょうど二十四時間くらいが経っていること。そして奏は、近くの高校に通う、私よりひとつ年下の女の子だけど、つい最近マルガーを倒すための魔法戦士になったこと。


 とても信じられないでしょうけど、と、奏は一から丁寧に魔法戦士とマルガーのことを説明してくれた。私はそれを黙って聞く。奏はどうやら、私が魔法戦士の第一候補だったことを知らないようだった。


 なんとなく、私はそのことを云わずにいた。ただずっと、奏が頑張って話していることを、素直に聞いていた。


「信じて下さいとは言いません。私もいまだに実感がないですから……。でも、穂積さんが闘った怪物がこの世のものじゃないということは、たぶんお分かりいただけるかと思います。それに、私が使った光の魔法も。穂積さんが見たのはそういうものだって納得して頂けるといいんですけど……」


「ああ、大丈夫。納得はしてるよ。怪物とか、魔法とか……とても信じられないけど、でもあの怪物は現実に存在したもんな」


「そうですよね。私もじつは昨日、このリストバンドを初めてつけましたから……。魔法を実際に使ったのは、あれが初めてだったんです。だから私、とても緊張して――」


 そう話す奏の右腕には、アシュレイが散々私につけようとしていた赤いリストバンドがはめられていた。


「でも穂積さん、すごいですよ。本当ならもう三回くらい魔法を使わないといけないはずだったって、アシュレイさんが言ってました。それくらい、マルガーが弱ってたって……普通の人間じゃかなわない怪物をあそこまで追いつめていたから、私が簡単に勝てたんだって。穂積さんの方が、私より魔法戦士になる資格があるのかも――」


 尊敬のまなざしでみつめてくる奏に、私は複雑な思いで苦笑した。


 苦笑しながら、私は思っていた。


 アシュレイ。


 あいつはいま、どうしてるんだろ……。


 私がそれを奏に尋ねようとしたとき。


 部屋の扉がノックされた。


 奏が返事すると、扉が開く。


 入ってきたのは、背の高い、がっちりしたスーツに身を包んだ、鋭い目つきの男だった。


 長い髪をオールバックで後ろにまとめ、真っ赤なネクタイをしめたそいつは、私の方を一瞥いちべつすると、そのままベッドに近づいてきた。


 だれだこいつ。厳しい顔が板についたような表情の男に、私は眉をひそめた。でも奏はむしろ安心したように、その男に明るい声をかけた。


「あっ、穂積さんが目を覚まされましたよ」


「見れば分かる」ぶっきらぼうに云ったそいつの声は、典型的なハスキーボイスだった。


 私は警戒しつつ、張りつめた空気を身にまとうそいつをにらみつけた。


「――こいつは?」


 私が訊くと、奏が答える前に、その男が答えた。


「なんだ、気づいていないのか。声で分かるかと思ったが」


 声?


 私はそいつの低音を思い返す。そして、すぐに思い当たった。


「お前、まさか……アシュレイか?」


「物忘れが早いな、四条穂積」


 失礼な言葉に突っ込むよりも先にアシュレイの姿に驚いて、私は目を見開いた。


「アシュレイ……お前、イヌだったはずじゃ」


「あれは仮の姿だ。貴様の前にだけ、イヌの姿で現れていた。最初に言わなかったか」


「でも、イヌの印象が強かったからな……。それがお前の本当の姿なのか」


「そんなわけがないだろう。これも仮の姿だ。奏の前では、この姿で現れている」


 奏は明らかに「えっ、そうだったんですかっ?」というような表情をした。かわいそうに、こいつが自在に自分の形を変えられることを知らなかったらしい。


 その表情も消えないまま、奏は口を開いた。


「ほ、穂積さんと、アシュレイさんは、その……前からお知り合いだったんですか?」


「知り合い、っていうか……」


 その問いにどう答えていいか考えあぐねていると、アシュレイが先に答えた。


「ああ。四条穂積は、私と同じラピュタイルの生まれだ。訳あって、いまは地球人として暮らしてもらっている」


「そうなんですか……同じ星の人なんですね」


 ――は?


「ちょ、ちょっと待て。私は同じ星の出身なんかじゃ――」


 そこでアシュレイがぐっとこっちをにらんで「口裏を合わせろ!」という視線を送ってきた。


「四条穂積は我々の星から派遣された調査員なのだ。今回の地球でのマルガー掃討に、非常に重要な役割を果たしてくれている。そうだな?」


「え? ……あ、ああ、そうだ。実はそうなんだ。はは……」


 ごまかし笑いもいいところ。だけど、奏は信じたようで、


「どうりでマルガーとの戦いにも慣れていらしたんですね。じゃあ、穂積さんも今は仮の姿なんですか?


「そ……そういうこと、かな」


「わー、すごいです。どうみても人にしか見えませんよ。――穂積さん、ぜひ私にもマルガーとの戦い方を教えてくださいね!」


「あ、ああ……」


 たぶんお世辞じゃなくて、奏は純粋に心からそう云ってる。本当に良い子だ。良い子すぎて、なんだかすごく罪悪感を感じる……。


 その後、いくつか会話を交わしてから、奏は何かを思い出したようで、急に部屋を出ていった。結局、私を異星人だと誤解したまま。


 部屋にはアシュレイと私の二人きりになった。私は奏の足音が遠ざかっていくのを確かめてから云った。


「……私が異星人だってのは、無理があるんじゃないか」


「許せ、四条穂積。お前が魔法戦士の第一候補だったと奏にいま伝えるわけにはいかないからな。奏は内気でひかえめな性格だ。もし知れば、お前との力の差に自分の中で折り合いをつけられず、気持ちがさいなまれるだろう」


「って言っても、もう少しマシな設定はなかったのかよ……」


 私が愚痴を云うのを流して、アシュレイは云った。


「……まさか貴様のところへ、真っ先にマルガーが現れるとは思わなかった」


「私もだ。気をつけろとは言われてたけど、こんなに早くやってくるなんてな」


「偶然だと考えたいが、マナを多く持つものの近くにやってくる性質がないともいえん。少し詳しく調べてみよう。それまで、身辺には気をつけておいてくれ」


 アシュレイは深刻そうな顔をして云う。私はわざとらしくため息をついてみせた。


「気をつけてって言われても……あんなのが何回も出てきたら、私の身がもたないよ」


「でも正直、ここまでやるとは思わなかったぞ」アシュレイは口元を引き上げた。「奏が着いたとき、マルガーは消滅寸前だった。空間をゆがめる力を使わなかったか? あれはマルガーが瀕死のときに発する緊急防衛法だ。そこまでお前は、あいつをヒロインの力無しで追いつめていたんだ」


「でも結局、奏が来てくれなかったら、私は――」


 そう思うとぞっとした。雨の中、もうろうとする意識。近づいてくるマルガー。恐怖がよみがえり、私は思わず両手で肩を抱いた。


「それは間違った認識だ、四条穂積」


 アシュレイが首を振る。「えっ」と顔を向ける私に、アシュレイは、はっきりとした口調で私に云った。


「奏がたどり着くまで、貴様が持ちこたえたというほうが正しい。私がみたところ、貴様のあのときの怪我は、普通の人間ならまず意識を失うほどの深刻なものだった。だが貴様は倒れることなく、マルガーと闘い続けていた。それは貴様に『負けたくない』という強い意志があったからだ。その意志が、結果としてお前の勝利を呼び込んだ。そう考えるべきだ」


 アシュレイの言葉に、私は昨日のことを思い返した。


 太郎を助けようとして、私はマルガーに戦いを挑んだ。でも、途中で意識を失いそうになった瞬間があった。そのとき、太郎が私の前に立ちはだかってくれた。そして、太郎はマルガーに蹴飛ばされて――


 太郎を助けたくて、私はもう一度立ち上がった。私の体なんかどうなってもいいと思ったから、私は立ち上がれた。もし私だけの理由で戦っていたら、あそこで踏んばることはできなかったかもしれない。


 アシュレイの云った『負けたくない』という意志は、太郎がいたから生まれたんだ――。


 そこまで考えて、ふと私は気づいた。


「そうだ、太郎は――太郎はどうなったんだ?」


 その台詞とほぼ同時に、部屋の扉が開かれた。


 そこには戻ってきた奏の姿。そして、その両手には――


「ワン、ワン!」


「太郎!!」


 元気にほえる、太郎の姿があった。


 つぶらな瞳の太郎は、奏の腕から飛び出して、私のベッドまで駆け寄ってきた。


「ワンワン! ワンワンワン!」


 そのままジャンプしてベッドに上がってきた太郎は、私の顔をぺろぺろとなめてくる。


「無事で良かったな! ――こ、こら、太郎! 分かったって!」


 私は太郎を抱きしめようとしたけど、すごい勢いで太郎がなめてくるからそうもいかなかった。でもその元気さが、私にはうれしかった。


 その光景を見て、奏は微笑んでいた。


「太郎っていうんですね。マルガーにひどい目に合わされたみたいですけど、たいしたケガじゃなくてよかったです。でも、穂積さんにすごくなついていますね。びっくりしました」


「でもこいつ、私の犬じゃないんだ」


「えっ、そうなんですか?」


「ああ。公園で捨てられていて、私が毎日エサをやってたんだ。飼いたかったんだけど、うち、母親が犬アレルギーで、犬を飼えないんだ。だから――」


「そうなんですか……」


 少し考え込むしぐさをしてから、奏は云った。


「じゃあ、私が飼ってもいいですか?」


「えっ?」


「私の家なら犬を飼えますし、ちょうど犬が欲しいなって思ってたところなんです。だから――」


 奏は私に明るく大きな目を向けてくる。その瞳は純粋さであふれていて、見る者をそれだけで説得させる不思議な力を持っていた。


 ズルい才能だな。私には絶対できないよ。そう思いながら、私はもちろん、笑顔を奏に返した。


「奏の家で飼ってもらえるなら、太郎も幸せだよ。な、太郎!」


 呼ばれた太郎は、何のことか分からずに一瞬疑問の表情を浮かべたけど、すぐに「ワン!」と一声答えてくれた。


「よかったな。飼い主が見つかったんだぞ。もっと喜べ!」


「ワン! ワン!」


 私はさらに太郎になめられる。しっぽを振りながら、太郎は私にずっとかまってきてくれた。


 そのとき、初めて実感した。


 私は、太郎を助けることができたんだ。


 私があのとき――太郎がマルガーに追いつめられていたとき、助けにいかなかったら、太郎はマルガーにきっと大ケガを負わされていただろう。命を奪われていたかもしれない。


 でも太郎は、こうして元気でいてくれている。私がそれが見たくて――それが見たかったから、頑張ることができたんだ。

 

 そのときは、気づかなかったけれど――


 私の中で、ずっとくすぶっていたひとつの疑問が解けていた。


 昔、空手の先生に云われたこと。


 勝負に勝つことより、もっと重要なこと。


 本当に強い空手家になるために、必要なこと。


 そのことに。











「じゃあな、奏」


 町の郊外にあったアシュレイの施設(といっても、どこにでもありそうな新築の一軒家だった)の出入り口で、私は白いセダンの車に乗り、奏に手を振っていた。


「マルガー退治、頑張れよ。私も応援してるから」


「またいつでも会いにきて下さいね。太郎もいますから……あっ、私の携帯番号、お教えしますね!」


「あ、ごめん。私、携帯ほとんど使わないんだ。いまも持ってないし……」


「そうですか……」奏は心から残念そうな顔をする。それがいたたまれなくて、私は思わず云った。


「……私の通ってる学校、この町にあるからさ。椥辻学園第二高校。放課後なら武道場にいるし、いつでも来てよ」


 そう云うと、奏の表情はぱっと明るくなった。分かりやすい性格だ。


「本当ですか!? ありがとうございます! 絶対いきますね!!」


 そうして、私は奏と別れた。車が進み、私の家へ向かう。


 運転席には、アシュレイがいた。


「……いいのか」


 つぶやくアシュレイ。私は外の風景をみながら返した。


「なにが?」


「貴様、もうマルガーの件には関わりたくないんだろう。奏は真面目な女だから、いつか必ず貴様のもとを訪れるぞ」


「だからなんだよ。いいだろ、一回くらい。あんないい子の願い、断れるかよ」


 私が云うと、アシュレイはなぜか「ククク……」と笑い始めた。


「な、なんだよ。なにがおかしいんだ」


「いや、いつもは粗暴な貴様にも、仏の顔があるんだなと思ってな」


 そういうアシュレイの肩を、私は思い切り殴りつけた。


「あ、危ないっ!! 貴様、運転中だぞ!?」


「知るかっ」


 私は云い放ち、ふてくされるようにまた外に目を向けた。


 ――なんでふてくされてるんだ、私。


 自分の中にわきたつ気持ちに、自分で理解ができなかった。


 私は一瞬、アシュレイの方を見やって、すぐにまた反対の方向を向いた。


 流れる風景を見ながら、私は自分の決断は間違ってなかったと、思い始めていた。


 あの子なら――奏なら、マルガーと戦う魔法戦士に、正義のヒロインに、なれるような気がする。むしろ私よりずっとふさわしい、と思う。


 確かに格闘はできなさそうだけど、引っ込み思案かもしれないけど……でもそんなことより大切なものを、彼女は持っている。


 奏こそ、本当のヒロインだ。


 そんなことを考えていると、アシュレイが声をかけてきた。


「四条穂積。傷のほうは大丈夫か。空手に支障がなければいいと思ったが」


「ああ。全然支障がない、っていうとウソになるけど、でも数日休めば大丈夫だ」


「そうか。私が触ったら、肋骨の骨を傷めている様子だったからな。大きな傷は奏の魔法で治癒したようだが、まだ骨が完全には修復されていないかもしれない。しばらくは安静にしたほうがいい」


 その言葉に、私は少なからず戸惑っていた。


 ――アシュレイが私に気を遣うなんて、どういう風のふき回しだ?


 私が訊こうとすると、アシュレイは先に云った。


「空手ができない体になってはと思い、わが星の医療技術を駆使して、貴様を治療した。空手ができるなら、なによりだ」


「――そうか。ありがとう、アシュレイ」


「礼には及ばん。元々、我々の星が持ち込んだ問題だ。貴様には迷惑をかけて申し訳ないと思っている。貴様のことを理解しようと、高校空手の資料にひととおり目を通したが、日本一になるのは大変な作業なのだということを実感した。正直なところ、私が甘く見ていた。マルガーは我々に任せて、貴様は空手に集中してくれ。もっとも、我々にこんなことをいう資格はないのかもしれないが」


 そう云うアシュレイの表情は相変わらず厳しいものだった。でも言葉の端々にみえる優しさが、私には伝わっていた。


 空手の資料をわざわざ集めてまで、私のことを考えていてくれていたんだ。


 アシュレイ――。


 普段は無骨で、愛想のないやつだけど。


 私はあいつのまれな優しさにふれたような気がした。


 そしてその優しさに、ひそかに感動して――


 ……いや、なに感動してるんだ、私。アシュレイなんかに、なんで――


 そう自嘲していると、アシュレイはまた口を開いた。


 心の隅で、どんな言葉をかけられるのか、少しだけ期待しながら。


「それより、四条穂積。貴様の腹部には、通常の人間並みの脂肪がみられたぞ。空手日本一を目指す者として、たるんでいるのではないか?」


 ……は?


「内臓を傷めている様子だったから、貴様の腹部を詳細に調べたのだが……格闘家としてはいまひとつと結論せざるを得ない結果だった。おそらく油ものの多い食生活に原因があるのだろう。母親に進言して、改善した方がいいぞ」


「な、なんでお前にそんなこと……ってか、なんでアシュレイが私のお腹を調べてるんだ!?」


「当然だろう。現場で倒れていた貴様を運んだのも、ベッドに寝かせたのも、着替えさせたのも、私なのだから」


「き、着替え……?」


 驚愕の事実を聞いて、私の顔は真っ赤になった。


「ってことは…………み、見たのか?」


「なにをだ?」


「だから、その……む、胸とか、だよ……」


「胸――?」


 アシュレイは疑問の表情を浮かべる。


「貴様の胸を見たから、なんだというのだ。確かに貴様の胸のサイズは、女子高生平均からすればかなり下回っていた。だがそれは、日本一を目指す格闘家としては当然のことで」


 私はアシュレイの肩を思い切り殴りつけた。


「な、なんだ、やめろ!? 運転中だぞ!!」


「うるさい! うるさいうるさい!!」


 私はアシュレイを殴りつけ、ついでに蹴りつける。


「や、やめろ! 交差点に入って――あ、危ないっ!!」


 私は気がすむまで、とことんアシュレイを痛めつけた。


 それが、アシュレイにできる、私からの唯一の返事だった。











 家の前で私は車を降りて、アシュレイと別れた。


 さんざん私にたたかれたアシュレイはかなりボロボロになった顔で、別れる前に私に云ってきた。


「これが、貴様に会う最後の機会になればいいと思っていた」


 ――いた?


 私はアシュレイに訊いた。いた、ってどういうことだよ。


「いまはそう思っていないということだ。また会えればと思っている」


 アシュレイの言葉に、私はわざと強がった表情を見せた。


「わ、私はせいせいしてるよ。空手に集中したいんだから、二度と来るなよ」


「ああ、そうだな。そうなることを祈っている」


 アシュレイは運転席からうなずいた。そのままアクセルを踏み、車道を去っていく。


 私はアシュレイの車を、手を振ることもなく見送った。


 アシュレイが去っていく。私とマルガーの一件も、これで終わり。あっさりしてたけど、これでここ数日の一件は全て終わったんだ。やっとあいつのことを忘れて空手に集中できる。ほんと、せいせいするよ。


 ウソだ。


 私は、自分の正直な気持ちに、わざと背を向けていた。


 また会いたい。その気持ちから、目をそらしていた。


 私は――


 高校空手の、日本一になるんだ。


 それまでは――そのときまでは、少なくとも会っちゃだめだ。そう自分に云い聞かせた。


 私がアシュレイに告げたことは――空手をやりたいと伝えたことは、自分の道をはっきりと決めた。


 マルガーを倒して、地球を救う。その役目よりも、私にとって大事なこと。奏が担った重い荷物よりも、私にとって大事なこと。


 高校空手で、日本一になること。


 私はその決意を胸に強く、強く、しまいこんだ。


 空手なんて、と他人は云うかもしれない。地球を救うことと比べて、空手なんて取るに足らないことだって。


 それでもいい。少なくともアシュレイは認めてくれたんだ。私にはそれだけで十分だ。


 家の玄関で、私は何気なく空を見上げた。夕暮れの空は赤色に晴れ渡って、私の暮らしている町をいつものように明るく照らしていた。


 私は、日本一になるんだ。絶対に。そうじゃないと、アシュレイにも、奏にも、あわせる顔がないだろ。


 地球を救うヒロインになることを蹴って、私は空手を選んだんだから。


 陽の光を浴びながら、私はどこかしめつけられたような、でも晴れやかな思いで立っていた。それは、私が自分の生き方を決めた、人生でも幾度しかない重要な分岐点を越えた瞬間でもあった。


 私は、私の信じた道を歩いていく。もう振り向かない。


 小さいけどいつもと違う一歩を、私は踏み出した。


 今日これから、私の目指す夢に向かって。



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