第9話 突然の電話
「ランバ・フラペチーノってどんなの?」
(ダメダメ、それは甘すぎ。それに、車の中では食べにくいわよ)
そう理沙子は伝えたかったけれど、それより先に店員さんが
「・・・上にチョコレートがかかっています・・・」と答えた。
続けて克彦が
「甘いの?」
と聞くと
「はい、結構甘いです。」
また店員さんが答えた。
「じゃ、モカ・フラペチーノにしよう。理沙子は?」
「私も同じもの」
「モカ・フラペチーノ二つね」
二人ともショートサイズを注文した。10月にしては、暖かな陽気だった。フラペチーノといったら、シャリシャリした氷の冷たい飲み物だ。ごく単純なこと。寒いときにはホット。暑い時にはフラペチーノ。いつものこと。
公園のそばに車を停めて、コーヒーを飲みながらいろんな話をした。二人ともとてもリラックスしていた。だって誰にも何にも気を使わなくていいのだ。シートベルトをはずしてゆっくりと座ると、マイケル・フランクスの甘い歌声が、余計に体の力を奪っていくような気がした。ひょっとしたら、二人ともこのまま眠ってしまうかもしれない。
そういえば、よく克彦はデートの途中で居眠りをした。そして理沙子がいつも腹を立てた。「せっかく二人で逢っているのに!時間がもったいないじゃない・・」でも、そうして怒ることもいつの間にか無くなった。微笑みながら克彦の寝顔を見つめるだけの理沙子がいた。そんな時の彼女は、克彦を独占したような気になったものだった。
理沙子は、克彦の幸せそうな寝顔に、思わず口づけしそうになることもあった。頬をそっと撫でることもあった。ほんの数分のことだったが、理沙子にとって、それはそれで幸せな時間だった。克彦は、目を覚ますといつも「ごめんね、寝ちゃって」と言う。理沙子は笑顔で返す。彼のことが大好きだった。こんなにも好きになれたことが、理沙子にはとても嬉しかった。人を好きになるということ。それは、とても幸せなこと。とても素敵なこと。彼女の中のそんな感情が、心の中にいっぱい広がって、もう『こぼれてしまいそうなくらい』だった。そして彼と過ごす時間は、たとえそれが1時間でも2時間でも、本当に夢のような時間だった。
克彦にとっても、理沙子ほど気を許せる相手は他にいなかった。彼は理沙子の優しい笑顔が大好きだった。何でも許される気がした。仕事では、どうしても気を使うことが多い彼にとって、唯一ほっとできる時間だった。何を話すわけでもなく、何を伝えるわけでもなく。何も求めずに、理沙子はただそこに存在している。カーステレオから流れる音楽も、フロントガラスから差し込む陽の光も、空気も、そよぐ木々も、空も雲も、鳥のさえずりも・・・すべてのものがそのまま。そして理沙子もそのまま・・・。いつも何も変わらない。そんな穏やかな時間が、克彦にこの上ない安心感をもたらしてくれるのだった。
二人には、もう何もいらなかった。これ以上の幸せはなかった。何も無いけれど、誰よりも贅沢な二人。ただお互いにお互いを必要としている、ただその事実こそが、真実だった。
突然理沙子の携帯電話が鳴った。夫からだった。心臓の鼓動が急に早くなる。カー・ステレオからの音楽も聞こえない。落ち着こうと思ってコーヒーを飲んでも、全然味がわからない。克彦が何か言っている。でも聞こえてこない。理沙子はもうほとんど上の空だった。