第6話 愛の形
「見て、これ」
テーブルに座ると、ニッコリ笑った克彦が、理沙子に携帯電話を見せた。そこには、バスケットボールを持った、ユニフォーム姿の一人娘の画像があった。
「やっともらったんだよ、写真。」
「良かったわねー。とても嬉しそうよ。」
「ああ。・・・」
理沙子は、今まで克彦が苦労してきたことをよく知っていた。
離婚が成立した時、5歳の美和ちゃんに何の罪もなかった。なぜ別れたのか、詳しい理由は聞いたこともないし、知りたいとも思わない。夫婦の関係は夫婦にしかわからない複雑な感情が絡み合って成り立っているのだ。ただ、美和ちゃんを愛する克彦の気持ちが、相手の元の奥さんに通じるまでに、それなりの時間がかかったのは事実だ。
毎月の養育費をきちんと支払っていることが、誠意の通じた大きな理由だと理沙子は聞いていた。しかし、別れてからしばらく、数年の間、美和ちゃんと会わせてもらうことができなかったらしい。子供を育てるという親権は、間違いなくお母さんにあるのだから、それはどうもがいても仕方がないことだ。
しかし、克彦は、父として彼なりに地道な努力をした。そのかいあって、美和ちゃんが9歳、小学校3年生の時に、やっと会わせてもらうことができた。それから時々会うことができるようになった。克彦はそれだけで充分だったと言っていた。勿論、美和ちゃんはなかなか打ち解けてくれなかった。でも、克彦は自分なりに精一杯の愛情を注いだ。
ディズニーランドに連れて行ったときも、嬉しそうに話していた。水族館にも動物園にも。美和ちゃんが行きたいと言うところは、どこでも連れて行った。
11歳の誕生日には服を買ってやるといっていた。12歳の誕生日には、スマップのCDを買ってあげたらしい。
「お客さんが言ってたんだ。やっぱり贈り物作戦は効果大なんだって。」
お客さんというのは、克彦が車を売ったお客さんのことだ。営業に向いている彼は、話をするのも聞くのも得意だった。
贈り物作戦の話を嬉しそうにする克彦を、理沙子は、まるで、好きな女の子を振り向かせよう努力している時の男の子のようだ、と思い、思わず微笑んでしまった。とってもピュアに見えた。
今では美和ちゃんも、克彦を『お父さん』と呼んでくれるようになっていた。ずいぶんなついてくれるようになった。克彦は、元の奥さんに感謝をしていた。
美和ちゃんも、小さな胸を幾度となく痛めては、両親の離婚という現実を受け止め、自分なりに乗り越えてきたのだろう。
一番大きな転機は、小学校の卒業式に両親そろって参加し、感動を共感したことだった。(良くここまで育ってくれた。お母さんとお父さんは、それぞれ事情があり一緒に生活することができず、人生をともにすることができないが、美和、お前は本当によく育ってくれた・・ありがとう)卒業式に参列しながら、克彦はそんなことを、涙しながら思った。
いろんな愛の形があるのだ。ひとつでは決してない。人は、それぞれの運命の中で、必死にもがきながら生きているのだ。形ではない。心こそ大切なのかもしれない。
「8月の大会に出られるかもしれないから、試合を見に来て、ってメールが来ていたんだけど、忙しくて見に行けなかったんだよ。ごめんねってメールしたら、レギュラーになれなかったから来なくて良かった、だってさ。この冬に新人戦があるらしくて、それには出られるらしいから、見に行ってあげようと思って。」
「そうなの。スポーツマンのあなたに似て、背も高いし、きっと今度はレギュラーになれるわ。良かったわね、試合が楽しみね。」
卒業式の後、中学校に入学してから、よくメールが来るようになったらしい。美和ちゃんも大人になったのだろう。ずっといい関係を続けているようだ。一緒に住むことだけが、より良い親子関係を築くことではないのだと、克彦親子を見ながら理沙子は思うのだった。
理沙子はふと思う。美和ちゃんが仲に入って、夫婦関係をもう一度やり直せないのだろうか。でもそれこそ、理沙子が心配することではなかった。なぜなら、彼らの夫婦関係には、理沙子はまるで関係がないのだ。
克彦は肝心のことは何一つ語ることはなかった。つまり、理沙子が原因で、夫婦関係に何か問題が起こったわけでは全然なかったのだ。
理沙子と克彦が出会ったのは、克彦が離婚をしてからもうすでに5年も経ってからのことだった。彼の現実の生活の中には、理沙子という人間は組み込まれているわけではない。理沙子にとっても、それは同じことだった。彼女の私生活の何も、克彦は知らない。子供のことに関して以外、ほとんど話したことがない。
昼時なのでとても混んでいたらしく、注文したランチが忘れた頃に運ばれてきた。「大変遅くなって申し訳ございません。」と店員さんが丁寧に謝りながら運んできた。二人は、料理が運ばれてくるのも忘れて、夢中で話していたことに気がついて、お互いに顔を見合わせて、ふっと笑った。
目の前には、色とりどりの海鮮丼のランチ定食が並んでいた。ランチにしては、とても豪華だった。デザートには、杏仁豆腐がついていたし、茶碗蒸しまでついているので、広いテーブルが、結構いっぱいになった。
食事をしながら、二人はいろんなことを語り合った。
何も無理をしない関係。お互いがそれぞれの前で、ごく自然に自分らしくいられる関係。これが二人の関係だった。二人だけの、それは、愛情ともいえるし、友情ともいえるような、とてもやさしい関係だった。恋人というよりも、兄妹のような、そんな気がするときもあった。
「そういえば、8月に母が亡くなったんだよ。」
「え?そうだったの?」
「ああ。父が一人になってしまったから、結構大変でさ。」
「そう、それは大変だったわね・・・」
生きていると、必ず『悲しみ』を経験する。誰もが経験する。そんな時、生きるということは、どれほど辛いものかと思う。
心の痛みを分け合う。それは、絶対必要なこと。理沙子は、克彦が突然メールをくれたわけが、その時やっとわかった。