竜人の副団長様が毎朝机に宝物を置いていくので遺失物として処理していたら、それが求愛だったそうです
本作には、少しお堅い言葉がいくつか出てきます。読む前にさらっと目を通していただけると、ヒロインの真面目さがより楽しめるかと思います。
・遺失物……いわゆる「落とし物」のことです。
・拾得物……誰かが拾って届け出た物。
・拾得者……落とし物を拾って届け出た人。
・遺失物台帳……届けられた落とし物を記録する帳簿。いつ、どこで、何を、誰が拾ったかを書き込みます。
・保管期間……落とし物を預かっておく期間。作中の騎士団では三か月で、それまでに持ち主が現れなければ、規定により拾得者のものになります。
それでは、規則を愛する事務官と、竜の作法で求愛し続ける副団長のすれ違いを、お楽しみください。
遺失物台帳の一行目は、いつだって美しくあるべきだ。
拾得日、拾得場所、拾得物の名称、特徴、拾得者。
五つの欄を埋め終えたとき、その物はようやく「この世に存在する落とし物」になる。記録に残らないものは、存在しないのと同じだから。
私、ティルダ・ベックマンは、王立第二騎士団の事務官である。
そしてその朝、私の事務机の真ん中には、見覚えのない金貨が一枚、きちんと置かれていた。
(……落とし物ね)
古い金貨だった。縁はすり減っていて、刻まれている横顔は知らない王様のものだ。この国の通貨ではないらしい。
私は迷わず台帳を開いた。
拾得場所、第二事務室・ベックマン机上。拾得物、金貨一枚(外国のものと思われる)。拾得者、ティルダ・ベックマン。
最後に受付印を押して、金貨を小袋に収める。遺失物倉庫の棚に置いて、戻ってきて、私はやっと椅子に座った。
その間ずっと、背中に視線を感じていた。
振り向くと、事務室の入口の柱の陰に、背の高い人影がある。
銀灰色の髪。金色の瞳。騎士服の背中に畳まれた、灰色の翼。
第二騎士団副団長、ラグナル・ゼーフェルト様。竜人族で、戦場では「灰燼の副団長」と呼ばれている方だ。
「おはようございます、副団長」
「……ああ」
副団長はそれだけ言うと、私の机と、空っぽになった机の上を見比べた。
そして、なぜか満足そうに一度うなずいて去っていった。
(さすが副団長。落とし物の扱いを確認していらしたのね)
騎士団の中で物がなくなれば、盗難を疑うのは当然だ。きっと、事務官がきちんと処理するかどうかを見ていたのだろう。
私は背筋を伸ばした。期待されているなら、応えなくてはならない。
翌朝、机の上には紅玉の指輪があった。
その翌朝は、柄に竜の彫刻がある銀の短剣。
さらに翌朝は、鳥の卵ほどもある真珠が三粒、きれいに三角形に並べてあった。
「ティルダ、あんたの机、毎朝何か落ちてない?」
隣の席の先輩事務官、マルタさんが身を乗り出してきた。
「はい。第二事務室は、落とし物の多い部屋のようです」
「……落とし物ねえ」
マルタさんは、入口の柱の陰をちらりと見て、意味ありげに笑った。
柱の陰には、今朝も副団長が立っていた。
「副団長も、毎朝ご確認にいらっしゃるんです。熱心な方ですよね」
「熱心、ねえ」
マルタさんは肩を震わせながら自分の席に戻っていった。何がおかしいのか、私にはよく分からなかった。
異変は、それだけでは終わらなかった。
ある朝、机の周りにふかふかの毛布が敷かれていた。次の日には、竜の国の織物らしい、刺繍入りのクッションが四つ。椅子の背には、なぜか上等な毛皮の膝掛け。
私の机は、日に日に柔らかくなっていった。
(これは……備品ではないわね)
私は毛布を畳み、クッションを抱え、膝掛けを丸めて、全部まとめて遺失物倉庫へ運んだ。
翌朝、毛布は二枚になって戻ってきた。
クッションは八つになっていた。
「ベックマン嬢、この書類なんだが……」
ある日、若い騎士が私の机に書類を置こうと手を伸ばした。
その瞬間、どこからか、地の底から響くような低い唸り声が聞こえた。
騎士は顔を真っ青にして、書類を床に落としかけた。
「い、いや、やっぱり手渡しで!」
彼は書類を私の手に押し付け、逃げるように出ていった。
(何の音かしら。建物が古いせいね)
私は営繕課への修繕依頼書を一枚書いた。
王冠が置かれていたのは、それから十日後のことだ。
黄金の台座に、大粒の青玉が七つ。どう見ても、どこかの国宝だった。
私は少しだけ手を震わせながら台帳に記入し、騎士団の掲示板に遺失物の公示を貼り出した。
『王冠ひとつ。青玉七つ付き。お心当たりの方は第二事務室まで』
その日の午後、王都は大騒ぎになった。王宮の宝物庫が三回も点検され、近衛騎士団が事情を聞きに来た。国宝は一つもなくなっていなかった。
騒ぎを聞いた騎士団長のボリス・ハインケル様は、執務室で机に突っ伏して笑っていた。
「団長、笑い事ではありません。遺失物倉庫が満杯です。第二倉庫の使用許可をいただけますか」
「くっ……ははっ、許可する、許可するとも。何なら第三倉庫も使っていいぞ」
団長は涙を拭きながら、許可印を押してくださった。
どうしてそんなに楽しそうなのか、聞いてもはぐらかされてしまった。
第二倉庫の棚も半分ほど埋まった頃、私は倉庫で目録を作っていた。
金貨、指輪、短剣、真珠、王冠、古地図、銀の燭台、毛布十四枚、クッション三十二個。
一つずつ番号札をつけて、埃をはらって、棚に並べていく。どれも持ち主が大事にしていたものだろうから、粗末には扱えない。
「……よく、整えてある」
すぐ後ろで低い声がして、私は飛び上がりかけた。
いつの間にか、副団長が倉庫の入口に立っていた。金色の瞳が、棚の宝物を一つずつ、愛おしそうに眺めている。
「恐れ入ります。どれも大切なものでしょうから」
「……大切に、してくれるのか」
「もちろんです。保管期間は三か月ですので、それまでに持ち主が名乗り出れば、きちんとお返しできます」
副団長は、目を見開いた。
それから、ゆっくりと、深く、うなずいた。
「三か月。……分かった。待とう」
翼がほんの少しだけ広がって、ふるりと揺れた。
何を待つのかは、聞きそびれてしまった。
俺は、生まれて初めて、巣を見つけた。
竜人にとって、番を得る手順は単純だ。
これと決めた相手の巣に、己の宝を運ぶ。相手がそれを受け取り、自らの巣に収めれば、それが応えの証になる。宝を突き返されれば、拒まれたということだ。
半年前、出撃報告の書類を出しに行った日のことを、今でもはっきり覚えている。
第二事務室の扉を開けた瞬間、胸の奥で、眠っていた炎が跳ね起きた。
窓際の机で、一人の事務官が書類に向かっていた。栗色の髪をきっちりとまとめて、背筋をまっすぐに伸ばして、ペン先だけを静かに動かしている。
ただ、それだけの姿だった。
それなのに、目が離せなかった。血の奥で、竜の本能が告げていた。
(――番だ)
一目で分かった。理屈ではない。竜人は、生涯ただ一人の番を見誤らない。百年探しても見つからない者もいると聞くその相手が、インク壺と書類の山に囲まれて、そこにいた。
血と泥で汚れた報告書を、彼女は嫌な顔一つせずに受け取った。それどころか、誤字を三か所直して、最後にこう言った。
「副団長が書いてくださった記録のおかげで、亡くなった騎士の方のご遺族に、最期の様子をお伝えできます。ありがとうございました」
戦場で灰しか残さない俺の手から、彼女は「残るもの」を受け取ってくれた。
本能が見つけた番を、その一言で、俺自身が選んだ。
だから、宝を運んだ。竜の国から持ってきた、俺の持てる限りの宝を。
彼女は一つ残らず受け取ってくれた。それだけではない。もっと広い巣を用意して、番号をつけて、埃をはらって、丁寧に並べてくれている。
俺の宝と、彼女の手で整えられた巣。二人分の宝の山。
しかも三か月後には、正式に、と彼女は言った。
(……竜の作法を、知っていてくれたのか)
人間の国では、こういうことは慎み深く進めるものなのだろう。だから彼女は直接は何も言わず、記録という形で応えてくれているのだ。
胸の奥で、あの日跳ね起きた炎が、ゆるやかに燃えた。
明日は、何を運ぼうか。
保管期間の満了を十日後に控えた日の午後、その人は遺失物の受付にやって来た。
「その金の杯は、俺が落としたものだ。返してもらおう」
コンラート・ベルガー様。伯爵家の三男で、第二騎士団の騎士だ。訓練をさぼりがちで、酒場のツケを騎士団宛てに回したことがあるのを、私は経理の書類で知っている。
「承知しました。では、確認させてください」
私は台帳を開いた。
「紛失されたのは、いつ頃ですか」
「先月だ。先月の、半ばあたり」
「こちらの杯は、二か月前の朝、拾得されています」
「……あ、ああ、二か月前だったかもしれん」
「紛失された場所は」
「訓練場だ」
「こちらは第二事務室の、私の机の上で拾得されました」
「だから、訓練場からそこまで、誰かが運んだんだろう」
「杯の底の刻印を教えていただけますか」
コンラート様は黙り込んだ。
杯の底には、竜の国の古い文字が刻まれている。私には読めないが、写しは台帳に取ってある。
「……そんな細かいことまで、いちいち覚えていられるか!」
「持ち主の方なら、何かしら覚えていらっしゃるはずです。それに、ベルガー様。三日前には『銀の燭台を落とした』と経理に申告されて、それも記録と合いませんでした。同じ方からの申告が二件続けて記録と合わない場合、規定により監査に回すことになっています」
私が淡々と告げると、コンラート様の顔がみるみる赤くなった。
「たかが事務官が、偉そうに……!」
彼は受付台を乗り越えて、倉庫の扉を乱暴に開けた。棚の王冠に手を伸ばす。
「おやめください! それは遺失物です!」
私が叫んだのと、倉庫の空気が変わったのは、ほとんど同時だった。
背中が、熱い。
振り返ると、廊下の奥から、ゆっくりと副団長が歩いてくるところだった。
金色の瞳孔が、縦に細く裂けている。灰色の翼が、廊下いっぱいに広がっている。足元の石畳に、うっすらと焦げ跡が残っていく。
「――誰の巣に、手を出した」
声は静かだった。
けれど倉庫中の棚が震えて、真珠がころころと転がった。
コンラート様は王冠を取り落とし、その場で腰を抜かした。
「ひっ……ふ、副団長、これは、その、俺の落とし物で……」
「そこにあるのは、全部俺が運んだものだ」
「……え?」
「一つ残らず、俺の宝だ。お前の物は、一つもない」
副団長が一歩近づくたびに、コンラート様は床をずるずると後ずさった。
騒ぎを聞きつけた団長が駆けつけて、私の台帳と、コンラート様のこれまでの申告書を見比べた。結果はすぐに出た。
遺失物の詐取未遂、ならびに虚偽申告の常習。コンラート・ベルガー様は、その日のうちに騎士団を除隊処分となった。
ベルガー伯爵家からは、後日、丁重な詫び状と、酒場のツケの全額が届いたそうだ。
騒ぎが収まった倉庫で、私は床に散らばった真珠を拾い集めていた。
副団長は、いつもの無表情に戻って、王冠を棚の元の位置へ戻している。
「あの、副団長。先ほど、これは全部ご自分が運んだものだとおっしゃいましたよね」
「ああ」
「それなら、どうして今まで名乗り出てくださらなかったんですか。持ち主が分かっていれば、こんなに倉庫を圧迫しなくて済んだのですが」
副団長は、心底不思議そうに首を傾げた。
その後ろで、団長がとうとう堪えきれずに吹き出した。
「ベックマン、お前……本当に気づいてなかったのか」
「何にでしょうか」
「竜人が相手の巣に宝を運ぶのはな、求愛だ」
手のひらから、真珠がころりと落ちた。
「……きゅうあい」
「で、運ばれた宝を受け取って、自分の巣にしまうのは『はい』の返事だ。お前、台帳に何件記入した?」
私は震える手で台帳をめくった。
拾得物、三十七件。
受付印、三十七個。
全部、私の字で。全部、私の印で。
「お前な、副団長に三十七回『はい』と言ったことになってるぞ」
顔から火が出た。
比喩ではなく、本当に燃えているのではないかと思うくらい、頬が熱かった。
(だって、記録に残っている)
逃げ道を探そうとして、私はすぐに気づいてしまった。どの一行にも、私の名前がある。どの一行も、私が自分で、丁寧に、心を込めて書いたものだ。
記録に残らないものは存在しない。
ならば、記録に残ってしまったものは。
団長は「あとは若い二人でな」と笑いながら倉庫を出ていった。扉が閉まる。
倉庫の中には、三十七件の財宝と、私と、副団長だけが残された。
「……迷惑、だったか」
副団長が、ぽつりと言った。
見上げると、あれほど広がっていた翼が、しょんぼりと背中に畳まれている。
「人間の作法を、知らなかった。あなたが受け取ってくれるのが嬉しくて……応えてくれているのだと、思い込んでいた」
「迷惑では、ありません」
私は、台帳をぎゅっと胸に抱えた。
「ただ、私は事務官です。持ち主が分かった以上、遺失物は持ち主にお返ししなければなりません」
深呼吸を一つして、私は台帳を副団長に差し出した。
「全部お返しします。持ち主は、副団長ですから」
副団長は、台帳を受け取らなかった。
代わりに、自分の首元に手をやった。喉の少し下、騎士服の襟の奥。そこにある一枚の鱗を、彼は迷いなく引き剥がした。
「副団長!?」
一瞬だけ顔をしかめて、彼はその鱗を私の手のひらに乗せた。
銀灰色の、三日月の形をした鱗。ほんのりと温かい。
「逆鱗だ。竜人が、生涯で一人にしか渡さないものだ」
「そ、そんな大事なものを」
「これで三十八件目だ。記録してくれ」
金色の瞳が、まっすぐに私を見下ろした。
「それから、一つ訂正がある。……遺失物の持ち主は、あなたです」
「……え?」
「半年前、あなたが俺の報告書を受け取った日。俺はあの事務室で、落としたものがある」
大きな手が、逆鱗を握る私の手を、そっと包んだ。
「心を、落とした。拾ったのはあなただ。三か月経っても持ち主は名乗り出ない。……規定どおりなら、拾った者のものになるのだろう?」
私は口を開いて、閉じて、また開いた。
規定どおりだった。何一つ、反論できなかった。
その日の夕方、第二事務室で、私は遺失物台帳の新しい頁を開いた。
拾得日、本日。
拾得場所、第二事務室・ベックマン机上。
拾得物、逆鱗一枚。ならびに、心一つ。
特徴、銀灰色。温かい。たいへん重い。
拾得者、ティルダ・ベックマン。
保管期限の欄で、ペンが止まった。
机の向こうから、副団長がじっとこちらを見ている。柱の陰ではなく、今日からは堂々と、私の目の前に立っている。
机の上には、新しい毛布が一枚、きちんと畳んで置かれていた。
私はそれを倉庫に運ぶのをやめて、膝に掛けた。
副団長の翼が、ふるりと揺れる。
「……ここは、巣ではありませんからね」
「ああ。分かっている」
絶対に分かっていない顔で、副団長は微笑んだ。
私は小さく息をついて、保管期限の欄に、丁寧に書き込んだ。
――期限なし。
受付印を押す。
三十八個目の「はい」は、これまでで一番、まっすぐに押せた。
(完)
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