婚約破棄された公爵令嬢は、王子に決闘を挑む
「ヴィオラ、お前との婚約を破棄する。俺はこのマリアと結婚する!!」
「……」
国中の貴族が集まる晩餐会で、アーサーは堂々と宣言した。
突然の婚約破棄に、会場の空気が凍りついた。
ヴィオラは目の前の王子を見つめながら、冷ややかに思った。
――この王子は、何を言っているんだ。
貴族たちは、ヴィオラがどんな反応をするのかと、固唾をのんで見守った。
「アーサー様、本気で言ってますか」
アーサーは自信に満ちた顔で答えた。
「ああ、本気だ。そうでなければ、こんな場所で言わないだろう」
隣に立つマリアも、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
ヴィオラは小さく息を吐いた。
なんと哀れな男だ。自分がどれほど浅はかなことをしているか、まるで理解していない。
ならば、私が教えてやるしかない。
「そうですね。……では、私も言わせていただきます」
ヴィオラは近くに控えていた執事へ、静かに視線を向けた。
「手袋を」
「かしこまりました、お嬢様」
執事が差し出した手袋を、ヴィオラは受け取った。
そして、ためらうことなくアーサーの顔面へ投げつけた。
「な、何をするんだ!」
手袋が床に落ちた。その音が、静まり返った会場に妙にはっきりと響いた。
「よくも皆様の前で、私を侮辱しましたわね」
ヴィオラは背筋を伸ばし、アーサーをまっすぐ見据えた。
「決闘を申し込みます」
「なんだと……」
予想外の展開に、会場が一斉にざわついた。
「おいおい、公爵令嬢が王家の人間に喧嘩を売ったぞ」
「聞いたことねぇな。アーサー様、引き受けるのか?」
「ここで受けなかったら、王家の面目が立たない。でも、令嬢の決闘を受けても、どの道アーサー様には分が悪い……」
「フフッ、見ものだな」
王族に決闘を申し込むなど、前代未聞である。
だが、ヴィオラの申し出を笑う者はいなかった。
彼女が本気で怒っていることだけは、誰の目にも明らかだったからだ。
そんな中、マリアはアーサーの腕を掴み、甘えるように声を出した。
「……アーサー様、私、ああいう女嫌いですわ。一思いに懲らしめてください」
マリアはヴィオラを見ながら、わざとらしく眉を寄せた。
アーサーはその言葉に応じるように、彼女へ熱い視線を送った。
「……マリア、君の願い僕が叶えてやるよ」
ヴィオラは鼻で笑った。
婚約者の前で、別の女に言われるまま決闘を受けようとしている。どこまで愚かな男だ。
「女の助言がなければ、決闘も受けられない。王族とは、ダサいですね!!!」
「ヴィオラ!!」
アーサーは怒りで顔を歪めた。
ヴィオラはさらに一歩、彼へ近づいた。
「ほら、ムカついたなら手袋を取りなさい」
「覚悟しろよ!」
アーサーは床に落ちた手袋を拾い上げた。
決闘を受ける意思を示したことで、周囲からは小さなどよめきが起こった。
ヴィオラはそんなアーサーを見て、不敵な笑みを浮かべた。
「それでは、一週間後に王都の決闘場でやりましょうね」
まるで、これから楽しい催しでも始めるかのような口調だった。
「皆様に、素敵な決闘を披露しましょう。逃げないでくださいね」
ヴィオラは会場を見渡した。貴族たちの視線が、自分たちに集まっていた。
アーサーが怒鳴り声を上げた。
「逃げるわけないだろう!!!」
ヴィオラは満足そうに微笑んだ。
「では、ご機嫌よ」
ヴィオラは優雅に一礼すると、アーサーとマリア、そしてざわめく貴族たちを残して、会場を後にした。
馬車で屋敷に帰ると、ヴィオラは向かいに座る執事に声をかけた。
「爺、手袋を一つ駄目にしてしまって悪かったわね」
「いえ。あのような態度を取った無礼な王子には、私めが手袋を投げつけ、決闘を申し込んでやろうと思っておりました」
その口調に隠しきれない怒りが滲んでいた。
爺は長年ヴィオラの家に仕える執事である。
かつて東国で名を馳せた騎士だけあり、ヴィオラへの忠誠心は並々ならぬものがある。
「ふふっ、私と考えが一緒ね」
「それで、お嬢様。代闘士はどなたになさいますか。よろしければ、国最強の男をご紹介しましょうか」
「勝ちたいけど……」
ヴィオラは窓の外へ目を向けた。
先ほどの晩餐会で、皆の前に晒された屈辱が脳裏に蘇る。
これはアーサーとの個人的な問題だけではない。公爵家の名誉にもかかわる。
「私自身のためにも、私の手でどうにかします」
「左様でございますか」
爺はそれ以上、代闘士を勧めなかった。
「心配しないで。木刀での決闘ですもの。何かあれば、周りが止めてくれるでしょう」
「では、お嬢様は勝利をお望みですね」
「ええ、当然よ。今から剣術をしましょう」
「いえ、剣術は……私が見る限り、成長の見込みはーー」
「……」
ヴィオラは無言で爺を睨みつけた。
それでも、爺は顔色一つ変えなかった。
「そんな顔をなさらないでください。別の方法で勝利を目指しましょう」
「王子の料理に下剤を混ぜるの?」
爺は即座に否定した。
「いえ、そのような手段ではありません。
喉を鍛えますよ」
「喉?」
こうして、爺による謎の喉の特訓が始まった。
その声は屋敷内に響き渡り、怪奇現象としてメイドたちの噂になった。
☆ ☆
決闘当日
ヴィオラは王都にある決闘場へ向かった。
控え室で決闘用の甲冑を身につけ、身だしなみを整える。鏡に映った自分の姿を確認すると、ヴィオラは静かに息を吐いた。
控え室には、覚悟を決めたヴィオラに最後の助言をする爺がいた。
「お嬢様、決闘が始まったら、すぐに間合いを取ってください。それから、アレを始めてください」
「ええ。貴方と散々練習しましたからね。本番で焦るような真似はいたしませんわ」
「それさえできれば、会場はお嬢様のものです。成功を祈っております」
「絶対に勝利します。そして、皆の前で婚約破棄を宣言したことを、後悔させてやりますわ」
ヴィオラは拳を握りしめた。
婚約を破棄されたこと自体は、もう気にしていない。
だが、あのような形で自分を侮辱したことだけは、決して許すつもりはなかった。
爺はふと尋ねた。
「アーサー様に未練はありますか」
「あんなことした方を、やっぱり好きなんて、私、言わないわよ」
「つまらないことをお聞きしてしまい、申し訳ありません」
「いえ、貴方が気になるのも分かるもの」
ヴィオラは少しだけ表情を和らげた。
爺が心配しているのは、決闘の勝敗だけではなかった。
長年仕えてきた彼には、ヴィオラが本当にこの決闘を望んでいるのか、確かめておきたかった。
控え室の外から、係員の声が聞こえた。
「ヴィオラ様、お時間になりました」
「行ってくるわね、爺。私の勇姿見ていてね」
「はい、お嬢様」
ヴィオラの表情に、迷いはなかった。
決闘場へ入ると、観客席には貴族たちが集まっていた。
王子と公爵令嬢の決闘。しかも、婚約破棄を宣言した王子と、その相手である公爵令嬢の決闘である。
気にならない貴族はいなかった。
観客たちは、どちらが勝つのか、そして、この騒動がどのような結末を迎えるのかを楽しみにしていた。
ヴィオラは観客席を見渡して、口元に笑みを浮かべていた。
勝っても負けても、ヴィオラにとっては悪くない状態だった。
ここで勝てば、自分の実力を皆に示せる。たとえ敗れたとしても、少なくともアーサーに決闘を挑んだという事実は残る。
もっとも、ヴィオラは負けるつもりなど毛頭なかった。
決闘は殺し合いではない。真剣は使わず、木刀を使用する。相手が戦闘不能になるか、降参すれば勝負は決まる。
アーサーは最低限の武具を身につけていた。ヴィオラを舐めているというほど軽装ではなかった。
王族としての体面もあり、女相手に甲冑姿で現れたのは恥ずかしいと考えたのだろう。
ヴィオラはアーサーの姿を見て、心の中で呟いた。
「(見栄を張るところだけは、昔から変わりませんわね)」
審判の声が響いた。
「それでは、開始してください」
開始の合図が出ると、ヴィオラはすぐにアーサーから離れ、間合いを取った。
アーサーは青眼に構えたまま、動こうとしなかった。
どこから打ち込んでも対応できる、安定の構えである。
ヴィオラは木刀を握り直した。
相手に隙がないのなら、私が隙を作ってやろう。そう考え、ヴィオラは静かに息を吸い込んだ。
そして目を閉じ、木刀をゆっくり上段に構えた。
アーサーは眉をひそめた。
「(ヴィオラは何を企んでいるんだ)」
ヴィオラの動きに、わずかな変化が生まれた。
次の瞬間、彼女は一気に間合いを詰めた。
「キェェェェェェェ!!!!」
凄まじい叫び声とともに、木刀を振り下ろした。
「なっ!?」
アーサーは声量に驚きながらも、反射的に木刀を掲げて受け止めた。
しかし、衝撃までは受け流しきれなかった。
ヴィオラの木刀を受けたアーサーの腕が、大きく震える。
「ぐっ……!」
奇声とともに繰り出された一撃は、想像以上に重かった。
ヴィオラの叫び声は会場中に響き渡り、観客たちを圧倒させた。
「今の声、ヴィオラ様の声なのか」
「可憐なお姿とは違う、奇妙な声を上げているわ」
「面白い。力ではなく、声でも勝負を仕掛けたのか。荒業だが、理にかなっているな」
観客たちは驚きながらも、次第に決闘へ引き込まれていった。
アーサーはヴィオラから距離を取り、木刀を構え直した。
「おい、なんだ、その奇声は!」
ヴィオラは堂々と言い返した。
「決闘のルールに、静かに打ち合わなければならないという規定はございません。正当な戦術ですわ」
「くそ……!」
アーサーは苛立たしげに歯を食いしばった。
だが、ヴィオラは彼に考える時間を与えなかった。
「ほら、行きますわよ」
「なっーー」
ヴィオラが再び踏み込む。
その動きは、先ほどよりも速かった。
「(間合いを詰めるのが早い!!)」
アーサーは慌てて木刀を構えた。
「チェストおおおおお!!!」
ヴィオラの叫び声が轟く。
アーサーは振り下ろされた木刀を必死に受け止めたが、今度は耐えきれなかった。
乾いた音が響く。
アーサーの木刀が、真っ二つに折れた。
「……」
会場が静まり返った。
誰もが、目の前の光景に言葉を失った。
ヴィオラは折れた木刀を見つめ、アーサーへ視線を向けた。
「……勝負あり、ですわね?」
アーサーは折れた木刀を手にしたまま、しばらく動かなかった。
まさか木刀を叩き折られるとは思っていなかったのだろう。やがて、彼は手元の木刀とヴィオラを交互に見つめた。
「……ああ」
短く答えたものの、その声にはわずかな戸惑いが混じっていた。
周囲の貴族たちも、ようやく我に返ったようにざわめき始める。
「すげぇ、ヴィオラ様が勝ったわよ」
「木刀を折った女性初めて見たわ」
「王子、このあとどうすんだ?」
観客席にいたマリアがアーサーのもとへ駆け寄った。
「アーサー様、大丈夫ですか!」
「ああ、大事ない。木刀が折れただけだ」
ヴィオラは、すっかり満足した様子で木刀を下ろす。
先ほどまでの激しい攻防が嘘のように、その表情は落ち着いていた。
「私、貴方に一つだけ感謝してるところがあるのよ。ファーストキスを奪わなかったことよ」
「そんなものになんの価値があるんだ?」
「やはり貴方とは価値観が合いませんわね。マリア、アーサー様はこういう男です。結婚は勢いではなく慎重にしなさいよ」
「……貴女にそんなこと言われても」
マリアは困ったように答えた。
ヴィオラはそんな彼女の反応を気にすることなく、アーサーへ最後の視線を向ける。
「さようなら、アーサー。お元気で」
そう言い残し、ヴィオラはその場を立ち去った。
アーサーに対する未練は、もう残っていなかった。
ただ、晩餐会で侮辱されたことへの鬱憤を、盛大にはらせた。その満足感を胸に、ヴィオラは凛々しくも美しい後ろ姿を見せて歩いていく。
その姿に、観客の貴族たちは次々と、拍手を送った。
☆ ☆
決闘を終えた馬車の中で、爺はヴィオラへ尋ねた。
「お嬢様には幼少期から剣の手ほどきをしてまいりましたが、木刀を折るような技術など、教えた覚えはありません」
「東国の文献に書いてあったの。力や腕だけで刀を振るものではない。膝も使って振り下ろせば、とてつもない破壊力が出るとね。だから、あの場で実行したのよ」
「そうでしたか……」
「ありがとうね、爺。何もかも貴方のおかげよ」
「いえ、あれはお嬢様の実力ですよ。
このあとのご予定はどうしますか。少し休養されますか」
「いえ、晩餐会に行くわ。さっさといい男を見つけないとね」
「そうですね、男は星ほどいますからね。きっとお嬢様にお似合いの方が見つかりますよ」
「ふふ、楽しみね」
ヴィオラは、この先出会う素敵な殿方への期待を膨らませながら、屋敷へ戻った。




