第6話 ー 夜空に還る者達 ー
森を抜ける風は、冷たく湿っていた。
血と焦げた木の匂いが混じり、鼻を刺す。
鳥の声はない。獣の気配もない。
ただ、重たい沈黙だけが道を支配していた。
ヨルは足を止め、地面に刻まれた巨大な足跡を見下ろした。
深く抉られた大地。砕けた岩。焼け焦げた幹。
誰が見ても分かる――ただならぬ力が通過した痕跡。
「……おかしい」
ヨルは小さく呟く。
ラジエルは弓を肩に預け、周囲を警戒しながら歩いていた。
軽やかな足取りだが、その目だけは鋭い。
ヨルの背後には、アザゼルが静かに随行している。
影に潜むことはなく、ただ静かに佇み、地面を観察していた。
彼の視線は戦場の“痕跡”を丹念に追っている。
深く抉られた足跡。
無数の剣戟の跡。
焼け焦げた大地。
――そして。
アザゼルは低く告げた。
「ヨル様……この戦場には違和感があります」
ヨルは目を細める。
「……目的はヘカトとの星戦ではない?」
アザゼルは静かに頷いた。
「まず、横たわる兵士の数が少なすぎます。
戦星士同士の戦いにしては、王国軍の損耗が不自然です」
ラジエルが眉をひそめた。
「王国が、貴重な戦星士を捨て駒みたいに使うと思う?」
ヨルはゆっくりと首を横に振った。
「思えない。だからこそ――おかしい」
彼は静かに整理するように語り始めた。
⸻
一つ。
ヘカトの目的がこの村なら、まず真っ先に滅ぼしていたはずだ。
だが、村は“最初から”標的ではなかった。
二つ。
王国軍は介入したが、ヘカトに対抗するにはあまりに規模が小さい。
これは“勝つための戦力”ではない。
三つ。
村に残された破壊痕は、魔物や単体の戦士の襲撃とは思えない。
統制された軍の動きに近い。
四つ。
もし王国が本気で村を守るつもりなら――
ヨルたちが村を訪れた時点で、兵士が守護に当たっているはずだった。
⸻
ヨルは静かに結論を口にする。
「……おそらく王国側には、別の目的があった。
ヘカトとの戦いは“建前”だった可能性が高い」
ラジエルは唇を噛んだ。
「つまり……ヘカトは口実?」
ヨルは静かに頷く。
その時――
森を抜けた先に、異様な光景が広がった。
瓦礫。
炎。
黒煙。
家屋は崩れ、梁は折れ、焼け落ちた壁が風に軋んでいる。
そして――地面には、無数の人影。
ラジエルは息を呑んだ。
「……嘘……でしょ……」
トゥーラは一歩、二歩と進み――その場で崩れ落ちた。
「おばあ……ちゃん……?」
白髪の老エルフは、崩れた家屋の前に横たわっていた。
身体は煤にまみれ、顔は苦痛に歪んでいる。
トゥーラは祖母に縋りついた。
「やだ……やだよ……起きて……お願い……!!」
返事はない。
トゥーラはその場で激しく嘔吐した。
涙と嗚咽が混ざり、声にならない叫びが森に響く。
ラジエルは震える拳を握りしめ、歯を食いしばった。
「……こんな……こんなの……!!」
アザゼルは静かに祖母の遺体を抱き上げた。
その動きは慎重で、まるで壊れ物を扱うかのようだった。
彼は天を仰ぐ。
「……許されぬ」
そして――ヨルは、動かなかった。
泣きもしない。
叫びもしない。
だが、その瞳の奥で、冷たい炎が燃えていた。
彼は瓦礫の中を歩く。
倒れた老人。
焼けた子ども。
崩れた家屋の陰に横たわる獣人の母子。
これは戦場の巻き添えではない。
明確な――掃討だった。
ヨルは低く呟く。
「……命を、なんだと思っている」
ラジエルが震える声で言う。
「ヘカトが……やったの……?」
アザゼルは静かに首を横に振った。
「巨人族の戦い方ではありません。
これは――統制された軍の所業です」
彼は地面を指さした。
焼けた土の上に、規則正しい足跡。
戦闘の痕跡ではなく、“巡回したような足取り”。
さらに、破壊された家屋の向きは偏っている。
無差別ではない。選別されている。
ヨルは静かに言った。
「王国軍だろう」
ラジエルは振り返る。
「証拠は?」
ヨルは首を横に振る。
「ない。だが――状況が示している」
アザゼルは静かに告げた。
「ヨル様。断定はできません。
しかし――この惨劇の答えは王都にあります」
ヨルは目を閉じ、そして決意を固めた。
「……行くぞ」
ラジエルが顔を上げる。
「どこへ?」
ヨルは遠くを見据えた。
「王都アストレアへ」
トゥーラは祖母の遺体に縋りついたまま、震えていた。
ヨルは静かに彼女の前に膝をつく。
「……トゥーラ」
彼女は涙でぐしゃぐしゃの顔を上げる。
「僕は王国へ行く。
この罪を、見逃さないために」
トゥーラは小さく、しかし強く頷いた。
「……私も……行く……」
ラジエルがそっとトゥーラの肩に手を置く。
「一緒に行こう、トゥーラちゃん」
アザゼルは静かに頭を垂れた。
「ヨル様。
このアザゼル――トゥーラ殿の身、
我が命に変えましても御守りいたします」
王都に向かう前にヨルはやり残した事を消化する。
炎は、すでに消え、夜空には無数の星が輝いている。
焼け焦げた家屋は黒い骨組みだけを残し、焦土と化した村に冷たい風が吹き抜けている。煤の匂いが鼻を刺し、足元には瓦礫と灰が積もっていた。
その中心に――トゥーラの祖母は横たわっていた。
穏やかな顔ではない。
だが、苦しみももうない。
アザゼルは無言でその遺体を抱きかかえ、静かに地面へと横たえた。
ラジエルは拳を握りしめ、唇を噛んだまま涙を落とす。声は出さなかったが、その肩は小さく震えている。
トゥーラは、動かなかった。
ただ、祖母のそばに膝をつき、何度も何度もその手に触れた。
「……おばあちゃん……」
かすれた声。
その瞳から、静かに涙がこぼれ落ちた。
ヨルは一歩離れた場所に立ち、目を閉じていた。
怒りでも、憎しみでもない――深く、静かな悲しみが胸に満ちている。
やがて、彼は静かに口を開く。
「……トゥーラちゃん」
呼ばれた少女は、ゆっくりと顔を上げた。
「これから、僕がすることは……復讐じゃない」
「それでも――君の願いに応えるために必要なことだ」
トゥーラは小さく頷いた。
涙で濡れた頬のまま、しかしその目には確かな意思が宿っている。
ヨルは空を仰いだ。
「――天秤座」
その声に呼応するように、夜空が淡く輝いた。
焦土の上に、静かな光が降り注ぐ。
焼け落ちた家々。
崩れた石壁。
横たわる村人たちの遺体。
すべてが、やわらかな白い光に包まれていく。
その光の中で――“幻”が生まれた。
笑い声。
温かな灯り。
家族が囲む食卓。
子どもたちが走り回る庭。
まるで、この村がまだ生きていた頃の、優しい日常そのものだった。
トゥーラの祖母は、静かに微笑んでいる。
父と母も、そこにいた。
みな、穏やかな表情で空を見上げている。
ラジエルはそっと胸に手を当て、涙を拭った。
アザゼルは膝をつき、深く頭を垂れる。
やがて、光はゆっくりと天へと昇っていく。
村人たちの魂が、星へ還るかのように。
トゥーラは小さく呟いた。
「……お父さんも、お母さんも、星に還ったんだって……おばあちゃん、言ってた」
「ずっと…見守ってくれてるって…」
震える声。だが、どこか静かな響きがある。
「お父さん……お母さん……おばあちゃん……
みんな……見守っててね……」
涙がこぼれ落ちた。
それでも、彼女は空を見上げ続けた。
光が消えた後――
焦土は変わらずそこにあった。
だが、空気は違っていた。
重苦しい絶望ではなく、静かな祈りが満ちている。
ヨルは深く息を吐き、ゆっくりと歩み寄った。
「……行こう、トゥーラちゃん」
トゥーラは涙を拭い、こくりと頷いた。
ラジエルがそっと肩に手を置く。
アザゼルは静かに背後に立つ。
夜空には、無数の星が輝いていた。
その中に――
この村の人々が還った光が、確かにあった。
そして、ヨルは静かに呟く。
「次は……王都だ」




