第9話 迷子の天狼
ある日の朝。ジョシュアの一言で私はベッドから飛び起きた。
「ねえねえアメリアちゃん。牧場のあっちの森に天狼がいたんだけど。」
「ヴェッ!?」
◇◇◇
私は急いで着替えて、ジョシュアとゾロンを連れてブランディ牧場の北部にある森の中に来ていた。ぱっと見の道は舗装されていない獣道状態だけど、ブランディ牧場の人間が定期的に見回りをしているせいか、地面の一部は土が露出している。
パキパキと軽快に枝が折れる音が聞こえて振り向くと、ジョシュアが”丁度いい枝”を持って満足げにしていた。そうだね、嬉しいよね、良さげな枝って。
ゾロンが地面に突っ伏し、ジョシュアがそこに跨る。楽しそうで何より。
「ジョシュア、他に目撃した人っているの?」
「デイビットかな。ぼくと一緒に猫を探していたんだけど、その時にちらっと銀色の翼が見えたの。」
ジョシュアは大きな羽のジェスチャーをすると、羽ばたくように腕を動かす。
本来、天狼はこんなところにいる聖獣ではない。
聖獣はキルベキア王国の一部の地域にのみ生息している生き物で、キルベキア国内では一部に自然保護地区がある。生息地や現在地が断定できるほど厳重に管理されている聖獣が、”普通は”こんなところにいるはずがないのだった。
「うーん、たまに警備や区画の隙間を縫って抜け出す個体がいるとは聞いたことあるけど、それかなあ…。」
「聖獣、捕まえたとしてこの後どうするの?」
ジョシュアが素朴な疑問を投げかけてきた。
キルベキア王国の場合、聖獣を一般家庭で飼うことは禁止されている。聖獣は軍事用に国で管理されている生き物であり、一般人が手懐けられる相手ではない。
まあ、聖獣の専門職員も、完璧に扱うことはできないんだけどね。だから私という聖獣使いのコントロールが必要だったんだけどね。
それはさておき。万が一、生死を問わず聖獣を見つけた場合は、速やかに管轄の役所に連絡し、相応の対応をしなければならない。
ラルヴァクナには天竜エングブロムしか生息しておらず、天竜エングブロムの生息地は国によって土地ごと管理されている。天竜エングブロムは幼体の時点で体が大きいため、基本的に逃げ出してしまったということが起きないらしい。逃げ出す前に、事前に対応できるのだとか。そのため、天竜エングブロムの脱走事故は過去に一度も起きていないらしい。正式な資料は不明だけど。
(まあでも、聖獣だから結局は同じ扱いなのかな。とりあえず、見つけたら役所に連絡かな。)
役所の電話番号は覚えていないので、パスカルさんかディーナさんに聞くのが早いだろうな、などと考えながら、私は森の道を進んだ。
◇◇◇
「…いるね。」
「…いるよね?」
「…わふ。」
森に入って十数分、ジョシュアが見たという天狼は今私たちの目の前…すぐそこにいた。
「わあ、見た目は翼の生えた小さいゾロンって感じだね。」
「あう…わう。」
「翼の生えた狼、それが天狼だからね。見た目は犬に近いかも。」
目の前にいる天狼は、とても小さい個体だった。おそらくまだ生後間もなくで、乳離れをしているかどうかくらいじゃないだろうか。
木と木の間に隠れて様子を伺う私たちを他所に、ゾロンが天狼の子どもに近づいていく。私とジョシュアはゾロンを制そうと思ったけど、間に合わずゾロンは天狼の元に駆け寄って行ってしまった。
「あっ、ゾロン…。」
ゾロンは天狼の子の目の前に立ち、見下ろすように見つめている。焦っているジョシュアを宥めながら、私は2頭の様子を見守った。
「わふ…。」
「…あん!」
ゾロンは大きく口を開けたかと思うと、舌を出して天狼の子の頭をベロンと舐めた。天狼の子はされるがままゾロンに毛づくろいをされていて、ぱっと見は親子にしか見えない。
「…お?」
「意外と大丈夫そうだね。」
天狼の子はゾロンの尻尾にじゃれたり、ゾロンの足の間に入ってみたりと気ままに動いている。私は木の陰から立ち上がり、2頭のいる目の先に出て行った。
「迷子の迷子の天狼さん。」
「…わふ!きゃん!」
天狼の子は私の”声”を聞き、視線をゾロンから私に向けた。その様子を見たジョシュアは、私に疑問を投げかけてきた。
「アメリアちゃんの聖獣使いの力の秘密って、その声なの?」
「お、鋭いね。オルコットの民の声には、聖獣を制する力があるの。」
私は解説しながら、天狼の子の頭を撫でる。天狼の繁殖にも何度か手を貸したことがあるから見慣れていたはずなのに、久しぶりに見たせいか、この天狼の子が可愛くて仕方がない。頭を撫で、喉を撫で、背中を撫で、尻尾を触る。尻尾は触れられたくないところだったのか、威嚇をされてしまった。
「ごめんて!」
「ぐるる…ぶしゅっ!」
天狼の子はくしゃみを1つすると、ゾロンの元に行ってしまった。どうやらゾロンはすっかり信頼を獲得し、懐かれた様子だった。
「とりあえず、牧場に戻ろうか。この子をこのままにしておくわけにはいかないし。」
私は持ってきていた縄を天狼の子の首に繋げ、簡易的な首輪を作った。嫌がる素振りを見せることなく、素直に縄を付けさせてくれた。
「ぼく、ぼくその縄持ちたい。」
「…まあ、大丈夫かな。はいどうぞ、強く引っ張ったらダメだからね?」
「うん!行くよ、ポチ。」
ポチ?
「この子牧場で飼えないかな。」
「…ポチ?」
「うん!ぼくが名付け親!」
ジョシュアは縄を握りしめながら、キラキラとした目をこちらに向けてきた。純真無垢な彼の瞳が、私には眩しい。
「多分飼えないと思うんだ。聖獣だからね。国が責任をもって、元居た場所に返しに行くんだと思うよ。」
「…そっか。迷子の天狼だもんね。」
ジョシュアは私の話を聞き、あからさまにしょんぼりしてしまった。可哀そうなことをしてしまったかもしれないけど、変に期待を持たせるわけにもいかない。
私たち2人と2頭は、牧場を目指して元来た道を辿った。