第3話 ブランディ牧場
木の匂いと動物の臭いと、何かの料理らしい科学的な匂いがする。
少し身を捩ると、布団らしきふかふかの感触に触れ、思わず寝返りを打つ。頬に枕らしき感触を感じ、ああここは、天国かもしれない。神は私に慈悲をくださったのだ。あの世でくらいは幸せになってほしいと。
…ん?でも、動物の臭いがする天国って?私くらいしか得をしないのでは?
沈んでいた意識が浮上し、私はゆっくりと目を開ける。
目の前に広がるのは、ロッジのような室内の部屋と、毛布の白と、4つの目玉…4?
「…ん?」
「あ。」
「あ!」
目の前にあった4つの目玉の正体は、茶色の髪とオレンジ色の目の、同じ顔をした2人の少女の目だった。
私はゆっくりと体を起こし、目を擦って正面を向く。
「お姉ちゃん、目が覚めた。お母さんたちに知らせなきゃ。」
「おとーちゃん!おかーちゃん!お姉ちゃん目が覚めた!」
ボブヘアーの少女がバタバタと部屋を出ていき、もう1人のセミロングの少女と私だけがこの部屋に残される。少女は私の顔をじっと見つめていて、少し気まずい。
「…あの、私、アメリア言います。」
状況を把握できず、何を言えば正解なのか分からなかった私は、とりあえず目の前の少女に自己紹介をした。少女はぱあっと顔を明るくし、口を開く。
「わたし、ウィルマ・ブランディ、10歳。さっきの子は、わたしの双子の妹のコレッタ。気軽にウィルマとコレッタって呼んでね。」
「分かった。よろしくね、ウィルマ。」
私はウィルマと名乗る少女と握手を交わし、辺りを見回す。コレッタが元気いっぱいな妹で、ウィルマは大人しいお姉ちゃんなのかな、と心の中で考える。
「お姉ちゃんは、どうしてあんなところで寝ていたの?あ、倒れていたの?」
ウィルマが疑問を口にした瞬間、コレッタと見知らぬ男女が部屋に入ってきた。この姉妹の両親だろうか。
私は頭を下げて、ベッドから出て立ち上がろうとする。しかし、夫妻らしき男女に止められて、ゆっくりと元の姿勢に戻る。
「おお!お前さん、気が付いたか!良かった、死んでなかったな!がはは!」
「ちょっとあなた、不謹慎なこと言わないでください!…ごめんなさいね、デリカシーのない主人で。ふっ!!」
豪快に笑う男性を諫めるように、女性が男性の脇腹を肘でど突く。男性は『うぐう!!』と大きな声で呻きながら、地面に突っ伏した。主人と呼ぶあたり、やはりこの2人は夫婦で間違いないらしい。
「お父ちゃん、またお母ちゃんに怒られてる!」
「もはや伝統芸能…。」
「お前らは、こんな乱暴な女になったらいかんぞ…。いっ!」
どうやら、この夫婦はこういうノリが通常運転らしい。娘であるウィルマとコレッタも、気にする様子がない。私の視線に気が付き、奥さんの方が話を進める。
「私はディーナ。このブランディ牧場の経営者である、このパスカルって男の妻です。」
「よっ!お初にお目にかかります、ディーナの夫のパスカル・ブランディってやつです!」
私は改めて頭を下げて、自己紹介をする。どうして森の中にいた私がこんなところにいるのか尋ねたところ、パスカルさんが解説をしてくれた。
あの日私は、森の中を巡回するパスカルさんとコレッタに倒れているところを保護された。私が感じていた狼のような背中は、成人女性を軽々と運べるくらい大きいペットの大型犬ゾロンの背中だったとか。
ゾロンが勝手に森の中を進んでいくから、何があるのかと2人で追いかけた結果、私が倒れていたそうだ。そのままにしておくという選択肢はなかったようで、この家まで運んで医者を呼んでくれたと言われた。私は脱水症状と風邪をこじらせ、加えて過度なストレスによる胃炎になっていたらしい。
「と、まあこんな感じだ。良かったら、あんなところで倒れていた経緯を教えちゃくれねえか?」
「…そうですね、少し私の身の上話を聞いていただけますか?」
私はこれまでの経緯をブランディ一家に話した。みんな笑顔だけど真剣に話を聞いてくれて、話し終わるころにはみんなの顔から笑顔が消えていた。
「はあ!隣国の聖獣使いの話は聞いたことあったけど、まさかお前さんだったとは。それにしても、クソみてえな連中だな、キルベキアの王族は!」
話しが終わって、一番最初に口を開いたのはパスカルさんだった。堰を切ったように、ディーナさんとウィルマとコレッタもブーイングを始めた。
「本当に酷い話ね。今まで国のために働いていた貴女の話をまるで無視するなんて!」
「お姉ちゃん、可哀そう。いいこいいこしてあげる。」
「あたしは代わりにキルベキアの王様のおしり蹴ってきてあげる!」
私の代わりに怒ってくれているブランディ一家の様子を見ていたら、私は自然と泣いていた。心の均衡を保つために強がっていたけど、本当は悔しくて悲しくて堪らなかったのかもしれない。
「…みなさんは、私を信じてくれるんですか?」
私は震える声で、みんなに尋ねる。ブランディ一家は間髪を入れず『はい!』と答えてくれた。
「俺はな、人を見る目があるんだ。だから断言できる、あんたは嘘を付いていない!」
「私も信じますわ。動物が好きな人に、悪い人はいませんもの。」
「わたしも、お姉ちゃんが悪者には見えない。」
「あたしもゾロンも!ゾロン、悪い人には懐かないの。お姉ちゃんを見つけたとき、嬉しそうにしてたもん!」
そう言われて、私は我慢できずにダバダバと泣く。滝のように涙と鼻水を流す私を見て、ディーナさんがあらあらと言いながらティッシュを渡してくれた。私は涙を拭いて鼻水を出し、顔周りをすっきりさせる。
「ずびずび…みなさん…ありがとうございます…。」
「良いんだ良いんだ、お前さんさえ良ければ、この牧場にいな。俺らにはもう1人ジョシュアって息子がいるんだけどな、3人も4人も変わらねえよ!がはは!」
そう言ってパスカルさんはがははと笑って頭を豪快に掻いている。そんな彼の横から、ディーナさんがある提案をした。
「あなた、ここから出ていくにしてもお金あるの?あるなら良いんだけど…。」
「…いえ、少しの硬貨しかなくて。」
「なら、お金が溜まるまで、ここで働いていきなさい。住居探すにも、お金はあったほうが良いでしょ?」
思ってもみない提案に、私はびっくりする。ウィルマとコレッタもうんうんと大きく頷き、私の次の言葉を待っている。
「私的にはありがたすぎる提案です。…でも、良いのですか?こんな私を雇っていただくなんて…。」
「むしろ、貴女がいいの。動物たちへの知識も申し分ないし、何より、動物たちを愛してくれているでしょう?」
ディーナさんが優しい瞳で私を見つめてくる。その目には、確固たる確信があるように見えた。
「どうする?アメリア。後はあんたの返事次第だ!」
私は4人の顔を順番に見回す。みんな大きく頷き、私の返事を待っている。
「このアメリア・オルコット、皆さんの期待に必ずお答えします。よろしくお願いします!」
こうして私は、命の恩人であるブランディ一家とその牧場に尽力する決意をしたのだった。