第1話 聖獣使いの追放
_数か月前。
「我が息子、アンディ・キルベキアとアメリア・オルコットの婚約を破棄する!聖獣を扱える唯一の一族の末裔などと嘯き、キルベキア国の王族、ひいては国民を誑かした女狐め!」
目の前にいる壮年の男性が、私に向かって怒りをぶつけるように怒鳴りつけている。
周りにいる王族や大臣も、男性の声に答えるように強く頷いている。
今私は、人生で一番の窮地に立たされていると思う。だけど、不思議と心の奥底の芯は冷え切っており、焦りや怒りなんてものすら抱かなかった。
◇◇◇
_独白。
私の名前はアメリア・オルコット。
この国で唯一、聖獣を意のままに操ることができる”聖獣使いオルコットの民”、その唯一の末裔がこの私です。王命によりキルベキア国管轄の戦闘用聖獣の総管理を任されていた、所謂エリートと呼ばれている特権階級の者でした。
何が特権階級なのかと言うと、私は平民でありながら、貴族と同等の地位と権力を特別に与えられていた立場なのです。聖獣使いとは、この国にとってそれくらい重要な役割だった。そのため、キルベキア国の第三王子であるアンディ・キルベキアの婚約者にも成り得たのです。
聖獣とは、かつて神がキルベキアの王族に与えたと言われている獣の総称です。文字だけ見ると仰々しいですが、みんな普通の動物たちと変わらない良い子たちばかりなんです。種類は主に3種、天馬、天狼、天竜です。その名の通り、翼の生えた馬と狼、そしてドラゴンがこの聖獣に当てはまるのです。
私たちオルコットの民は、存在を公にはされていませんでした。一部の王族と政治関係者と聖獣に携わる者だけが、私たちオルコットの民の存在を知っていました。戦闘用の聖獣を扱える人間を知られてしまうと、それを悪用する者が現れかねないから、というのが王族の言い分でした。そのため、代々オルコットの民は細々と血を繋いでいくことを命じられていました。
先代である私の父は10歳の時に不慮の事故で、母は13歳の時に病気で亡くなりました。
今の私は成人こそしていますが、当時は父に代わり、未成年ながらキルベキア国管轄の軍事用聖獣の管理を任されたのでした。
そんないつもの日常が壊れ始めたのは半年前。
王族でありながら動物学者もしているトレバー・キルベキアが、『聖獣は皆”ノアの実の粉末を与えることで制御できる”』と主張し、それが事実であることが分かったのです。
オルコットの民は、そんなことは百も承知でした。私たちにとっては、大前提として当たり前の知識だったのです。
じゃあなぜそのことを知らせなかったのか。確かに、ノアの実の粉末は聖獣を操ることができる代物です。ですが、その実は聖獣の体を蝕み、徐々に死に至らしめる悪魔の実だからなのです。聖獣はノアの実の依存性によりその実を求めるようになり、瘦せ細り中毒を起こして死んでしまう。人間でいう麻薬のようなものになるのが、ノアの実の粉末です。そんなこと、聖獣使いの私が提案できるはずありません。
しかし、この事実を黙っていたことに王族が、特に現国王が激怒しました。今まで私たちオルコットの民ありきでないと聖獣を制御できないと思っていたのに、騙されたと私を呼び出して、冒頭に至ります。
もちろん、ノアの実の事実を認めるとともに、抗議もしました。ノアの実に潜む聖獣への危険性を。ですが、かのトレバー・キルベキアがそれを否定したのです。そんな事実はないと。
現国王も王族も大臣もみんな、トレバーの言うことを信じました。聖獣を扱えるノアの実の事実を黙っていた私は、王命により裁かれることになったのです。こうして私は、婚約破棄と国外追放の2つを言い渡されたのです。
◇◇◇
王命を言い渡されたその日、私は荷物をまとめるために聖獣舎に来ていた。引き継ぎの資料を急いで作り、聖獣1頭1頭に合わせた世話の方法をまとめていく。既に聖獣の個体に合わせた資料は存在しているけど、私だけが実践していたことも記しておこうと思ったのだった。
私を信じず追放するこの国の王族がどうなろうが知ったことではないけど、聖獣たちにしわ寄せは行ってほしくない。私はこっそり、ノアの実の効果を打ち消す解毒薬のレシピも忍ばせておいた。ノアの実の効果を打ち消すため聖獣を扱うことはできなくなるけど、この解毒薬があれば聖獣をノアの実から救うことができる。
(誰かが気付いてくれることを信じるしかない。)
作業をしていると、誰かが獣舎のドアを開ける音がした。振り向くと、そこにいたのは私の婚約者…いえ、元婚約者のアンディだった。
◆◆◆
「この子はパルフという名前の天狼です。」
「へえ、綺麗な毛並みと翼だね。」
私の声に答えるように、パルフは大きく遠吠えをした。
銀色の翼を持つ天狼の飛ぶ姿は、天馬や天竜とまた違った趣と美しさがある。私の婚約者であるアンディは、聖獣の中でも特に天狼のことを気に入っていた。
「天狼も美しいけど、もちろん君が一番だよ。君の銀色の髪も、天狼に匹敵するほどの美しさがある。」
「アンディは女性を褒めるのが上手ですね。」
「お世辞だと思ってる?僕は本気なんだけどな。」
そう言って、アンディは私に口付ける。私もそれに答えるように、彼の腕に手を伸ばす。パルフはそんな私たちを、澄んだ瞳でじっと見つめている。
聖獣の前で、しかも仕事中にこんなことをしてしまったことを恥じ、私はアンディの胸元を手で押す。
「アンディ、ここではいけません。聖獣の前ですから。」
「君はとても真面目だね。ごめん、悪かったよ。」
アンディは小さく笑いながら、私の頭を撫でる。
現国王が決めた婚約だったけど、私は少なからずアンディのことを慕っていたし、アンディも私のことを慕ってくれていた。
はずだった。
◆◆◆
「アンディ…」
名前を呼ばれたアンディは悪魔のような形相になり、私の胸ぐらを掴み強くビンタした。
勢いよく叩かれた私は床に倒れこみ、じんじんと痛む頬に手を当てる。
「僕は君を信じている、とでも言うと思った?僕の名前を気安く呼ばないでくれる?裏切り者のオルコットさん。」
オルコットさん。彼に名字で呼ばれたのは初めてだったかもしれない。私はゆっくりと立ち上がり、頬に手を当てたまま彼の目を見る。
「僕も父上も、君には失望したよ。あんな大きな事実を黙っているなんて。」
「それについては申し訳ありません。ですが、ノアの実には聖獣を蝕む効果もあって…」
「トレバー兄さんはその心配はないと言っていた。…まさか君、トレバー兄さんの言うことが嘘だと言いたいの?裏切り者の分際で?」
そう、私の追放のきっかけとなったトレバー・キルベキアとは、アンディの一番上の兄だった。彼は現在継承権第一位の立場にあるため、国王に匹敵するほどの権力を持っていると言っても過言ではない。
「…申し訳ありません。」
私は謝る以外に出来ることがなかった。おそらく、何を言っても彼の逆鱗に触れるだろう。
「早々に荷物をまとめて立ち去るように。君はこの国には不要なんだから。処刑にならなかっただけでも、父さんの慈悲に感謝してね。」
それじゃあ、と言い残すとアンディは聖獣舎を立ち去った。彼が立ち去る石を踏む音だけが、私の耳に届く。
アンディとすれ違うように、一人の人物が聖獣舎に入ってきた。私の腫れた顔を見てびっくりして、彼は急いで氷を持ってくると言って去っていく。
ルイス・ウェイド。
彼は私と親しかった聖獣飼育担当職員の1人で、私のことを信頼してくれている唯一の職員だった。聖獣に関する薬草学に長けていて、聖獣の健康管理の要にもなっている。
他の職員は皆面倒ごとに巻き込まれたくないのか、私が嫌いなのか、特に抗議することもなく私の追放を受け入れたらしい。
(私って人望なかったんだ。)
傲慢に振舞ったつもりも、理不尽なことを言ったこともない。しかし、それは私がそう思っているだけで、実際は違ったのかもしれない。まあでも、余計なことに首を突っ込んで、自分の立場が危うくなることは誰でも避けたいだろう。
そんなことを考えていると、ルイスが氷嚢を持ってきた。何も言わず頬に当てていた私の手を剥がし、氷嚢を当てる。
「…冷たい。」
「当たり前です、氷嚢ですから。…すみません、影から見ているだけで。」
ルイスは申し訳なさそうにしながら、私に話しかける。まるで怒られて落ち込んでいる大型犬のように見えて、頭を撫でたくなる衝動に駆られた。
「ルイスは充分にしてくれているよ、気にしないで。」
ルイスは何かを言いかけたけど、口にすることなく黙りこくった。
「今までありがとう。この子たちのこと、よろしくね。」
そう短く言い残し、私は聖獣舎を後にした。ルイスが何か言いたそうだったけど、私は彼を無視して扉を閉じた。